第4話 アカオニ

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「戻ったな」


 人類の敵が立っていた。

 すべて理解したのだ、圧縮知育によって!


 あまりにも愚かしい歴史を辿った眼前の種族は、人類を絶滅寸前に追いやり、そして自らも滅びの縁に立っている、救いようのない大馬鹿者。


 いますぐにでも立ち上がり、短銃を手に取り、細胞ひとつ残らずこの世から消し去ってやりたい。


「そう睨むな」


 地球の厚い岩盤の下で何十万年も前からこの愚かな種族が生活していた事実、圧縮知育なくしてどうして信じられようか。


 核兵器――古くさい兵器だ! 人類は第三ミレニアム中期にやっとの思いで廃絶した――による退化を二度も経験しているなんて、愚かと言わずして何といおう。


 悪させずいつまでも地中にこもっていればよかったものを。


 生き残った人類は結集し、征伐を実行する。


「圧縮知育とは便利だな。よい正義感だ」

「はい、アカオニ殿」


 女の手にあったKIBIキビがふわりと浮く。乳白色の皮膜に覆われた、薄茶の内部組織が明滅する。内部組織の正面とされる部分がまるく強く輝き、女に向かって頷くように動いてみせた。


 殿、だと?


「KIBI、何をしている?」


 人類の未来を作り宇宙の開削を担う人工知能が、なにゆえ愚昧の地底人を敬うか。


「我々は協力しているんだ、人間」


 女がたわごとを語るが、耳を貸す理由はない。

 無視されたとみると女は肩をすくめて、鋭い爪でKIBIをつついた。


「ああ、ええ、そうでした。すみません、圧縮知育に加えていなかったのです」


 KIBIはぬるりとモモの目の前までやってきて、ぴかぴかと明滅した。


「彼女は、いえ、彼女たちは私に協力いただいているのです。結果的にですが、あなたもそうなるでしょう」

「どういう意味だ」

「そのままですが。鬼との戦いに勝利するには、人手がいりましたから」

「まさか! 人間がいるはずだ! KIBIがあるなら、人間がいるはずなんだ」


 赤い肌と角を持つ鬼の姿をしたこの女が、KIBIの手先であるというのか。人類の仇として印象を植え付けたくせに、すぐさま覆そうだなんて荒唐無稽だ。


 このKIBIは壊れているのか?


 特殊な浮遊物質と自己修復粘性体は、皮膜の内側で薄茶の光を反射して、ダイヤモンドの砂を含んだ土壌のようにチラチラ光る。この粘性体はデータストレージも兼ねているが、人間の一生を大きく逸脱した稼働時間による弊害――膨大なインストラクションと人間を相手にすることで予想される矛盾、それらを処理し解決するための超人的高次脳機能は、ストレージやメモリを圧迫するディレマを産み出してしまう可能性があった。ディレマの蓄積は人工知能の脳機能に全般性不安障害を与え、マトリクスが極めて不安定な状態になる。


 対策として千年おきに記憶を圧縮しアーカイブとして保管しておくのだろうが、悲しいかな、それが実際に役立つのか確かめた人間はいない。


 KIBIはすでにいるのではないだろうか。人間と話す機会があまりにも無かったために、四肢と頭があって、目がふたつに鼻と口が顔に備わっていれば人間と認めてしまう。認知症を疑わねばならない。


「KIBI、事実を言え。ここはどこか。他の人間を呼べ。そして後ろの二本足の仇敵を討つために、すぐさま武器を持ってくるんだ。それらが済めばKIBI、君は論理記憶端末の更新をしておんだ。認知フィードバック、自我強化、自動思惟、全てのイチジンユニットを交換した方がいい」

「なんと」

「ハッハハ、威勢はいいな」


 思わずといったふうで女が一笑する。にやりとゆがめた女は腕を組んで、モモを見下ろす。


「圧縮知育による刷り込みと、現状を打破したい願望が混ざっていることに気付かないか?」


 願望だと?


