五、『白鳥の騎士』・1


 マルコ・ストラーリが最後に見たのは地獄だった。

 雪崩れ落ちる黒。血よりも鮮烈な赤。

 その光景を、動かなくなった召喚機の中で眺めるしかなかった。

 黒に飲み込まれる寸前、マルコの脳裏に様々な想念が駆け巡った。故郷。両親。友人。そして第十二師団の仲間たち。

 このことを彼らに伝えなくては。

 そう思いかけ、それが手遅れであることを悟った。今、彼らが生きているとすればそれは運命がそう許したからであって、もし奇跡が起こって真実を伝えられたとしても、最早、彼らの宿命を動かすことはできないのだ。

 代わりに、マルコは祈った。

 どうか、彼らが何も知らないうちにその生を終えられますように。これを知る絶望に比べれば、心安らかに逝けることがどれだけ幸いなことか。

 最後の瞬間、秘密をそのまま体へ閉じ込めるようにマルコは絶叫を飲み込んだ。

 ここには、俺たちの知らない怪物がいる……!


    1


 バローク市から南西に二百キロ、西地海に突き出た半島。

 古来、付近に住む者たちはそこを『天涯回廊』と呼んでいた。

 かつて幾度となく『異海』の侵食を受けて来た土地だ。『異海』の凪の時期、半島は『異海』の中から現れる。黒い海を割り、天へと続く道のように見えることから天涯回廊の名が付けられた。

 現在、天涯回廊は二つの勢力によって失地回復レコンキスタが進められていた。

 バローク召喚院第十二召喚師団、エミリオ・サルトリオの領地は北部沿岸にあり、合同部隊は鉄道を使い、その中心地サーカム市へ向かう予定になっていた。


    ◆


 そして、トーリ市を出立して三時間後、

「だーから! 奴のところに行くのは嫌だったんだ!」

 第三師団長、ディアドラ・アンティオペーはすでにふて腐れていた。

「何なんだこの列車は! さっきから景色が一向に変わらんではないか! 機関車はどうなってるんだ!? 牛にでも引かせてるのか!」

「はあ……」

 同じく第三師団正召喚士、《白鳥の騎士ローエングリン》エルザ・ノイシュは緊張した面持ちで向かいの席に座っていた。今回の任務、エルザは召喚機部隊長に抜擢されていた。よって、アンティオペーの右腕として、常に傍らにいなければならなかった。

「ま、まあ、これだけの行軍に耐えられるような鉄道を備えている領地は西大陸でも数えるほどですから……」

 エルザがアンティオペーをなだめている間も、列車は遅々として進んでいかない。右手は自然海、左手は連なる山々。列車はその狭間の平野を蒸気を上げながらゆっくりと進んでいく。

 三師団合同でのレコンキスタ。必要な資材は膨大だった。

 召喚機だけで十機以上。その上に精霊塔設置のための晶石、准召喚士たちが使うキャリア、その他に日常物資まで運び込まなくてはならない。

 ところがここの旧式機関車では全くの出力不足で、初期作戦に必要な物資さえ積み込むことができない。少しでも積荷を減らすため、今も正召喚士たちに哨戒を命じ、召喚機で自走させている始末だった。

「おまけにこの貧相な客車は何だ! 私は一等客車を取るよう言ったはずだぞ!」

「それが……より多くの市民を運べるよう、客車には等級を設けないことになっておりまして……」

 そこで、アンティオペーの鋭い視線がエルザを捉えた。

「お前は元々、サルトリオの配下だったな」

「…………はい」

 やはり。今回、召喚機部隊の指揮を任されたのはそれが理由だったのか。

 エルザは今でこそ第三師団の正召喚士であるが、五年前の事件まではエミリオ・サルトリオ率いる第十二師団所属だった。今回の任務も、半島の道案内、またサルトリオとの折衝を期待されてのことなのだろう。

「サルトリオがここを征服してから何年経った?」

「……確か、六年ほど経つでしょうか」

「その六年の間、奴は何をしていたのだ?」

 アンティオペーは窓の外に視線を移した。エルザには、アンティオペーの見ているものがわかった。

 一目でわかる貧しさだった。

 見渡す限りの田舎。道らしい道もない。舗装はされておらず、でこぼこと波打っている泥道ばかりだ。流れていく景色の中に集落が現れるのも稀だ。アンティオペー領の豊かな街並みにすっかり慣れてしまったエルザに、かつて見ていたはずの光景は目を覆いたくなるような衝撃をもたらしていた。

「まともな鉄道どころか、舗装された道すらない。街もなければ人間もいない。産業も物の流れもない。ここだけ時間が止まったかのようではないか」

「…………」

 この貧しさの理由をエルザは十二分に知っていた。

 その理由はまた、第十二師団がどうしてバローク召喚院に救援を求めたのか、またエルザがどうして他師団に移籍せざるを得なかったのか、それらの理由と源流を一つにしていた。

