七、『女帝の栄光』・4
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高地の上空。二機の召喚機が対峙した。
《
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大陸最高峰『
かたや、黄金の輝きに満ちた機体。
かたや、白磁器のような静けさを湛えた機体。
それは対称的でありながら、どこか相似形でもあった。美しさと、その内部に秘められた破壊の力。
六翼の天使の周囲に、星のようにいくつもの光が瞬いた。その光は流星のように散り軌跡を描くと、瞬く間に太陽のような熱量をもって迫ってきた。
《神聖不可侵》の武装、[熾天使の剣]。
「〈
《女帝の栄光》が黄金の軌跡と化してその場から消えた。
同時に《女帝の栄光》のいた空間を流星群の爆発が覆い尽くした。〈不羈の鹿〉の脚が描く金色の軌跡を、複数の光が追いすがり次々と爆発する。
〈不羈の鹿〉が空中を蹴る度、背後で爆発が起こる度、操縦席を衝撃が揺らす。
回避行動を続けながら、アンティオペーは[共有感覚]によって機体状況を確認した。
右腕ネイオス消失。爆発により装甲、骨格は吹き飛び、導霊系は露出している。だが、戦闘に問題はない。アーゲン・ドールの導霊系にはいくつものバイパスが用意され、この程度の損傷率では魔力場を展開するのに支障はない。
「〈
回避行動を続けながら機体を再構成。左腕ネイオスに再び、九首の大蛇が顕在化する。
「食らいつけ! [ノウェル・フラゲイル]!」
左腕が爆発的に膨張する。顕在化した九匹の蛇が九の軌跡を描き、空間を埋め尽くすように次々と襲いかかる。
《神聖不可侵》が機動を開始する。上下左右、舞うように上空を移動しながら、新たに[熾天使の剣]を放つ。《神聖不可侵》の周囲に青白い光が瞬き、蛇たちと衝突する。
[熾天使の剣]の結界と〈不撓の水蛇〉の再生。
終わりのない攻防の中、アンティオペーは操縦席で笑みを漏らしていた。
当たっていない。
有効打撃かどうか、そんな問題ではない。こちらの攻撃は掠ってさえいないのだ。
爆発を掻い潜り、踏み込もうとする《女帝の栄光》の眼前に、さらに流星の群れが壁となって現れる。
「〈
金色の鬣が全身を包み込む。直撃だけは避け、爆風を強引に突き破る。
だが、火球の包囲網を抜けた頃には、すでに《神聖不可侵》は戦闘開始前と同じ距離を嘲笑うかのように飛行していた。
奴の召喚機に与えられた構成名、その由来にまつわる噂話をアンティオペーは思い出していた。
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ゆえに《
◆
エルザたちが北砦へと辿り着いくと、城壁から准召喚士が叫んでいた。
「何があったんだ!?」
エルザは機体の腕から降りると、准召喚士たちに指示を伝えた。
「師団長が出撃してるのか? 一体、何と戦っているんだ!」
「異影です!」
「異影? たかが異影でどうしてこんな……」
「話は後です! とにかく撤退の用意を! 召喚機部隊が戻り次第、高地から……!」
言いかけ、エルザは絶句した。
いつの間にか霧が晴れ、北側の外輪山が垣間見えていた。
その頂を、残雪のように、黒いうねりが染め上げていた。ゆっくりと山肌を雪崩れ落ちていくその黒からは、埃のように無数の何かが噴き出してくる。
黒い海が、『異海』の奔流が目の前に迫っていた。
◆
高地を浚うような数分間の破壊。
それが不意に止んだとき、二機の召喚機はいまだ顕在だった。
《女帝の栄光》は地上に、《神聖不可侵》は上空に、戦闘開始時と変わらぬ姿で存在していた。
手を止めたのは魔力切れのため、などではなかった。佰候召喚師ともなれば数時間でも、あるいは数十時間でも、戦い続けるだけの持久力は持っている。
生涯、幾度かあった調停戦。その召喚機同士の戦いの最中、何故だか、こういう凪が起こることをアンティオペーは知っていた。
結局のところ、ここまではお互いに手の内を探り合っていただけなのだろう。相手の構成を読み、機体の能力を推定し、確実に倒すための手段を見いだす。
召喚士同士の戦いはこれからなのだ。
