九、『妖精の王』・5
5
気がつくと、暗闇の中にいた。
どこだ?
ぼうっとする頭で、リーズリースは記憶を呼び覚ます。
私は戦っていた。ずっとずっと、ずっと戦って、そして世界が真っ白になって……。
ああ、そうか。
やっと終わったんだ。
もう、何も考える必要はないんだ。
『異海』のことも、異影のことも、召喚術のことも。
全力を尽くした。やれるだけのことをやった。騎士として恥ずかしくない生き方をした。
これで、みんなのところへ行くことができる。
父は、母は、あの騎士たちは認めてくれるだろうか。私を騎士団の一人として迎え入れてくれるだろうか。
リーズリースは忘我に身を任せ、眠りにつこうとした。
だが、出来なかった。
全身を覆う、熱く鈍い痛み。心臓が、血脈が、まだ鼓動を続けていた。
倦怠感をこらえ、目を凝らした。
暗闇に光が見えた。
星?
違う。手を伸ばすと、硬い鉄板に触れた。知っている感触だった。召喚機の装甲の、歪な凹凸。召喚機の装甲が、小さな天幕のように自分を覆っていた。そこに刻まれた魔法陣のようなものは淡く発光していたが、その光もやがてうっすらと消えていった。
痛みが、徐々に意識を覚醒させていった。
光に包まれた瞬間。オスカーが自ら動き出し、操縦席を包み込んで……。
首を巡らすと、足元に隙間を見つけた。リーズリースは痛みを堪えながら、そこから這いだした。
赤と黒の地獄はまだ終わっていなかった。
どこまでも続く奈落。流れ落ちる『異海』。砕かれた大地。無数の異影。
そして、それに追い立てられる《
戦いはまだ続いていた。いや、もうそれは戦闘ではなかった。《鵺》は終わりの時から逃げ惑っているだけ。リーズリースは構造体の上にへたりこみ、ただ、それを見上げることしか出来なかった。
『リーズリース! リーズリース!』
上空の機体から、ウィルの声が聞こえてきた。
時間が、あのときに立ち戻っていた。戦う力を失い、異影の蹂躙をただ見続けるしかなかったあのときに。
気がつけば、リーズリースは祈りを捧げるように地面に突っ伏していた。
そして、口を腕で覆い、絶叫していた。
ウィル!
あの頃にように。
彼が居留地から消え、取り残されたときのように。
夜。そばにいて欲しくて、一人、泣いたときのように。
歯を腕に食い込ませ、決して声が漏れないように。
あいつはきっと帰ってくる。そのときまで騎士として恥ずかしくないように。
『何がおかしいんです!』
大穴にウィルの[やまびこ]が響き続ける。
それは持たざる者の、圧倒的な強者に対するせめてもの抵抗だった。
『あなたに何がわかるんです! あなたに僕たちの何がわかるっていうんですか! 誰もが望む力を手に入れておきながら、あなたを信じてきた人たちを裏切ったあなたが! 一体、何がわかるっていうんですか!』
どうして。
どうして死なせてくれなかったんだ。
湧き上がってきたのは懸命に自分を守ってくれたオスカーに対する、そして、無駄に頑丈な召喚機を作り上げたリードマンに対する呪いの言葉だった。
わずかな時間、生き長らえて、私に何をさせようというのか。
その答えは、すでに自分の中にあった。
『どれだけ考えても! どれだけ苦痛に耐えても! 何も得られなかった者の気持ちがあなたにわかるんですか! 守りたかったものを守れなかった気持ちを! 戦うことさえ許されなかった気持ちを! あなたにわかるっていうんですか!』
私が堕ちるべき地獄があるとすれば、ここに他ならなかった。
私は何も成し遂げられず、あなたを守ることさえ出来なかった。
勝ち目のない戦いを続け、あなたをこの地獄へ巻きこんでしまった。
お前はこの地獄を見届けなければならない。幻想に囚われ続けた報いを、いま、ここで受けなければならない。
ウィル。
再び天を仰いだリーズリースの目に、緑の野が映った。
それは幻視だった。
大穴に、淡い魔力の粒子が立ち上っている。構造体のあらゆる場所に、いくつもいくつも、苔のような、緑色の光の輪が生まれていた。
リーズリースの傍らにも輪の一つがあった。目を凝らすと、光の輪の中で数え切れないほどの妖精たちが楽しげに歌い、踊っている。
ふわり、リーズリースの前を何かが横切った。
〈ジャック・オー・ランタン〉。その灯をもって迷える者を導く妖精。
妖精は坂になった構造体を、リーズリースを誘うように上がっていく。リーズリースは立ち上がり、夢遊病のように妖精のあとをついていった。
『あなたは全知なんかじゃない! あなたは弱さを知らない! 『異海』に怯えて眠れなかった夜も! 木陰に異影の幻を見た昼も! 逃げられない弱さも! 弱さから逃げ続ける弱さも!』
