九、『妖精の王』・1


世界樹ユグドラシル〉から見る地獄は、荘厳な宗教画のようにも見えた。

 天空から地上まで、どこまでも続いていく奈落。

 世界そのものを遮るカーテンのように流れ落ちていく『異海』。

 奈落に漂う無数の浮島。灰のように舞い上がる異影たち。中央で侵食に耐えている〈世界樹〉さえ、この地獄の一部のように思えた。

 天を覆う大地。そこにはこちらを飲み込むかのような直径数キロの大穴が開いていた。ステンドグラスのように赤い禍々しい光を放つそれは、こちらを監視する巨大な眼のようでもあった。

 その視線はけっして錯覚ではなかっただろう。あの内部から、今も、あの六翼の天使が自分たちを見つめているのだから。

 リーズリースが光景に見入っていると、背後から声が掛かった。

「リーズリース、来てくれ。機体の準備ができた」


    1


 作戦目標は上空、大穴深奥にある結晶体『モノリス』。

〈世界樹〉から大穴の開口部まで、およそ五〇〇メートル。その間には、無数の異影たちによる包囲網が形成されている。

 さらに、大穴内部には蜘蛛の巣のように、橋のような構造体が張り巡らされていた。それは奥までどこまでも続いていき、下からは多重魔法陣が浮かび上がっているように見える。

『これは非常に危険な任務だ。囮自体にモノリスが破壊可能な力がなければ欺瞞として機能しない。晶石と似た組成とはいえ、その質量は膨大だ。さらにモノリスの魔力場があるために遠距離攻撃は打ち消されてしまう。つまり、十分な火力を有したまま、可能な限り接近しなければならないということだ』

 大穴への突入。

 それがリードマンがとった策だった。

 作戦開始と同時に、リードマンは結界の一部を開放。アイシャが最大火力で異影の包囲網に打撃を加え、突破口を開く。異影の間隙を縫い、アデルがリーズリースの機体を乗せ大穴へと突入。モノリスへ十分、接近したところで機体を切り離し、《黒騎士》でモノリスへ陽動の狙撃を行う。

 それを聞いたときの正召喚士たちの表情は沈痛なものだった。

 数秒の誤差が失敗に直結する上に、不確定要素は無数にある。口にすればあまりにも単純で、行うにはあまりにも難しい。そんな作戦だった。


    ◆


 リーズリースが重装試験ドールのところへやってくると、准召喚士たちに紛れて双子が待ち受けていた。

「最後に注意事項だ」

 アデルが口を開いた。

「お前の機体を上空へ持っていくために、オレの機体構成は速度に全振りすることになる。武装はなし、防御機構はなし。急激な加速で相当な負荷が掛かるだろう。気を失わないよう、覚悟しておけ」

「わかりました」

「次に、破壊目標に可能な限り近づくために、合図するまで絶対に構成はするな。魔力場を作るのも駄目だ。召喚術で質量が増えればそれだけ遅くなるし、魔力場が阻害されると出力が落ちる」

 リーズリースが頷くと、アデルは「それから……」と付け加えた。

「お前を射出したあと、オレもモノリス攻撃に向かう。囮は多い方がいいからな」

「あたしも可能な限り掩護する。ここからどれだけやれるかわからないけど」

 リーズリースは二人の顔を見返し、しばらく黙っていた。双子が怪訝な評定を浮かべると、口を開いた。

「結果的に巻きこむことになって申し訳ありません。あなたたちの協力に感謝します」

 アデルとアイシャは顔を見合わせた。

「何言ってんだ。どうせ作戦が失敗したらこっちも終わりなんだ」

「協力も何もないでしょうが。カッコつけてんじゃないわよ」

 口々に言う双子に、リーズリースは微笑した。

「では、作戦通りに。アイシャ、アデル、お願いします」

 双子を残し、リーズリースは重装試験ドールに乗り込んだ。


    ◆


『よっしゃあっ! 総員、気合い入れてかかれ!』

「……ったくあの馬鹿血族が」

 アデルの[風声]が機体の外に響き渡り、操縦席でアイシャはぼやいた。何とか士気を高めようとしているのだろうが、あの馬鹿の空回りしたテンションはこちらが恥ずかしくなってくる。

