メイド・イン・アフリカ

名無し

冷戦は終わり地球温暖化の時代へ

 人類はアフリカで生まれた。最大の輸出品目は人間だ。今や子供が産まれることも世界平和も商品のひとつだ。ハッピーバースデーの唄やビートルズを歌うのもタダじゃない。ヒトは石油やダイヤモンドと変わらない、生産される資源なのだ。

 大量生産、大量消費、大量廃棄のサイクル。資本主義は東ドイツやソ連の解体と共に勝利を収め、先進国の善意によって寄付された大量の古着が積み上げられ、自然に還らない化学繊維は雨水に腐敗し、異臭を放っている。

 僕は、そんなところで産まれたのだと思う(子供は聞かされて自分の生まれを知るものだから)。とどのつまり、ここは先進諸国の商業主義の廃棄物ゴミの最終処分場だ。

 人類はこの『アフリカの角』から風の女悪魔リリートゥの住まう紅海の嘆きの門バブ・エル・マンデブ海峡を超えてアラビア半島に渡ったらしい。


 “彼女の門は死の門であり

 その入り口を陰府シェオルへと続かせる

 そこから誰も戻っては来ない

 彼女に憑かれた者は穴へと落ちゆく”

 (死海文書4Q184)


 僕には幼い妹が居る。あざなファルファーラという。

 僕の名前はジョヴァンニ。妹のファルファーラは不治の病に侵されていた。

 その不治の病というのは処女と交わると治癒されるという話があって、宣教師だか詐欺師だか知らないが、まあとにかく、そいつが僕の妹を標的に選んだということ。

 処女ヴェルジネってのは聖母マリアのことじゃあなかったのか? とにかく僕は馬乗りになってそいつを木の棒だとか拳骨大の石だとかで、奴の目が開かなくなるまでった。悪魔憑きだなんだと罵られた気もするけれど、大人はみんな奴の味方だった。たとえそれが紙幣のように薄っぺらい表面上のものであっても、信用クレジットというのは社会的に重要なのだ。イタリア植民地時代から生き残ってきたお爺ちゃんとお婆ちゃんが、僕らを見て悲しそうな顔をしていたのが少しだけ辛かった。

「結局のところ、僕らの荷担する国民国家であるとか経済・環境システムというのは――人の持つ本来性であるところの暴力が軍や警察に委託されている前提にあるわけで――要は、皆の信用ありきで成り立っているわけだからね」

見事な黒檀の長髪を後ろで結んだ彼はそう言った。狐のように妖艶な笑みを浮かべる東洋人。「名誉白人こと日本人ジャポネの血も入ってる」と嘯いた。十九歳の青年にも、二十九歳の壮年にも見える。成長とそれに伴う社会役割を拒絶しているのだ。どうも内臓が悪いらしくて、口にするものには気を遣っている印象だった。封のされたペットボトル入りのミネラルウォーターや飲料の缶詰、それに瓶詰めの牛乳のようなものしか飲まなかった。兎に角、この国じゃ何も信用するなって事さ。

 一昨年の暮れにベルリンの壁が崩壊し、東ドイツ五州と東ベルリンが西ドイツに法的に加盟する形式で去年の10月3日にドイツが再統一。レーガンとゴルバチョフの連携でデタント、グラスノチ、ペレストロイカ。

 僕らの祖国はの烙印を捺され、大ソマリア主義を掲げエチオピアに侵攻したバーレ大統領もとまで揶揄され、水不足によるや飢饉もあって……アリ大統領やアイディード将軍に権力の座を奪われ、計画されていたソマリア鉄道の再開も頓挫した。

 太陽から降り注ぐ熱死線が麦を焦がす。額から目頭を伝って垂れる汗。紡績機が使えれば食えた時代は終わり、アフリカのアパレル産業は衰退した。例えば西アフリカは綿花などの第一次産業に頼らざるを得なくなり……そして時代は化繊のナイロン66。アポロ計画にも貢献したデュポン社の合成繊維だ。伝線しないパンティ・ストッキングから防弾着のケブラーまで。クロロフルオロカーボンが南極のオゾン層を破壊し、排出ガスに汚染された大気が酸性雨を降らす。

「レミントン・アームズのナイロン66というライフルなら前に売ったことがあるぜ。訓練用としてね」

何も悪いことばかりじゃない。僕らの生活は高速で便利になった……少なくとも石器時代や牛車の時代に比べれば。超大国が宇宙に行く時代に、僕らアフリカ人は自分たちの人生を切り売りして生きている。すなわち第一次産業、石油とダイヤモンドだ。

