あたしの本気、自由曲は暗黒の夜
微かな願いを込めながら一呼吸おきあたしは白鍵と黒鍵が規則正しく並ぶ鍵盤に五指を這わせるよう指を置く。
あたしの番が来るまでの間、控え室ではそれまでの奏者の演奏を聴いて来た限り、ゆっくりとした音色が特徴の課題曲に、自由曲に関しては、ほとんどの人がゆっくりとした音色。
二人か三人を除いて大した演奏ではなかった。
あたしから言わせれば児戯に等しい。
もちろん、その二人か三人の演奏はちょっとテンポが早かったり音の強弱がハッキリしている程度。
あたしから言わせたら及第点。
この程度でコンテスト出場だなんて甘い……。 本気の演奏見せてあげるわ!
♪♪♪♪!
1つ1つの音がぶつかり重なり共鳴をおこし1つの音になる。
序盤で全ての人の耳を虜にする。
鍵盤の上に置いた指先を滑らせるように動かし踊るかのように激しく動かす。
元の世界では譜面いっぱいに音符が刻まれた楽譜もあり、その楽曲は世界で数人しか演奏できないと言われている難度の高い曲目だ。
もちろんあたしはその数人の、中の一人に違いない。
だけどあたしはそこから頭1つ抜けだしてさらに難易度の高い譜面を演奏する。
確か、ネットの世界では暗黒の夜なんてタイトルの曲目があったけど、それに近い演奏をあたしは顕現させる。
序盤から中盤にかけて息つく暇も考える時間も与えない。
常人では聞き取ることができない音を奏でる。
もちろんでたらめに鍵盤の上で指を踊らせているわけではない。
でたらめに鍵盤の上で動かしていればそれはただの不快な音になってしまう。
だけど一音一音の重なりや響きを完璧に計算しつくしたこの演奏は不快な音でもなければただの不協和音でもない。
あたしは沢山の視線を感じながら演奏を続ける。
観衆の全ての心を虜に出来たのは間違いない。
並のピアノであればここまでは持つ。
だけどここからだ。
中盤から終盤。
本来ならこれだけ激しい音を響かせれば終始嵐のような旋律を思わせるかもしれない。
だけど、あたしの自由曲はここからが本番だ。
嵐のような旋律が突如として停止。
土砂降りの雨がピタリと止むかのような、荒れ狂う波が突如凪の状態になり静かになるかのように演奏がピタリと止まる。
無音が続いているかのような中盤。
だけど、無音が続いているように錯覚しているだけ。
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