第7話(上)ゲキメツ
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「ダイジントウをすぐに出す」
モモは焦りを隠せない。
「お待ちください! 単独での降下は許可できません!」
青の勢力圏がロケットを放ち、三〇秒ほど経過してから赤の領域からの発射も確認された。四つの地点から放たれた総数は二三万八千発。どれもギガトン級からテラトン級の弾頭を十二発搭載している。
鬼は放ってしまったのだ、人間が終ぞ、技術がありながらも製造を躊躇った過剰出力の核を。
今まで鬼どもがいくつもの灰の降る星を作りだしてきたように、地球も同じ末路を辿ってしまう!
「あの量の核爆弾を見過ごすわけにはいかないんだ、
「できません!」
KIBIはその小さな球体で否定してきた。
「マザーシップ・インストレーションの出発には二〇分程度時間を要します。わかりませんか、あなたの救難艇を追って一億二千万隻の滅却艦隊が太陽系に到達しています。いまこの瞬間にも増えているんです。あなたが単独で降りた場合、核爆発ではなくガンマ線が地球を脅かします。プラズマ砲撃よりも、放射能汚染よりも、最も忌避すべき事態なのです」
四〇分後にはインド洋上一〇〇キロメートルから二〇〇キロメートルでロケット群が交差する。莫大な核出力を誇る弾頭を十二基も積んだロケットは巨大。弾頭切り離しの前であれば、見失うことなく破壊できる。
「ならばダイジントウに全員搭乗させ降下する」
ダイジントウはフッ化水素と活性ミテグラ・クリスタルの充填が終了しており、十分以内に発艦可能だ。加速と低速巡航で目標ポイントまで二〇分以上、減速と軌道制御の安定に五分。その時点で到達しつつあるロケット群のレーダーによる捜索、追跡については時間はかからないはず。
「この施設には地球解放後に必要な設備があるのです。私は離れられません!」
「なにもせず見届けろと言うのか!」
「残念です……もう少し時間があれば!」
赤と青の関係が薄氷の上にあることは承知していた。決してのんびりしていたわけではなかった。
モモが蘇生されるよりも前に核戦争が起きていたかもしれないし、もっと後の可能性もあった。
いま起きてしまっただけ。
もう少し時間が欲しかっただけ。
人類にとって唯一無二の星が焼かれてしまう。
銀河に散った生き残りが目指すこの星が!
生存者が寡少だったとしても、新人類が黎明を待つ星なんだ!
「欺瞞装置の用意がある」
重々しい声に振り向けばアオオニが立っていた。
「おい、人間」
何かが放られる。受け取ったのは鍵。
波打つ黒の筋が入った、くすんだ黄色の材質でできている鍵だ。
「それは、お前のもう一本か」
アカオニがアオオニを睨む。
「造船中の事故で失ったと言っていたが」
アオオニが意味ありげに、額の左側を隠す垂れ下がった前髪を撫でた。
「間抜けた言い訳を信じるから、お前は好きになれなんだ。俺は、そこのカラクリダンゴの言うままにガラクタどもを復元したのではない」
「なんですって!」とKIBI。「私の船にいったい何をしたのです?」
「欺瞞装置である。擬態と言ってもよい。滅却艦隊という脅威が見えているというのに、何ら対策しようとしないのはどんな意図があるか、逆に貴様に問うてやりたいのであるが?」
「滅却艦隊への抵抗は無意味です!」
「であろうな、クソッタレめ」
「私は排泄をしま――何をするんです、アオオニ殿!」
「邪魔である」
眼を付けるKIBIをむんずと掴んで背後に投げ捨てた。
「人間」
彼女の足取りは力強い。
「地球に到着次第、すぐに欺瞞装置を入れろ。一〇分程度ではあるが、滅却艦隊の目を欺ける。忌まわしき種火をもみ消し、我々の到着を待て」
