八、『神聖不可侵』・2

    2


『正召喚士たちは今のうちに休息をとってくれ。〈世界樹ユグドラシル〉の結界はしばらく保つと思うから。すまないがその他の者は協力して機体の修理を頼む』

 リーズリースはおそるおそる《黒騎士ブラック・ナイト》の構成を解き、ハッチを開けた。

 そこはドームのような空間で、どこかバロークの大聖堂を思い起こさせた。広く、高く。ガラスのように透き通った緑色の壁が周囲を取り囲み、合同部隊の召喚士や召喚機、資材を受け入れるだけのスペースを確保していた。

 透明の壁の向こうでは、この静寂が嘘のように、異影たちが今も攻撃を続けていた。奈落を漂う浮島から、空中から、この巨大樹に蟻のように群がっているが、幹は堅硬で、侵入を許していない。

 ドームの半透明の床に降り立った。

 離れたところにアデルとアイシャの姿を見つけた。機体を整備に向かう准召喚士たちと入れ替わるように双子のところへ行くと、相似形の呆けたような表情を浮かべていた。気持ちはわかる。自分だって同じ顔をしているのだろう。

 地面がわずかに揺れ、リーズリースは我に返った。リードマンの姿を探したが、この空間のどこにも見当たらない。

「リードマン教授!」

 リーズリースは空間に叫んだ。

「どこにいるんです!? どうしてここに!? これは一体、どうなっているんです!」

『あーあー、待った待った』

 どこからかリードマンの声が返ってくる。

『どこから話したらいいものか。今、ここで、何が起こっているのか。話し出すと長くなるし、そもそも正確なことは私にもわからない。今から話すことは私の調査からなる事実とそこから導き出された推測からで成り立っている。正しいかどうか、それは後年の検証が必要だろう。まあ、推測とは言ってもその精度はかなりのものだと自負はしているが。とにかく、情報がなければ作戦も立てられない以上、現在必要かつ確かだと思われる情報を君たちに提示していこう』

 長い前置きのあと、話はさらに回り道に入った。

『召喚機の原型となったのは古代の神殿だというのは知っているかい?』

「……え?」

 呆気に取られる召喚士たちに、リードマンは講義でもするかのように語り始めた。


    ◆


 君たちも古代召喚術という言葉は知っていると思う。

 そう、神殿の巫女が神の予言を承ったという、あれだよ。

 選ばれし巫女シヴィラの膨大な魔力な代償とし、聖域に安置された神体ネイオスに異世界の存在を顕在化させる。現代風に言うなら、高位存在から『情報』という要素を抽出したものが予言というわけだ。

 ここまで言えばもうわかると思う。

 巫女と神体の関係は、召喚機における操縦者と憑霊器とに置き換えられる。神殿の機能を小型化し、移動可能にしたのが召喚機なんだ。

 その原理を発見したのが、知の精鋭たち『三賢会議』だ。

 百年前、三大陸から集められた賢者たちは各地に伝わる召喚術を精査するうち、神体に内在する制御システムを解明した。古代では魔力の容量に収まるように高位存在の力を制限したわけだが、彼らは魔力容量を使い、低位存在の力を増幅させ、高出力化させることに成功した。近代召喚術の結晶、憑霊器ネイオスの誕生だ。

 さて、その研究はもう一つの副産物をもたらした。

 世界各地の遺跡で行われていた古代召喚術は原理を同じくしていた。

 そうなると一つの可能性が浮かび上がる。

 三大陸の古代召喚術のシステムは源流を一つにしているのではないか。ネイオスが神体をモデルにしたように、神体のモデルとなったものが存在したのではないか。かつて、神が人類に与えたという鍵。太陽や月、海や川、あらゆる存在を呼び出す始祖召喚術。神話の中の出来事は本当にあったことではないか。

 召喚術の素養がある者なら、もう、この空間の違和感に気付いているはずだ。実際のところ、この高地は破壊されているわけではない。二つの世界が重なり合っているためにそのように感じられるだけだ。

