六、『失地回復』・5

    5


「申し訳ありません。こちらにいらしているとは聞いていなかったものですから」

「それにしたってひどいじゃないか。こっちが脅威じゃないことくらい見ればわかるだろうに」

「あまりのんきなことを仰らないでくださいよ。いつ異影や帝国の召喚機が現れるか、こっちは少人数でぴりぴりしてるんですから。ただでさえ迷路みたいな岩山の上にこの霧で見通しは悪いしで……」

 第三師団の准召喚士は北砦を案内しながら言った。

 砦はメレナ高地北側の麓、高地の入り口にあった。まだサルトリオに配下の召喚士がいた頃に整備され、レコンキスタの拠点を担った場所だ。中央に精霊塔モジュールが安置された高台、周囲を岩山を利用した城壁が取り囲んでいる。内部には軍需倉庫や生活スペースもあり、一般的な規模と機能を有していた。

 今ここにいるのは第三師団の支援部隊であり、外輪山から運び込まれた物資を前線へと送り出すためにせわしなく立ち働いていた。

「准召喚士だけ残していくとはアンティオペー召喚師もスパルタだ」

「うちの師団の方針なんですよ。ノブレス・オブリージュ。准召喚士でも最低限の戦闘をこなさなければならない。そのために余所より待遇もいいわけですから。そういうわけでもし師団長のところまで行かれるのでしたら……」

「いや、そちらに迷惑は掛けないよ。そのためにうちの召喚士と来たんだから」

「助かります。なにせ今日中にここを使えるようにしなければならないので」

「ところで……」

 リードマンは城壁にもたれかかっている残骸を指した。

「あれは何だい?」

「ああ、それがよくわからないんですよ。帝国召喚院の召喚機だとは思うんですが、先発隊がここに来たときにはすでに放置されていたみたいで……」

「やっぱりそうか。見せてもらっても?」

「それは構わないと思いますが……現状維持でお願いしますよ?」

「大丈夫。アンティオペー召喚師のものを盗んだりしないよ。彼女の怖さは君と同じくらい知ってるつもりだ」

 准召喚士は苦笑して、自分の作業へと戻っていった。リードマンは手を挙げ、広場に駐機してあったオクタ・ドールへ声を張り上げた。

「ねえ、君!」

「は、はい!」

 操縦席で待機していたウィルが慌てて返事をした。

「私はもう少しその辺りを見て回るからそれまで待機してくれ!」

「了解しました!」

 ウィルが頷くと、リードマンは一人、機体の残骸へと向かった。


    ◆


 帝国召喚院、制式召喚機コンキスタドール『イェニチェリ』。

 バローク召喚院のカテゴリーでいえば標準型に当たる機体。生産性を重視した設計で、一昔前の帝国製召喚機と比べると外観は素っ気ない。装甲、内装には手を入れられた様子はなく、正召喚士に支給されたものと思われる。

 ネイオス五基搭載。その位置もバローク標準型とほとんど変わりない。

 だが、その全てが消失していた。

 異常な痕跡だった。

 整備・修理に回されてくる召喚機から集められた戦闘後のデータ。通常、機体の損傷が激しいのは武装の反動を受ける腕部、ついで面積の大きい胴部だ。機体が大破するのは顕在化した装甲が異影の攻撃を受け止めきれず、操縦席に致命的なダメージを受けるときで、その場合、操縦席は原型を留めず破壊されているのが常だ。

 この機体は違う。深い損傷はネイオスと導霊系に残されている。召喚機の機能を効率的に停止させるための破壊。この破壊痕はむしろ演習のような召喚機同士の戦闘によって見られる損傷に近い。

 ここで何が起こったのか。

 これは数千分の一の確立で起きた偶然で、自分の懸念はただの思い過ごしなのか。あるいは……。

 リードマンは砦の高台を振り返った。それから誰も見ていないことを確かめ、屋内へと向かった。


    ◆


 操縦席に一人取り残され、ウィルは前面パネルに目を落としたまま呆然としていた。

 開け放したハッチから冷気が入り込む。リードマンがいなくなってようやく、噴き出した汗で全身が濡れているのに気付いた。

 あの人は一体、何なんだ……?

 召喚機の設計・製造で成り上がったという佰候召喚師。

 それだけではないはずだ。

 一体、僕に何をさせようとしているのか。

 何より恐ろしかったのは、この得体の知れない人間が巻き起こそうとしている事態に、リーズリースがすでに巻きこまれていることだった。

 ウィルはリードマンを待ちながら、このまま逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。

 何かが起こる前に、リーズリースを連れて。

 ……そんなことができるわけもないのに。

 いつものように無力感が体を押さえつけた。彼女はきっと召喚院を離れようとはしないだろう。自分には彼女を連れ出すことはできない。召喚院が彼女に与えるものの十分の一も捧げることができない。召喚院のシステムがもたらす激流のような力に抗うことも逃げ出すこともできず、ただ、祈りながら流されることしかできない。

