悪魔に愛された少女②

 琴子が絶乃に連れていかれた場所は三十階建ての高層タワーマンション、さらに不安が増していくが、案内された部屋を見て安堵した。

 それは綺麗に整頓された、無駄な物がないお手本のような部屋だった。

 

「ここが御剣さんの部屋ですか?」

「絶乃でいいよ、琴子君。当然ボクの部屋だよ。君はこれからここで働くんだから、おっと、その前にその呪いを上書きしておこうか?」

「あっ、はい」

 

 琴子がそう返事をすると、絶乃は琴子の肩を持つと、首元にある呪いの印に自分の唇を近づけ、牙を立てた。

 

「絶乃さん……何を、んっ」

 

 琴子が離れようとするのを無理やり力で抑えて絶乃は琴子の首筋に吸い付いていた。それはじゅるじゅると、ちゅぱちゅぱと淫猥な音が響き、「あぁん」と全身に快感が駆け巡り。琴子が抵抗するのを止めた時、それは突如終わった。

 

「さて、これで呪いの上書きは終了、君が今後あんなのに狙われる事はなくなったよ。それにしてもそんなにボクのが良かったかい? おあずけされた子犬みたいな目をしてさ? さぁ立って、仕事だよ? 頑張ったらまたご褒美をあげるから」

「いいですよ。やめてください。それにしても仕事って?」

 

 絶乃は琴子をパソコンのある部屋へと通す。呪いの上書きという言葉が胸の中でつっかえているが、仕事の説明に意識が持っていかれる。

 

「君はここで経理の仕事をしてもらおうかな、それに炊事洗濯とボクが帰って来たらすぐに食事ができて綺麗な服を用意しておく事」

 

 琴子は拍子抜けした。三百万以上の借金返済にあたってこんなに楽な仕事でいいのかという事。

 しかし、琴子の考えはチョコレートパフェよりも甘かった事を最後の言葉を聞いて知る。

 

「あぁ、あとボクのも仕事だから忘れないでね」

「えっ?」

 

 言葉の意味を理解すると、琴子は赤面し、そして絶乃の性別について尋ねた。絶乃は女子、それも自分と大して変わらない年齢だと勝手に想像していた琴子。

 

「絶乃さんは、男性なんですか?」

「さぁ、どっちだろうね? 琴子君に教える必要はないよ。おのずと分かる時が来るんだし、それはお楽しみという事で」

 

 よく考えれば、女性でも女性を愛でる人達も世の中には沢山いる。絶乃がそんなタイプの性癖を持っていたとしてもおかしくはない。

 広くて清潔な部屋、色んな難しそうな本が整頓している本棚にパソコンデスク、そして作業に使うのであろう薄いアップル製のノートパソコンが置いてある。恐らく殆ど使われいないであろう電気ケトルに少しお高めのティーパックが並んでいた。

 琴子は椅子に座り、この部屋の違和感を感じた。

 あまりにも人間味のない部屋。

 ここはモデルルームか何かではないのかと思えるような作られたたような完璧感、そう思うと気分が悪くなってきた。

 

「帰らなきゃ」

 

 冷静になると、あんな状況とは言え平気で人の頭に銃を向けて引き金を引いてしまうような人物の家にいるのだ。そう思うと、琴子は絶乃という人物に対して恐怖を感じ始めていた。

 

 キィ。

 

 扉が開く音が響く、琴子の心音が段々と早くなる。もちろん、開いた扉の先には絶乃がいるのだが、彼女は真顔でじっと琴子を見つめている。

 

「ひっ……」

「コーヒーでいいかい?」

 

 猫のような口をして無邪気そうに琴子にそう言う絶乃に琴子は家に帰りたい旨を伝えたところ、絶乃は玄関を指さす。

 

「お帰りはあちらだけど、誰に呪われたか分からない以上ボクといた方が、周囲に迷惑をかけないと思うよ。ご両親に連絡をしてここにしばらく住むのはどうだい?」

 

 琴子は絶乃の提案に対して自分が全寮制の女子高に通っている事を伝える。

 

「実はもう門限もだいぶ過ぎてて……」

「学校名は?」

「愛欄台女学園です」

 

 ふーんと言いながらスマホで何かを調べると絶乃は何処かに電話をかける。この絶乃がただものではないという事は琴子も一連の事件で知っているが、まさかこの返答が返ってくるとは思わなかった。

 

「おっけー、今日から君はここより学校に通えるように計らっておいたよ。安心して枕を高くして休むといい。ボクの仕事を手伝うように、はいコーヒー冷めない内に」

 

 渡されたマグカップを持つと小さく「ありがとうございます」と琴子は答えそれに口をつけた。インスタントかチェーン店のコーヒーショップ程度の物しか知らない琴子だったが、それが相当美味い代物だという事が舌から伝わってきた。

 

