七、『女帝の栄光』・2

    2


 午後になると霧が深まってきた。

白鳥の騎士ローエングリン》エルザ・ノイシュは注意深く、南への経路を飛行していた。

 視界はほとんど効かない。眷属の聴覚・平衡感覚を頼りに、エルザは姿勢を制御していた。岩山に衝突して墜落など、同僚たちの前では絶対に見せられない。

「駄目だ。上からでは何も見えない。そちらはどうだ?」

[拡声]を使い、地上からこちらを掩護をしているはずの二機の召喚機へ呼びかけた。

『今のところ異影の気配はないな』

『同じく。精霊塔は無事に機能してるみたいだ』

 地上からの応答。同じ第三師団相手なので、意思疎通もスムーズだった。

「そろそろ十六番精霊塔が見えてくるはずだ。注意して見ていてくれ」

『了解』

 第十二師団在籍時、エルザもこの高地の制圧作戦に参加していたはずだったが、記憶はだいぶ怪しかった。ほとんど初めての土地のようだ。せめて外輪山が見えれば現在地に見当がつくのだが……。

 やがて召喚機の感覚群が、地上に目標の突起物を捉えた。

 ゆっくり高度を落としていくと、尖塔のような奇岩を視覚でも確認できた。

「これから精霊塔の機能を確認する。掩護してくれ」

 僚機が地上の安全を確かめてから、エルザは精霊塔前の平地へと機体を着陸させた。

 召喚機から降り、精霊塔を見上げた。全高十メートルほど、ここにあった奇岩をくりぬき、そのまま精霊塔として利用している。吝嗇家のサルトリオらしいものだった。

 扉は潮風で錆び付いたまま放置されていた。

 かつてはレコンキスタの最前線であったものが、征圧が進むにつれ重要性を失い、徐々に朽ち果てていく。大陸のあちこちで見た光景だった。

「〈聖槍〉召喚」

 念のための武装を携え、エルザは扉を開いた。

 槍の発する光が内部の空間を照らした。砂埃が舞う中、壁面に設置された階段を上がっていく。

 そして、上階には二メートルほどもある晶石が安置されていた。加工され、異影の顕在化を妨害する魔力場を発生させている。

 U字型の検査器具をかざす。先端は成形された晶石で、精霊塔が正常に魔力を放射していれば、反応して光と音を発生させる。

 異常はないようだった。器具が共鳴し、低い唸りが精霊塔内部に響いた。

 エルザは召喚機に戻ると、仲間たちに告げた。

「精霊塔異常なし。次に行くぞ」


 第三師団は高地西部の精霊塔をチェックしながら南へと向かっていた。

 西側は異影とも帝国召喚院とも遭遇する確率が高い。最も危険な場所は、最精鋭たる自分たちが向かうべき。それがディアドラ・アンティオペー麾下、第三師団の自負だった。

 だが、ここまで異影の気配は微塵も感じられなかった。

 ここまでの精霊塔はどれも正常に機能している。魔力場が展開している以上、異影の発生確率はゼロに等しい。

 だとすれば、やはり異影発生の原因は帝国領にあるはずだ。

『こちら《王友戦騎ヘタイロイ》。上から帝国領の様子はわからないか?』

「霧で[望遠]が利かない。他の索敵もこの距離では……」

『どうだ。我々で一足先に帝国領に踏み込んでは?』

「駄目だ。我々の判断で協定を破るわけにはいかない。師団長からの指示を待て」

『了解した。通信を終わる……待て』

 アントニウスから制止が入った。

「何か動いた。山側だ」

「……何?」

 エルザは機体を旋回させ、感覚群を地面に向けた。今のところ反応はない。

「《重装槍兵ファランクス》、そちらからは何か見えたか?」

『野生動物じゃないのか? こちらからは……いや、見えた。小さいな。異影だとすれば第二級だ。まずいぞ……境界に向かっている』

 にわかに緊張が高まった。動悸を押さえつけ、エルザは指示を出した。

「私が先回りする。帝国領に入り込む前に挟撃する。これより音声通信は禁止だ」

 了解のサインが出ると、エルザは《白鳥の騎士》を加速させた。

 構成を調整し、感覚器官に魔力を注ぎ込む。

 いた。

 ちらり、と黒い影が見えた。渓谷を縫うように南へと向かっている。

 多足歩行、第二級アラクネ型。

 期せずして、絶好の位置を占めていた。《白鳥の騎士》は異影と併走するように、頭上後方を押さえていた。

 ここで仕留める。

「〈聖槍〉召喚」

 機体の右腕ネイオスに光が宿った。機体制御、照準設定。《白鳥の騎士》は低空飛行へと移り、一気に渓谷へと飛び込んだ。

 繰り出した槍が異影を貫き、あっさりと霧散させた。

 操縦席の中で安堵の息を吐くと、通信のために構成を整える。

 機体の感覚群が一斉にざわめいたのはそのときだった。

 反射的に振り向いたその先に、蠢く黒い壁が迫っていた。


    ◆


 同時刻、メレナ高地東部。


 静か過ぎる。

 岩山の頂に静止した《キマイラ》の操縦席。メイヤンは眷属たちの感覚を駆使して地上の様子を探っていた。霧のために[熱視]を含め視覚はあまり役に立たないが、他の有り余る感覚器官が状況を把握していた。

 今のところ、特異体どころか、異影そのものの気配さえない。

 当然と言えば当然のことだった。

 東側の精霊塔は全て機能している。もっとも近い『異海』はここから高地を横断し外輪山を越えたさらに外側、十数キロの沖合にある。完全に影響圏外だ。異影が顕在化する確率は、晴天のうちに雷に打たれて死ぬ確率より低い。

 だが、この胸騒ぎはなんだ?

