五、『白鳥の騎士』・3

    3


「非武装地帯?」

「そうだ。サルトリオ領と帝国領との国境であるメレナ高地を確保。それが合同部隊の作戦目標だ」

 長卓の間。アンティオペーの問いに議長は頷いた。

「このメレナ高地はサルトリオ領西端にあり、現在、天涯回廊先端部への進出を塞いでいる形となっている。ここを押さえることで最前線の経路を確保する」

「聞いておくが帝国領の許可は得ているのだろうな?」

「ない。これはあくまでバローク召喚院の判断だ」

 長卓の間の空気が一段と重くなった。この一室に染みついた権謀術数の渦が再び立ち上っていた。

「本気で言っているのか? 召喚院協定を破り、向こうの領地へ侵入しろと?」

「協定を破ることにはならない。今回の件は緊急事態条項に該当する」

「何?」

「かねてより、帝国召喚院エディ・ジャマールの拙速な失地回復には懸念があった。功を焦るあまり、本来行うべき安全確保を十分に行っていないのではないか、と。今回の異影の大量発生、その中心は天涯回廊南沿岸部、エディ・ジャマール領にあり、ジャマールが『異海』の制圧に失敗したことは明白である。事態を一刻も早く収拾するため、バローク召喚院は緊急事態条項に基づき、天涯回廊全域の制圧を行うものである」

 演説でもするかのようだった。実際それはあらかじめ用意されていた台詞であったはずだ。

「最初からそのつもりだったね?」

 いつの間にか、ヤナ・ヤクシュが顔を上げていた。

「やっぱり。執行部が知ったのは昨日なんかじゃない。とっくに知ってて黙ってたんだ。しつこく演習に参加するように言ってきたのも最初からこのつもりだったからじゃないの?」

「諸君らへの情報提供に遅れが生じたのは情報の精査に時間が掛かったためだ」

「どうして佰候召喚師はわたしたちしかいないの? 召喚院には各師団の常駐代理人がいるはずでしょ?」

「いま必要なのは迅速な決断だ。彼らの領地に諮っている時間はない」

「じゃあそっちが三人しかいないのは?」

「それも同様だ。今回は緊急を要する事態だ」

「……建前はやめたら?」

 ヤナ・ヤクシュの双眸は眠たげながら、そこには危険な光が宿り始めていた。

「執行部は戦争でも始めるつもりなの?」

 その問いに議長はしばらくの沈黙ののち応えた。

「戦争ならもう始まっている。少なくとも六年前には」


    ◆


 長卓には西大陸の地図が広げられた。

 実線と破線、二種類の線で描かれた地図。

 実線は現在、人類の支配下にある土地。

 そして、破線はいまだ『異海』に覆われた地域を描いている。

 バローク召喚院が集めた情報を基に、『異海』下の地勢を予測した結果を反映させたものだ。その情報は召喚院の機密であり、佰候召喚師といえどもそう簡単に見られるものではなかった。他の召喚院に対し優位に立つため、各召喚院がこうした地図を作成していることは公然の秘密であった。

「レコンキスタの時代が始まってからおよそ百年。中央召喚院の下、各勢力・各召喚院は侵食地の制圧に努めてきた。現在、レコンキスタで得られた新領は推定で旧領を超える規模にまで広がっている。残された侵食地が残り少なくなる中、各勢力の見解は一致することとなった。失地回復レコンキスタの時代は終わり、征服の時代コンクエスト・エイジが訪れつつあるということだ」

 地図には天涯回廊周囲の予想図も描かれていた。その上では、天涯回廊は大きく地西海に迫り出し、南大陸の一部と海峡を形作っていた。

「帝国が天涯回廊に食指を伸ばしたのもその一環だった。既知の土地はほとんど獲り尽くされ、各勢力の目はすでに外へと向けられている。やがて訪れるであろう外海への進出。それが現実的になるにつれ、外海と内海を繋ぐこの要衝の重要性は急激に増した。だからこそ、帝国領は半島に干渉してきたのだ」

「それで六年前、帝国領はサルトリオに調停戦を申し込んできたということか」

「そうだ」

 調停戦とは、佰候召喚師たちの間で権利問題が起こったとき、中央召喚院の仲裁のもとに行われる模擬戦闘のことである。

 師団合同演習の規模をそのまま大きくしたものだ。中央召喚院の定めた交戦規定のもと、各召喚師団が優劣を競う。より能力のある者に、より多くの権限を持たせる。『異海』との戦いの中で生み出された合理的な手段。

