九、『妖精の王』・2

    2


 大穴にいくつもの星が瞬いた。

 その星々は天使の周囲を運行するがごとく、ゆっくり動き出す。だがそう見えたのは、距離と大きさを錯視していたからに他ならなかった。その一つ一つが必殺の威力を持った[熾天使の剣]は構造体間を高速で飛翔し、《闇騎士ダーク・ナイト》の周囲へと降り注いだ。

「駆けろ、オスカー!」

 リーズリースの怒号に応え、《闇騎士》が構造体の階を蹴った。

 流星が次々と至近距離で爆ぜる。蜘蛛の巣のように張り巡らされた構造体を、《闇騎士》は星々の爆発を引き連れながら駆けていく。

「撃て!」

 一瞬の間隙を縫って、《闇騎士》が〈光剣〉を放った。ただ威力だけを純化した一撃が無軌道に天上へと伸びる。

《闇騎士》が放った白い熱閃が火球と衝突し、空間を熱で満たす。《神聖不可侵》は遙か遠く、点のようにしか見えない。その点は微動だにしていなかった。圧倒的な火力に守られ、こちらの手の届かぬ場所から全てを支配しようとする傲慢な存在が睥睨していた。

 次々と放たれる流星を前に、《闇騎士》は逃げ惑うことしかできない。その圧力に、《闇騎士》は徐々に大穴の開口部へと押し込まれていった。


 何故、戦う?

 何も分からぬまま、何も知らされぬまま。


 乳白色の不快な意思が神経を逆なでる。

《神聖不可侵》の[告知]。言葉にならないどす黒い思念が心に纏わり付く。


 どうして真実を見ようとしない。

 お前自身が抱いている疑念にどうして目を向けようとしない。

 お前を操る者が何か、それを知らないまま走狗と成り果てるのか。

 欺瞞に塗れた真実を与えられ、なおも苦しみ続けるのか。


「ふざけるな!」

 お前はアンティオペーを殺した。帝国の召喚士を殺した。寄る辺なく、希望を抱いてこの地へやってきた人々を、お前は殺した。

 お前の思い通りになどさせるものか! 誰であろうと! この世界に『異海』を呼び込むことなど!

「貫け!」

 再び、リーズリースの絶叫とともに〈光剣〉が放たれる。

 そのとき《闇騎士》を追い抜き、白い光の筋に寄り添うように、四色の帯が天に昇っていくのが見えた。

 その機影は構造体に降り注ぐ流星を潜り抜け、《神聖不可侵》へと襲いかかる。

『[四神宝剣]!』

 一瞬で上空へ広がった四色の剣戟が《神聖不可侵》のいた空間を薙ぎ払う。《神聖不可侵》は翻り、霞のように大穴の奥へと逃れた。

 刹那、爆撃が止んだそのとき、その機体からファン・メイヤンの声が聞こえてきた。

『呆けてるんじゃない! 追え!』

 それはいつか聞いた合成音ではなかった。〈エコー〉の作り出す[やまびこ]の声。

キマイラ》の姿もかつてと異なっていた。

 演習時より、一回り大きく、《鵺》が目まぐるしく構成を変える度、背中から二本の腕が伸びているのが見えた。

 ウィル。

 あれはオクタ・ドール。ウィルの機体に間違いなかった。


    ◆


『僕も一緒に連れて行ってください』

 精霊塔内部で、ウィルはメイヤンへそう言った。

 本当は、同乗などはしたくなかった。単純に重量の問題である。召喚機における人間一人分の重量は大きい。メイヤンのように飛行するために軽量ドールを選んでいる召喚士にとってはなおさらだ。その上、この特異なドールには八基ものネイオスが搭載されているのである。二機分の重量を背負って戦うことの不利は考えなくてもわかる。

 一方で選択の余地はなかった。ネイオスを切り離すわけにもいかない。導霊系にどのような不具合が出るかわからないからだ。だとすれば、こいつの魔力特性を利用してこちらの負荷を減らしたほうがいい。

 しかし、そんな理屈は後付けだったのかもしれない。

 メイヤンに決断させたのは奴の目だった。

 今まで見たことのない、追いつめられた獣のような双眸。


    ◆


 双子が開けた突破口を使い、《鵺》は奈落を上昇していく。赤い大地に穿たれた巨大な大穴。それが《鵺》の眼前へと迫っていた。

「突っ込むぞ! 機動の邪魔をするなよ!」

「は、はいっ!」

 メイヤンが前部座席へ叫ぶと、術の補佐をしていたウィルが応えた。

 同乗という決断。それは悪いものではなかった。

 パネルに映し出される景色。響く風切り音。[感覚共有]なしに機体を操るのは、鏡を覗き込みながら後ろ向きに歩くようなもどかしさがあった。が、索敵に魔力を回さずに済む上、何より幸運だったのは気配を消す[隠身]が異影にも通じたことだった。戦闘を介さず、飛行に専念できたことでメイヤンの負担は最低限で済んでいた。

 これならば戦える。

「リーズリース……!」

 ウィルが声を上げるのと上方で複数の爆発が起こるのは同時だった。

 追いついた。

 彼方から眼下を睥睨する六翼の天使。降り注ぐ破壊の流星。それに煽られながら必死の機動を続けるリーズリースの黒い機体。

《黒騎士》はその姿を大きく変えていた。機体の構造体は透けて見え、周囲を黒い陽炎が立ち上っている。輪郭ははっきりとせず、亡霊のごとき様相に、ただ右腕の〈光剣〉だけが爛々と輝いている。

 その意図ははっきりとしていた。

 防御を捨てたのだ。装甲、安定性、そういったものをかなぐり捨てて、ただ攻撃と機動に特化したのだ。

 正気の沙汰ではない。

 しかし、メイヤンにもわかっていた。正気を捨てなければ勝ち目などないことを。

「ここからは私がやる!」

 メイヤンは操縦桿の上で印を結ぶ。その体から、魔力が白い蒸気のように噴き上がった。

「四神よ歌え! 四獣よ舞え! 我が意の適するところのみ!」

 見るがいい、西方の佰候召喚師よ。

 大宗伯・黄氏の術の神髄を!

