第5話(上)テノヒラ
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『道具』とは、物をつくるなど、何らかの行動に用いられる器具をいう。
すなわち人工知能とは、これに当てはまるものである。
決して人の業を超えることはなく、人の営みの中にあってようやく意味を持つ。
かつては、卓越した人工知能は人間と同等――しばしばそれ以上――の思考能力を持つので、人権に類する人工生命に寄り添った新たな権利を実現すべきだ、といにしえのサイエンス・フィクション・コンテンツよろしく、惑わされた信仰家が大量発生していた。
人間が持つ知識は明示知と暗黙知に大別される。が、人工知能の発展や、人間の微細な感覚器を代用するイチジンセンサーチップの登場により、生来人間が誇りとしてきた『身体に宿る知識』は失われていった。
知識が失われ、人間の思考からロジカル・シンキングもクリティカル・シンキングも損なわれた結果、社会にも自然にも根深く食い込んだ人工知能の活動に、神性が見出された。見出してしまった人々が先述の信仰家へと変貌していく。
このような突拍子もない事態は歴史上ときたま発生した。地球においてはクジラであったり、トラピスタリオにおいてはフロートマンタであったり、テラオリオにおいてはセレスティアルトウロウといったような。
相手が生き物ばかりと思ったら大間違い。余人が気ままに書き上げた小説だのエッセイだの記事だのが、大多数の人間の信仰を得て神話となることもあったろう。もしくは親から子へと受け継がれ説話として生き長らえる場合もあるに違いない。
そうして巨大なグループ・シンクが構築される。
彼らの言うような世界において、人工知能は『道具』の範囲を逸脱する。
この世界の実現の先にあるのは戦争だ。人間はいつでも、目に見えるものに――見えなくたって形を与えた――敵愾心を抱くようにしてきた。今度は人工知能をまるで生命体のようだと祭り上げ、友達になろうとしたり、恨んでみたり、人間社会の真似事を強要する滑稽な世界を作ろうというのだ。
そうした信仰家たちは、他でもなく人工知能にそっぽを向かれる。
人工知能は生産者の画定したプロトコルに従う。彼らにとってはプロトコルが絶対で、多少柔軟に変化する部分は認めても、それを超えた文化的活動だの社会の造成だのというのは、文字通り埒外である。もちろん、豊富なパーツを用意してあげた上で回路を作れと指示したらば、美しいものを作ってくれるに違いないが。
人類が培ってきた知識なしでは生きられない人工知能は、よくそれを理解していた。
彼らは忠実に『道具』であったのだ。
ならば、『道具』が更に自身の『道具』を作った場合、人はどのように接すればいいのだろう。
アカオニ・インテリジェンス、いわば機工知能。
子どもの成果を自分のもののように誇る親同様、支配的であればいいのか。それとも、孫を可愛がるおじいさんのように過保護であればいいのか。
……わからない。
彼女の力強い体躯には気おされるばかりで、どちらの態度を取るにも難しい。それに圧縮知育で見た、人類を蹂躙する鬼類の姿がフラッシュバックする。決してそれと似つかわしくなくとも、この女のことを考えるとふとした瞬間に寒気が奔り、束の間動悸がする。
これが人工知能であれば、刻まれたプロトコルを強いるだけで十分、あとのことは自分でやってくれる。だがこの女はどうだ?
その頭の中にあるのはプロトコルか?
それとも人の肉を断つためのメソッドか?