「美味しいです」

「それを飲みたければ、キッチンに豆があるから好きに飲んでいいよ。そこにあるインスタントの紅茶でも手軽でいいけどね。あとシャワーと風呂も好きに使って構わない。冷蔵庫の食材が足りなくなったらボクの名前を店の人に言ってツケてもらえばいい。それでお金がなくても物が買えるからね。寝室はボクに抱かれたいなら同室でもいいけど、一部屋客用の寝室があるようだから、そこを使うといい。なにわともあれ、今日は食べるか休むかしていいよ。ボクは少し外に出てくるから」

 

 そう言って絶乃はマンションから出ていく。琴子はホットコーヒーをゆっくり楽しむと、時間を見てシャワーを貰う事にした。

 一体家賃はいくらくらいするのか、それとも絶乃の持ち物なのか、明らかに一般人が住まうようなマンションではない。

 

「わぁ……」

 

 高級ホテルの一室のようなバスルーム、ガラス張りのシャワーに豪華な化粧台と広いバスルームの中にあるささやかな浴槽。

 

 それらを見て琴子は簡単にシャワーを済ませた。

 着替えがない事に気づき少し閉口するも元の制服に着替えなおし、客室と言われている寝室横になるとすぐに睡魔が琴子を襲った。

 それは夢、なにやら霧の深いところで琴子は何者かに追いかけられていた。それは影だけだが、四つん這いの獣のようだった。

 

 逃げなきゃ!

 

 ただそう思わせる何か、ここは一体どこなのか、固い地面、遠くに見える人影、その人物に助けを求めなきゃと琴子は走った。

 たすけてください。

 藁にも縋る思いで言った人物の姿、全体像は霧で見えないが、額から空を犯すように伸びた刃物のような角。

 これは人じゃない。

 その姿のよく見えない化物に琴子は首元を噛まれる。

 誰も助けてくれる人がいない、殺される。

 そう思った時、琴子は目覚めた。

 心音はドクンドクンと速く脈打ち、未だ震えている自分を感じていた。

 ドンドンドン。

 

「ひっ!」

 

 強めのノックに恐怖しながら、開かれるドアの先に絶乃がいる事をただただ願った。キィと開かれる扉に琴子は目を瞑る。

 

「おはよう、よく眠れたかい?」

 

 安堵。

 見開いた先には絶乃の姿。可愛らしい動物の耳のついたパジャマを着ていた。ほっとした事と、絶乃のあまりの可愛さに笑いがこみ上げてきた。

 

「おはよう。絶乃さん、そのカッコなに? あはは、もうびっくりしたじゃん。びっくり……」

 

 恐怖からいきなり安心させられた琴子は自分が泣いている事に気づかず、そんな琴子の頭を絶乃が撫でる。

 

「全く怖い夢でも見たのかい? ここは核シェルターよりも安全な場所だと言うのに、さぁ顔を洗っておいで、朝食を食べたら学校にいかないと、学生の本分は勉強だろう? まぁボクは学校なんてところには行った事がないけど」

 

 絶乃の言葉を聞き返そうかと思った琴子だったが、絶乃は猫耳フードを被るとにゃおんと言いながら部屋から出ていく。

 

「待って」

 

 部屋に一人残される事が怖くなった琴子は絶乃を追って部屋を出る。言われた通り、顔を洗いリビングに向かうとサンドイッチとコーヒーが用意されていた。

 

「さぁ座って」

 

 自分は確か、二百万の借金を返す為にここで働くという名目で住み込んでいるハズなのだが、今のところ絶乃からはお客さんのように扱われている。なんとも変な気分なのだが、絶乃は実においしそうにサンドイッチをぱくぱくと食べる。

 はじめて会った時も絶乃はハンバーガーを齧っていた。絶乃は腹ペコキャラクターみたいでやはり可愛いと琴子は思う。

 いや、平気で人間の頭を銃で吹っ飛ばすようなイカれた人間であるという事をどこか忘れたいと思ってたのかもしれない。

 

「牛乳もあるから飲みたかったら自分でいれてね」

 

 裏返されたグラスに新しい瓶入りの牛乳。琴子は牛乳を飲む習慣がなかったので丁重に断ると絶乃が瓶ごと牛乳を飲みほした。

 

「さぁて、ボクも今日からバイトだからそろそろ出ようかな」

「アルバイトですか?」

「うんそうだよ」

 

 こんなところに住んでいる絶乃が一体どんなアルバイトをするのか、絶乃が鼻歌まじりに白衣を畳んでいるので病院の先生でもしているのかと琴子は思いそれを話しかけようとしたが、時間を見て急いで絶乃は飲みほすように残りのサンドイッチを流し込んだ。

 

「琴子君、いくよ!」

「えっ? はい」

 

 地下の駐車場に行くと、ずらりと並んだ外車、スポーツカー、スーパーカーと高級車達。やはりこのマンションに住まう人達は別次元の世界の人達なのだと琴子は思いながら、見覚えのある絶乃の車へと向かう。

