第2話

「おい!君達、そこで何をしている!」


 ざわめきくさむらあるじが怒声を上げ、クルトはすくみ上がり胸の内で絶望のしんを噛む。

ほんとに兵隊さんが来ちゃった……。

暫時ざんじ目まぐるしく変わる環境に、茹で上がったクルトの脳は思考を放棄した。草間が割れ、老年の歩哨が二人、クルト達と相見える。一方は小太りで、癖毛の茶髪と立派なひげを蓄えた、垂れ目の男。片方は彫りの深く端正な顔立ちで、白髪はくはつ交じりの長身、先程怒鳴り声を上げた方だ。

 歩哨たちは国境線によって分断された形である。イエヴァの側とクルトの側。恐らくそれぞれ所属も違うのだろう。国境線のこっち側、白髪はくはつの歩哨は、幾分いくぶん汚れて華美な装飾を省かれてはいるが、お父さんの仕事着と似通った軍服を着ている。どちらの歩哨も役職か何かを書かれた白い腕章をしていたが、クルトとイエヴァにはまだ知らない言葉であった。白髪の歩哨は、きりと胸を張って少年らの頭を見下げ、言葉を続ける。


「ここがどういう場所なのか親御さんから教わっていないのかね。そうで無くとも、子供二人でこんな時間に森やらをほっつき歩くとは、危険じゃないか。──君たちがここ居たことは御両親に報告させてもらうよ。たっぷり叱ってもらわなくては、さあほらこっちへなさい。」


 歩哨の言葉は、そこはかとなく子を想う保護者のような面持ちであったが、やはり怒りの混じった語気で少年の腕を引こうとする。クルトにはそれを振り払う気力も無く、掠れた怯え声を小さく発するのが精々だ。


「おいおいジオ、そこら辺で勘弁してやれ。まだほんの子供じゃあないか、怯えている。」


 男がクルトの腕を掴むすんでで髭面の歩哨が。ジオと呼ばれた白髪は、ちらと顔を片割れにひるがえし、掴み損ねた右手を空に漂わす。髭面の歩哨は、クルトとイエヴァの二人に、どこか愛嬌のある温和な顔を向けしゃがみ込む。


「……ジオが怒鳴っちまって、怖がらせてごめんな。君らとの接し方が分からんだけで、良いやつなんだ。おじさんが保証するよ。事情は分からんが、ここは君らの遊び場なのだろう?今日のことは秘密にしてやるさ。けれど、君たちだけでここいらを遊ぶのはあんまり良くないな。今日はもう遅いから家まで送らせて貰うが、どうだ?またここで遊ぶってんなら、おじさん達も混ぜてくんねぇか?」

「ヘスース!……。いや、しかしだな、この子達は。

──はあ。君の方を尊重するよ、確かに子供のことを無下にするのは私も嫌いだ。」


 髭面の言動に慌てふためき、白髪は怒りの情を失う。どうしたものかと少しの硬直を置き、仕方がないと言うように蟀谷こめかみを押し込みながら、少々ぎこちない顔で子供たちに向かう。


「怒鳴ってすまない。良ければ許してくれないか?改めて、私はジオという。彼はヘスース。君たちの名前も教えてくれないかい?」


イエヴァはそれを聞いて、クルトと顔を見合わせる。困った顔をしていたので、イエヴァはいいよと受け取ることにした。


「大丈夫だよジオ。いけない所で遊んでたのはあたしの方だし、怒られちゃうのはしょうがないよ。お小言は慣れてるから、全然へっちゃら! あたしの名前はイエヴァ、あの子はクルト。実はあたしたち、今日がはじめましてなんだ。」


 確かにあっけらかんとしたイエヴァは、初めて鉢合わせた際と変わらずにこやかにしているとクルトは気づく。「ほう、そうだったのかい。」とヘスースは相槌を打ち、彼女もにへへ、と笑い遊びの招待状へ返信を宛てる。


