六、『失地回復』・2

    2


 夜明け前。

 すでに遠征隊野営地は活動を始めていた。

 召喚機の調整を行う者、荷造りをする者、朝食の準備をする者、夜警のあとのわずかな休息を取る者。

白鳥の騎士ローエングリン》エルザ・ノイシュは作業の指示を一通り出すと、アンティオペーのいるテントへと向かった。

師団長ロード? お目覚めでしょうか」

「……どうした? 久しぶりに風雅なベッドを堪能した私にわざわざ報告するようなことか?」

 いかにも機嫌が悪そうな声が返ってきた。朝が弱い上、野宿だというのでそれは容易に想像できたことだったが。

「編成を完了しました。私は夜が明け次第、先行偵察隊として出立します。本隊の指揮はアントニウスに任せてありますので」

「お前が先発するのか?」

「はい。他師団の飛行可能な正召喚士はどうも素行に問題を抱えているようですから。帝国領の召喚士と接触した場合、責任ある立場の者がいないと」

「そうか。では、お手並み拝見といこう。私は技術班のキャリアでゆっくりと向かわせてもらう」

「それから、第十三師団所属の召喚機が不具合を起こしたそうで。ここに居残って支援部隊の護衛に当てさせたいと申請があったのですが……」

 エルザは不満を隠さず言った。こういう合同部隊は責任の所在が曖昧で士気も低いため、こういったボイコットも起こりやすい。

「誰の機体だ?」

「ええと……《妖精の王オーベロン》。新しく加入したばかりのウィル・O・レイリーの機体です」

「ああ、あれか……。好きにさせておけ。どうせ役には立つまい」

「ですが、隊の士気に関わります」

「眷属と人間は違うぞ、エルザ。純化召喚で意の通りに操れる眷属と、己の欲に忠実に好き勝手生きる人間はな。人の上に立つには、それぞれの操り方を知らねばならん。覚えておけ」

「……はい」

 エルザは頷いた。


    ◆


「くれぐれも勝手なことはするなよ」

 いつものように、出撃前の機体点検を行っていたメイヤンが振り向くと、同じく第三師団から派遣されてきたツーロンとユーユイが並んでこちらを見上げていた。

「我々は現在、第三師団の指揮下にある。先行偵察隊においては必ず、エルザ・ノイシュの指示に従うこと」

「我々は第五師団を代表してここにいることを忘れるな。師父ロードの顔に泥を塗るような真似は許さんぞ」

「…………」

 メイヤンは一瞥しただけで、再び機体の点検に戻った。

「聞いているのか、メイヤン」

「あんな破戒坊主、どうなろうと知ったことではない」

 背後で二人分の嘆息と舌打ちが聞こえた。

「……駄目だ。だから言ったんだ。私にこいつの世話は手に負えん」

「……我慢しろ。どのみち、ここの制圧が終わるまでは帰れん」

 言いあったのち、二人は離れていく。その間際、ツーロンが口を開いた。

「この際だから言っておく。お前が大宗伯の一族だろうが、ここは東方王朝の権限は一切、及ばない。お前がお前のミスでくたばろうと俺たちには関係ない。いいな」

「…………」

 メイヤンは無言をもって返答した。


    ◆


 空が白みはじめ、宿営地も慌ただしくなってきた。

 リーズリースは身支度を調え、重装試験ドールのチェックを行っていた。ネイオスから導霊系へ、内部骨格から装甲へ。

「リーズリース」

 機体の足元で、ウィルが不安そうな視線を向けていた。

「どうか、お気を付けて。けっして無理をなさらないように」

「あなたも。ここにはサルトリオ召喚師がいますから大丈夫だと思いますが、くれぐれも注意してください」

 そのとき、呼び子の音が宿営地に響いた。

 丘陵の上、篝火の中、《白鳥の騎士》エルザ・ノイシュが声を張り上げた。

「これより作戦の最終確認を行う! 正召喚士は集合せよ!」

 リーズリースはウィルに頷くと、丘を上がっていった。


    ◆


 ファン・メイヤンの召喚機《キマイラ》は第五師団では強襲偵察の任を与えられていた。四聖獣の力を臨機応変に使い分ける《鵺》は場所を選ばない高い機動力・情報収集能力を有しており、今回、先行偵察隊に加えられたのもそのためだった。

 海風を赤い翼で受け、《鵺》は高度を上げた。

 朝の天涯回廊にはまだ靄がかかっていた。沖の『異海』も朧気に見えるだけだ。

 地上を注視。

 左側には山脈、右側には海、沿岸部には規則正しく、精霊塔の列が続いている。

 今のところ、異影の姿は確認できていない。精霊塔が機能を発揮しているのなら、それも当然のことだった。問題があるとすれば、やはり高地の向こう側、帝国領ということになる。

『《鵺》、先行しすぎるな。それでは掩護ができない』

 後方から[拡声]による通信があった。

 別の眼でそちらを見ると、三角隊形でこちらについてくる二機の召喚機がいた。

 先行偵察隊は各師団の飛行型召喚機による混成部隊となっていた。

 四時方向にいるのは第十三師団、《錬金術師・熱風アルケミスト・シロッコ》。先ほどから高度を上げたり下げたり、こちらを追い越したり旋回したり、ふざけた飛び方をしている。