「絶招! [千変万華]!」


    ◆


[千変万華]。

 この術の原理は、純化召喚の基礎である『機能を限定させることによって出力を上げる』こと、それをもっと極端にしたものだ。

 全てを一極に集中する。

 攻撃すべきときは攻撃へ。機動すべきときは機動へ。

 その一瞬、一瞬において、一つの要素へと全力を注ぎ込み、次々と切り替えていくことで常に最大限の性能を引き出す秘術。

 言葉にするのは簡単である。だが、それ行うのがどれほど難しいか。

 機体の構成を瞬間的、そして断続的に入れ替え続けることなど、ファン・メイヤンの高度な使役力がなければ不可能なことだった。

 さらに実戦で用いるには、戦況に応じ必要な能力を引き出す判断力が不可欠だった。もし、不意を突かれ攻撃を受けることがあれば、棺桶ほどの耐久力しか持たない召喚機の構造体はたちまち粉砕され、待ち受けるのは死あるのみである。

 メイヤンにとって、この術は最後の切り札であり、諸刃の剣でもあった。


    ◆


《鵺》の姿は空を漂う四色の帯と化していた。

 四聖獣の全力を合わせた加速。速度を増した機体は奈落の構造体をすり抜け、飛来する流星を回避し、《神聖不可侵》へと肉薄する。

 天使から、反撃の流星が降り注ぐ。

 その直前、白い熱閃が空間を薙いだ。

 さらに奥へ逃れる《神聖不可侵》を追い、リーズリースの黒い機体が大穴を駆け上がっていった。

 速度、火力、ともに演習時とは比べものにならない。防御を捨てた、攻撃のみの構成。戦場に命を晒すことで手に入れた力。いつ終わりの時が来てもおかしくない、刹那の輝き。

 ならばこちらも出し惜しみなどできない。

「[玄甲戦鎚]!」

 黒い鎚と化した《鵺》が流星を弾き飛ばす。さらにメイヤンはロッドの上で印を結び、魔力を注ぎ込んだ。

「[龍虎牙陣]!」

 渦を巻く四色の中枢から、花のごとく、十数本の牙が伸びた。

 そこへ白い熱閃が走る。

 リーズリースの機体が構造体を蹴りながら、奈落を駆け上がっていく。

 二体の召喚機は流星の結界を抜け、《神聖不可侵》を押しのけつつあった。

 いける!

 怯えるな。集中を切るな。

 奴は佰候召喚師だ。五つの眷属を支える魔力と、それらを自在に操る技量を持つ。

 それでも同じ人間に違いないんだ!


    ◆


 二機の召喚機は、六翼の天使を追い、天上へと向かう。

 流星のような爆撃を回避し、構造体を潜り抜け、《神聖不可侵》との距離は迫りつつあった。

 神様!

 どうか! どうか!

 戦場の最前線で、ウィルはもう祈り続けるしかなかった。爆風に弄ばれる枯葉のような《黒騎士》の姿を直視できず、それなのにその光景が[共有感覚]に鮮明に流れ込んでくる。

 リーズリースが救われる可能性はわずかしか残されていない。

 リードマンの奇襲が成功すること。モノリスを破壊し、この地獄から逃げ出すこと。

 そのためにはリーズリースたちが囮だということを悟られてはならない。ウィルは心から感情が漏れ出さないように必死に抑え込んだ。体は前のめりになり、両手は祈りを捧げるように操縦桿に上に重ねられていた。

 一方で、もう一人の自分が、その祈りが誰にも届いていないことに気付いていた。

 二人はエミリオ・サルトリオの敵になり得ていない。メイヤンの凄まじい攻勢も、リーズリースの捨て身の覚悟も《神聖不可侵》に届いていない。

 彼が警戒しているのはアレフロート・リードマンだけだった。

 この期に及んでも、エミリオ・サルトリオは二人を贄としか見ていないのだ。

 リーズリースの命は掌中の卵だった。人が蟻を強いて殺さないように、サルトリオもまたただ殺さないでいるだけだった。それでも彼女が邪魔だと判断すれば、即座に殺すだろう。砦の中で僕を殺そうとしたときのように。

 お願いします神様、どうか奇跡を。

 どうか早く! あの人の命が尽きる前に!

 ウィルは祈り続けた。誰かがもたらしてくれる奇跡。その兆しを探して、ウィルは世界に起こるあらゆる変化に神経を巡らした。

〈世界樹〉にわずかな変化が起こった。

 そしてその兆候が顕れたとき、ウィルはリードマンの真意を知った。

 彼の手には、最初から切り札など残されていなかったのだ。

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