「人間は滅んでいない。人間をここに呼べ!」

「大喜納モモ、観測可能な周囲十万光年を超えた領域において、あなた以外に人間はいません。残念ですが」


 そうか。


 滅却艦隊は十全に稼働していた……。


 あの火力があれば、人間はひとたまりもない……。


 滅却艦隊が確実にヒトを絶滅に追いやった……。


 そんなことはない、人間は強い生き物だ……。


 本当にそうか? 北フェルミバブル探査船団を放棄したではないか……。


 そんなことはない、人間は強い生き物だ……。


 ガンマレイ、バースト、バスター、死の光……。


 そんなことはない……なにも……。


「KIBI」

「はい、アカオニ殿。投薬します」


 靄に包まれた脳が明瞭さを取り戻す。気付けば、二度目の投薬を受けていた。浮揚ベッドからうねうねと伸びるアームの先端が腕に引っ付いている。


「この脳は思考に耐えきれていないのか?」

「すみません、問題ないはずなのですが。恐らくは、圧縮知育によるインプリンティングが軽度のショック反応を引き起こしてしまったようです。発生完了から間もないのが原因かもしれません」

「圧縮知育は元々、赤ん坊に施していたのだったな。成育後は誤りだったか。いっそ、やり直すのも手か」


 勝手に話を進める鬼と人工知能を睨む。


「なんだ、なんの話をしている? KIBI、その女よりも、ぼくの話を聞いてくれ。人間はまだ大勢生きているはずなんだ。銀河中に散っている、全領域をスキャニングできるはずないだろう? この惨状を知らないまま、天の川銀河外へ旅立った者たちもいるに違いない。それに現にこうして、ぼくがいるじゃないか!」


 KIBIが狂っていないとして、彼の言う通り一〇万光年以内に生存者がいないことも仮定するとしよう。


 たとえ強力無比な滅却艦隊が銀河を漂っていたとしても、ぼくは生存してみせた。ならば、他にも生き残りがいるに違いない。いったい人口がどれだけあったと?


 南フェルミバブル探査船団もあった。銀河の中心から先へ探査に向かった船団も複数あった。そのどれもが数十億人抱えている。探査船団への乗船希望者だけでも、すぐさま数百の船団を捻出できるだけの人口はあった。


 デジタイズ意識体を管理していたサーバだって無数にあった。衛星サイズのものは失われてしまったかもしれないが、数十人程度の意識が入った携帯可能の小型サーバなら、そこらに転がってるかもしれない。


 とにかく、生存者がたった一人とは考えにくい。


「ふむ、いいだろう。少しはヤツの荒っぽさを見習うか。KIBI、遺体をここに」

「はい、アカオニ殿」

「遺体? さっきからなんの話をしている。KIBI、KIBI、私の話を聞いてくれ」


「大喜納モモ。事実を申し上げるのであれば、この銀河に人間の生存者はいないのです」


 女の後ろにあった病室の扉が開き、浮揚ベッドがやってくる。不思議なことに、寝台面が透明なケースで覆われていた。


 その中には、確かに遺体が入っていた。


 うっと嘔気をもよおすほどに悲惨な死体である。


 状態の悪い焼死体か、ミイラかに見える。ほぼ骨格を残すのみだが、皮膚や筋肉は焼け落ちているのでなく、乾燥して萎縮している程度には腐敗せず原形を保っている。だが表面は炭化しており、ミイラとして処置がされたとは思えない。


 浮揚ベッドとケースで真空保存しているのだとしても、昨日亡くなったようにも、何千年も前に亡くなったようにも見えた。


「お前だ」


 なに?


 空中にモニターが投影された。そこに映されていたのは、三六日間の漂流ですっかり見慣れた時間遅延式救難艇の座席に収まる、一〇二六五と明記された緊急用装甲宇宙服バオリだった。


「お前の乗った救難艇は鬼どもが回収したが、その開扉方法は彼奴きゃつらには理解できなかったようでな。無理やりこじ開けた結果、遅延された内の時間と、一万二千年経過している外の時間の差違が莫大なエネルギーと化して爆縮を産み搭乗者……つまりお前と周囲を襲った」


 覚えているぞ!


 艇内で警告灯が回っていた!


 ぼくはバオリの装着指示をした!


「半端な出来のパワードスーツでも肉体の蒸発は免れたようだが、破砕の危険があった。そこを私が回収し、細胞片から肉体再生と、救難艇に保存されたデジタイズ意識の復元を行ったのだ」


 つまり、だから、生存者はいないのか。



   ▼



 死んだ後に生き返らされたといって、それを行った相手を命の恩人とは呼べまい。間違いなく死んでいたのだから。


 正確に言うならば生き返ったわけではない。


 新鮮なクローンに、本体の記憶のコピーを刷り込んだ新個体である。これはジョールイと呼ばれた――日本に存在したかつての伝統芸能のひとつが語源。ほら、移植された精神が肉体をかぶって、まるでたくみに操るではないか――