 呼びかけてきたのは八時方向、第三師団《白鳥の騎士》だ。大きな翼を生やした純白の機体。こちらは飛行に最適化した構成ではなく、少し遅れ気味になっていた。

『聞こえているか? ファン・メイヤン』

「…………」

 メイヤンは応えなかった。余計な魔力を使う気はなく、また、前方の景色に変化があったためだ。

 霞の中に、海抜一五〇〇メートルの隆起が浮かび上がった。

 メレナ高地。

 サルトリオ領最西端、そして帝国領との境界となる場所だった。

《鵺》は赤い翼を叩き、機体の高度を上げていく。

「これから稜線を越える。掩護しろ」

『待て! そこからは非武装地帯だ。私が先行……』

 返信を無視し、メイヤンは高地へと侵入した。


    ◆


 天涯回廊は背骨のように走る中央山脈によって南北に分けられていた。

 北ルートと南ルート。それらを籤引きと見立てるのであれば、北側ははずれだと言えた。南沿岸部が比較的穏やかな地形のまま天涯回廊先端へ繋がっていたのに対し、北沿岸ルートに待ち受けていたのは『異海』に覆われた海と壁のようにそびえる高地だった。

 メレナ高地。バローク召喚院が半島先端に手を掛けるためには、ここを押さえる必要があったのだ。

 

    ◆


 稜線を越えると、赤い世界が目に入った。

 隆起した岩山と、切り立った断崖。乾いた大地は縦横にひび割れている。おそらくは長年に渡る水の侵食によって削られたあとなのだろうが、川らしいものは見当たらない。

 メイヤンは注意を払いながら、景色と地図の情報とを照らし合わせた。

 メレナ高地はほぼ円形の外輪山に囲まれた、直径十数キロのカルデラである。中央の緯線によって南北に分けられ、サルトリオ領と帝国領との境界となっていた。高地全体が非武装地帯として設定され、正召喚士が立ち入るためには双方の同意が必要。人の出入りもほとんどない、と聞いていた。実際、今のところ地上に動くものは見られなかった。

 外輪山を越えてしばらくすると、第十二師団の拠点だった北砦が見えてきた。

 時計盤というと十二時の文字がある辺りだろうか。奇岩地帯に一際大きな岩山がそびえていた。中腹には石垣が築かれ、内部は岩山と一体化したような建物群があった。かつての最前線も、現在は精霊塔としての機能しかなく、誰も駐留していないらしい。

《鵺》は砦の周囲を旋回する。

 立ち並ぶ奇岩のせいで、地上の見通しは悪い。眷属の感覚群を向けるが、周囲に異影の姿を確認することはできなかった。

 静か過ぎる。

 赤く、乾いた大地は死んでいるようだった。鳥獣たちの声もない。せいぜい、低地に残された草木だけが生命の痕跡のように見えた。

『《鵺》、何かあったか?』

 遅れてやってきた《白鳥の騎士》が[拡声]を飛ばしてくる。

「何もない」

 メイヤンは合成音で応えると、《鵺》を転進させ砦の上空へと戻った。

『今から砦へ降りる。《錬金術師・熱風》は上空の監視を。《鵺》は掩護してくれ』

『はいはい、こちらりょーかい』

「わかった」

《錬金術師・熱風》に続けて応えかけたが、直後、四聖獣の目が何かを捉えた。

「……待て、何かいる」

 城壁の内側に見慣れない何かを見つけた。

 鋼材・木材・銀線、それらのもので構成されたオブジェが城壁の内側にもたれかかっている。

 召喚機の……残骸?

 一目で壊れているとわかった。繰紐に絡まった操り人形のように、損壊し、離散し、内部がこぼれ落ちていた。胸部にぽっかり大きな空洞があり、そこはネイオスの収まっていた箇所らしかったが、晶石らしきものは欠片も見当たらない。

 上空を旋回しながら、構成を索敵用へと振り向けた。四聖獣の鋭敏な五感が召喚機の残骸に向けられる。呼吸音はなし。熱源も把握できない。

 さらに範囲を砦全体へと広げた。建物を舐め回すように精査するが、人間どころか動くものは虫一匹いそうにない。

『あれは……帝国領の召喚機か? 誰か搭乗しているのか?』

「いない。砦内にも人の気配は無い」

『こちらから呼びかける。手は出すな』

《白鳥の騎士》は高度を落とし、砦の入り口近くに着陸した。

構成召喚コール・コンポジション

 構成を入れ替える。羽毛のような魔力が消えると、そこに純白の騎士鎧のような召喚機が現れていた。

『こちらはバローク召喚院、正召喚士サマナー・クラスエルザ・ノイシュだ。聞こえていたら返事をしてくれ。こちらに交戦の意思はない』

 砦から反応はない。

『こちらはバローク召喚院……』

「時間の無駄だ」

 エルザが文言を繰り返している最中、《鵺》は高度を下げ、軽々と機体を建物の屋上に留まらせた。

『お、おい、待て……!』

「[青龍爪]」

 静止する間もなく、《鵺》の右腕が蛇のごとく変形し、残骸へと伸びた。《鵺》の腕は器用に、先端の鈎爪をハッチに引っかける。

 そのまま、強引に開けた。ドールはぐらりと揺れ、そのまま横倒しになった。

 革張りのシート。投げ出されたままのロッド。

 操縦席の中はからっぽだった。

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