「何が『民を搾取したくない』だ。金が無くて何ができる? 力が無くて何ができる? たった一人で何ができるというんだ?」

 そう。そうだ。

 全ての理由はあの人へと辿り着く。

 現在、第十二師団に所属する、たった一人の召喚士。

 佰候召喚師、エミリオ・サルトリオその人に。


    ◆


 エミリオ・サルトリオは変人として知られていた。

 もちろん、世界でたった百人、召喚士たちの頂点である佰候召喚師ロード・クラスが普通のはずはない。しかしながら佰候召喚師には重要な共通点があった。

 戦い、征服し、養うこと。

 佰候召喚師に求められるレコンキスタ遂行のためには、より多くの財力、より強い戦力が求められる。そのために佰候召喚師たちは異影と戦い、精霊塔を建て、領地を押し広げ、民衆を養う。領地経営で得た資本を使い、召喚士を雇い、育て、戦力とする。そのサイクルを潤滑に行うことが普通の佰候召喚師に求められることなのだ。

 だが、エミリオ・サルトリオは普通ではなかった。

『レコンキスタの原動力は邪な欲望です』

 レコンキスタを行うのに必要な富。その富を生み出すためにはその新しい土地を開発する労働力が必要だった。そしてその苦役を担うのは、異影に追われ故郷を失った人々、あるいは旧領における低い身分の人々だった。

『異海』との戦いには欲望ではなく清廉な志が必要。そうサルトリオは公言していた。

 そして、自らの領地でその理想を体現しようとした。

 獲得した土地に難民たちを受け入れ、無償で土地を貸与し、税は最低限に。所属する召喚士も異影戦に必要最低限の人数しかおらず、それは佰候召喚師に許された枠を遙かに下回っていた。

 彼自身の生活も清貧そのものだった。他師団であれば准召喚士がするような仕事でさえ自分の手で行い、倹約に努めた。

 何故、そこまでするのか?

 かつてサルトリオは教皇領の聖職者で、そもそもが浮世離れしていた。

 レコンキスタの最中『天啓』を受けた。

 様々な憶測が流れたが、誰も真偽は知らなかったし、サルトリオも語ろうとしなかった。

 サルトリオ領は確かに豊かとはいえなかった。正召喚士の報酬もバローク召喚院の平均より下だったし、機体整備も自ら行うのが日常だった。

 それでもまだ、あの頃の第十二師団は普通の召喚師団の範疇にあったはずだった。麾下には十分な召喚士を有し、半島のレコンキスタを続けていた。

 五年前、あの事件が起こるまでは。


     ◆


「私は気に食わんのだ。奴が理想だのなんだの、甘っちょろいことをぬかしているのがな」

 アンティオペーの愚痴は、いよいよサルトリオ本人に向けられ始めた。

「選ばれし者には使命がある。我々がするべきことは戦い、領地を得、街を造り、領民を養い、美味いものを食い、美味い酒を飲み、明日の英気を養うことだ。それがノブレス・オブリージュというものだ」

「…………」

 エルザの新しい主、このアンティオペーはサルトリオとは正反対で、佰候召喚師らしい佰候召喚師だった。

 サルトリオが清廉潔白の塊だとすれば、彼女は名誉と欲望の塊だ。性格は尊大で独善的。彼女の配下となった五年間、エルザも数え切れないほど泣かされてきた。

 同時に、それを許されるだけの力を持つことを、エルザは嫌というほどわからされていた。術の強大さだけではない。後進の育成、領地経営、他領主との交渉……全てにおいてぬかりがなく、抜群の手腕を持っているのが彼女だった。

 エルザが黙っていると、アンティオペーは鋭い視線を向けてきた。

「……貴様はどう思うのだ?」

「え! わ、私ですか!?」

 内心を見抜かれたかのような問いに、エルザは座席から跳び上がりかけた。

 サルトリオへの尊敬の念は今でも変わることはない。自分を正召喚士へと導いてくれた恩義。絶大な力を持ちながらも、民に寄り添う清廉潔白な志は、この世にあって得がたき資質であると思う。

「立派な方だと思います。ただ……」

 一方で、アンティオペーが言うことも確かなのだ。理想を追い求めた結果、この貧困があることは事実だった。民衆への負担を避けるばかりに、元・第十二師団の正召喚士たちが流浪の身となったのも事実だ。彼らは散り散りになり、別の師団や別の召喚院、あるいは別の大陸へ渡る者もいた。彼らから恨み言を聞かされたことも一度や二度ではない。

「貴様だってわかっているはずだ。奴のやり方など上手くいきようもないことを。今回の件だって、そもそも奴が調停戦から逃げるからこんな厄介なことになるんだ。帝国領の佰候召喚師などに遅れを取るなど我々には許されないことなのだ」