<ダイヤを掘りに来たなら ご愁傷さま 西か南に行かなくちゃ>

イタリア語と英語とアラビア語の環境で生まれ育ったために、自己表現が苦手でな僕は手話でそう言った。すると彼も手話で答えた。

<ダイヤモンドじゃない 僕はを売りに来たのさ>

彼は指でピストルの形を作って「BANG!」と撃ってみせた。チェシャ猫のように笑う彼はカンパネルラと名乗った。

 イスラエル製のウージー短機関銃だとかガリル突撃銃、ソ連やウクライナの倉庫から横流しされてきたカラシニコフ突撃銃やRPGロケットランチャー……映画の『ランボー3』や『デルタ・フォース』で、シルヴェスター・スタローンとチャック・ノリスが使っていたやつさ。必要ならトヨタやホンダだって手配するらしい。

 幸いなことに、この地域は権力闘争だとか氏族同士の争いには事欠かない。この無政府状態の失敗国家は飢餓と戦争と疫病が支配している。僕らのような市民や海賊にだって自衛や生活、それから身銭のための武器アームが要る。

「挨拶代わりのプレゼントさ」

彼はエジプト製のベレッタの握りグリップをこちらに向けて渡した。僕はその拳銃を受け取るとベルトに差した。

 ごく自然なことだ。

 国家が崩壊し機能していないなら、軍や警察に委譲されるはずの暴力はの下に戻るだけ。それが棍棒や石から銃と手榴弾に置き換えられただけのこと。

 暴力は怒りではない。理性や怒りはあくまで人間的な感情のひとつだ。暴力や殺しはのものだ。君たちだって、食肉のために屠殺される家畜のことをわざわざ気にかけやしないだろう? 暴力は感情から切り離されているのだ。

 殺される動物のために涙を流せるのは、倫理的エシカルな君たちは飢えておらず、暴力と縁がなく、暇であり、平和だからだ。9ミリパラベラム弾の薬莢がカラコロと床に転がっていて、目の前にはタンパク質と脂肪、ビタミンやミネラルから構成された肉の塊が倒れている。十字軍だって食べたんだぜ。すなわち生きるためには、食べなくては! ラクダの肉にしちゃ臭いかもしれないが、塩や胡椒や唐辛子で誤魔化してしまえばいい。昔の給料は塩で払われたそうだし、香辛料を巡って様々な争いもあった。

 食肉加工品はの額で売れた。命の価値とはこんなものかと思った。骨や肉が分子に還元されて労働が全て対価であるなら、世界は数字だけで出来ている。

 弾薬だって無料タダではないし。命はカネで出来ている。妹の容態は良くなかった。病院に連れていく必要があったが、数十万の子供や乳幼児が餓死寸前の時代だ。贅沢は言っていられない。

 ただ誠実に生きようとすることは贅沢品なのだろうか?

「僕に任せてくれれば、君の妹にもっと高度な医療を受けさせてあげられるよ」

使徒のように微笑みながらカンパネルラは続けて提案した。

「その対価として、君の命を僕にれ」

結婚式の文句のようだなと思った。僕は喜んで頷いた。

僕はベレッタを返そうと、その握りグリップを彼に向けた。カンパネルラは受け取らず手話で言った。

<君がよければ 持っているといい>

僕は再びベルトに拳銃を差した。のだ。

<君は商人?>

「虹色の蝶。地球市民コスモポリタン。必要なところに、必要なものを」

<たとえば 南に?>

カンパネルラは頷いた。僕は手話で続けた。

<僕には牛乳が必要さ 牛乳屋に行く途中だったんだ 君も来る?>

「やめておくよ 乳糖不耐症なんだ」

<なに それ?>

<アジア人は 牛乳で腹を壊すのさ>(彼はふざけて両目の端を指で吊り上げた)

<アフリカ人だって そうさ 壊してでも飲むんだ>

彼はその回答を気に入ったようだった。砂が舞っていて、先進国のゴミが散乱しており、死体が積み重なっている。

 その日僕と妹は彼に連れられ、生まれて初めてアイスクリームというものを口にした……ヴァニラ・ビーンズの人工授粉方法を考案したのは、マダガスカルの12歳の奴隷の少年さ。彼はのちに自由身分となったが、貧窮の内に死んだ。

 蝶もまた送粉者ポリネーターとして花粉を媒介させる。あるいは盗蜜者ネクターロバーとして私腹を肥やす。鉛製の弾丸という暴力の種は実を結んで、地上のあらゆる場所にその花を咲かせているらしい。虹色の蝶を自称する彼の成果の一つと言えるだろう。

 倫理や正義だって政治やビジネスの一形態だ。カカオをたっぷりと使ったチョコレート・アイスクリームやパフェなんかを口いっぱいに頬張るファルファーラの横顔を見て僕は、と思った。

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