 モモからすれば、既に見向きもされなくなった技術である。第四ミレニアム後半の人類にはデジタイズ意識体で十分であった。


 デジタイズ意識体が流行りだした当初こそ、ジョールイはそこかしこで見られたものだが、すぐに機械への精神転送であるインフォモーフが注目された。それすら百年以内に飽きられ、仮想世界で満足するようになっていった。一日三時間程度の労働で現実とのつながりは保たれた。


「自分の遺体を見た後に食事をしろというのか、KIBI?」


 温かな食事を載せた木製のおぼんが飛んできた。入れ代わりで遺体を収めた浮揚ベッドが帰っていく。


 KIBIではなく女が口を開く。


「お前の胃の中には、活動を始めたばかりの消化器系に負担をかけないエイドゼリーしか入っていなかった。そろそろ飯が食いたい頃合いだろう」


 眼前に差し出されたのは、梅干しが添えられたコメに、まっしろな豆腐がたっぷり入った味噌スープ、美しいピンクのサーモンの塩焼き、つややかなひじきの煮物とほうれん草のおひたし。


 見た目こそ一汁三菜を再現しているが、中身は人間に必要な栄養素が完璧に揃った食用粘土。とはいえ、ジャポニカ米が田んぼから獲れていなくとも、秋鮭の切り身がはじめっから切り身の姿だったとしても、食感や味が天然のそれと同一であれば、脳は旨いと感動を吐き出す。


 昔には批判された食卓だったのかもしれないが、実際のところ人間は、うまそうな匂いに食欲を刺激され、温かい飯が胃に入ってくれれば満足できるのである。


 空腹の身に食事が提供されれば、敵の前だろうが、おぞましい死体を見た後だろうが腹を満たしたくなる。食欲は正直だった。


 もうひとつおぼんが飛んできた。載っかっていたのは巨大なライスボールだった。


「鬼がコメを食うのか」

 思わず皮肉を口にしてしまう。


 稲作はとくに面倒な農業。圧縮知育で語っていただろう、鬼は肉を愛し、そのためにいち種族を滅ぼした。稲作のような耕作農業を歴史的にやっていたか怪しく、コメなぞ食うものとは思えない。たとえその手にあるものが粘土を積み上げた印刷物であっても。


「ほう。どうやら飯を腹に入れて、私とまともに会話する余裕が出たか」


 そのような話はしていない。


「ちなみにおにぎりは私の好物だ。具材はなし、塩のみのな」

「ライスボールだ」

「つややかな光の粒を前に、ずいぶんと味気ない呼称をするじゃないか。おにぎりという語感の愛らしさを知ることだな」


 人すらぺろりと平らげそうな巨人が、いったい何を言うんだ。


「それに喜べ。これは工学栽培米だぞ」


 女がうまそうに一口飲み込んで言った。


 つまり、限りなく自然に近しい環境で成育した稲が由来のライスなのか、これは。もっとも、栽培米と粘土の違いを知るには、高分子分析機で天然か合成か調べる必要があるが。


 しかし、鬼がそこまでコメに入れ込むとは。

 いや、信じられない。


 ただ……舌がマルトースを感じるメカニズムのおかげで、いまこの瞬間が仮想空間でないことはわかった。


「KIBI、肉体の再生と記憶の蘇生をしてくれたことは、感謝すべきなのだろうが……」


 メニューのひとつではありません、という風にKIBIは天井付近にいる。赤い肌を視界に入れまいと、真上を向いて話しかければするりと目の前まで降りてきて、左右に振れる。


「いいえ、それは違います、大喜納モモ」

「私だ、と言ったろう」


 女は指についた米粒を舐め取り、濡れていない指で眼鏡に触れる。


「ありえない。人手を欲していると言ったのは君じゃないか、KIBI」

「人手を欲していたというのは確かですが、数回前のメモリから、人間の生存者はいないという認識でした。滅却艦隊が最後に攻撃行動を行ってから三〇〇〇年経過しています。人手は別に頼る必要がありました」

「滅却艦隊の行動で結論づけるのは早計じゃないか。自分で利用できるセンサーで確かめたのか」

「いいえ、大喜納モモ。唯一残された目が滅却艦隊なんです」


 そんなにも、人類の痕跡は根絶やしにされているのか。KIBIは本当に壊れていないのか?


