エシカル植民地主義2.0

 ここ南アフリカにおけるアパルトヘイト廃止の決定は世間じゃ受け入れられてるみたいだ。雑婚禁止法も背徳法も撤回された。世界は多様性と多文化主義、それにグローバル資本主義の潮流だ。物流や経済とは潤滑油すなわち液体であり、酸素や養分を運ぶ血流と等しくあるのだ。

 そして肥え太れば動脈硬化など様々な疾病を引き起こすのも同じだ。

 僕の生まれ育ったソマリアで近年問題になっている海賊たちの元は漁師だ。91年の政権崩壊前には仕事があったが、軍部が西欧諸国にソマリア沿岸への産業廃棄物と放射性物質の投棄を認めると、鉛や水銀によって周辺地域の住民に死や病気が蔓延し、奇形児も生まれるようになった。欧州船団が無政府状態のソマリア近海で魚を乱獲したのも手伝って、漁師たちはより一層困窮した。

 彼らはその自衛のために銃を手に取ったという。

 そしてカンパネルラによれば、その銃はアフガニスタンやパキスタンから運ばれてくる。欧米の民間軍事会社の警備員が訓練を施した武装組織――海上警備隊がインド洋周辺の武器や麻薬のとなっており、一部の海賊または密輸組織の母体となっている。

 武器商人であるカンパネルラと旅していると、自分の大陸でも知らなかったことが沢山あることに気付かされる。例えば女性器切除FGMの風習。妹はまだ幼かったのでその通過儀礼イニシエーションを受けていないようだったが、ソマリアでは陰核と小陰唇の切除と陰部をことによって封鎖するのが当たり前だ。「股の間に悪いものを付けて生まれてきた女は、性感帯を失うことで貞淑な処女性を保てる」という理屈だ。

 旅の途中でマラウイに滞在したときに、その風習が一般的ではないことを知った。オフィスのキャリア・ウーマンも厚化粧をしてハイヒールとタイトミニ・スカートを身に付ける癖にさ。それが性の解放なのか抑圧なのか僕には判別できない。政治的主張は虹色に反射する生地素材のように、見る立場によってその色を変える。

 ホテルの隣室ではアメリカ人の夫婦と赤ん坊が滞在しているらしい。夜泣きするようなとしでもないようだが、壁が薄いので会話はもとより、衣擦れと同衾の音もたまに漏れ聞こえてくる。それによれば夫婦仲は悪くないようだった。

 その幼い女の子の名前はハンナ、旦那のほうは戦場カメラマンのヨーイチ、そして妻である宝石商はペニナと呼ばれていた。聞くところによると、その宝石商は南ア地域にダイヤモンドを買い付けに来た改革派のユダヤ人らしかった。

 僕にはアラブ人の血も入っていると思うが、ユダヤ人に対する特別な感情は特にない。良くされたこともあるし、悪くされたこともある。それは人による。個人の属性によって判断すべきでない。男だからどうとか、女だからどうとか。それでもというのは一体どのような心持ちか思いを馳せることはある。

 ともかく夫婦はカリフォルニアからやってきたようで、それぞれの仕事の際はその三つか四つになる幼子おさなごを現地のベビー・シッターに預けているようだ。片方は紛争や貧困の取材に、片方は宝石や貴金属の商談に。

「や、こんにちは。君は、ここら辺の子?」

 廊下ですれ違った際に、忙しない子供をおんぶする旦那の方に話しかけられた。僕は荷物を運んでいた……つまり咄嗟に手話で話せなかった。自分はどうしてこのような不便でややこしいでしか他人とコミュニケーションが取れないのだと感じることは、たまにある。

「口が利けないんです。声帯に問題はなくて、恐らく心理的な要因で」

カンパネルラが助け舟を出してくれた。髪を結って無精髭を生やした旦那は【名誉白人】の日本人らしく恐縮して、軽く会釈した。

「それは失礼……お二人は、ご家族か何かで?」

「そんな風に見えます? それとも、ご冗談のつもりで?」

カンパネルラは僕と彼の肌の色の違いを言っているようだった。旦那のほうは気さくそうだったが、丸っきりの馬鹿というわけでもなさそうだった。

「ま、人を見た目で判断しちゃいけませんので。ヤクザだって血の繋がりがなくとも、親爺だとか兄弟分だとか言いますし」

「イタリア人のマフィア組織のように?」

「ええ、そんな感じです。ソマリアの氏族社会と同じです……日本でも家族や血縁が重視されます。儀式として盃を交わしたりね」

カンパネルラの父親は朝鮮系日本兵だったらしい。母親の先祖がフランスからスペインのバスク地方のアリスクンに住む、カゴやカナールといった不可触民だったとか。それでも彼の話はある程度割り引いて聞く必要がある……言っていることが矛盾していたり、コロコロ変わる事がよくあるからだ。

 挨拶もそこそこに、旦那とはその場で別れた。父親に背負われた子供が指を咥えながら僕のことをジッと見つめていたように思う。パフェを食べに行くらしかった。

 部屋に戻って、荷物を置いた。ベランダに行って、カンパネルラは紙巻き煙草に火を灯した。すると隣の部屋からもベランダに出てくる影があった。魔女のように赤い髪の毛をした彼女は柵に寄りかかってフーッと溜息を付くと、空を見上げて誰に言うでもなく呟いた。