 上を見てごらん。あの光の源、異常な魔力の波動を感じるだろう。

 あそこにあるものこそが原初召喚術の制御装置、『モノリス』。

 エミリオ・サルトリオはあれを使い、異なる『世界』そのものを呼び出そうとしているんだ。


    ◆


 ウィルは悪夢を見ているような気分だった。突如、大人の口からおとぎ話の存在が飛び出し、それが今、目の前に実在しているというのだ。

「まあ、急に信じろと言っても無理だろう。三賢会議はその仮説を秘匿したから、公には誰もその存在を認めてない。でも、目の前で起こっていることは君たちにも否定はできないはずだ」

 語り続けるリードマン。その姿も悪夢の中の登場人物のようだった。

 とても生きているようには見えない。精霊塔の石窟のような空間。晶石から放射される緑色の光に照らされ、リードマンは眠ったように目を閉じ、石に手をかざしていた。

 二番精霊塔の安置室。結界用の晶石をわずかに手を加えただけで即席のネイオスを作り上げ、それを使い、高地を覆うほどの純化召喚を行使しているのだ。

 あの瀕死の肉体のどこから、これだけの魔力が放出されているのか。

 これが佰候召喚師の力なのか。自分には触れることさえできない世界の戦いなのか。

 ウィルは傍らに控えたまま、ただその様子を見つめているしかなかった。知らず知らず、両手は祈りを捧げるように組み合わされていた。

「世界そのものを呼び出す。それにはどれだけの膨大な代償が必要となるか。エミリオ・サルトリオがこれを作り上げるまでにどれだけの年月と代償を捧げてきたか。帝国領・サルトリオ領問わず、相当数の人間が代償として捧げられたはずだ。数千、あるいはそれ以上。そして、それが今、我々が存在している理由でもある。彼はいつだって我々を全滅させる力を有している。そうしなかったのは我々を生贄に捧げたかったからに他ならない」

『嘘です!』

 どこからか、嗚咽混じりの絶叫が聞こえてきた。

『師団長がそんなことを……!』

「信じたくない気持ちはわかる。しかし、モノリス起動に必要な過程と彼の行動とは一致している。ことの起こりは六年前。レコンキスタの最中、彼は高地地下でモノリスに遭遇したと推測される。決断はそのときになされたはずだ。彼は領地を整理し、周囲から他の召喚士を遠ざけた。これは召喚院の目から天涯回廊を覆い隠すため。領地に多数の難民を受け入れたのは贄として捧げるため。帝国の佰候召喚師との調停戦も裏で取引があったはずだ。ここが国境になったのは偶然ではない。帝国領の人間も贄として引き入れると同時に、国境線で分断することで誰にも正確な状況が分からないようにした。そうやって、少しずつ、秘密裏に、贄を捧げていったんだ」

 リードマンは記憶を探るように上を見やった。

「状況に変化が起きたのは一ヶ月前。高地にあった召喚機の残骸と異影の発生から見て、契機となったのはエディ・ジャマールの動きだろう。彼らは領内の異影の発生に異常を察知し、サルトリオの隠された真意を探るために高地へと入り込んだ。召喚機の残骸を見るに、彼らも生贄になったのだろう。そうなった以上、天涯回廊の異変はいずれ帝国召喚院、そしてバローク召喚院の知るところとなる。だから、サルトリオは段階を進めた。天涯回廊全域での異影の大量発生だ。そして自らバローク召喚院へ救援を求めた。偽情報を流して時間を稼ぎ、バローク召喚院が真相に辿り着く前に、可能な限りの贄を捧げる」

 リードマンの屍のような肉体が、息を吸うように、一度、大きく上下した。

「さて、問題はこの後、何が起こるのかだ。サルトリオは最早、何も隠そうとしていない。モノリスによる大規模召喚は間近に迫っているのは間違いない。その結果、何が起こるか。私に出来るのは贄に捧げられた規模からどれだけの異変が起こるのか推定するだけだ。この大規模召喚は最低でも天涯回廊、さらには西大陸の一部を壊滅させるだろう。ここと同じ状況が、半径三〇〇キロを飲み込むということだ」