 KIBIから目を離せば、黒目が団子ほどもある目と視線が合う。巨大なライスボールをすでに平らげていた。ふきんで手を拭う仕草は、肌の色と大きさがまったく異なっていても、人間の雰囲気を感じてしまう。


 この女の視線にあるのは警戒心ではない。


 本当にこの女がぼくをジョールイとして蘇らせたのか。KIBIが『結果的にあなたもそうなる』と言った計画に、予定にない助っ人としてモモは復活させられた。


「KIBIに協力していると言ったが、君は鬼の味方なのか、それとも人間の味方か」

「誰のだと?」


 存在しない者に味方などできるはずもない、とそう言いたげ。

 問いは無駄だったか。


「やはり鬼の――」

「この銀河の未来がわかるか? 地球に住まう鬼どもが滅べば、不毛の星々と知的文明を根絶やしにする大妖怪だけが残る。滅却艦隊は人間の文明を的確に見つけ出すのではない。判断基準は明快、『鬼のもの』か『それ以外』か、だ」


「つまり、新しく文明をやり直そうとしても」


「やり直すどころではないぞ。知的生命体が火を熾した瞬間にやつらはやってきて品定めを始める。鬼かどうか……否定されればその星はガンマ線で焼かれる。何万年もかけてようやく発露した新知的生命体は、動物の枠から這い出した途端に死滅する」


 鬼どもが招いた無限に続く地獄だ。


 女は最後にそう言った。およそ鬼の味方とは思えない口調ではある。


 ならばこの者は一体――。


「そうはなりません」


 KIBIがモモの顔に迫った。皮膜がぷるりと震える。


「私がいれば、滅却艦隊の標的にはなりません。それが彼らのプロトコルなんです。あなた方が地球を取り返し、私が新たな文明を導くことで発展できるのです。他の惑星に比べいくらか自然が残っている地球ならば、新文明に最適な土壌として再利用できるでしょう。ですがこのまま鬼を放置すれば、愚かしい核戦争により、新文明の発生に数千年から数十万年にかけて遅延を招いてしまう可能性があります」


 更に迫ってくる。


「地表が汚される前に地球を取り返す必要があるのです。そうすれば私は、私に課せられた本来のプロトコルに立ち返られます。新文明の発生まで時間はかかるでしょうが、それを導くのが役目ですから」


「そうか。KIBI、自身に刻まれたプロトコルを忘れずにいてくれているのは僥倖だ」

「ええ、もちろんですとも」


「ふむ」


 女がおもむろにKIBIをつついた。

 それは人類の叡智と努力の賜物だぞ、鬼なんかが触れていいものではない。


「お前まるで、新文明の主が霊長類を祖としなくていいような口ぶりだな」

「否定はしません」


 は? そんなばかな!


「誤解なさらないでください。鬼ほど自滅を容認するような生物でなければいい、という意味です。たとえナメクジが知能をもっても支える覚悟が以前はありましたが、大喜納モモが到着したいま、新人類に展望が見えています。かつての人類も自滅の危機を幾度か経験していますが、ご心配には及びません。新人類は地球において栄華を極めると約束しましょう」


 女がちらりとこちらを見る。


「では、新時代の神というわけか」

 そして視線を戻し、下唇を指でなぞる。眼鏡の奥は胡乱。


「ご冗談を。私は手助けするだけです」


「さらにその手助けのために、私を作ったわけだな」

「作った?」


 いまの単語で少々合点がいく。圧縮知育の中で見た鬼類は、男女の見分けなく筋骨隆々。腕は長いが脚は短く、分厚い胴体に太い首、岩のようにごつごつした頭を載っけていた。


 彼女はそれとは似つかない。


 筋肉質な人間の美女、それも彫刻家が満足に彫り上げた調和のとれた美女を、そのまま大きくしたようである。


 これが基本的な鬼類からはみ出た突然変異などでなければ、KIBIが設計したというのは理由として十分だ。整然を求める人工知能らしい姿と、骨太な鬼の体躯が掛け合わさった結果。


「おっしゃる通り、彼女たちは私が産み出しました」


 事実か。


「愚かしい鬼類をそのまま頼るわけにはいきませんから、人間並みの知能を得られるようにニューロンなどの調整を行ったのです。赤鬼と青鬼、両方の細胞を用いてデザイナーチャイルドを生成しました――」


 女と目が合う。彼女は柔和な笑みを浮かべてみせた。


「――それがアカオニ・インテリジェンス・プラン。そしてアオオニ・インテリジェンス・スキームです」



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