 大体、こんなノリは私のものじゃない。任務に殉じるなんて柄じゃない。

 それなのに最後の最後に、とんでもない時に借りを作ってしまった。

 大体、リーズリースには数え切れないほどの貸しがあるはずだった。一度くらい危機を救われたくらいでは足りないくらいだ。

 いろいろ考えたところで、自分をこの任務に縛り付けているのは自分自身であることに気付いていた。結局のところ、『異海』に好き勝手されるわけにはいかないんだ。

『来るぞ愚妹!』

 アデルの声に反応し、アイシャは[水鏡ミラー・イメージ]を上へと向けた。

〈世界樹〉に変化が現れた。幹の緑色が徐々に薄くなり、代わりに赤い光が支配的となった。

 そして、黒が押し寄せ始めた。灰のように降り注ぐ、無数の異影。

「ったくもう! やればいいんでしょ! やれば!」

 アイシャはロッドを握りしめ、魔力を注ぎ込んだ。

構成召喚コール・コンポジション!」

 アイシャの機体に変化が起こった。

 機体を覆っていた水膜が止まり、蒸気が立ち上った。装甲を構成していた岩が蠢き、複数の棘が突き出し、地面に食い込む。

 同時に、機体の中央が割れ、内部から赤い熱源が覗いた。

 構成《錬金術師・獄熱アルケミスト・ウルカーン》。

 全ての眷属を火力に注ぎ込んだ構成である。移動することも通信することもできない。外殻はただ姿勢を保ち、火力を支えるだけの存在。制御を誤れば操縦席だって危うい、綱渡りの構成。

「ぶち抜け! [劫火インフェルノ]!!」

 アイシャの集中が最高潮になった瞬間、開口部が一際強く輝いた。

 縦坑を、巨大な熱エネルギーが貫いた。〈世界樹〉の代わりに生まれた青白い熱の柱。《錬金術師・獄熱》の中心から生み出された蒸気と火炎の混合体。白い熱が、巻き起こる放電が異影の包囲網に空隙を穿った。

「あとは任せたわよ! 馬鹿血族!」

〈世界樹〉が崩壊を始める中、糸筋の光が上空を昇っていくのを見た。


    ◆


 頭上に赤い炎が巻き上がる直前、アデルはロッドを握り絞めた。

「いくぞぉ! 構成召喚コール・コンポジション!」

 後部ネイオスに展開した〈土〉が外装を形作る。ハチドリのようだった先端がさらに細長く、そして、後部はリーズリースのフレームを包み込むように円錐形に変化する。

 右腕ネイオスに顕在化した〈水〉は外装の内部を巡り、形状を制御する。可動する腕部は重装試験フレームを掴み、固定する。

 前部ネイオスに宿った〈風〉が機体の周囲に流れを生み出す。それは、外装前部の吸気口から後部の噴出口へ、機体と大気を繋げていく。

 そして、中央ネイオスに宿った〈火〉。取りこまれた空気を、一気に膨張させた。

「《錬金術師・星石アルケミスト・メテオロン》!」

 アイシャが魔術を放つのと、機体が飛び立ったのは同時だった。

 空へと伸びていく熱の柱。それを這うようにアデルの機体は空へ突っ込んでいった。

 構成《錬金術師・星石》。

 アデルの持つ眷属の力を全て、機体の推進力に注ぎ込んだ構成である。

 機体を覆う〈風〉はダクト内部に顕在した〈火〉の力を受け、さらなる出力を生み出す。〈水〉の油圧機構は〈土〉から生み出された焼結体の翼を絶えず調整し、暴力的な出力を推進力へと変えていく。