 そう吐き捨てる主を前に、気が重くなっていくのをエルザは感じていた。

 サルトリオとアンティオペー。対称的な二人が召喚院で顔を合わせることはほとんどなかった。が、お互いの方針に対して嫌悪感を持っているのは周知の事実であった。

 その二人が関わる作戦において、何も起こらないはずがない。そのことが、間に立たなければならないエルザに重圧を与え続けていた。

 気がつくと、アンティオペーの言葉が止んでいた。彼女はじっと窓の外を凝視していた。

「どうしました、師団長ロード?」

「…………」

 つられて視線が海へと向かった。

 穏やかな海である。何かあるのか? 列車の上空では飛行型召喚機が二機、警戒に当たっているはずだが……。

「まったく……! 揃いも揃ってこの鈍さか!」

 アンティオペーが立ち上がるのと同時に、複数の事が起こった。

 海原に水柱が上がった。白い飛沫の中に、黒い紡錘形の巨体が浮かび上がった。

 きぃんっ! 列車が急制動をかけ、アンティオペーが座席に転がった。

 そして列車と併走していた召喚機から切迫した[拡声]通信が入った。

『異影発見! 水棲型! 等級不明です!』

「まあぁぁぁったく! 一体、何を見ていたんだ!」

 座席に寝転がろがったままアンティオペーが怒鳴る。エルザは海に異影の姿を追った。異影は水面に体を打ちつけると、そのまま白波を立てつつこちらへと接近してくる。

 大きい……! 間違いなく第一級異影だ。

 エルザは後部車両へと向かいながら指示を叫んだ。

「総員、戦闘配置に着け! 哨戒している二機には異影を牽制させ、列車には近付けさせるな! 待機している正召喚士は召喚機の搭乗を急げ!」

「……もう遅い」

 ふて腐れたように腕枕をしたまま、アンティオペーが苦々しく言った。

「荷は解かなくていい。これ以上、到着が遅くなってはたまらん」

「ですが!」

「もう奴が来てしまった。我々の出番はない。ったく……借りなど作りたくないというのに……」

「奴……?」

 そのとき、頭の中に声が鳴り響いた。

 それは声、というよりも何か意思の塊のようで、エルザにとってはとても懐かしい感触だった。

 その意思に言葉を与えるのであれば、それはこう語りかけてきた。

『心配はいりません。ここは私に任せください』

「……っ、奴のこれはどうしてこんなに気に障るんだ!」

 舌打ちをし、アンティオペーは両手で耳を押さえる。

 しかし、そんなことをしても無駄なのだ。あの人の[告知]は直接、精神に働き掛ける通信魔術なのだから。

 思わず、エルザは窓から身を乗り出し、空を見上げていた。

 上空に一機の召喚機がいた。

 六枚の翼、白磁のような装甲。右腕には夕陽のような紅い輝きを宿す、一振りの長剣。

 召喚機《神聖不可侵サンクトゥリオ》。天使を象ったその機体は悠然と戦場に現れていた。

『天使よ、その御力を示せ』

 右腕の輝きが増す。晴天の下、天使の周囲に星のような煌めきが漂った。

 再び、海面が吹き飛んだように、水柱が立ち上がった。

 天使の数倍以上ある巨体が海上に躍り出た。鯰のような醜悪なシルエット。召喚機を一飲みにするには余りある顎が上空に広がる。 

『[織天使の剣]』

 それは流星のように見えた。《神聖不可侵》の煌めきが異影に向かって降り注ぐ。

 爆発。

 光が広がり、間を置いて轟音と熱波が列車に押し寄せてきた。

 視界が戻ったときには、膨大な熱量によって生み出された積乱雲が海上に現れ、吹き上げられた海水が雨のごとく、地上に降り注いだ。

 何事もなかったかのように天使は空から地上へと舞い降りた。線路の傍らの草原に機体が着陸すると、エルザはかつてに戻ったように佰候召喚師を出迎えに駆けていく。

 召喚機の構成が解かれた。あの白磁のように美しい装甲が消えさると、その下から現れたのは老木のようにくたびれた召喚機だった。ネイオスにも構造体にも隠しようのない経年劣化の跡が刻まれている。

 ハッチが軋みながら開くと、痩せた僧衣姿の男が姿を見せた。

 第十二師団長、エミリオ・サルトリオ。

 アンティオペーと同世代。細面の柔和な容貌。西大陸の神職者のイメージがそのまま人間の形をとったかのような男性だった。昔と同じように、威厳をいうものを感じさせない木訥とした雰囲気。だが記憶の中の姿よりも、その疲労の色はさらに濃いように見えた。

「ご無沙汰しております、サルトリオ召喚師」

「エルザ。久しぶりですね。元気にしていましたか?」

 サルトリオはかつてと同じような、どこか寂しげな微笑を浮かべ、それから列車へ向かって手を挙げた。

「アンティオペー、よく来てくれました! あなたの善行に感謝します!」

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