六、『失地回復』・3
3
穏やかな陽光がサーカム市を照らしていた。
午前中のうちに召喚機部隊はメレナ高地へ出立し、昼頃になると宿営地にはぽつりぽつり、焚き火の跡が残されるだけとなった。
「天幕、こちらに置いておきますね」
「ああ、ありがとう。すまないね、わざわざ正召喚士にこんなことさせて」
「とんでもない! 何かお手伝いがあれば何でも申しつけてください!」
ウィルは笑みを浮かべ、今度は技術班から頼まれた洗濯物を片付けに向かった。
サーカムの街に残っているのは補給班と精霊塔を整備するための技術班だけとなった。高地への経路が確保され次第、人員や資材を送り込むことになっている。
石造りの水場、住民たちに紛れながらウィルは雑念を振り払うよう、妖精たちと洗濯に専念した。でも、駄目だった。気がつくと、西の空を見上げ、霞の中に浮かぶ高地の姿を見つめている自分がいた。ウィルは手を休め、両手を組み合わせた。
神様。どうかあの人にご加護を。
くいくい、手元で洗濯を手伝っていた〈ブラウニー〉がウィルの袖を引っ張り、背後を指さした。見ると、石畳の上を背広姿の男性がふらりとやってくるところだった。
「あれ? みんなはどうしたんだい?」
「リードマン教授……?」
第十三師団長、アレフロート・リードマンは背広に書類鞄という、この田舎街に似合わない瀟洒な格好で現れた。
「いやあ、まいったよ。アンティオペー召喚師は出立したというし、市役所に行ってみればサルトリオ召喚師は哨戒に出たというし……」
「どうしてこちらへ……?」
「どうしても何も。帝国領の召喚機が見られるかもしれないんだから、来ないわけがないだろう?」
当然のように言う。そもそも、どうやってここまでやってきたのだろう? トーリ市からの列車はないはずなのに……。
「そういえば君はどうしてここに? 一緒に行ったんじゃないの?」
「え! あの……それが……これには事情が……!」
ウィルは言い淀んだ。これは明らかな命令違反だった。リーズリースの名前を出せば彼女に迷惑がかかってしまう。
言い訳を考えているウィルにはまったく興味ないようにリードマンは言った。
「まあ、君がいてちょうどよかった。これから本隊のところまで乗せていってくれ。すぐ出ればすぐ追いつけるだろう」
「え!」
「オクタ・ドールの複座式が役に立ったな。作っておいて良かったよ」
「で、でも……! 指揮官からは大人しくしているようにと……!」
「何? 君の上官は私なんだから何の問題もあるまい」
「そ、それに僕一人では……! もし異影に襲われでもしたら……」
「君、私は佰候召喚士だよ? そこらの異影くらいなんともないよ。さ、行こう。オクタ・ドールはどこだい?」
リードマンはあっけらかんと言って、すでに向こうへ歩き始めていた。
◆
「で? 何なのだこれは?」
砦に到着したアンティオペーは奇妙なオブジェを眺めながらエルザへ尋ねた。
「召喚機の残骸だと思われます。おそらく帝国領の……」
「そんなことは見ればわかる」
アンティオペーは残骸の上に乗った。
ハッチを足で押し開け、操縦席を覗き込む。西大陸の一般的なドールとさほど変わりないように見える。簡素な仕切り、騎馬の鞍のような革張りのシート、銀製の操縦桿。油汚れは見られるが、風雨に晒された跡は見られない。投棄されたのはごく最近だと考えられるが……。
「何故、ここにある? 何があってこうなった? そもそも中身はどうしたのだ?」
「た、ただいま調査中です……!」
矢継ぎ早の質問にエルザが慌てて返す。
「砦は無人、付近にも人の気配はありません。ひとまず、師団長がいらっしゃるまでは砦周辺の安全確保を優先させました。再編成が終わり次第、探索の範囲を広げます……!」
「…………」
アンティオペーは機体を見下ろし、思案した。
存在してはならない物だった。
ドールは間違いなく帝国領のものであり、これが非武装地帯にある以上、帝国が召喚院協定に違反したのは明白だった。
同時に、複数の疑問が噴き出してくる。
何のために?
バローク召喚院にとってこのメレナ高地が重要なのは半島先端への経路であるからで、すでに南側からのルートを確保している帝国にとっては(サルトリオ領に戦争を仕掛けるでもない限り)同等の価値はない。
では、北側に欲しいものがあったのか?