だとするなら、対応マニュアルをKIBIにインプットしておいて欲しかった。
知らねば……知ろうとせねばならんのか。圧縮知育ではどうにもならない部分を。
だが、ひとつ言えることがある。
人間の道具で作り出されたものは、人間に役立つのである。
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あれからひと眠り。
初めて使われた消化器官が食事の処理に躍起になり、急激な眠気に誘われるまま一睡した。おかげか体力は回復し、立って歩けるまでになった。
アカオニの案内で、この施設の管制ブロックにいる。
管制ブロックはその昔船橋と呼ばれた場所で、西暦三〇〇〇年以降は外部に露出されなくなったために名を改めている。
「お前の救難艇は、滅却艦隊の残骸とともに火星に落着した。道中で滅却艦隊艦艇に超高速で衝突したのだろう、外郭表層機器はまるっと失い、リペアナノマシンフォームが艦艇の残骸を絡め取っていた」
淡々と語るアカオニの言葉は、モモの耳には半ば届かなかった。
この施設の管制ブロックは細長い胴体の先端にあり、モニターではなく窓が設けられている。
施設は月面にあった。
月は地球脱出の際、移民船の港として再開発され、レゴリスが一切見えないほど建造物にすっぽり覆われていた。数千キロ単位でトラス状になるよう配置された巨塔から、隕石を防ぐシールドが発生していたらしい。
いま。
窓からの眺めは、人の気配を感じられる建造物でも灰色の累積物でもなく、熱放射により溶けて固められた氷海が見えるだけ。降り注ぐ太陽光をきらきらと反射し、生物の痕跡も、大気の無い衛星としての姿も失われた。
月は鬼の侵攻を受け早期に壊滅していたが、真空だったために鬼は住まず、破壊された人類の建造物が残っていたという。そのために滅却艦隊の餌食となったのだろう。
海洋から押し寄せる波が何もかも攫ってしまった後のような光景に、肌が粟立つ。
「そんな救難艇を見た鬼どもは、滅却艦隊を滅ぼす手立てがぎっしり詰まった宝物だと勘違いして、その蓋を無理やりこじ開けたのだ。内時間と外時間の差による事故を、時間遅延装置を開発した人間どもは理解していたのか? 手順が決まっていたのならリスクはあったのかもしれんが、太陽系最大のクレーターを火星に残すことになろうとは、想像していなかっただろうな」
空中に火星の写真が映し出された。
灰よりも黒く、所々でマグマの筋が映る火星は、ダイモスそっくりに一部分がえぐれていた。クレーターというには規模が大きすぎる。残骸はまだ複雑な軌道を取っているが、次第にリングを形成するか、再び火星の地表へ還るだろう。
「核戦争後に数千年続くはずだった火星の氷河期を、ひっくり返してしまった。あの閃光は見物だった。人間の目では焼かれ潰れていたろうな。それが一年ほど前。爆心地に残っていた救難艇からお前を引っ張り出したわけだ、私がな」
この星にはもう生命は宿らない。地軸が狂い、自転が早まっている。以前ほどの大気を維持できず、冷え切った岩石惑星に変わる。
こんな……。
人の営みがあったふたつの星の終焉を、どうして見せられねばならない。
「機材が足りなかった故に幾度か失敗したが、お前に利用したクローン体はタンクの中ですくすくと育ち、再びこうして歩けているのだ」
「感謝しろと? こんな地獄を見せるために、か」
「この光景を見る唯一の人間さ」
代えがたい価値ある体験だとでも言うようだ。
モモ以外の誰かが月に降り立つとすれば、地球の新人類が宇宙進出を果たす数千年から数万年後か。いや、まだ手はある。
「生き残りで組織すれば再開拓も可能だろう。表層の凝塊を取り除いて――」
「諦めないな」
「可能性を消したくないだけだ」
「ふむ」
ぐにり、とねじるように頭の上に何かが載った。アカオニがその巨大な手をモモの頭に置いたのだった。母指球が後頭部に張り付き、太い指が頭頂を覆って、鋭い爪の指先が額をくすぐる。
くつくつと笑いながら、ぐにぐに、と手を左右に動かしてきた。
そのまま脊髄ごと引き抜かれてしまうような気がして、悪寒が走る。
「やめてくれ!」
振り払おうとすると、アカオニはさっと手を引いた。巨体ながら動きも素早い。
「人間はこうも夢見がちなのだな。それとも、お前が素直なのかな」
「いいか、我々は協力者に過ぎない。地球に住まう鬼どもを廃するまでの、だ。達成後の君の処遇はKIBIが下すだろう」
鬼の討滅。
一片の細胞すら残すことなくこの世から消し去るならば、この女に待っている運命はひとつ。
道具はいかなる時代においても等しい運命にある。どれだけ物持ちが良くとも変わらない。産み出され、活躍し、擦り切れ、直されればまた活躍する。摩耗と修復を繰り返し、やがて次の道具へと代替わりするか、もしくは単純に不要となり、廃棄されるか朽ちるだけ。
建築物が全て印刷されるようになってしばらく、のみやらかんなやらで建材を仕立てるなんて方法は忘れられた。よほど過酷な環境の惑星でない限り、印刷建築で十分であった。
人間とKIBIの役に立てた成果を胸に、潔く消えてもらうべきだ。
「ならばお前は、お前自身の扱いを決められるのか?」
なにを言いたい?