 ぐいぐい、裾を引かれ、思考が遮断された。妖精たちが足元に集まり、何やら外を指さしている。

「……どうしたの?」

 ウィルは異変に気づき、表情を凍り付かせた。

 どこからか聞こえてくる、啜り泣く声。

 ハッチから身を乗り出し、辺りを見回した。霧に満ちた岩山の間を、冷たい雨のような泣き声が反響している。

 探していた姿は、小さな岩の陰にあった。

 くしゃくしゃの灰髪。悲しげに泣き続ける小さな子供。

〈バンシー〉。死を告げる妖精。

「そんな……!」

 ウィルが絶句しているうちに、灰髪の小妖精は霧の中へと消えていってしまった。


    ◆


 バローク召喚院は快晴だった。

「ふあああああああ……」

 第四師団長ヤナ・ヤクシュは演習場司令所の屋上に寝転び、大きなあくびをしていた。

『あのボス、そろそろ指示を頂けませんか?』

 傍らに止まっていた鸚鵡から、配下の正召喚士の声が聞こえてくる。演習場では数機の召喚機が棒立ちになって司令所のほうを見ていた。

 ヤナ・ヤクシュは寝転がったまま、手をぱたぱたと振った。

「適当にやっといて……」

『適当もなにも、我々、演習場で何をするのかも知らされてないんですが……』

「いいから動く、動く」

『…………』

 声の主は諦めたのか、鸚鵡がどこかへ飛び立ち、召喚機はやる気なさげに機動を始めた。

「昼寝する余裕があるなら稽古くらいつけてやったらどうだ」

 目を開けると、禿頭の巨漢が傍らに立っていた。ヤナ・ヤクシュは気怠げに言った。

「ほっていて、魔女に必要なのは自主性なの」

「まったく。執行部へのあてつけのためだけにこんなところで正召喚士を遊ばせておくとは……」

「そっちだって部下だけ前線送り出して、自分はこんなところにいるくせに」

「俺は後続部隊を送り込む手配をしていたんだ。今回の作戦は数週間程度では終わらないはずだからな」

「ほんとぉ? 危ない橋は渡りたくないけど、報酬は欲しい。そういう中途半端なのが一番よくないんだよ」

 第三師団長ワン・グゥオフは咳払いをした。

「……今回の件が焦臭いのはわかっている。俺だって降りられれば降りてる。だが、東大陸出身者はこちらでは微妙な立場なんだ。執行部の機嫌を損ねるわけにはいかない」

 と、

『フハハハハハ! すまじきものは宮仕えとはよく言ったものだ!』

 どこからか声が聞こえ、二人は同時に眉間に皺を寄せた。

「この声は……」

『そう! 我が名はイアン・エルンスト! またの名を《冥王スペクター》!』

「うるさい……」

 二人とも辺りを見回すことはしなかった。

 第八師団長、《冥王スペクター》イアン・エルンスト。バローク召喚院で最も情報戦に秀でた佰候召喚師が、こちらに痕跡を見つけられるような方法で接触してくることはなかったからだ。

 ワンは虚空を見やったままたずねた。

「やはり、お前が関わっていたか」

『その通り。私がこの件においてどんな役割を演じているか、気になるかね?』

「興味ない……」

『実は、執行部に依頼されて天涯回廊の帝国領側を調査していたのだ。異影の大量発生の原因がジャマール領にあるのなら、南側の『異海』の活性が上がっているはずだからな。そこで私は帝国召喚院の情報網から『異海』の動静を調べていたのだ』

「聞いてない……」

 うんざりとヤナ・ヤクシュが呟くのを無視してエルンストは朗々と独白する。ワンは眉間の皺を一層、深くした。

『結論からいえば、帝国領側の『異海』に変化はない。精霊塔の機能は十全だし、ジャマールは前線のコントロールにも成功している』

「では、原因はサルトリオ領か? 執行部の見立ては間違っていたということか」

「それも違う。サルトリオ領付近の『異海』にも異変はない」

「じゃあ、異影はどっから来たの?」

『わからない』

 二人は顔を見合わせた。

 あのエルンストが、『情報の海で泳ぎ情報を食って生きている』ことを自認している彼が「わからない」と言っているのだ。

『天涯回廊で何かが起こっているか、あるいは起こっていないか、だ。もし、何かが起こっているとしたら非常にまずい事態だということだ。関わり合いになるのは避けた方がいい』

「どうしてこちらに情報を流す?」

『保険だよ。誰が図面を引いたにせよ、全乗りするのは危ういからさ。私は警告した。君たちもこれで関係者というわけだ』

「貴様、俺たちを巻きこむつもりで……!」

『ハハハハハ! それでは諸君! また会おう!』

 言いたい放題のすえ、《冥王》の声はそこで途切れた。


    ◆


 リードマンは岩壁から切り出された階段を地下へと向かっていた。

 地下空間は迷宮のようになっていた。狭い通路は上り、下り、分岐し、合流し、現在位置がどこか見失いそうになる。

 やがて広い空間へと出た。精霊塔用晶石を安置するスペースで、がらんとしている。岩山の洞穴をそのまま利用している、と聞いていた。何万年もかけ、水が岩をこのように穿ったのだろうか。