「間に合わなかった場合は……」
「詮無いことを言うものだな。その時は塵に回帰するだけであろうが」
考えている時間は無い。
「大喜納モモ」
アカオニの両目がモモを射貫く。
眼鏡の向こうの、真っ赤な肌に囲まれた大きな目は相変わらず鋭いが、瞳には違うものが湛えられている。
「低軌道で会おう。行け!」
それが何であるかわからないまま、彼女に頷きを返して、モモは走り出した。
「あなた方は非常に大きなリスクを冒そうとしています! こんな横暴は許されません! 重大なプロトコル違反です! 地球が二度と――」
KIBIの叫びが通路に響いたが、モモは自身の力を振るうために駆けた。
▼
シュユ・ニードルが頭蓋をすり抜け脳細胞に触れた瞬間、虚無に身を投げる。そこは真に無光、無音の空間。肉体が目を開けていようが、耳を傾けようが関係ない。
ここは確かに空っぽだし、何も無いと理解もしているが、そんな空間にあって目と耳は研ぎ澄まされていく。何かが有ることを求めて。
だが虚無において、目と耳なんてどこにあるのか。
研ぎ澄まされているのは脳だ。
艦にただひとり。孤独の
肉体に備わる感覚器は外界と接触するフィルターであると知り、有っても無くても、生きていると言い張って良いのだ、と。
視覚と聴覚の帰還はゆっくり。
虚無に錯乱せず、生への実感が意識と混ざった時、視覚と聴覚が戻ってくる。
布に垂らした染め液がにじむように。
茂る枝葉が不意の風に揺れるように。
いま、モモはダイジントウを主体に全周を見渡せた。首を振るように見回すこともできるし、三六〇度に映るものを一挙に処理することもできる。
こうしてほんの少しの勇気を
「発艦準備始め」
言葉は音だったかもしれないし、脳裏で思い描いただけかもしれないが、ダイジントウの搭載人工知能に伝わりさえすればいい。
〝リパルサーエンジン始動〟
艦載人工知能が返す。
〝エネルギー出力増大〟
〝小型副機関群始動〟
艦に力が漲る様を
視界にあるものが微動に震え、高音と低音がボリュームを上げる。
人間ひとりの身には余る力なのだと、艦が誇らしげにわななく。
「回路接続」
〝接続了解〟
〝重力制御開始〟
揺れも音も消える。
モモは短い時間でたっぷりと味わった。
あとは
「シールドドア開放。発艦開始」
〝シールドドア開放確認〟
〝ガントリーロック解除〟
船渠と宇宙空間を隔てる、物体を遮断するシールドが消滅。艦を取り巻くメンテナンス・アイルが分裂、天井付近で待機し、艦を固定していた支持台が縮んだ。
重力制御で艦が浮く。
〝前進微速〟
視界が後方へ流れる。
空気を隔てるシールドを通過し、宇宙空間へと歩を進めた。ガラス化した月面が大海原のように広がる。
重力制御で加速できる速度で、マザーシップ・インストレーションから離脱する。約一〇〇秒かけ一〇キロメートル以上離れる。
〝重質量体から退避〟
〝発艦終了〟
後方には家来のように着いてくる三隻の向こうに、全長五キロある長大で偏平なマザーシップ・インストレーションがある。設計にはKIBIが関与しているとはいえ、仇敵のはずの鬼が手掛けているにもかかわらず、家を後にするような不思議な感慨があった。
〝リパルサーエンジン出力最大〟
前に意識を向ければ、母なる地球が遠く待つ。いにしえの時代、地球と月の往還は幾日もの時間をかけた。いまやあらゆる遺構が塵と化し、空虚な宇宙空間に成り果てた。
いつか新人類が夜空を見上げた時、月へと手を伸ばすことだろう。その瞬間にこそ天文学の始まりがあり、飽くなき宇宙への欲望が発露し、全人類の知性を育む礎が築かれるのだ。
ぼくはその行いを愛したい。
いざ、宝の星へ。
「主機点火」
〝点火完了〟
〝操艦を