 ただ速く、ただ高く。飛ぶ、そのためだけの構成。

 武装はない。感覚器官も、機体の剛性も最低限のもの。一つ間違えば、自らの出力によって機体が崩壊しかねない、薄氷を踏むような構成。

 小刻みに震える視界。操縦席を襲う加速の負荷。

《錬金術師・星石》は瞬く間に上空へと打ち上がっていた。

 赤い空を背景に、無数の浮島が漂う。そして視野を蝕むように、《錬金術師・劫火》が薙ぎ払った空間を、新たな異影たちが埋めようとしていた。

 アデルは機体を制御し、空隙の中心へと意識を集中した。

 自分の役目は可能な限り上空へ、リーズリースの召喚機を運ぶこと。《黒騎士》の射程内まで、モノリスへ近づかなければ囮にすらならない。

 機体後方、重装試験ドールが収まっている空間に意識を向けた。いつも操縦席で喚いてばかりいるあの姫様は黙ったままだ。集中しているのか、あるいは加速の負荷で意識を失ったか。

「ったく、重いんだよ! その機体は!」

 アデルは叫び、さらに魔力を注ぎ込む。

 垂直上昇、さらには召喚機を抱えているせいで、音の速さにさえ近づけるはずの機体は、泥を這うかのように鈍い。

 空を見やる。黒い壁に空いた穴は徐々に狭まっていった。異影の群れは攻撃に反応し、空隙を埋めにかかったのだ。

 まだだ!

 まだ、大穴にすら届いていない。モノリスは視界にすら入っていない。

 捕まるわけにはいかない。せめて『異海』に一発、喰らわしてやるまでは終わるわけにはいかないんだ!

 異影の姿が接近してくる。機体が生み出す衝撃波によって轢き倒しながら、アデルはなおも上昇する。震える視界の中、残された空隙を探し、経路を辿る。

 あと少し。

 天の大地が、大穴が眼前へと迫ってくる。

 魔力を注ぎ込み、通り抜けるべき構造体の隙間に見当を付けているとき、不意に、異影が正面に入った。

「くそったれ!」

 とっさに回避したのがいけなかった。機体がバランスを崩す。自らの生み出す空力によって機体がねじ切れる。

 衝撃。

 しまっ……!