額に汗が滲んでいた。久方ぶりの戦いの熱。久方ぶりの脈動する心音。
いつ以来の緊張感なのか。はじめて異影に立ち向かったときか。佰候召喚師となるために調停戦に挑んだときか。そのいずれもこれほどまでの焦熱ではなかっただろう。
いつかこんな日が来る。可能性は考えたことがあった。召喚院協定の枷を外れ、佰候召喚師との戦争が起こるとき。同僚たちを仮想敵として、彼らといかに戦うか、思考を弄んだこともあった。
それが今、ここで、真に命のやりとりになるとは。
意識のどこかで、そのようなことは起こりえないと考えていたのだと、この場に至ってはじめて気付いた。そしてその一点で遅れをとっていることを認めなくてはならなかった。
サルトリオの本物の殺意。それに応じることが自分に出来るかどうか。
「よくもやってくれたな。新調したばかりの機体をキズモノにしおって」
アンティオペーは合成音を使って語りかけた。
「いくら掛かったと思ってるんだ? お前の領地からの上がりでは修理代も賄えないぞ」
返事はなかった。
アンティオペーは一瞬、あの機体が何者かの擬態ではないかと疑い、すぐにその考えを捨て去った。
本物か偽物かなど、この場においては何の意味も持たない。
あの《神聖不可侵》の形をしたものは佰候召喚師と同等の力を持ち、明確な殺意をもって目の前に立ちはだかっている。
そしてもし、リードマンの言っていた『
「しかし見直したよサルトリオ。ようやく野心らしい野心を見せたじゃないか」
返答はない。アンティオペーは言葉を続けた。
「帝国領の連中はどうした? 砦に機体の残骸があったな。お前がやったのか?」
返答なし。
「これでお前は何を得る? 世界でも手に入れるつもりか?」
貴女とは違う。
己の欲望に取り憑かれたために、他者もそのようにしか量れない。
突如、頭の中に思念が鳴り響いた。だが、今回の[告知]はより感情の起伏が消えたものだった。
「ほう。では、貴様は何のためにやっているのだ」
世界をあるべき姿へと戻すため。
「は! この世を自分の好みにしたいなんていうのは、強欲の極みというものだ。帝国領を敵に回し、バローク召喚院を敵に回し、お前の後ろ盾は余程のものらしいな」
我が頭上には主あるのみ。主の導きのまま。
「では、その主とやらも大層強欲なのだな」
返答なし。
代わりに《神聖不可侵》に変化が起きた。周囲に浮かぶ、無数の星。
「問答無用というやつか」
操縦席でアンティオペーは笑った。
やはり、奴は『向こう側』の存在に触れたのだ。
それはエミリオ・サルトリオという存在が、永遠に、不可逆的な変異を遂げ、離反者となったことを意味する。
だとすれば、私の為すべき事は一つしかない。
今、ここで、お前を滅する。
「だが、どうやって決着をつける気だ? このままでは幾日かかるかわからんぞ?」
アンティオペーの予想通り、《神聖不可侵》は沈黙したまま、白熱するの星々に囲まれ、上空を漂っている。
ここまでの戦闘で、アンティオペーは《神聖不可侵》がどのような機体であるのか、嫌と言うほど体感することができた。
天使たちの三次元機動力。[神託]による攻撃予測能力。[熾天使の剣]による攻防一体の爆撃。
《神聖不可侵》の名の通り、こちらの攻撃は一撃も当たっていない。こちらの繰り出した鞭の嵐の中、白磁の機体は傷一つなく、凌ぎきっていた。
一方で、《女帝の栄光》はいくつか爆風を受けてはいた。だが、そのいずれも〈不刃の獅子〉の防御力の前に致命傷にはなっていない。
《神聖不可侵》の火力はさほど大きなものではない。典型的な防御・回避型の召喚機。確実に致命傷を避け、確実にダメージを与えてくる。堅実なサルトリオらしい機体だ。
ここまでは互角。というよりも、お互いに決定打がない状態だ。
だとすれば、勝敗を分けるものは……。
今のところアンティオペーも、おそらくサルトリオも、四体の眷属で戦っている。佰候召喚師は誰もが奥の手を隠し持つか、少なくとも持っているように周囲に思わせている。召喚院や他の佰候召喚師に対して自分の力を量らせないことが、立場を優位に保つカードの一つだった。
それとは別に、第五要素には魔力的な制約もあった。