まず考えられるのは晶石の鉱床であるが、山だらけのこの半島でわざわざ協定を侵してまでこの高地に拘る理由がない。
特異体を追って侵入してきた?
ありそうな理由ではある。発生した特異体を領内で処置できずに逃げられたというのは佰候召喚師にとって不名誉ではある。特異体を追って警備の薄い辺境の国境を越え、返り討ちに遭った可能性はある。
だが、どうして破壊されたドールが残されているのか?
帝国の召喚士が単独で侵入してくるとは考えられない。僚機がいたはずだ。
外観に目を戻す。
ネイオスがあったと思われる箇所には何もなく、孔がぽっかりと空いているだけだ。ここでの作戦中に行動不能に陥り、僚機がネイオスだけを取り外して持ち去ったか、あるいは、この場で破壊したのか。ネイオスは召喚機の中枢であり、各勢力はその開発に力を注いでいる。機密保持のためにそうしたとしてもおかしくはないのだが。ネイオスを処理できる余力があるのなら、召喚機のフレームを痕跡残さず消失させることなど容易いはずだ。
あるいは、単に方向感覚のない召喚士が単騎で迷い込んだだけなのか?
……さっぱりわからない。
「……師団長?」
「何をぼうっとしている」
「は……?」
「予定は変わらん。本日中に北半分の制圧を完了する。編成を各師団ごとに戻し、三方から境界への経路を確保する。並行して全精霊塔の機能確認。帝国側の痕跡に注意するように。夕飯は日暮れまでに用意するよう伝えろ。私は待たされるのは嫌いだ」
「はっ!」
エルザは頷き、その場から駆け去った。
◆
昼近くになり、砦には続々と後続部隊が押し寄せ、混乱の呈を見せ始めていた。
城壁内の狭いスペースでは准召喚士たちがキャリアの間を慌ただしく行き交い、設営を進めている。
全ての召喚機を受け入れるだけのスペースはないため、到着した機体はそのまま城壁外での哨戒任務に当てられていた。
リーズリースが《
その最後尾には護衛についていた《
「あっちーつかれたー!」
後方支援試験ドールのハッチからアイシャが汗だくの顔を見せた。高度もあって肌寒いくらいなのだが、四大元素〈
アイシャは操縦席から這い出すと、先に到着していたアデルに目を留めた。
「あたしが遠路はるばる輸送部隊護衛してる間、何を昼間からごろごろしてんのよ! あたしのお昼ごはん用意してないの!?」
「この食いもん積めるスペースがあると思うのか、愚妹!」
操縦席の中で毛布にくるまっていたアデルが震えながら返した。
「こっちは先行偵察で第三師団にこき使われた挙げ句、重量制限で薄着しかできねえから本隊来るまで半袖で頑張ってたんだぞ!」
「知らねーわよ! そのイカれた格好は趣味だと思ってたわ、馬鹿血族!」
いつものようにやりあう二人を余所に、リーズリースは構成を保ったまま哨戒を続けていた。
ここまで、脅威らしい脅威は見当たらなかった。
薄霧に覆われた静かな岩地。異影どころか、動くものさえ見つからない。外輪山から沖合の『異海』の様子も確認したが、小康状態を保っているようだった。
それなのに胸騒ぎが収まらなかった。
絶えず、嫌な刺激が神経に流れ込んでくる。それは〈デュラハン〉をはじめ、眷属たちが緊張状態にあることを示していた。
何が原因なのか、リーズリースには掴めなかった。知らない土地へやってきたことか? 『異海』に接近しつつあることか? 多くの召喚士たちに囲まれていることなのか……?
「試験機部隊」
砦の城壁から、第三師団の
「今から高地北側にある全ての精霊塔の機能確認を行う。第十三師団は中央部のチェックだ。地図を確認したらすぐに出撃しろ」
「「えー?」」
双子が同じように渋面を浮かべた。
「おい、昼飯もまだだろ?」
「あたし今着いたとこなんだから、ちょっと休ませてよー」
「終わらなければ夕食もなくなるぞ。師団長は待たされるのが嫌いなんだ」
「「…………!」」
双子の怨念の満ちた視線を背中で受けながら正召喚士は砦へと戻っていった。
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