 翼が吹き飛んだ。

「リーズリース! 構成を……!」

『風声』で叫んだ瞬間、外装が砕け散った。フレームが支えきれず、ネイオスの重量に引っ張られ、導霊系が引きちぎられる。

 視界がブラックアウトする寸前、空中に投げ出されるリーズリースのドールが見えた。


    ◆


 嵐の中、粗末な小屋に取り残されたようだった。

 風を切る轟音。加速による負荷。機体のフレームが軋む音。

 外の様子を知る術はない。構成ができない以上、リーズリースは無防備そのもので、全てをアデルに委ねるしかなかった。

 それでも不思議と落ち着いていられた。リーズリースは目を閉じ、そのときが来るのを待っていた。

『リーズリース!』

 アデルの声が聞こえたのと、体が浮き上がったのは同時だった。不意に世界は回転しはじめ、ベルトが体に食い込む。

『構成を……!』

 アデルの声は、破壊音と風鳴りにかき消された。

 ありがとう、アデル。あなたは立派な召喚士でした。

 リーズリースは目を見開き、操縦桿ロッドを握る手に力を込めた。導霊系に魔力が巡り、機体を魔力場が包み込む。

「〈大鴉〉召喚コール・ブラン!」

 共有感覚にもたらされた、〈大鴉〉の視界。

 天を覆う、巨大な赤い眼。そこに浮かび上がる、構造体の幾何学模様。世界が回転し、地上に置き去りにされた〈世界樹〉の緑が見える。

 作戦は失敗に傾いていた。

 アデルは大穴の目前で力尽きていた。モノリスは遙か遠く、リーズリースはまだ囮としての役割も果たせないまま、奈落へ投げ出されていた。

 再び大穴を見上げたとき、黒い陰りが視野欠損のように世界を覆っていった。アイシャが撃ち抜いた空間を埋めるよう、異影の群れが群がってくる。

 その瞬間、作戦のことも、〈世界樹〉にいる仲間たちも、どこかにいるはずのアデルの存在も、リーズリースの世界から消え去った。

 滅する。目に映る、全ての異影を。我が全身全霊を以て。

召喚コール!」

 召喚機から突き出た一対の黒い腕が、迫る異影たちを掴み取った。右手に掴まれたものは噴き出した白い光に灼かれ、左手に掴まれたものはそのまま握りつぶされ霧散した。

構成コンポジション!」 

 奈落を貫く白い熱閃。〈光剣〉の出力は異影の群れを灼きながら姿勢を制御する。

「《闇騎士ダーク・ナイト》!」

 腰部ネイオスから発生した屈強な四肢が浮島の一つに降り立った。

 顕在化したその姿は《黒騎士》とは大きく異なっていた。頑強な黒い鎧も屈強な四肢も形を為さず、黒い陽炎のように立ち昇るだけ。亡霊のような曖昧な姿の中で、右手の白い光だけが異様な輝きを放っていた。

 構成《闇騎士》。

 防御を捨て去り、出力と機体制御に注ぎ込んだ機体。

 リーズリースは上空を睨め付けた。

「駆けろ!」

 浮島を蹴り、機体は天へ向け飛び出していった。

 迫る異影を、漂う浮島を、次々と蹴りつけながら、《闇騎士》は奈落を駆け上がっていく。

 白い光と黒い揺らめき。護るべきものから解き放たれた眷属たちは、光の軌跡を描き、荒れ狂う一筋の暗黒星となって大穴へと突入した。

 世界が赤く染まる。

 赤い光で満たされた縦坑。橋のような構造体が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、多重魔法陣を描きながら、どこまで続いていく。

《黒騎士》はさらに構造体を駆け上がっていく。

「薙ぎ払え!」

〈光剣〉の熱閃が、構造体の間をひしめく異影たちを貫いた。

 群がる異影たちは《闇騎士》に立ちはだかることもできない。行く手に立ちはだかると同時に、白い光に灼かれ蒸発していく。

 新たな構造体に足を掛けたとき、炎が爆ぜた。《闇騎士》がかろうじてそれを回避したとき、〈大鴉〉の眼が、遙か彼方にその姿を捉えた。

 赤い光を背に、《神聖不可侵サンクトゥリオ》の六翼の影が浮かび上がっていた。


     ◆


「くそっ!」

 機体内部でアデルは舌打ちした。

 半壊した装甲。複数ネイオス喪失。空力を失い、制御の効かない螺旋状の自由落下へ。

 回転する視界の中、黒い群れが近づいてくるのだけがはっきりとわかった。

 リーズリースの掩護どころではない。墜落死ならまだいい。このままでは何かにぶつかる前に異影に食い尽くされるだろう。

 機体の再構成。

 胴部ネイオスに〈風〉を召喚、最低限の機動力を確保する。

 だが、それが間に合うのか?

「やるしかねえだろうが!」

 アデルは操縦桿を握りしめた。

 眷属送還。魔力場再展開。胴部ネイオスに意識を集中……。

 異影の接近は想定より早い。黒い埃が周囲を覆い尽くし、そして、無数の槍を……。

 虹のような閃光が瞬いた。

 どこかから現れたそれは周囲の異影を消滅させ、アデルの再構成の時間を作り出した。

召喚コール!」

錬金術師・灼風アルケミスト・シロッコ》再構成。再び召喚機に翼が戻り、機体は失速から滑空へと移行した。

 戻った視界の中、上空へと昇っていく召喚機の姿がわずかに見えた。

 あの機体は……。

 虹色の機体はすぐに異影の帳に覆われた。出力が定まらない《錬金術師・灼風》は迫る異影たちの迎撃に追われ、それを見送るしかなかった。

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