四、『鵺』・5

    5


 発令所の隅で居眠りをしていた第四師団長、ヤナ・ヤクシュがうっすら目を開けた。

「……あれ、違うやつ」

「メイヤン、また余計なことを……」

 窓際で仁王立ちしていた第五師団長、ワン・グゥオフは眉間に皺を寄せた。

「ああ、うちのリーズリース・ディ・グレンクラスですね」

 第十三師団長、アレフロート・リードマンが双眼鏡で演習場を覗きながらおっとりと言う。

「何? 反則か? あはは、まずは試験機部隊の脱落か」

 壁際の椅子でふんぞり返っていた第三師団長、ディアドラ・アンティオペーが愉快そうに笑った。

 ワン・グゥオフがリードマンにたずねた。

「どうする? 一度、止めるのか?」

「このままやらせてもらえませんか? 二人の戦闘が終わるまでは。もちろん、うちは失格で結構ですので」

「そちらはそれで構わないだろうが、こちらだって都合があるんだぞ」

「ははは。第三師団はそれで構わないぞ。ワンのところが不利になる分には」

「……私もそれでいいよー」

「…………」

 気楽に答えるアンティオペーとヤナ・ヤクシュ。ワンの眉間の皺がより深くなった。


    ◆


黒騎士ブラック・ナイト》が森を跳ねる。

 障害競争のように、木々を間を疾駆する機体の中で、リーズリースは[感覚共有]に全神経を集中していた。

「…………!」

大鴉ブラン〉の眼が六時方向に何かが動いたのを察知した。上空から伸びてきた青い棍が《黒騎士》に振り下ろされるのと、リーズリースの意識に反応した〈デュラハン〉が左腕を振るうのとはほぼ同時だった。

 強い衝撃が機体を襲う。それを堪え、リーズリースは吠えた。

「薙ぎ払え!」

〈デュラハン〉は〈光剣〉の宿った右腕を突き出す。白い熱閃が後方上空を舐める。

 接触寸前、異形の召喚機は空中を翻り、森へと急降下した。〈光剣〉の追跡能力を、相手の機動力はさらに上回っていた。熱閃は空気を灼き、霧散した。

キマイラ》は地面に刺さるかのように着地すると、今度は地面を這い懐に入り込んでくる。眼前で、獣の集合体が蠢き、一瞬、人の姿を形作った。

 轟音。機体が宙へ吹き飛ぶ。

 何を食らったのかさえわからない。《黒騎士》の装甲に撃ち込まれた《鵺》の一撃がリーズリースの魂を揺るがす。

「っ!」

 それが……なんだというんだ!

 飛びかける意識を激しい怒りが繋ぎ止めた。

 リーズリースはロッドを握りしめ、魔力を右腕ネイオスへ注ぎ込んだ。

「〈光剣クラウソラス〉!」

 今度は至近距離。攻撃を受けながらも放たれた光剣の一撃が《鵺》を捉えた。そう思った瞬間、《鵺》の周囲の空間に黒い紋様が浮かび上がる。

 現れた黒い六角形の結晶。それは盾のように熱閃を四方へと受け流した。

 吹き飛ばされた《黒騎士》は針葉樹に激突する。再び、リーズリースが視覚に集中したときには、もう、黒い盾も《鵺》の姿も見えなくなっていた。

 頭が沸騰しそうだ!

 演習領域外を目指す《黒騎士》は、《鵺》の執拗な追撃を受け続けていた。

〈大鴉〉の目は絶えず動き、《鵺》の姿を捉えようとする。動体視力を限界まで発揮させているのに、それでも《鵺》は影のようにしか見えない。

 全く捉えどころがない。《鵺》の名の通り、その姿さえ一定ではない。紅・蒼・白・玄。次々に姿を変え、地上から空中からこちらを攻め立てる。攻撃は速く、防御は硬い。手の届くところに来たと思えば、すぐに離脱している。このわずかな戦闘の間にこちらの射程を計り、決してその中には留まらない。

 こちらは防戦一方だ。まだ致命傷には至っていないが、少しでも集中力を切らしたら、ネイオスを破壊されるだろう。

 ファン・メイヤン。使役力評価S。東方の天才。その言葉が頭を過ぎる。認めたくはないが技量の差は歴然としていた。これが佰候召喚師を目指す精鋭の力なのか? 召喚機を操るために、幼い頃から英才教育を施された原石たちの力なのか?

「……っ!」

 操縦席の振動にウィルが呻き声をあげた。彼はいまだ苦悶の表情を浮かべていた。

 執行部は何をしているのだ。どうして戦闘をやめさせない? それとも優秀な召喚士はどのような無法を行ってもいいというのか?

