四、『鵺』・4

    4


 演習は乱戦模様となっていた。

 アデルの爆撃をきっかけに演習場各所で戦闘が開始される。四方から、眷属たちの生み出す魔術が飛び交い、顕在化した武具が打ち鳴らされる。そんな中、

「「…………」」

 リーズリースとウィルは、召喚機《妖精の王オーベロン》の操縦席でむっつり黙り込んでいた。

 何故か、誰とも遭遇しない。

 パネルに映し出されている風景には、たびたび他師団の召喚機が確認できたのだが、運良く彼らはこちらに構わず、他の機との戦闘へと向かっていった。

 今のところ、《妖精の王》はのそのそと森を歩いているだけで、リーズリースは後部座席で緊張を持て余していた。

 自分の知らない戦場だった。

 構成《黒騎士ブラック・ナイト》の戦場は常に最前線にあった。リーズリースの膨大な持続力と〈デュラハン〉の高い防御力に物を言わせ、常に異影の矢面に立つのが《黒騎士》の戦術だ。

 というより、《黒騎士》は何の隠密性も持っていない。そこそこ器用な術士なら当然持っているカムフラージュ能力など、不器用な自分とその眷属が持ち合わせているはずもない。潜伏しながら魔力の消耗を抑え、先手を取ることなどやりたくてもできない。

《妖精の王》は真逆だった。

 妖精は人間の近くに棲みながら、ほとんど気付かれることもない存在だ。確か〈クー・シー〉は音も無く歩き、〈ピクシー〉は特別なまじないをしない限り姿を見ることもできない、そういう特性を持っていたはずだ。純化で隠密性を顕在化できたなら、召喚士たちの目を誤魔化すことも可能だろう。

 ウィルの様子を窺う。彼は操縦桿ロッドを握りしめ、懸命に機体をコントロールしていた。

 声を掛けたくなるのを堪える。集中を乱すわけにはいかないし、優秀な感覚群を持つ召喚機なら、わずかな音から敵の位置を特定できる。声を掛けるのは、自分の不安を押し殺すためでしかないのだ。

 生きた心地がしない。何かが起きても、ウィルの魔力場の中ではリーズリースは無力だ。それなのに視界で何かが動くたびに、無意識のうちにロッドを握る動作を繰り返していた。

「あの、これからどうしたらいいでしょうか?」

 たずねてくるウィルに、リーズリースは顔を寄せて囁いた。

「静かに。あなたの思う通りにやってみてください」

「でも、僕にはどうしていいか……。アデルさんとアイシャさんの足を引っ張るわけにはまいりませんし。あ! あ! もちろん教官であるリーズリースにご迷惑をかけられないという気持ちも当然……!」

「静かに……!」

 リーズリースはウィルを制した。

「このまま進みましょう。いざとなったら[ブラウニー・パンチ]でできる限りのことをすればいいのですから」

 言ってはみたものの、他師団の召喚機相手に[ブラウニー・パンチ]ではどうすることもできないだろう。

 しばらくして、また、ウィルが振り返った。

「あの……」

「今度はなんですか?」

 ウィルが操縦席の前面パネルを指さした。

 スクリーンに、鉄の円柱群が映っていた。そこにはバローク召喚院の紋章、古代神殿を象った印が刻まれていた。

 目標地点だった。ここを五分間、何事もなく制圧すれば勝利となる場所だ。気付かないうちに、戦場を数キロ歩いて無傷のまま辿り着いてしまっていた。

 慌てた様子でウィルがたずねてくる。

「ど、ど、どうすれば……!」

「ま、ま、待ってください……!」

 リーズリースの思考が停止する。敵と遭遇したときのことばかりを考えていて、それ以外のことは頭になかった。演習の経験が少ないリーズリースにはどうしていいのかわからないし、双子に相談しようにもどこにいるのかもわからない。

 定跡としては、他師団が状況を把握していない序盤に一機に先行してそのまま占拠するか、戦闘でのつぶし合いのあと機を見て占拠に移行するかだ。

 今、占拠すれば袋叩きに遭うのではないか? でも、他機に捕捉されているのなら、とっくに攻撃されているはずだ。

「と、とりあえず、中に入ってみましょう」

「はいっ」

《妖精の王》は円柱群の中に入った。身構えたが、何も起こらない。五秒、六秒、七秒……。もしかして、このまま勝利してしまうのか……?