「受け取った。ダイジントウ、発進」
▼
灰色の雲海が迫る。
じぐざぐに列を作るロケットモータの橙が、竜鱗の如く灰色の背を染める。あの雲中にうようよと大陸間弾道ロケットが潜んでいると思うと、閉口せざるを得ない。
秒速三〇〇キロメートルからの減速を開始。艦首を地球自転方向へ転回。減速後は重力制御と主機で高度を維持。自転や重力といったエネルギーの大部分を無視してしまえる機関が開発されてから、宇宙機の運用は新たな時代に移った。全長数百メートルある、決して小さくない宇宙機がまるで小型機の如く自在に飛び回る時代があった。
高度五〇〇〇キロメートルを下回り、すでに眼下の七割はインド洋が占める。北方にはインド半島先端からユーラシアが広がる。複数のサイクロンが北回帰線付近で渦巻き、レッドスプライトが明滅していた。
回帰線よりも北方は真っ白で、雲と積雪でセンサーの助けがなければ見分けがつかない。公転位置がミッドウィンターであるのも理由だが、大気中の塵の濃度が濃いのも確かだろう。
それら遠景もたった十数秒で、大気の青い額縁に隠されていく。
インド半島南端は、意外にも緑で覆われていた。百年近く前に核で焼かれた新都市跡があり、同心円状に森林が広がっているのが見える。クラウン・シャイネスが形作る自然の模様は、軌道上からでなければ判別できないだろう。
目標としていた高度一〇〇〇キロメートル到達。
ミクストビジョンでコンソールを認識する。見慣れたインストルメントの中に、後付けされた機器がいくつか。その内のひとつ、カバーが掛けられた鍵穴がある。
首に提げた鍵を引きちぎり、差し込んだ。
鍵はナイフで削ったような面取りがされていて、細くうねる鍵山はまるで工芸品。
アオオニの不遜で歯に衣着せぬ物言いは気にくわないが、皮が厚くごつごつとした手は、人類が時々刻々と失っていった暗黙知が宿っているのだと思う。
モモは彼女の仕事の成果に支えられ、この復讐を果たそうとしている。
結局のところ、常温常圧超伝導体の発明を始めとして優秀なスケール・インテグレーションを実現しながら、人類が有人飛行機にこだわり続けたのは、仕事への信用を人の手に求めたからだ。
大昔からそうだったのだ。
手掛けた者の正体を理解するのは後回しでいい。
その手で成し遂げたものを認めたい。
鍵を回す。
〝不明なシステムの接続を確認〟
〝ただちに使用の停止を訂正〟
〝システムの起動を確認〟
オーバーライド処理が実行される。
五〇キロメートルの間を置いて四隻はエシュロン・フォーメーションを組む。ダイジントウの隣はオオシバ。連動して同じシステムが稼働しているはず。
可視光線で見受けられる範囲で変化はないが、赤外線と紫外線を足すと船体が変化した図像が浮かぶ。推進剤として利用される活性ミテグラ・クリスタルの微粒子を、特定の形状になるよう散布しているようだ。
いびつな形状はおそらく鬼の艦船を参考にしているように見える。
船首に張り出すチッピングハンマーに似た衝角、図太い船体は後方にかけて細い。
故に擬態というわけか。
滅却艦隊にどのようなセンサーが組み込まれているのか不明だが、活性ミテグラ・クリスタルによる形状変化が有効だとアオオニが見ているに違いない。
これを使用しても与えられる時間は一〇分前後。
信じよう。
「核ロケット群の撃墜を行う」
モモの思考を読み取ったダイジントウが、両舷全八基の三連装重プラズマ砲を低軌道に向ける。通常照射では撃ち漏らしの嫌いがある。
拡散プラズマ砲を使う。爆裂すれば有効範囲外であっても、電波障害をもたらして機能不全に落とせる。
狙いは、四方向から迫るロケット群に対し、二基ずつ対応。
「砲撃開始だ」