契約によって門を魂に宿すことは術者に大きな負担を掛ける。門同士の反発のために、契約の数に応じてその負担は指数関数的に増えていく。たとえ佰候召喚師であっても、全力で戦うことが出来る時間は限られてくる。
こちらの切り札を先に見せたくはない。だが、それなしで倒せる相手ではない。
どこかで決断が必要だった。
「……やむを得まい。貴様への餞に私の全力を披露してやろう」
左腕の蛇たちが口を開いた。伸ばした舌先に乗っていたのは、砕かれた晶石だった。戦闘の最中、拾い集めたネイオスの欠片。
「
アンティオペーはロッドを握り込んだ。
「〈
胸部ネイオスに新たな門が宿る。機体が振動し、導霊系を巡る魔力がさらに強く、速く流れていく。
やがて、操縦席に顕在化した球体が現れた。
心臓ほどの大きさの、黄金の球体。
不死なる力。
アンティオペーはそれを一息に飲み込んだ。蛇のように喉が、胸が膨らみ、腹に収まった。
口から溢れ出す黄金の光、それはアンティオペーの全身を包み、さらに召喚機へと伝わり、眷属たちにまで達する。
機体のフレームが変形し始める。溶けた金塊のようにそれは脈動する。破壊されたはずの右腕を伝わり、新たな腕を、新たなネイオスを再生した。
過剰なまでの生命の力がアーゲン・ドールを不可逆な変化へと導く。こうなれば二度と使い物にはならない。アンティオペーの魔力が尽きれば機体は崩壊してしまうからだ。
《
「さらばだ。エミリオ・サルトリオ」
再生した右腕が蠢き、九つの軌跡となって《神聖不可侵》に襲いかかる。
《神聖不可侵》は迎撃に動いた。流星が瞬き、次々と蛇の頭を直撃、爆風を巻き起こした。
爆発の中から、再び、蛇の頭が突き出た。
一つの首から、二つの首が。二つの首から、四つの首が。四つの首から八つの首が。八つの首から十六の首が。十六の首から三十二の首が、三十二の首から六十四の首が、百二十八の首が、二百五十六の首が、五百十二の首が、千二十四の首が……。
[熾天使の剣]に迎撃されるたび、黄金の蛇は分裂し、再生し、空間を埋め尽くしていく。
無数の蛇により組み上がった巨大な檻。それは完全に《神聖不可侵》を包囲していた。
「[メデューシス・フラゲイム]!」
檻から、蛇の群れが一斉に《神聖不可侵》へと襲いかかった。
再度、六翼の天使から流星が放たれる。
「もう遅い!」
もはや、逃れる術はない。
どれほど〈不撓の水蛇〉を迎撃しようと〈不死の林檎〉によって与えられた生命力はその破壊を凌駕する。《神聖不可侵》に残された道は、ただ生命の奔流によって押し潰されるのみ。
そのはずだった。
強烈な違和感がアンティオペーを襲った。その正体に気付くまで、数瞬だった。手応えがない。振るう鞭にあるはずの爆発、それがなかった。
当たっていない。
〈
無数の流星は蛇の攻撃圏を掻い潜ってきていた。〈不撓の水蛇〉に迎撃を命ずる。
当たらない。
相打ち覚悟の突進を、流星は自ら意思を持つように回避し、こちらへと向かってくる。蛇たちはお互いに頭を打ちつけ、あるいは絡み合い、自縄自縛となって転がる。悪夢のような喜劇。
気がつけば流星が檻をすり抜け《女帝の栄光》を包囲していた。天道に並ぶ星座のように、中心の《狂気に至る女帝》を照らしている。
馬鹿を言うな。一体、何が起こった?
残念でならない。
あなたを贄にできないとは。主に捧げることができないとは。
「勝ったつもりでいるなよ!」
魔力を装甲へと注ぎ込む。〈不刃の獅子〉の黄金の装甲は分厚く、もはや球形ともいえるほど膨らんだ。
流星が衝突する。直撃ではなかった。それはアンティオペーの眼前の空間に次々と集まっていく。
これは神が創りし火。天を征く原初の光。
寸分の狂いもなく。数瞬のずれもなく。光は一点へと集中していく。
あの膨大な体積、破壊力が、わずか林檎一つの大きさへ、そこからさらに集中していく。
アンティオペーは悟った。サルトリオはこの高地ごと、私の全てを消滅させる気なのだと。
地上の召喚士たちの存在が脳裏を過ぎった。
受けきらなくては。受けきれるのか? 受けきるしかない!
アンティオペーは魔力の全てをロッドに注ぎ込み、目の前の太陽に覆い被さった。
そして、最後の声を聞いた。
光あれ。
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