五、『白鳥の騎士』・2
2
夕刻。予定から大幅に遅れて、列車はサーカム市へと到着した。
「おお! おお!」
そこまで不機嫌だったアンティオペーはその街並みを見るなり、感嘆の声を上げた。
「奴にしては趣味のいいところに住んでいるじゃないか! 見直したぞ!」
「レコンキスタの際、発見された遺構をそのまま使っているんです。いつの時代のものかはわかりませんが、修復の必要もないほどだったので」
サーカムの街を案内しながら、エルザがこたえた。
夕陽に照らされた街は壮麗で、どこか奇妙な佇まいをしていた。
石造りの建物群は旧領でもほとんど見かけないような大昔の様式であるのに、その建材には経年劣化のようなものがほとんど感じられない。どの建物も古く、新しい。過去の建築を真似て新しく造りあげたかのような姿だった。
「精霊塔によって安定期に入れば『異海』の影響もない。元々、この世界の物だったわけですから。それに新しい街を作るより、ここをそのまま使った方が安上がりだったので。そのぶん、人々のために使える資金が増えますから」
街の中心部に近づくと、一際大きな館が見えてきた。来訪者を迎える緑の庭園、それを取り囲む回廊。立ち並ぶ白亜の柱の間を抜けると、召喚機を背にしてサルトリオが待ち受けていた。
「サーカムへようこそ。あなたが来てくれるとは。大変、心強いですよ」
サルトリオの精一杯の社交辞令に、アンティオペーは鼻を鳴らした。
「で? 私の泊まる部屋はどこだ? このような状況だからな寝室は一つで我慢してやるぞ」
「ははは。相変わらずですね。宿舎でしたらあちらに用意してあります」
サルトリオは中庭の一画に雑然と積まれた資材を指さした。そこには畳まれた天幕が雑然と積まれていた。
「ここの近くにちょうどいい丘があります。そこを宿営地としてください」
アンティオペーが唖然となった。
「貴様は街中で野宿しろというのか! あのでかい屋敷は何のためにある!?」
「ここは避難者のための宿舎の一つです。サーカムにはすでに千人近いの難民が押し寄せてきてますから、もう建物の空きがないのです」
「わざわざ来てやった佰候召喚師にこの応対は何だ!」
激昂するアンティオペーに、サルトリオは聖印を切り、微笑みかけた。
「いいではないですか。平素、我々には屋根がある、そのことを感謝しましょう」
「…………!」
アンティオペーの研ぎ澄まされた白刃のような視線を向けられ、エルザは思わず目を逸らした。
そんな様子も意に介さず、サルトリオは尋ねてきた。
「それで、こちらの状況はどこまで聞いていますか?」
「……執行部から大筋は聞いているが、お前からも説明してもらおう。情報を突き合わせねばならんからな」
◆
「異影の顕在確率に上昇が見られるようになったのが、一ヶ月ほど前のことです」
天幕の下、カンテラの灯りに照らされながら、サルトリオは白湯を器に注ぎ、アンティオペーたちの前に置いていった。
作戦本部として設営された天幕は数人が入ればもう一杯の小さなものだった。出席者はサルトリオとアンティオペー、そして今回の召喚機部隊指揮官に選ばれたエルザの三人だけだった。
「天涯回廊は『異海』に近い土地ではありますが、異影の顕在確率はそれほど高くはありませんでした。領内に第一級異影が出現するのは年に二、三度といったところ、第二級以下は海流に乗ってやってくるものがあるくらいで大きな問題にはならなかったのです」
最初の変化が現れたのは一ヶ月前だった。
沿岸部に第一級異影が立て続けに二体現れたのだ。迎撃自体は容易かった。だが、問題はこれが偶然なのか、それとも顕在確率に異変が起こっているかだった。
答えはすぐに明らかになった。ほどなく内陸部でも西部を中心に異影の発生が確認され、いくつかの集落が襲われた。同時に南沿岸部、帝国領からの難民が山脈を越えサルトリオ領に押し寄せるようになったのだ。
「難民の数は千を超え、さらに増え続けています。もともと行政の人員もここの管理に必要な最低限の人数しかいなかったものですから、これだけ難民が押し寄せてしまうともうどうしようもなく。異影相手なら私一人でもどうにでもなるのですが……」
サルトリオは寂しげな微笑を浮かべた。それが自嘲なのか、冗談で言ったのか、単に事実を述べているだけなのか、エルザには判別できなかった。
「それでバローク召喚院に救援を要請したのか」
「ええ。しかし、正直なところ、バローク召喚院が難民救援のためにこれほどの規模の部隊を送ってくれるとは思っていなかったんですよ。みなさんの尽力に感謝いたします」
サルトリオの感謝の言葉にも、アンティオペーは険しい表情のままだった。
「南側を支配しているのは帝国召喚院エディ・ジャマールだったな。奴はこの事態について何と言っている」
「ジャマール領とは通常の定期交信のみです。『異海』及び異影発生に異変はないと」
「お前はそれを信じたのか?」
「向こうがそう言う以上、信じるしかありません。他の佰候召喚師の領域には原則不干渉、それが召喚院協定ですから」
アンティオペーは深い嘆息で応えた。それに関せず、サルトリオは話題を難民へと戻した。
「ところで、避難計画の方はどうなっているんです? 何しろここには施設がありません。大規模な居留地が難しいのはわかっていますが、旧領でも可能な限りの受け入れをして頂きたいのですが……」
「……めでたい奴だ」
嘆息するアンティオペーにサルトリオは怪訝な表情を浮かべた。
「本当にバローク召喚院が難民どものためにこれだけの戦力を送り出したと思っているのか?」
「?」
「我々合同部隊の目的は異影の発生源の除去だ。難民がどうなろうと知ったことではない」
アンティオペーは簡易卓に置かれた地図に指を置いた。
「明朝、本隊はメレナ高地へと向かう。作戦第一段階として高地を制圧し、南側からの異影の侵入を防ぐための拠点とする」
「ま、待ってください」
サルトリオが慌てて口を挟んだ。
「ここは帝国召喚院との協定で非武装地帯となっている地点です。お互いの同意がない限り、誰も立ち入ることはできません」
「可能だ。『緊急事態条項』。佰候召喚師が異影を制御できないと判断されたとき、その権限は停止される」
「…………?」
怪訝な表情を浮かべるサルトリオに対し、アンティオペーは続けた。
「大量の異影の発生、そして南沿岸部からの難民流入から、今回の異変の原因は帝国召喚院・ジャマール領にあると考えられる。以前より帝国召喚院は拙速なレコンキスタ遂行のために精霊塔等の施設をおざなりにし、自領民ばかりでなく周辺地域までも危険に晒してきた。よってバローク召喚院は緊急事態条項に基づき、合同部隊を編成し当該地域の制圧にあたるものである」
照明の揺らめきの中、アンティオペーの言葉は舞台の台詞のようだった。実際、それは執行部が書き上げた台本をそのままなぞったものに他ならなかった。
「バローク召喚院は一体何を……?」
「まだわからんのか?」
言葉を失うサルトリオに、アンティオペーは告げた。
「バローク召喚院はこの機に天涯回廊全域を手に入れるつもりなのだ」
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