レーダーが捉えたロケット群の高度は想定通り、一〇〇キロメートルから二〇〇キロメートルの範囲内。可能な限り多くのロケットを爆裂に巻き込めるよう、拡散プラズマ砲弾をばらまいていく。
三連装重プラズマ砲塔の発射レートは百二〇発/分。爆裂時の加害半径は一〇キロメートル。時間内で休まず撃ち続ければ撃滅できるはず。
少ないが連装プラズマ砲塔を有するデカキギスも協力させる。九十度船体傾斜した上で甲板砲塔を使わせた。
青白い砲弾が眼下の灰色の雲海に降り注ぐ。
爆裂と、ロケットの残存燃料に引火した爆発がイルミネーションのように明滅していく。
砲撃と同時に、ダイジントウ搭載人工知能が破片の落下先をシミュレート。直撃を受けた核弾頭は超高温のプラズマに焼かれるが、そうでない核弾頭は核物質を地表に落とす。
これを除去するのは、鬼を撲滅した後のモモの仕事だ。
半減期が何万年か何億年かは、実際に使用された核物質を採取してみなければなんとも言えないが、次代に残すわけにはいかない。彼らが掘り返してしまわないよう、地中に埋めるわけにもいかない。
宇宙に輸送して、滅却艦隊に焼いてもらうのが手っ取り早いだろう。
〝目標物四十五パーセント消滅〟
引き金を引きながら、モモはひとつ案が閃く。
宇宙の生命体を食らう滅却艦隊を、減らす手段。
生き残りが集うにしても、新人類が興した文明にしても、滅却艦隊は大きな妨げとなる。
たったひとつの星で知的生命体がやっていくには、五〇〇〇年が限度ではないだろうか。文化や思想、細かい種族の隔たりによって争いが避けられず、争いがあれば技術の進歩も伴う。
星の反対側までを数秒の内につなげるネットワークが登場すれば、知的生命体の均一化が始まる。情報の共有は個体差を自覚させ、多様性の受容に目覚める。やがてその行いが無意味だと気付くと、国を超えたコミュニティが造成され、互いを尊重しつつ不可侵を決め込む、冷めた社会へと変貌する。その頃にはもう、尊い命をかけてまで争うことなど無意味であると気付くからだ。
だがひとつの星で知的生命体が使える領域は限られている。
だからこそ宇宙を目指すし、そのために天文学を利用する。
もしこれが閉鎖されたドームの中だったなら。
争わない知的生命体は、互いに微笑み合いながら萎れて、気付けば最後のひとりとなり、姿を消すのだろう。
そうしないためにも滅却艦隊は、たとえどれだけ長い時間をかけようとも減らしていかねばならない。
滅却艦隊が攻撃行動に入らない、KIBIの領域を使うのが一番。この領域に少しずつ誘い込んで、無抵抗の内に解体もしくは破壊を行う。
艦隊の恐ろしさはその数にあり、特別な装甲があるとか、特異な行動理念があるだとか、そういったものではない。モモの救難艇が滅却艦隊の船を貫いたように、処理は容易いと見る。
モモの生きている内に、半永久的に稼働するシステムをアカオニとアオオニと共に作る必要がある。
この作戦が終わったらすぐに二人に提示しよう。
〝目標物、九五パーセント消滅〟
まもなくロケットの破壊が終了する。
欺瞞装置の限界時間も訪れる。
〝状況確認〟
〝大洋上空の目標物――無し〟
〝ハイ・スレートレベルの物理弾頭――無し〟
〝他、近傍惑星低軌道の飛翔体――無し〟
核ロケット群の殲滅に成功した。
撃ち漏らしもない。
〝ジャンプアウトラプチャーを検出〟
来たか!
いや。
空間跳躍が必要な距離ではないはずだ。
〝ジャンプアウトラプチャーを検出〟
〝ジャンプアウトラプチャーを検出〟
〝ジャンプアウトラプチャーを検出〟
〝ジャンプアウトラプチャーを検出〟
〝ジャンプアウトラプチャーを検出〟
〝ジャンプアウト――
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