 いつしか、向こう側から聞こえてくるざわめきが消えていた。誰もが言葉を失っていた。それは、ウィルのよく知っている感覚だった。

 自分のあまりもの無力さに、何も言えず、ただ、この世界を支配するものに祈りを捧げることしか出来ない、この感覚。

『どうすればいいんです?』

 空間に声が響いた。その声を聞き間違えることはなかった。リーズリースは向こうからリードマンへと尋ねた。

『私たちはどうすれば? これを止める方法はあるんですか?』

「方法はある」

「駄目です!」

 ウィルは叫んでいた。

「危険です、リーズリース! ここから逃げないと……!」

 わずかにリードマンの手が動くと同時に、背後の壁が蠢いた。

 壁から突き出した幾本も根。それらは瞬く間にウィルの全身を覆い、壁の中へと引き摺り込んだ。


    ◆


 リードマンの声が途切れた。

「……教授?」

『……失礼、ちょっと考え事をしていてね』

「あるんですね、方法が?」

『制御装置であるモノリスを破壊すればいい。あの大穴の中にある、魔力の根源だ』

 リーズリースは半透明の防壁越しに上空を見上げた。天を覆う大地、そこに開いた巨大な大穴から禍々しい赤い光が漏れ出していた。

「破壊可能なのですか?」

『可能なはずだ。神体の原型である以上、その組成は晶石に近いはずだ。もちろん次元干渉性の高い同位体の存在比は非常に高いはずだが、それによって硬度に影響を与えるほどではなく、却って不安定な存在だと……』

「?」

『失礼。まあ、壊せるからこそ過去に失われたし、また、サルトリオも秘匿し続けた。今もこちらへの攻撃を止め、モノリスの防衛に備えているのはその証左だろう。一番の問題はそこだ。モノリスを破壊するためには彼の[神託オラクル]の予想を超えなければならない』

 その解決策をリードマンはすでに用意していた。

『しかし、こちらには切り札がある。彼は私の召喚術を知らない。だから予測しようがない。だから、誰かが彼に大きな負荷を掛けた上で私が攻撃を仕掛ければ勝機はあるはずだ』

 次に続く言葉はリーズリースにもわかった。

「囮になれというのですね? 教授がモノリスを破壊する隙を作れと?」

『察しがいいな』

 向こう側でリードマンが笑った。

 空間が静寂に包まれた。召喚士たちは黙ったまま、リードマンの言葉の続きを待っていた。リードマンも沈黙していた。誰かの言葉を待つかのように。

 最初に口を開いたのはリーズリースだった。

「アデル、アイシャ。召喚機の状態は?」

 はっ、と双子が我に返った。

「……ネイオスが一基怪しいが戦闘機動はできる」

「……こっちはネイオスが過負荷ぎみだけど少し休ませれば何とか」

「第三師団、第五師団の現有戦力は?」

 離れた場所にいた正召喚士たちがこちらにやってきた。

「第三師団の召喚機は大破一機、中破二機、あとは無事なキャリアが数台。完全な戦闘行動は不可能だ」

「うちの機体も似たようなものだ。武装用ネイオスが破壊された機体が二機。……もう一人、ファン・メイヤンは機体ごと行方不明だ」

 目の前で起きているのはこれ以上ない悪夢だった。

 きっと自分たちは助からない。そして、自分たちを贄にして『異海』がこの世界を飲み込もうとしている。今まで暮らしてきた世界を、関わりあった人々を全て黒に染め上げようとしている。

 そんな未来を示されながらも、リーズリースは不思議なほど自分が落ち着いているのに気付いた。

 それは確信だった。

 今まで生きながらえたのは、このときのためにあったのだ。

 私はいま、このとき、命を捧げるために召喚士となったのだ。

 リーズリースは空間を見上げ、リードマンへ告げた。

「私が囮になります。指示をください」

『よろしい。それでは作戦を伝える』

 リードマンの声は、召喚士たちへと作戦を伝え始めた。

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