 怒りが、再び戦意を昂ぶらせた。

 私はまだ負けてない!

 相手が誰であろうと関係ない。こちらの行く手を阻むのであれば、踏み潰してでもまかり通ってやる!

 奥の手はある。

 実戦で使ったことはないが、《鵺》に対抗するにはこれしかない。

 メイヤンはこちらの射程のぎりぎり外を正確に保っている。それは確かな観察力の証拠であると同時に、自信と慢心の現れである。

《鵺》が次に接近した瞬間、構成を変更し反撃を撃ち込む。

 見せてやる。私のもう一つの構成を。


    ◆


 一撃離脱。それが召喚機の最も一般的な戦術である。

 異影に先んじて居場所を察知し、異影に先んじ地の利を得、異影に先んじて攻撃を加える。

 索敵・機動・火力。優れた召喚機はその三点に長じている。

 ファン・メイヤンの構成、《鵺》もそれを兼ね備えていた。

 四聖獣の鋭敏な感覚、陸・海・空と地形を選ばない踏破力と機動力、そして、メイヤン自身の使役術によって引き出される瞬間火力。

 常に盾よりも矛が勝るのが戦場だ。召喚士の持続力に限界がある以上、防御に回ることは死に直結する。

 だというのに……!

 操縦席。メイヤンは〈朱雀〉の翼を使役しながら、《黒騎士》を見やった。

 真っ黒な、半人半馬の機体。動きは鈍重。上半身の制御は大仰で読みやすく、下半身の騎馬は森の中で機動力を発揮出来ていない。

 索敵能力は平均的。こちらの動きにある程度は反応しているが、少し緩急をつけてやるとすぐに見失う。

《黒騎士》がゆっくりと剣を振るう。白い熱閃が《鵺》に迫る。

 メイヤンは[朱雀翼]を畳み、[白虎走]に移る。光の剣の熱閃が上空で霧散した。《鵺》を捉えることは出来ていない。おそらくはこれが追尾性能と火力の両立できる限界なのだろう。

〈白虎〉の四肢が地面を駆ける。体勢を低く、地面を這うように、一気に接敵する。

「絶招!」

 機体を再構成。

 腰部ネイオスに顕在した〈玄武〉の四肢が地面に食い込み、力を生み出す。

 胴部ネイオスに顕在した〈白虎〉の体躯がしなやかに、その力を腕部に伝える。

 頭部ネイオスに顕在した〈朱雀〉の翼が力の向きを変え、加速させる。

 右腕ネイオスに顕在した〈青龍〉の牙が力を一点に収束させる。

 獣の集合体は人の形を為し、敵のネイオスに楔を撃ち込んだ。

「[四神発勁]!」

 どん!

 空気の震えが操縦席に伝わる。

 確かな手応え。右腕を撃ち込まれた《黒騎士》が宙に舞い上がる。

 その途端、悪寒に襲われた。

「[朱雀翼]! [白虎眼]!」

 メイヤンは次々と術を展開する。《鵺》は翼を発生させ、距離を取る。

《黒騎士》は空中で不十分な態勢から、さらに〈光剣〉を振り降ろしてきた。

「[玄甲盾]!」

 咄嗟に術を行使。《鵺》の眼前に現れた〈玄武〉の甲が熱閃を防いだ。翼を二度、三度打ちつけ、《鵺》は安全圏へと後退する。

「…………っ!」

 木々の間に潜り込み、メイヤンは舌打ちした。

 何なんだ! あの面倒くさい機体は!