 

「ボクのクリスかい? 可愛いだろう? ここにある値段だけで乗られている子達に比べてボクの寵愛を受けている幸せ者さ」

 

 おそらく絶乃の車は目が飛び出る程高級なスポーツカーではないのだろう。だが、見た目のスポーティーな形状は確かにカッコいい。

 それに言っても相当な値段がするものだろう。

 

「まぁそう言ってもNSXとどっちにするか迷ったんだけどね。さぁ乗って遅刻しちゃうよ」

「あっ、はい!」

 

 中々絶乃のペースから抜け出せない。車内に流れるアニメ声の歌手が歌う聞いた事のない歌に頭をゆらしながら絶乃は軽快に車を運転する。

 車の事をあまり知らない琴子だが、ギアチェンジをする絶乃の手の動きから随分運転に慣れているのだろう。

 そして、こんなにブレーキを感じさせない運転は琴子もはじめてで、驚いてばかりいると、目の前に到着した学校。その校内に車で乗り入れ教員用駐車場に絶乃は自分の車を駐車させた。

 

「じゃあ、君は学生として、ボクは保険医として一日を頑張ろうか?」

「えっ?」


 琴子は、絶乃が保険医としてこの愛蘭台女学院にやってきた事に考えが追いつかなかった。そしてその絶乃はかっこカワイイ先生として生徒達が保健室に尋ねては絶乃と話した事、治療をしてもらった事と就任一日目で大人気となっていた。

 たしかに絶乃は恐ろしく綺麗な容姿をしている。そして彼、あるいは彼女というべきか? 性別も定かではない。なんとも男性的な少女のようで、女性的な少年。美しく、そして性的に魅力的なのだ。

 

「赤倉さん、ちょっといい?」

「はい、貴女は……吉田さん」

 

 クラスメイトだが、話した事のない女生徒、そして少しばかり機嫌もよくはなさそうだった。その為愛想笑いをして彼女の出方を確かめる。

 

「昨日寮に戻らなかったとお聞きしています。それに御剣先生のお車で登校されたともお伺いしています」

 

 この吉田という生徒は一年生ながら生徒会にも属しており、自分のような不正を行った者を許せないのだろう。さらには不純異性交遊があったのではと疑われている始末。

 

「昨日たまたま事件に巻き込まれて、そこで助けてくれたのが絶……御剣先生だったの、それで病院に付き添ってくれて」

 そんな感じの適当なごまかしに吉田は当然不満そうな顔をして「そうですかと」答える。そして最後に琴子にこう言って去る。

 

「お気をつけて」

 

 吉田がいなくなったところで琴子の親友である水無月かれんが心配そうな顔をして琴子に「大丈夫?」と声をかけてくれた。

 

「うん、大丈夫。吉田さんなんだったのかな」

「多分琴ちゃんが御剣先生と一緒に学校に来たから嫉妬してるんだよ」

 

 確かにこれはやらかしたと琴子は思う。女子高において独自ルールを破る者への制裁は少々粘着質なのだ。

 まぁ実際いかがわしい事がなかったかといえばそういうわけでもない。そう言う意味では少々の嫌がらせを受けるくらいは覚悟せざる負えないかと琴子は諦める。

 親友である水無月かれんの父親は随分学園に寄付をしているとかで、教師や上級生からも一目置かれた存在なのだ。

 彼女が友達でいてくれる以上は受けるダメージも随分少なくて済むだろうとも期待していた。

 

「今日、全校生徒は時間をずらして身体測定をするんだって、今は一年生の時間だから琴子いこ!」

 

 身体測定なんて聞いた事がない。

 琴子は嫌な予感を巡らせながら体操着に着替えて、保健室へと向かう。身体測定が終わった生徒達の上気した顔、それが一定間隔で続き、声が聞こえた。

 

「はい、次の人。とっても可愛いね。天使かと思ったよ」

 

 キャアア! と黄色い声が響いていた。

 当然絶乃に対する声だった。琴子の前の生徒が終わり、琴子が入室する。

 

「し、つれいします」

「やぁ、琴子君。最近の女子高生は一部を除いてよく育ってるね」

 

 絶乃はキスマークを作りながら、乱れている白衣を直す。琴子は恥ずかしそうに体操着を脱ごうとするが絶乃にそれを止められる。

 

「君はいいよ。昨日終わらせたから」

 

 自分には興味がないという事かと琴子は立ち上がり退室しようとする。その手を絶乃は握り、行かせない。

 

「離してください! 他の女の子で十分楽しんだんでしょ?」

「一体君は何を言っているんだい? そんな事より面白い事が分かったんだよ。多分、君を呪った人物はこの学園内にいるよ。まぁまだ二年生と三年生が残ってるけどね」

 

 予想していた言葉とは全く違っていた絶乃の発言に琴子は言葉が出ない。

 

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