 リードマンは晶石を眺めた。損傷無し、劣化無し。魔力の波動は正常に出力されている。異影の顕在化確率は限りなく低い。

 だが、リードマンは懸念に突き動かされるように晶石に手を当てた。

 精霊塔の動力となるのは、この地が宿している『存在』の力だ。それを晶石が増幅させ、『異海』の侵食を押し返す斥力となる。

 晶石が集めた『存在』の力を解析し、その『存在』の構成を分析する方法を編み出したのはアレフロート・リードマンだった。そして、その方法を知っているのもまたリードマンだけだった。

 リードマンの意識に、地面に根が走るイメージが流れ込む。

 固い岩盤。穿たれた空洞。地下水脈。この地に刻まれた何万年もの年輪。大地が隆起し、火山が噴火し、やがて休息へと入る。その痕跡を意識が走査していく。

 その痕跡が急に途絶えた。

 意識の先端が今までにない空間を捉えた。

 それは骨の内部のようだった。直径数キロに及ぶ巨大な空間、そこに繊維のように構造体が張り巡らされている。脳裏にサーカム市の遺跡の姿が浮かんだ。あまりにも整然とした、明らかな人工物。 

 奈落と構造体はどこまでも、どこまでも続いていく。

 何故。誰が。何時。何のために。どのようにして。

 考えるのをやめようとした。今、自分はかつてないほど危険に近づいるのに気付いていた。それでも思考は止まらなかった。

 彼が気付かないはずはない。だとすれば可能性は一つしかない。

「リードマン教授」

 それには応えず、リードマンは懐から金属塊を取り出した。

 携帯型破砕弾。鉄製の容器に火薬と鉛玉を詰め込んだだけの武器と呼ぶのも憚られる殺傷装置。

 リードマンは躊躇いなく、背後にそれを撃ち放った。

 爆発音と立ち上る煙。

 リードマンは何が起こったのか理解する間もなく、肉体的反射でゆっくり自分の体を見下ろしていた。

 鳩尾から、白い剣が突き出ていた。

「っ……!」

 息を漏らし、リードマンはその場に崩れ落ちた。

 頭上に、天使がいるのが見えた。白磁器のような天使は、リードマンの血で濡れた剣を提げていた。

「残念です」

 硝煙の中から人影が現れた。僧衣にはほつれ一つなく、火の中から蘇ったばかりの不死鳥のように、変わらぬ姿でそこにあった。

「あなたのような佰候召喚師の魂を、私の手で損ねなくてはならないとは。完全な姿で、神に捧げることができないとは」

 その声は、遙か遠くから、しかしはっきりと聞こえてきた。

 サルトリオは、いつもの木訥とした表情のまま、そう言った。

   

    ◆


 最期に見た光景は地獄だった。

 闇の黒、血の赤。破壊された部下たちの召喚機、それを貪り喰う無数の異影たち。

 幼少の頃、族長に聞かされた昔話。地獄に墜とされた男の話。

 ジャマールが想像し、恐れた地獄の姿が、現実となって目の前に現れていた。

 そして、その地獄を作り出したあの悪魔は天空からこちらを睥睨していた。

『取引をしませんか?』

 あのとき、あの悪魔はそう告げたのだ。

『あなたとは戦いたくはない。私は疲れました。召喚院のやり方、際限なく利益を求めるあのやり方には』

『あなたもそうではありませんか? あなたは佰候召喚師となって日が浅い。一刻も早く、目に見える成果をあげるよう、帝国召喚院からの重圧も強い。今回の調停戦もあなたの意思ではないことは想像がつきます』

『私は負けても構わないのです。私に必要なものさえ残されていれば』

『正直なところ、私に天涯回廊全てを治めるだけの力はありません。あなたが治めてくれるのであればそれが一番でしょう』

『私は安住の地が欲しい。理想を叶えるための場所さえあればいい。天涯回廊は私にとって理想の場所なのです。他の佰候召喚士たちの欲望に晒されるような肥沃な平野も、眠っている資源もない。私はそこで欲望に囚われることのない世界を創ろうと思います』

『ですから、取引がしたいのです。この地を分け合い、穏便に済ませられるような協定を』

 それが悪魔の言葉だと、何故、私は気付かなかったのか。

 聞くべきではなかった。

 あの悪魔の頭の中に、こんな恐ろしい考えが存在していると知っていたのなら、決して受け入れなかったはずだ。

 だが。

 そんなことが出来なかったこともジャマールは気付いていた。

 申し出を断れば、自分がどうなるか。

 彼と本気の闘争が、どれほど恐ろしいものなのか。

『ありがとうございます、佰候召喚師エディ・ジャマール。あなたが賢明な方でよかった』

 エミリオ・サルトリオ。

 あの木訥とした表情に隠された、見通せない深淵。

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