「ヘスースもこれからよろしくね。一緒に遊ぶおさそい嬉しいよ。にんずうが多ければ、楽しい遊びがうんとできるもの。ね!クルト。」

「え。う、うん。……確かにそうだね。」

「ようし、なら決まりだ。クルトもこれからよろしくな。」


 柵越しに向けられた快活な声に、クルトは少し疑心暗鬼のままであったが、悪い人たちじゃないのかもとちょっとだけ気を許す事にした。

鉄柵の辺りにはほだやかな空気が流れ始めたが、「いけない、もうこんな時間だ。」と顔を見合わせ子供たちを家に送ることが早々はやばや決められる。カサカサと風が名残惜しく騒ぎ、また明日会おうねの約束を交わそうとした時、


「あ!!! クルト、おしょんべん漏らしてる!!」 


 この場所にいるみんなが僕に視線を向ける。イエヴァの言う通り、ズボンにはべっちょりと後が。それが足を伝って滴って靴下までぐずぐずしている。言われて初めて、自分の惨状に気がついた。

やっばい、ほんとにおしっこ漏らしちゃった……!

 あらら、およよ、とジオとヘスースは困った顔をして、第一発見者は声を殺してくふくふ笑っている。

改めて今の状態を自覚して、恥ずかしさが最高温度にまでたっする。

 顔が真っ赤にふっとうして、耳をドクドクと血がまわるの感じ始めると、こらえきれなくなったイエヴァが大笑いしだす。


「あっはは。おしょんべん垂らしぃー!」


今すぐ穴を掘って死にたいよ……。




国境線あの場所から家につくまでの道は、案外近かった。気分転換でたまに通る道、家を出てから、右、左、真っ直ぐ左と行く土道の方から、森の外周側に六分歩けばといった具合だ。


 そして僕は今、お母さんのお説教を終えたとこ。いつものことだから、もう呆れてくれるかなと思ったけれど、いつものように「貴方って子はどうして約束通りの時間に帰ってこないの。」とお説教を受けた。帰れた時間は六時半をとっくに過ぎて七時ぎりぎりにまでなっていたし、今回は加えてズボンのこともすっごく詰められる。ジオとは家に帰る前でお別れしたから、秘密はまだバレてないけど、こればっかりは隠せない。どうにかやり過ごそうとお風呂場に直行した。結局バレて罪が重くなった。

 女の子の前で怖くて漏らすなんて、一生思いだしたくない事なのに、少しでもケイ期短縮をはかるため、ホントも交えつつ酷い言い訳を並べたら「男の子なんだから外でちょちょっとなさいよ。」なんてごもっともな事言われた。それができてたらこんな恥かいてないよ……


 当然、晩ごはんはとっくに済んでいる。お母さんがスープとチキンを温め直してくれた。お小言は長くて嫌だけど、終わった後はぐちぐち引きずらないし、お説教中とは人が変わったように優しく接してくれる。そういとこから、僕のことを心配して叱っているのだと感じられて、何だかちょっと嬉しいなと思う。──流石にザイアク感も持ってるよ。

白い床タイル張りのダイニングにはチキンとバターの匂いが立ち込めて、おじいちゃん犬のスンスがお気に入りの場所で寝息をかいている。

 一人の晩ごはんは、ダイニングじゅうに食器のかちゃかちゃする音がよく響いた。




 寝る前の準備を済ませて、ベッドに就いたのは夜の八時。僕にはちょっと大きすぎると思う一人部屋を、サイドランプのあかりが一つだけほんのり照っている。弟のヨナスが産まれたときは、二段ベッドで寝れる!って期待していたけれど、部屋の模様替えは特に無かった。まあそのおかげでいっぱい玩具とか本を置けているんだけど。

 サイドランプの温かいオレンジ色を見つめていると、ぼんやりバク然と、明日への不安がなかなか拭えない。

自転車置いてきちゃったな、明日取りに行かないと。明日も会うって約束したけど、ほんとに行って大丈夫かな。

フに落ちるような、自分を落ち着かせるそれっぽい考えも浮かばず、宿題を投げ出しにしたまんまの夏休みの様な気持ちは残る。

今の僕にはどうすることもできないと諦めて、灯を消した。









人など誰も寄りつかぬ静寂しじまに閉ざされた森と草原の境。

さびれた鉄柵に隔たれ、突拍子もない出会いではあったが、この日、クルトにとって誰にも内緒で秘密のともだちとの日々が始まったのである。

 

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国境線のイエヴァ すけいぷ傲徒 @Glaseeru

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