 あの一撃でネイオスを破壊するつもりだった。確かな手応えもあった。だというのに……。

 硬い! 会心の一撃はそれでもなお、相手を崩すことができなかった。

《黒騎士》の術者は、はっきりいって召喚術が下手だ。

 火力はあるが、動きは単調で遅く、至極読みやすい。相手の裏を突こうという駆け引きさえできない。まともにやれば、目を瞑っていたって攻撃など食らいようがない。

 だが、恐ろしく硬い。

 他の召喚士は魔力の消耗を防ぐため、臨機応変に防御を固める。

 こいつは違う。

 常時、防御を固めている状態だ。それでいて持続力が切れる気配がない。

 魔力は呼吸の波に似ている。常に全力を出すことはできない。弱まるときが必ずある。

 それが奴にはない。他の召喚士が息継ぎをしながら泳いでいる隣で、顔を水につけたままがむしゃらに手足をばたつかせ、それでも最後まで泳ぎ切るような持久力。

 教官ワン・グゥオフから聞かされた。リーズリース・ディ・グレンクラスの情報。異端師団に所属する持続評価Sの正召喚士。これだけ戦って、なお尽きることのない魔力。

 そのとき、思考が遮られた。

「…………!?」

 機体の空中制御に乱れ。わずかに集中力が途切れたことに気付き、慌ててロッドを握り直す。

 時間が掛かりすぎた。仕掛けてから、おそらく五分は経っている。

 負ける気はしない。だがこのまま続ければ、勝てたとしても、間もなく周囲から押し寄せる他師団の集中攻撃を受けるだろう。

 ……危険は伴うが、罠を仕掛けるしかない。

「…………?」

 メイヤンが間合いを計っていたそのとき、《黒騎士》の全身が陽炎のように揺らいだ。


    ◆


 構成変更。

〈デュラハン〉の防御能力を全て、機体の制御へと振り向ける。

 全身を覆っていた黒鉄は霧に溶け、フレームが透けて見える。装甲と引き換えに手に入れた、純化された機動力。

「跳べ!」

 機体が跳躍する。先ほどまでの鈍重な動きが信じられないほどの機体の軽さ。直後、リーズリースは空中を漂う《鵺》に迫っていた。

「貫け!」

〈光剣〉が槍のように伸び、上空を舐めた。

 熱閃が《鵺》の赤い翼を掠める。片翼の顕在が破壊され、わずかにバランスを崩した。距離を取ろうとあがくが、失速しながら高度を下げていく。

 捕まえた!

「オスカー!」

 ロッドに魔力を送り込む。《鵺》の腕部に焦点を定める。〈デュラハン〉が〈光剣〉を振り下ろしたそのとき。

「!」

《鵺》が視界から消失した。

 虚空に撃ち込まれた熱閃が霧散する。

 全身を襲う悪寒。敵を完全に見失い、空中の自機はただ自由落下するのみ。

 リーズリースは敗北を悟った。

 無防備なのは自分になっていた。攻撃も防御も回避も間に合わないだろう。リーズリースに出来たのは覚悟を決めることだけだった。


    ◆


 遅い!

 何もかもが未熟だった。

 敵の眼前で再構成するにはあまりにも拙い使役力。あの煩わしい装甲を捨て去った判断力。機動力に集中しきれない純化召喚。

「[朱翼幕]!」

《黒騎士》の視界を覆うように〈朱雀〉を変化させる。

〈光剣〉が幕を貫いた瞬間、《鵺》は機体を反転させ、敵機の背後へと回っていた。視覚に頼り切った《黒騎士》は呆けたように剣を突き出したままの姿で致命的な隙を晒していた。

 止め。メイヤンはロッドの上で印を結んだ。

「〈青龍〉招来!」

 右腕ネイオスに宿った〈青龍〉が変化し、牙を模した長刀へと変化する。《黒騎士》の左腕ネイオスに狙いを定め、機体を急降下させた。

「…………!?」

 何故か、悪寒がした。

 それは獣たちが持つ第六感だった。じっと見つめられているような嫌な重圧が《黒騎士》から放たれている。まるで背中に目が付いているかのように、こちらの動きは全て読まれているかのような感触。一度退け。本能が告げる。だが……。

「『青龍月刃』!」

 メイヤンはそのまま〈青龍〉の長刀を振り下ろした。

 何者かの腕が、長刀を掴んでいた。

 後部、何も宿っていなかったはずの腕部ネイオスに光が宿り、そこから顕在化した半透明の腕が伸びていた。

 その腕の力はわずかなものだった。《鵺》の力の方向をわずかに変えたに過ぎなかった。

 だが、それが致命傷となった。《鵺》の突進、《黒騎士》の重量、それが絶望的に噛み合って……。

《鵺》は地面に激突した。


    ◆


「…………?」

 リーズリースは操縦席で荒い息を吐きながら、あっけない結末に呆然となっていた。

 やられる。そう思った瞬間、《鵺》はこちらの脇をすり抜けそのまま墜落していったのだ。残されたのは顕在化を解かれたメイヤンの召喚機と《黒騎士》だけ。

 あの一瞬、機体の制御されていない腕が動いたような気がしたのだが……。

「ウィル?」

 そんなはずはない。前部座席のウィルはいまだ苦しげなまま。何より、他者の魔力場の中で顕在化が出来るはずがない。

『司令所から演習場各機へ。司令所から演習場各機へ。行動不能機の回収のため、演習を一時停止する。構成を解き、その場に待機すること。繰り返す……』

 司令所から[拡声]魔術が聞こえ、我に返る。〈大鴉〉を介して、救護班のキャリアが領域外からやってくるのが見えた。リーズリースは構成を解除し機体を接地させると、ウィルの介抱に取りかかった。

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