間章、召喚士たちの午後・4

   4


妖精の王オーベロン》がのしのし、格納庫区画の通路を進んでいく。

 その後ろ姿を、リーズリースは格納庫の前から憮然と眺めていた。

 故郷でのウィルのことを思い出す。いつも生意気な態度だったのに、どういうわけか、年上の女性たちからは非常に可愛がられていたものだった。

「大丈夫?」

 傍らにパディントン整備主任がいた。リーズリースは平静を装い、素っ気なく答えた。

「……大丈夫じゃないですか? 通常の訓練くらいなら慣れたでしょうし」

「そうじゃなくてあなたのほう。ウィルくん取られちゃって」

「……え?」

「さびしくない? お昼ごはんとか一人で食べられるの?」

「食事くらい私一人で大丈夫です!」

「そう? 私の方はウィル君にまだ頼みたい仕事があったんで大打撃なんだけど」

「……それは整備班で何とかしてもらえませんか?」

 演習場へと向かう《妖精の王》を眺めながら、パディントンが尋ねてきた。

「ねえねえ、小さい頃のウィル君ってどんな子だったの? モテた?」

 こちらの心を見透かしたかのような質問。リーズリースはわずかな沈黙のあと、言った。

「優秀な召喚士でした。私よりもずっと」

「そんなにすごかったんだ」

「この剣も、もともとはウィルの眷属だったんです」

 リーズリースは腰の〈光剣クラウソラス〉に手を触れさせた。

「武芸も召喚術も、大人に引けを取りませんでした。私とほとんど歳も変わらないのに。騎士団でもウィルに勝てる者は数えるほどでした」

 ウィルがこの魔剣を振るっていたときの姿を憶えている。巨大な異影(思えばあれはせいぜい二級程度の異影だったのだろうが)に立ち向かう少年の大きな背中。それでも召喚機も使わず、単独で打ち倒していたのだ。……もし騎士団が存続していたら、亡き父はきっと、リーズリースの代わりにウィルを後継者にしていただろう。

 記憶から言葉を絞り出していくうちに、心が重たい何かに包まれていく。

「……今はまだ召喚機に慣れていないだけです。ちゃんとした眷属と契約して、きちんと訓練を積んだら、きっと優秀な召喚士になれるはずです」

「残念だなあ。あのお手伝い力があれば、整備班ならエース待遇なのに」

「そうやっていいようにウィルを使うから召喚機の訓練が遅れるんじゃ……!」

 言いかけて、リーズリースは言葉を詰まらせた。パディントンの物憂げな眼差しが、まっすぐリーズリースを捉えていた。

「……また、出撃になるみたい」

「……いつですか?」

「教授から、今日中に召喚機の整備を済ませるよう指示があったの。……オクタ・ドールも含めて」

 穏やかな日差しが、急に冷たくなったような気がした。

 パディントンは手にしていたファイルを差し出してきた。

「天涯回廊での失地回復作戦レコンキスタ。いま召喚院にいる戦力で合同部隊を作って送り出すみたい。参加するのは第三師団と第五師団、それから試験機部隊。……ウィル君の名前もリストにあった」

 ファイルを受け取り、目を通す。メイヤンの言った通り、三師団合同の作戦行動だった。総指揮を執るのは第三師団、ディアドラ・アンティオペー。各師団から三、四名の正召喚士が参加することになっており、そこにウィルの名前もあった。

「いくら教授だって、いきなり危険な任務に放り込むようなことは……」

「そう、私もそう思えればいいんだけど」

 パディントンは躊躇いがちに続けた。

「リードマン教授は大丈夫だって言ってる。『彼なら正召喚士なんだから』って……。教官は一流の召喚士だし、本当に大丈夫なのかもしれない。ただの、私の杞憂なのかもしれない。どのみち、私はただの整備士だし、何の権限もない。命令があればそれに従うしかない」

「…………」

 彼女の視線を受け止めることができず、リーズリースは目を伏せた。自分がリードマン側の人間として、共に責められているような気がした。

「ウィル君、聖都のこと、何か話してくれた? 誰に召喚術を教わってたとか、どこで妖精たちと契約したのかとか、そういうこと」

「……いえ」

 何もなかった。ウィルがバローク召喚院に来てから一週間が経つが、聖都の話はほとんどしていない。

「そう。私も世間話のついでに聞いてみたんだけど、ウィル君、聖都のことあまり話したくないみたいだったから」

《妖精の王》はゆっくりと通路を曲がり、格納庫の陰へ入っていく。

「私は整備士だから、これまでたくさんの召喚士を見てきた。最初から何でも出来た召喚士も、どんどん伸びていく召喚士も、訓練で一人前になる召喚士もたくさんいた。でも、その逆もたくさん見てきた。正召喚士になれずに焦る準召喚士も、だんだんと魔力が弱まっていくことに苦しんだ召喚士も、無理をして体を壊す召喚士も、いっぱい」

 遠くを見ながら、何を思い出していたのだろう。リーズリースにはわからなかった。ただ、パディントンが何を言おうとしているのかは、おぼろげにわかりかけてきた。

「私は、今のウィル君も立派だと思う。昔と変わってしまったとしても、戦うことを忘れてしまったとしても。こんな世の中で今まで生き延びてきたこと自体、きっといろんな事があって、大変なことだったはずで……。もちろん、私はウィル君と知り合って数日だし、何があったのかも知らないけど。でも……」

 パディントンはリーズリースに視線を戻した。

「あなたは知ってるでしょう? ウィル君がどういう子なのか」

「………………はい」

 答えを聞くと、パディントンは寂しげに笑いかけ、

「ごめんね、上手く言えなくて。ええと……こう言いたかったの」

 それからリーズリースの体を抱き寄せた。

「絶対に無理はしないでね。ウィル君のことも、あなた自身も、ちゃんと守ってあげて。そして、ちゃんと無事に帰ってきて」

「……わかっています」

 体を離すと、じゃ、と微笑を残して、パディントンは整備士たちのところへ戻っていった。

《妖精の王》の姿はもう見えない。格納庫の前、リーズリースは一人、取り残された。


    ◆


 世界地図を一見すれば、どこに最前線があるかすぐにわかる。

 三つの大陸と三つの大海で形作られた三つ葉のような世界。

 その中心部は黒く、その周縁部は白い。

 描き込まれたインクの密度は、人類の支配がどれほど及んでいるかを示している。

 旧領、安定して人間たちが支配していた地域は精密に描かれ、『異海』の侵食に晒されてきた新世界は簡素に描かれている。その外側の空白は、すべて黒。いまだ『異海』が支配する未知の領域である。

 白と黒の狭間。そこが人間と『異海』、レコンキスタの戦場なのだ。

 今回の目的地、『天涯回廊』もその最前線の一つである。

 

    ◆


 ホームに降り立つと、久しぶりの潮風に迎えられた。

 演習終了から七十二時間後。合同部隊は中継地点である聖皇領トーリ市に到着していた。

 列車から降りたリーズリースは髪を押さえ、高台の駅から街の様子を眺めた。港町の白壁、自然海の青、その中を伸びていく霞がかった半島の灰色。

 そして、沖に立ちこめる『異海』の黒。

 リーズリースは再び、レコンキスタの最前線に立っていた。

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