坂の上で〈ジャック・オー・ランタン〉が空中で一回りした。
そこに大破した重装試験ドールがあった。上半身のほとんどが吹き飛ばされ、操縦席は剥き出しになっている。腰部と左腕がかろうじて繋がっているだけ。
それでも、そこには銀色に輝く操縦桿と二つのネイオスが残されていた。
『でも、もうそんなの関係ない! これ以上、あなたが誰かを犠牲にするというのなら絶対に止めてみせる! あなたがどれだけ強かろうが、僕がどれだけ弱かろうが関係ない!』
……………………。
違う。
リーズリースは上空を振り返った。
これはサルトリオへの言葉じゃない。
これは私への言葉だ。
だってウィルは、あのときと同じ言葉で、こう言ったから。
『この世界は僕が……僕たちが守るんだ!』
◆
大穴に吹く風。
それが、機体の残骸の上に立つリーズリースの髪をなびかせた。
視線を天へ向けた。
大穴の果て、天を覆い尽くすモノリス。そして、《鵺》に捕らえられた《神聖不可侵》。天使の姿は、檻を破壊しようともがく白き獣のようだった。
リーズリースはちぎれかけたロッドを握りしめた。
魔力を通し、導霊系の状態を確認する。
導霊系はあちこちが断裂していたが、かろうじて一経路で繋がっていた。頭部・胴部・右腕ネイオスは爆発によって吹き飛んでいた。残りのネイオスは二基、出来ることは限られている。
為すべきことは一つ。
もう、誰も犠牲になんかさせない。
大きく息を吸い込み、リーズリースは詠唱した。
「〈
左腕ネイオスに宿った光が白く輝く。
「〈
腰部ネイオスから噴き上がった黒い霧がリーズリースと機体を覆った。
数瞬ののちに現れたのは、白く輝く角を持つ、屈強な青鹿毛の馬だった。
構成《
もう一度、力を。
もう一度、この道を貫き通す力を。
「駆けろ!」
リーズリースの意思を受け、《黒き一角獣》は構造体を蹴る。
一筋の白い輝きが、まっすぐ天へと駆け上がっていった。
◆
黒い柩から六枚の翼が突き出た。機体に絡みついている鎖が断裂していく。檻が破壊されるのは時間の問題だった。
「こらえろ獣ども! それでも聖獣か!」
メイヤンは魔力を振り絞り、ロッドに注ぎ込む。笊から水が漏れるように、魔力が消耗していく。
前部座席を見やる。ウィルは肩を押さえ、苦痛に呻き声を上げていた。こいつはあれだけのことをやってのけたのだ。あとは私がやり遂げなくてどうする。
「この……! バケモノがぁっ……!」
ついに〈玄武〉の壁が爆ぜた。
突き出す六枚の翼。《神聖不可侵》は宙へと飛び立った。
◆
結晶体の目前、黒と白の機体が空中で交錯する。
衝撃音。
一角獣の角が《神聖不可侵》の胴部に突き刺さった。憑霊器の再生は間に合わず、撃墜は不可能だった。モノリスへの攻撃はこの身を以て受けるよりなかった。
操縦席に伝わる熱量。
[神託]は全知だった。
全知であるがゆえに、これから何が起きるのか、サルトリオにははっきりと見えた。
神が告げる。お前は死ぬのだと。
どうして?
サルトリオは問うた。
神よ。私ではなかったのか。
あなたの意志を正しく理解し、この世界を正しい姿に導くのは私ではなかったのか。
「天使たちよ。《神聖不可侵》よ。その力を示せ」
無意識のうちに防御構成を解き放っていた。それが自分の意思なのか、それとも神の定めた道なのか、わからないまま。
運命に逆らうことは神への反逆ではないのか。それとも自分の堕天も神の意志だというのか。
わからない。
神よ。神よ。
◆
天使の装甲が細胞のように膨張する。六枚の翼が空間に広がり、蜘蛛の脚のように結晶体を覆いつくす。異形と化した天使は膨大な熱閃を受け続ける。
その輻射熱に晒された操縦席の跡で、リーズリースは操縦桿を握り絞めた。
オスカーはいない。遮る物もない。制御を誤れば自らを焼き尽くしかねない光。
それでもリーズリースは操縦桿に注ぎ続けた。
もっと純化を。
もっと穿つ力を。
もっと突き進む力を。
じわり、じわり。時間が流れが淀んだかのように、だが、確実に《黒き一角獣》の一撃は《神聖不可侵》へと迫る。圧力が白磁の装甲を押しのけ、胸部ネイオスを露出させる。
「貫けえ!」
それは無重力に漂うような感触だった。
光の柱は《神聖不可侵》の装甲を、ネイオスを貫いた。
リーズリースは煌めく光の中にいた。晶石が、白磁のような魔力が舞い散る。
遮るものは、もう何もなかった。
白い熱閃はまっすぐモノリスへ吸い込まれていき、そして……。
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