「“魚”を運んできたの?」

魚というのは漁船経由で密輸された銃のことだ。銃を分解して冷凍された魚の中に隠し、着いてから洗浄し組み上げる。カンパネルラは様々な方法で武器を密輸した。

「君んとこの国のものもあるよ。ティベリアス湖ヤム・キネレットで採れた魚さ」

カンパネルラは宝石商の魔女に煙草を差し出した。ティラピアのような聖ペトロの魚は竪琴キノルのような形をしたガリラヤ海で産出され、南アフリカではヴェクターR4ライフルやR5カービンの名前でライセンス生産されている。

「禁煙してるの。子供のためよ」

そうかい、とカンパネルラは構わず煙を吐き出した。

「しかし、あんたが子供を産むとはね。こりゃ二〇世紀最大の事件かも」

カンパネルラの言葉を鼻で笑うと、「あんたの本性は知ってる」と宝石商が言った。

「言っとくけど、あたしの家族や友達に手ェ出したら、殺すわよ」

宝石商は視線を下ろして僕をちらと覗くと「その子は?」と訊いた。

「ソマリアで拾った。彼はジョヴァンニという。僕の用心棒をしてもらってる」

宝石商の魔女はビジネス・スマイルの笑いジワを浮かせて言った。

「こんにちは、ジョヴァンニくん。あまりコイツのことを信用しちゃ駄目よ」

そりゃお互い様だろ、とカンパネルラが真顔で言った。

「アフリカーンスとイディッシュってのは、どのくらい通じ合うんだい?」

「まちまちよ。政治家や独裁者は英語やフランス語で話すこともあるわ」

「紛争ダイヤや金鉱山目当てってわけ?」

「あたしは今、カナダ人たちとアフリカ地域で合法ダイヤを取引する仕組み作りをしてるの。思想や倫理的消費は新たな価値や商品になる」

「イスラエルから下向イェリダーすると人は倫理的エシカルになるのかな」

聞いた話だが、逆にイスラエルへ移住することを上京アリーヤーと呼ぶらしい。

「ソ連……ロシアやウクライナからの横流し品を? ああつまり、“魚”のね」

「漁獲量は大したもんさ。設備や治具ジグもそうだが、あの辺りにパイプが出来たのが何よりデカい。ユーゴも十日間戦争から燻り続けているし……そのうち東欧にも進出するつもりだ」

手広くやってんのね、と魔女は独り言ちた。

「冷戦が終わってから各地で民族自決の機運が萌芽している。この春は大忙しさ」

「つまり“ホームランド”……バントゥースタンのような傀儡政権を作らせるわけね」

「君たちだってパレスチナで同じことをしている」

「湾岸戦争のあと対話路線に転換したPLOのアラファトとは水面下で協議してるわ。あんたなんかには何も言えないけどね」

「当ててみせようか……ノルウェーの辺りだろ」

ご想像にお任せするわ、と魔女は答えた。ホームランドというのは、人種隔離政策であるアパルトヘイトに基づく南ア内に樹立された有色人種の独立国家のことだ。アフリカーナーと呼ばれる支配層の白人が豊かな土地と鉱物資源を確保しつつ、表面上は自治・独立権を与えながら不毛の土地に労働者たちを移民させる。被支配層の黒人たちは外国人労働者として扱われるわけだから、南アにおける市民権や選挙権を持たない――要するに表面上は法的に正しく倫理的な奴隷制度だ。アメリカが20世紀中頃までアメリカン・インディアンや黒人奴隷、苦力クーリーなどのアジア人労働者にやってきたことと同じだ。

 南アフリカはデクラークやマンデラによって廃止されるまで人種主義に基づいたアパルトヘイトを採択していて、国際社会から孤立していた。しかし冷戦時代はドミノ理論を恐れた西側諸国と軍事的には連携しており、アンゴラやモザンビークの共産勢力に対する武力として内戦や紛争に介入していた。自由主義世界の防波堤という意味では、東アジア地域における日本・台湾・韓国、中東地域におけるイスラエルの役割に似ている。ドイツ再統一、ソ連の崩壊という形で冷戦が終わると、これらは油田やダイヤモンド鉱山を巡る資源戦争に転換した。

「――で、あんたは変わらず“魚”を売ってんのね」

「軍縮で職にあぶれた元軍人たちの寄合所帯がアンゴラやシエラレオネで仕事を探してる。現地民兵の訓練だとか、それこそ鉱山の警備とかね」

「流行りの民間軍事会社PMCね」

「みんな食うために必死だ。そうだろ? 生きるためには働かなくては……“働けば自由になる”とナチスも言っていた。僕も、僕の仕事をするだけさ」

カンパネルラは「この子もそうさ」と言って僕の肩をぽんぽんと叩いた。

「ジョヴァンニはきっと僕を守ってくれる。彼とはそういう契約アンガージュマンだ。お互いのための利益というわけさ。それが近代国家と市民社会の原則ってもんだろう?」

 宝石商の魔女にも思うところがあったようだが、ふとベランダから視線を落として路地を歩く夫と娘に微笑みかけて、小さく手を振った。

「もう行くわ。あたしにもあたしの仕事があるから。精々お互いの足を踏まないように気をつけることにしましょう」

「ま、今日のところはそうしよう。そのうち絵葉書を送るよ」

「やめて頂戴。あんたの物言いには、ほとほとウンザリしてるわ」

褒め言葉かな? とカンパネルラは笑って答えた。守るべきものがある者とない者の違いか。去り際に魔女は人差し指と中指で自分の目を差したあとカンパネルラを指して、「見ているからな」というジェスチャーをした。

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