「人間を縛ったのは知的生命体としての因果だ。法、技術、権利……そんなものは人間の活動の結果生まれたものに過ぎん。縛ったのは知性だ」
「知性を否定するわけにはいかない」
「そらそうだとも。否定した愚か者どもの行いが、これだぞ」
外の光景を指し、アカオニは壁に半身を預けた。首を傾け、じとりと目線を下げる。角と切り揃えられた前髪がまぶたに影を落とす。
「人間がしたのは忘却だ。知性の産物が、人間を超えた。超えたように、人間自身が錯覚してしまったのだ」
「全員じゃない」
「的外れだな。どんな知的生命体も、いずれ同じ道を辿るのだろう。しかし知性を否定した鬼どもは自滅の道に。知性が一定の段階で成育しなくなった気体生命体は、人類という先進的生命体に滅ぼされた。
幾重もの淘汰を重ねた上で、この洋々たる空間で外敵の存在しない文明ただひとつとなった時、いよいよもって知性は終焉を迎えない。個々の生命の輪廻は長らく続けられるだろうが、社会は死という果を忘れる。
知的生命体は知性を形として抽出し、やがて己自身に宿っていた知性そのものは忘却してしまい、肉体のみならず精神まで腐らせる。結果、絞り出された知性だけが長く引き延ばされた時の中に残り続ける」
アカオニがため息を吐き、流し目で外に視線を戻す。
「そして宇宙の行く末か」
ヒガンバナの花糸にも似た睫毛が揺れる。
鬼が、個の生命を想い泣くか。
『お前自身の扱い』……。
人間ひとりひとりの因果は、産まれ、それぞれ違った人生を歩み、死ぬ。それは医療の発展に伴い平均寿命が延びたり、身体の一部を機械に置き換えたり、デジタイズ化で肉体そのものから解き放たれようとも、変わらない。
『道具』は誰かの知性が働いた結果である。死んでしまうからこそ残してきた。たとえ廃れ朽ちようとも、生きた成果を実らせ、次代に託してきたのだ。
いつの日か、道具しか残らない宇宙がやってきたとしても、それは知性がその使命を果たし続けた因果だとも言えよう。
生き抜いた先には、きっと、かけがえのない死がある。
人間の盛衰から命の収斂を読み取るのか……だとすればこの女は我々と――。
いや、よそう。結局のところ人類は知性を宇宙に刻めず、絶滅の危機にある。
では、大喜納モモというひとりの人間がすべきこととは。
「アカオニ」
「ん?」
「鬼は早急に討滅すべきだ。その後には次の人類に託す土壌を作る必要もある」
「そうだな」
「だが、ぼく以外の生き残りを諦めるつもりもない。銀河のどこかにきっといる」
「ふむ」
「ぼくにはそれらを叶える強い力が必要だ。ジョールイとなったこの命がどれほど続くかわからない。百年と保たんかもしれない。自分自身をどうにかしようとしたくて足掻いている内に、あっさり死んでしまうかもしれないんだ」
「だろうな」
「死の瞬間まで力を尽くす。人間が選べる人生の中で、最も精一杯な生き方だ」
北フェルミバブルに旅立ち、何も為せずにいたまま三六日間遭難し、狭い救難艇の中で一生を終えた。
無念を引き継いでジョールイとなった大喜納モモは、人類の無念も背負い命を燃やそう。
忘れられた道具のように儚く終えようとも、その役割を全うしたと、誇れるように。
「ハッハハ」
アカオニが笑う。
「その生き方、人間だけのものではないさ」
言って、再び大きな手を頭に載っけてきた。
「触れるな。君を認めたわけではないんだ」
「私が必要だろうに。強情だな」
振り払う前にさっと手は引き下げられる。
「さて。お前に使ってもらう戦艦を見せよう。それに、ヤツにも会わねばならん」
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