間章、召喚士たちの午後・1

    1


 召喚院、本部棟近くの医務室。

 医師はウィルの目を覗き込んだ。

「気分はどう? 頭は? 首は痛くない?」

「大丈夫です。何ともありません」

 ベッドの上でにっこり笑みを浮かべるウィル。その傍らに立っていたリーズリースが不安げに口を挟んだ。

「本当に大丈夫なんですか? 霊体への負荷は外見からではわからないんですから。異常があればはっきり言わないと」

「本当に大丈夫ですから。それよりも姫様を診ていただかないと……」

「私のことはどうでもいいんです!」

「まあ骨折もないし……軽い打撲でしょう。明日以降、痛みが出るかもしれないから、今日は大人しくしていること。じゃあ、私は他の患者さん診てくるからこれで」

 医師が病室を出て行くと、リーズリースはウィルに言った。

「私も一度、戻らなくては」

「それでしたら僕もお供します」

「駄目です。安静にしているよう言われたでしょう? 演習が終わったら迎えに来ますからそれまでここにいること。いいですね」

 念を押し、リーズリースは演習場へと戻っていった。

 ウィルはベッドに横たわった。巡らされた白いカーテンの上で陽光が揺れていた。天井を見上げ、ウィルはほっと息を吐いた。

 ……本当に、無事でよかった。

 リーズリースの捨て身の構成。もしあのまま攻撃がぶつかり合っていたら、どうなっていたかわからない。

 こうなったのも自分のせいだ。ファン・メイヤンが執拗に自分を狙ったのも、きっとあのときのことが原因だ。あんなこと、すべきではなかった。でも……。

 目を開いた。

 部屋に変化はなかった。足音も呼吸音も何もしない。それでも、ぞわり、凄まじい殺気が病室の入り口から放たれていた。

「〈スプリガン〉!」

 反射的に召喚術を唱えていた。手の平から財宝を守護する妖精が出現し、一瞬にして空間を覆い尽くすほどに膨らんだ。

 直後、カーテンを突き抜けてきた白い虎の爪が〈スプリガン〉に突き刺さった。

 ばん!

 魔力の粒子を撒き散らしながら、〈スプリガン〉の風船のような体が弾ける。その衝撃で、ウィルはベッドから転がり落ちた。

 顔を上げたウィルが見たのは、ベッドの上の〈白虎〉と、その向こうにいるファン・メイヤンの姿だった。

 薄衣だけを身に纏い、まるで幽鬼のように蒼白な顔でこちらを見下ろしていた。

「な、な、な……?」

 本物の殺気だった。

 もしあの攻撃を受けていたら……。大怪我で済めばいいほうだ。頭の上で〈ブラウニー〉がウィルの髪をがっしり掴み、がたがた震えていた。

「……わかっていたんだな?」

 メイヤンがぼそりとつぶやいた。

「す、す、す、すみません! わざとじゃないんです! 先ほどはつい手が出てしまって……! お怒りなのはわかりますが、どうか命だけは……!」

「そんなことは聞いていない! わかっていたのかと聞いているんだ!」

 謝るウィルの言葉を遮り、猛禽のような目を向ける。ウィルはひたすらかぶりをふった。

「落ち着いてください! 僕なんかが何も知るわけがないんです!」

「八体同時召喚」

 その一言に、ウィルの肩がびくりと震えた。

「契約は魂に大きな負荷がかかる。召喚門を開く素質を持つ者は十人に一人。その中で四体と契約し正召喚士になれるのは十人に一人。さらにそこから佰候召喚士のように五体の眷属と契約を結び、その力を操れるのは百人に一人。八門など本来、ありないことだ」

「ですからそれは妖精たちの抵抗が弱いからで……!」

「誰一人として、そんな感覚は持っていないんだ。八つの世界から、同時にこの世界を感じるなんて。常人であればそれだけで狂気に囚われてもおかしくない感覚のはずだ」

 メイヤンがゆっくりとベッドを回り込む。ウィルは壁に背中を押しつけた。

「お前にはどこまで見えていた? どこまでわかっていた? 私の何を知っている?」

「何も知りません!」

「ふざけるな! 並の召喚士に今の一撃が見切れるものか!」

「偶然です! たまたまです! 手が滑ったんです!」

「私と戦え。今、ここで」

「さっき戦って、僕が負けたじゃないですか!?」

「私は黄だ。大宗伯の一族だ。こんなところで遅れをとるわけにはいかないんだ!」

 あのときと同じだ。あのときと同じく、意識はこちらを突き抜けて別なところを見ている。

「……いくぞ」

「待って! 待ってください……!」

「白虎招来!」

 メイヤンが印を結ぶ。控えていた〈白虎〉に、強い魔力が宿る。〈白虎〉が態勢を低くし、四肢に力を込める。

 ウィルは覚悟を決めた。

 目を瞑り、両手を差し出しながら。

 一歩、前に踏み出した。

 ……………………。

 来るべき痛み。それはいつまで待ってもやってこなかった。

 あるのは、ウィルの腕の中で肩を上下させる少女の、過剰な体温だけだった。

 ウィルはおそるおそる目を開けた。

「なーお」

 ベッドの上で、白黒の縞模様の猫が気の抜けた鳴き声をあげていた。

 まるで虎がそのまま縮んでしまったかのような猫が、ふてぶてしい態度で大欠伸をし、やがて白い煙となって消えていった。

「……やはり、気付いていたんだな」

 ウィルの腕の中で、メイヤンがぼそりと言った。

 体が湯だつように熱い。人形のようだった表情は青ざめ、肩で息をしていた。

 彼女の魔力は、とっくに限界を迎えていたのだ。

 高度な使役力の代償なのだろう。瞬間、瞬間、全力を引き出すメイヤンの戦い方は持続力をあっという間に削り取っていく。

 ウィルは、崩れ落ちたメイヤンを抱き止めたまま、耳元の苦しげな息づかいを聞いていた。

「あのときもそうだったのか?」

「…………」

「練兵場でも、私を受け止めようとしたんだな?」

「…………」

「その後も、あの女との間に割って入ってきたのもそうだな」

「…………」

「私を護った? いや、違うな。あいつを護ろうとしたんだ。あいつに誰も傷つけさせないように」

「…………」

「今はどうだ? どうして私を助けた?」

 メイヤンの声は朦朧としていた。それは問いかけなのか、内省であるのか、判別ができなかった。

 一つはっきりとしているのは、自分はメイヤンを傷つけたということだった。

「……誰にも言いません。約束します」

「それでお前に何の得がある? 目的は何だ?」

「……僕は痛いのは嫌いです。だから、誰にも同じ思いをしてほしくないんです」

 それは本心だった。

 そんなつもりはなかったのに。彼女の触れてはいけない傷、それを抉るような真似を。メイヤンが優秀な召喚士なのは間違いない。それが僕なんかのために……。

「忘れます。必ず」

「お前の好きにすればいい。悟られた私が間抜けなんだから」

 メイヤンの体から力が抜けた。そのまま気を失い、崩れ落ちる。

 ウィルは何とか彼女を支え、ベッドに寝かしつけた。メイヤンの表情は、憑きものが落ちたかのように穏やかになっていた。

 足から力が抜け、ウィルは床に座り込んだ。

 どうしてこんなことに。

 やるべきではなかった。余計なことをすべきではなかった。自分は何も考えず、何も諮らず、ただ、神様の御心に従うべきだったのに。

 いつの間にか、妖精たちが現れ、こちらを不安げに見つめていた。妖精たちの表情は、ウィルの不安を正確に反射しているようだった。

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