 五感を超えた何かが、メイヤンに危機を伝えてくる。

『メイヤン、何をしている?』

『遅れをとるなよ。境界への到着が遅れれば、また第三師団がでかい顔をする』

 地上から、精霊塔の点検を終えた二機の両機が、こちらへ呼びかけてくる。

「…………」

 同僚二名の通信に無言で応え、メイヤンは機体を舞い上がらせた。

 そのとき、彼方から地面を震わせるような爆発音が聞こえてきた。

 方角を見定める。外輪山の反響で正確な位置はわからないが、西側であることは間違いなかった。

「[朱雀眼]」

 眷属に命じそちらの方角を凝視するが、霧で何も見えない。と、霧の中を木霊のような音が響いた。

『こちら第三師団……! 救援を求む……! 異影の攻撃を……!』

 それは途切れ途切れであったが、眷属たちの鋭敏な感覚はその言葉をはっきりと聞き取った。

『異影?』

『っ……。何が最精鋭師団だ』

 ツーロンとユーユイが口々に言った。

『どうする?』

『助けに行くよりあるまい。俺とメイヤンは先に行く。一人で平気か?』

『馬鹿にするな』

『よし。……メイヤン! ついてこい!』

 言うやいなや、ツーロンの機体が赤岩を駆け上がり、そのまま猿のごとく、まっすぐ西へと向かい始める。メイヤンも無言のまま、西へ向けて機体を翻す。

 肌が粟立つような感覚が全身を覆った。

 眷属たちと共有した感覚に膨大な情報が送り込まれ、一瞬、震えのような恐慌を引き起こしたのだ。メイヤンは瞬時に感覚を絞り込み、反応の出所を探った。

 霧が立ちこめた無数の渓谷。そこに蠢く無数の何か……。

「ツーロン! 下がれ!」

「何……?」

 返事が待つ間もなく、《鵺》は反転し地面に向かって急降下した。

「『玄甲盾』!」

 左腕ネイオスに宿った〈玄武〉が巨大な黒い盾となって現出した。《鵺》は蝿を叩き落とすようにツーロンの機体を背後に弾き飛ばす。

「!」

 直後、霧の中から突き出た無数の黒い槍が《鵺》を襲った。


    ◆


 同時刻。メレナ高地中央部。


「…………?」

黒騎士ブラック・ナイト》の操縦席で、リーズリースは異様な感触に襲われた。

 それがどこから発しているものなのかわからず戸惑ったが、やがて、それは[感覚共有]によって持たされた〈デュラハン〉の意思なのだと気付いた。

 オスカーが昂ぶっている。

 はっきりと言葉にはできない、漠然とした不安のようなものが、オスカーから流れ込んでくる。

大鴉ブラン〉の視覚に集中した。

《黒騎士》は第四精霊塔から離れた丘陵で警戒を続けていた。霧は出ていて、精霊塔は朧気にしか見えない。

 操縦席の中で耳を澄ませる。

『ほら、着いたぞ』

『着いたぞ、って何よ? あたしに見て来いって言ってんの?』

『俺は上から警戒しなきゃなんねーんだよ』

『上からつったって霧で何も見えてないでしょうよ』

『見えないなりに何とかできんの、オレは』

『はあ?』

 聞こえてくるのは双子が[風声ウィンド・ボイス]でやり合っている声だけだ。ここまで来る間も異音などは捉えられず、高地は静かなほどだった。

 物思いに耽っていると、機体が勝手に動き出していた。集中が不十分だったのか。リーズリースは慌ててロッドを握り直し、〈デュラハン〉に呼びかけた。

「落ち着いて、オスカー」

 だが、〈デュラハン〉から伝わってくる不穏な感覚はいよいよ強くなっている。

 一体、どうしたとのいうのか。〈デュラハン〉が何に対して脅威を感じているのか、それがわからない。

『ちょっとリーズリース! あんた他人事みたいに突っ立ってんじゃねーわよ! 次はあんたの番だからね!』

 アイシャの[風声]が届く。彼女はすでに降機して、精霊塔の入り口からこちらに怒鳴っていた。

 がくん。

 機体が震えた。《黒騎士》が精霊塔に向け、勝手に動き出す。

「オスカー、止まりなさい」

 リーズリースはロッドを握り絞め、制御に集中する。

 動きが止まらない。懸命に力を込めているのに、枷を無理矢理振り払うように機体は動き続ける。

「オスカー、やめなさい……! やめて!」

 強制送還……!