 建前上はそうなっているが、実際は各勢力間での疑似戦争に他ならない。強大な力を持つようになった佰候召喚師同士の全面抗争を避けるための措置であった。

「本来であれば調停戦が認められるはずもなかった。当時、天涯回廊の占有権はエミリオ・サルトリオにあったからな。ところが帝国召喚院エディ・ジャマールは『第十二師団の戦力がレコンキスタを行う上で不十分』という理由で中央召喚院に調停戦を訴えた。半島南岸からの迅速な制圧によって地域の安定化が見込める、ジャマールはそう主張した。そして中央召喚院は調停戦を認めてしまったのだ」

「実際そうだったのだから仕方あるまい。旧式の装備と制限を下回る戦力。そんなことをしているから付け入られるのだ」

「調停戦となれば第十二師団の不利は免れない。公然と帝国の後援を受けるジャマール相手ではな。当然、バローク召喚院はサルトリオに援助を申し出た。最新鋭の召喚機と精鋭の正召喚士を一時的に移籍させるはずだった。ところが、だ」

 議長は嘆息した。その中には押し殺せないほどの憤りが含まれていた。

「サルトリオが全てを台無しにした。『調停戦の意義は力ある者を見定めるためのもの。その場しのぎの戦力では意味がない』、そう言ってこちらの提案を拒否した。結果は知っての通りだ」

『知っての通り』の言葉通り、サルトリオのその後には触れられなかった。ここにいる皆が知っている以上に、口にするのにも憚られるような結果であったからだ。

 第十二師団は調停戦から逃げた。戦うことさえせず、ジャマールの主張を受け入れたのだ。

 結果、ジャマールは天涯回廊・南沿岸部からのレコンキスタを認められることとなった。天涯回廊の趨勢は、サルトリオとジャマールとの制圧競争となったのだ。

 だが、大方の人間には勝敗は最初から見えていた。杓子定規に建前を守り続けるサルトリオに勝ち目などなかったのだ。ジャマールは破竹の進攻速度で南岸を制圧し、半島先端への経路を独占するに至ったのだった。


    ◆


「南方帝国の伸長はすでに大きな脅威となっている。遅れをとっていた召喚機開発はすでに西大陸と同等の水準となり、晶石・貴金属など膨大な埋蔵資源によってその戦力は急速に拡大している。これはバローク召喚院だけの問題ではない。西大陸にある四つの召喚院、そして佰候召喚師の問題だ。今回の異影の発生は先の失態を取り戻し、帝国の拡大を防ぐ最大の好機なのだ」

「そんな理屈が通ると思っているのか?」

 ワン・グゥオフが言った。

「混乱に乗じて他の領地を奪い取るなど他の召喚院が認めるわけがない」

「認められなくとも現状変更の契機になればいい。ジャマールの職務遂行不能を申し立てもう一度調停戦へと持ち込む」

「は! 馬鹿馬鹿しい!」

 アンティオペーは鼻を鳴らし、隣のヤナ・ヤクシュを見やった。

「この居眠り魔女の言う通りだ。下手をすれば帝国召喚院と戦争になりかねん。そんな任務、誰が引き受けるというのだ。やりたければ執行部の召喚士にでもやらせればいいではないか」

「大規模な戦闘を避ける抑止力。作戦の正当性を訴えるための権威。そのためにはどうしても佰候召喚師の存在が必要なのだ。それも数多くのだ」

「……わたし、帰る」

 ヤナ・ヤクシュが席を立った。

「いつもいつも、人を悪魔呼ばわりしておいて、こんなときだけ利用するなんて。だから教会の人はキライ」

「当然、相応の報酬は用意する。それを聞いてから判断しても遅くはないはずだ」

 それを聞き、アンティオペーが笑った。

「相応? 一体何をくれるというんだ?」

「今回、もっとも功のあったものに、エミリオ・サルトリオの持つ全ての権利を引き継がせる。彼が持っていた領地、財産、そして彼の代わりとなる新たな佰候召喚師の叙任権も含まれる。それをもって執行部の誠意と考えてもらおう」 

『長卓の間』が凍り付いた。

 その言葉の意味がどれほどの重さを持っているのか、誰もがわかっていた。佰候召喚師という『王』を一人、生み出す権限を与える重さ。そして、その権限を一方的に奪うという重さ。

「職務遂行不能であるのはジャマールだけではない。最早、エミリオ・サルトリオに佰候召喚師としての責務を果たすだけの力はない。天涯回廊には新しい王が必要なのだ。『異海』から、帝国からこの地を守るための力が。その力を持つ者が、新しい王を生み出す権利を得るのだ」

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