 そんな呆けた考えが頭をよぎったとき、リーズリースの目は大木の一つに釘付けとなった。

 一機の召喚機が木々に巻きつくようにして、こちらの様子を窺っていた。

 異形の機体だった。

 赤い翼、白い腕、青い鱗、黒い尾。複数の獣たちが組み合わさった姿。

 だが、その姿をはっきり捉えようとすると、流れ落ちる顔料が入り交じるように、それらは絶えず蠢き、絡みつき、入り組み、その本性を掴ませようとしない。

 ファン・メイヤンの召喚機、《キマイラ》。

 四つの頭、八つの目が一斉に動き、《鵺》はその姿を消した。

「ウィル!」

「〈スプリガン〉!」

 リーズリースが叫ぶと同時に、ウィルが眷属に命令を下していた。

 ネイオスに宿っていた〈スプリガン〉が風船のように膨らみ、そして……。


    ◆


 終わりは突然やってきた。

 パネルに映し出された景色の中、竜の頭が迫ってくる。ネイオスに展開した〈スプリガン〉が膨らむ。

 直後、衝撃。

 気がつくと、操縦席は真っ暗になっていた。体は背もたれに押しつけられている。機体は仰向きに倒れているようだった。

 ウィルの構成が消失したのだ。〈スプライト〉が創り出す幻灯機も、騒々しい〈エコー〉の反響もない。機体はただのがらくたと化していた。

「ウィル、大丈夫ですか!」

「っ……くっ……!」

 ウィルの様子がおかしい。リーズリースは体を起こし、前部座席を覗き込んだ。ウィルは肩を押さえ、賢明に痛みを堪えているようだった。

「ウィル!」

「リーズリース……申し訳ありません……こんな結果になってしまって……」

 ハッチから漏れる光の下、額に脂汗が滲んでいるのが見えた。

 門の損傷による魂痛。

 眷属へのダメージが門へと伝わり、それを宿す召喚士の魂に強い負荷を与える。眷属が一撃で吹き飛ぶような衝撃を受ければ、意識を失うことも珍しくない。

 ウィルは固く目を閉じたまま、うわごとのようにつぶやいていた。

「リーズリースは……? お怪我はありませんでしたか……?」

「私の心配をしている場合ですか! しっかりしてください、すぐに医務官のところに連れて行きますから!」

 ウィルの苦悶の表情が、リーズリースの心を罪悪感で満たした。

 わかりきった結末だったはずだ。召喚機に乗って一週間しか経っていない術士が戦場に出ればどうなるかくらい。それなのに……。

 さらなる衝撃が襲ってきたのはそのときだった。

「!」

 操縦席が回転し、リーズリースはシートに体を打ちつける。

『サッサト立テ』

 そこへ、外から奇妙な声が聞こえてきた。


    ◆


「[四神眼]」

 メイヤンは木々の間に《鵺》を隠し、注意深く相手を観察した。

 さらなる一撃を受けても、奴のドールは全く無防備のまま転がっていた。

 もう終わりか?

『あれ』は自分の気のせいだったとでも言うのか?

 そんなわけはない。どれだけ爪を隠そうと、お前が虎だということには変わりはない。

「さっさと立て」

 戦って勝つ。それが我が一族、大宗伯・黄氏に求められていることなのだ。


    ◆


「こちらは《妖精の王》!」

 リーズリースは操縦席の中で叫んでいた。あちらが聴覚を強化しているのなら聞こえているはずだ。

「こちらの負けです! 攻撃をやめなさい!」

『マダ導霊系ハ破壊サレテイナイ。死ンダフリナド無駄ダ』

 奇妙な声だった。

《鵺》の生み出す声なのか。獣の鳴き声を繋ぎ合わせ、無理矢理、人間の言葉にしたような音。

「ウィルは戦える状態ではありません!」

『オマエガ決メルコトデハナイ。ワタシガ用ガアルノハソイツダ』

 再び、機体が揺れた。

 こちらをいたぶるつもりなのは明白だった。メイヤンほどの術士ならオクタ・ドールのネイオスを正確に機能停止させることなどたやすいはずだ。

 まさか、先日の事故の意趣返しだというのか。

 怒りが込み上げる。執拗に攻撃を続けるメイヤンに。ウィルを巻きこんだ自分に。

「ウィル、少しのあいだ堪えてください!」

 リーズリースは右隔壁のカバーを引き剥がした。後部座席用ロッドを引き出し、導霊系に魔力を注ぎ込む。危険なのはわかっていた。機体にはまだウィルの魔力の残滓が残っているかもしれない。だが……!

召喚構成コール・コンポジション……!」

 リーズリースの体から黒い霧のような魔力が立ち上る。

 魔力場展開。ネイオス把握。眷属純化、眷属顕在化、構成開始。

「《黒騎士ブラック・ナイト》!」


    ◆


「〈朱雀〉招来」

 メイヤンはロッドの上で印を結んだ。

〈朱雀〉を頭部から胸部へ再構成する。顕在化した〈朱雀〉は機体を覆い、一対の赤い翼となった。

 翼を打ち上空へ躍り出た《鵺》は、《妖精の王》の頭上へ青い棍を振り下ろした。

「…………!」

 その直前だった。倒れていた機体から黒い霧が噴き出した。[青龍棍]から返ってくる重い感触。とっさにメイヤンは術を展開した。

「〈白虎〉招来!」

 胸部ネイオスに宿った〈白虎〉が機体を制御。棍の反動で機体を翻し、四肢で着地すると、そのまま木々の陰に入り込む。

 敵を注視する。

 黒い霧のような魔力の中から、黒鉄の鎧、屈強な四肢、半人半馬の巨人が顕在化した。 

 メイヤンは舌打ちした。どれほど不粋なのか。私の相手はお前ではないというのに。

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