 機体へ流れている魔力を途切れさせ、強制的に門を閉じる。魂への負担が大きく、制御が効かなくなるため非常に危険だが、止む得ない。リーズリースはロッドから手を離した。

 腕が動かない。

 ロッドから手を握り返されているように、手が離れない。体に宿った何かが、機体から離れようとするのを拒む。

〈大鴉〉の視界の中で、アイシャの怪訝そうな表情がはっきりと見えた。

『何? またなんか文句あるわけ?』

「駄目! それは敵じゃ……!」

 全てがゆっくりに見えた。

《黒騎士》は堅牢な腕を振りかぶり、アイシャのいた場所に拳を打ちつけた。

 轟音。視界を覆う砂煙でアイシャの姿は見えなくなった。

 体の中が氷のように冷たくなったのを感じた。

 なんで? どうして? 今までこんなことはなかったのに。

 頭の中に、強烈な意思が流れ込んできた。

 戦え! 戦え! 戦え!

〈デュラハン〉の言葉にならない叫び。

 一体誰と? アイシャは仲間だ。敵じゃない。

《黒騎士》の動きは止まらなかった。見ることしか出来ないリーズリースの目の前で《黒騎士》は肩から精霊塔へと激突する。それから……。

 無数の黒い槍が霧の中から降り注いだのはその時だった。

《黒騎士》の装甲に攻撃が降り注ぐ。強い衝撃がリーズリースを襲ったが、オスカーが防御を固めていたのか、何とか耐えきれた。

 直後、周囲で爆発が巻き起こった。霧が吹き飛ばされ、視界が赤く染まる。上空からアデルの[風声]が届いた。

『敵襲だ敵襲! 方位……ええと、南からだ!』

『い、い、い、言うのが遅いっての!』

 その声でリーズリースは我に返った。《黒騎士》の腕の陰で涙目のアイシャが怒鳴り返していた。《黒騎士》と精霊塔が防護壁となり、異影の攻撃からもアデルの攻撃からも遮られていた。

 安堵と緊張が一度にやってくる。リーズリースは何とか集中力を維持し、アイシャの盾となって注意を南に向けた。

『だからしっかり見張ってろって言ったじゃないの! この馬鹿血族!』

『この霧だぞ! オレじゃなかったら見逃してたわ!』

『さっき欠伸してたでしょーが! この馬鹿!』

『いいからさっさと機体に戻れ! 愚妹!』

 まだ言い争いをやめない双子へ、リーズリースは叫んだ。

「そんなことを言ってる場合ですか! 今は戦闘態勢を……!」

 不意に、三人の言葉が止んだ。

 爆風による上昇気流が一瞬、霧を巻き上げ、周囲の景色を露わにした。

 試験機部隊は境界へ迫っていたはずだった。そこには境界線を示す印として、高台に建てられたモニュメントがあるはずだった。

 そこにあったのは黒い台地だった。

 その黒は絨毛のような輪郭を創り出し、ざわざわと蠢いていた。

 リーズリースの手が震えていた。目眩がした。知らないうちに呼吸は浅く、細かくなっていた。

 あの日の光景が重なった。

 岩山の上に、渓谷の陰に、断崖の肌に。

 見渡す限りの大地を、無数の異影が黒く染め上げていた。


    ◆


 最後の一針を通すと、意識が遠のいた。

 血管。臓器。筋組織。皮膚。

 壊れた人形のかたちを、なんとか押しとどめるように。ウィルと妖精たちはリードマンの体を縫い合わせていった。

 何分かかったのか、それとも何時間だったのか、ウィルには分からなかった。はっきりしているのは極度の集中と魔力の放出がもたらした疲労だけ。暗闇に戻った洞窟の中で、ウィルはしばらく動けなかった。

 リードマンに変化はなかった。出血は可能な限り抑えた。あとはもう、自分に出来ることはない。

 これからどうすればいいのか。本隊に帯同している救護班に診せたとしても、助かるかどうかはわからない。なにより……。

『なるほど』

 突然の声にウィルは肩を震わせた。リードマンの双眸が開き、こちらを見つめていた。

『これは君がやったのか。どうやらまだ死んではいないらしい』

 声を発しているのはリードマンではなかった。尾がいくつにも分かれた一匹の栗鼠が彼の傍らにいた。声はその栗鼠から聞こえてきたのだ。

『なるほど。なるほど。アンティオペーとは合流しなかったのか。彼女が味方かどうか、わからなかったからだ。君の力になれるのは私だけだと。良い判断だと言える。私の見込んだ通り、君は使える』

「教授! すぐに本隊のところに連れて行きますからこれ以上、魔力を使わないでください!」

『そう。私が行けと言えば、君は安全と考える。でもそれは駄目だ。サルトリオはすでに行動を起こしている。時間がない』

 リードマンはそう言って手を差し出してきた。

『どこか、精霊塔へ連れて行ってくれ。きっと晶石が必要になる』

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