三、『錬金術師』・4

    4


 練兵場に戻る間、アイシャの言葉が心に燻り続けた。

 ウィルがバロークへやってきて以来、落ち着いて話す機会がなかった。リーズリースが訓練で手一杯だったこともある。演習までわずか、機体や演習場が使える時間は限られている。

 一方で、ウィルとの距離を感じていた。

 ウィルがリーズリースの前に現れるのは訓練のときだけ。朝、女子宿舎に迎えに現れ、訓練が終わると慇懃な挨拶をしてそそくさと退去してしまう。

 それ以外の時間、ウィルは誰かの『お手伝い』をしていた。

 整備班の補助作業から食事の手配、双子から押しつけられた雑用、宿舎の清掃まで。いつの間にかバローク召喚院の各方面の顔なじみになっていて、その人たちの『お手伝い』を引き受けていた。

 ……まるで、時間を埋めることでリーズリースを遠ざけるように。

 居留地を出た彼が今まで何をしてきたのか、聖都でどのように過ごしていたのか。リーズリースは何も知らないままだった。

 演習場までやってくると、ウィルの召喚機が歩行訓練を続けていた。砂煙を上げながら、よたよたと不格好に。

『あーあー。発令所から《妖精の王オーベロン》、発令所から《妖精の王》。……ウィル・O・レイリー、聞こえてるか?』

 発令所の拡声ネイオスからウィルの名前が聞こえ、リーズリースは我に返った。《妖精の王》というのは構成名だろうか。構成名が決まったということは、リードマンが戻っているということなのか。

 ウィルの召喚機、《妖精の王》が立ち止まった。だが、いつまでたっても返事をしない。通信機能なら〈エコー〉がいくらでも担ってくれるはずなのだが。

 リーズリースは口に手を当てて叫んだ。

「ウィル! 発令所が呼びかけています! 〈エコー〉で返事をしてください!」

『あ、あの!』

 こちらの声が聞こえたのか、ウィルの声が[やまびこ]に乗って返ってくる。

『《妖精の王》というのは僕のことなんでしょうか……!』

「他に誰がいるんですか! あなたの名前も呼んでたでしょう?」

『でも、立派な名前で呼ばれると恥ずかしくて……! それに返事をすると「自分で自分のことを《妖精の王》って思ってるの? 恥ずかしい奴だなあ」みたいに思われるんじゃないかと……!』

「余計なことを考える余裕があるなら返事をしなさい!」

 リーズリースに急かされ、ウィルはおどおど応えた。

『こ、こちら《妖精の王》、ウィル・O・レイリーです……!』

 ウィルの消え入りそうな声を〈エコー〉が大音量で反響させると、発令所の管制官が指示を出す。

『第五師団の召喚機が今から帰還する。飛行型召喚機が着陸するから練兵場を空けてもらえるか?』

『了解しました……!』

『退避完了するまで上で待機させるからゆっくりでいいぞ』

『はいっ!』

 向こうでもウィルが初心者だという事情はわかっているようだ。指示に従い、《妖精の王》がよたよた方向転換する。リーズリースは両手を挙げ指示を出した。

「ゆっくりこちらへ! 慌てなくていいですから!」

『かしこまりました……!』

《妖精の王》がゆっくりと歩き出す。

 そのとき、発令所の切迫した声が割り込んできた。

「おい! 《キマイラ》待て! まだ練兵場が……!」

 声のただならぬ調子に、リーズリースの緊張が高まる。

 心臓を掴まれたようだった。視界の端、上空を何かが高速で移動しているのが見えた。無意識のうちに手にしていないロッドを握り込み、回避行動をイメージしていた。それでウィルの機体が反応するわけがない。止まっているかのような機体に、上空の召喚機が高速で近づいてくる。

 ウィルも接近する機体に気付いたのだろうか。《妖精の王》が泳ぐように前進した途端、四本の腕に振り回されるようにして体勢を崩した。

 直後、二機の召喚機が衝突した。

 フレームの軋む音が、リーズリースを凍り付かせた。飛行型の召喚機は、《妖精の王》を押しつぶすように墜落した。

 轟音。二機の召喚機はもつれ合い、砂煙を上げながら練兵場を滑る。視界が戻ったときには、二機とも顕在化が解かれ、二機のフレームが転がっているだけだった。

『発令所より全機! 発令所より全機! 練兵場で召喚機の衝突事故発生! 各機は演習場内に留まり指示があるまで待機! 救護班は至急練兵場に出動せよ! 繰り返す……!』

「ウィル!」

 演習場が騒然となる中、リーズリースは演習場に駆けだしていた。


    ◆


 事故現場に駆けつけたリーズリースは息を呑んだ。二機の召喚機は横倒しになり、死体のように転がっていた。

 幸いにもオクタ・ドールのハッチは側面に露出していた。

「ウィル! ウィル! 大丈夫ですか!」

 返事がない。

 力任せにレバーを引っ張るが、衝突で変形したのか開かない。

 ……〈デュラハン〉を使う。その選択が頭を過ぎるが、力の加減などできるわけがない。もし、内部にまでダメージが伝わったら……。

 手をこまねいていると、傍らで物音がした。

 もう一機、墜落した軽量型ドールの背部ハッチが開き、操縦者が姿を見せた。

 黒髪を肩で切りそろえた、小柄な体躯の少女。東方風の、袖のゆったりとした白い装束を身に纏っている。

 名前は知っていた。

 東方の天才、ファン・メイヤン。

 第五師団所属。東方王朝からやってきた才媛。まだ十代にもかかわらずその使役術においてはバロークの正召喚士のトップクラスであり、佰候召喚師と比肩すると言われていた。

 少女は猛禽のような双眸で周囲を睥睨した。

「〈朱雀〉招来」

 白い袖が、赤く染まる。一瞬の後、彼女の腕は翼へと変化していた。憑依召喚。自らの体に眷属を宿す、高等使役術だ。

 メイヤンは宙に躍り出ると、翼を使い音もなく着地する。その姿は墜落した機体に乗っていたとは思えないほど平然としていた。

「無事なら手を貸してください! 中に閉じ込められているんです!」

「…………」

 メイヤンはこちらを一瞥した。そして、そのまま歩み去ろうとする。

「聞こえないんですか!?」

「…………」

「待ってください!」

 リーズリースは追いすがり、少女の袖を掴んだ。刹那、

「私に触れるな」

 少女の双眸が吊り上がり、袖口から白い煙のような魔力が立ち上った。それはたちまち形を為し、白と黒の縞模様を浮かび上がらせた。

 悪寒。

 反射的に飛び退こうとしたリーズリースの耳に鈍い金属音が鳴り響いた。

「…………!?」

 リーズリースの目に映ったのは、リーズリースを庇うように体を投げ出した〈デュラハン〉と、その腕に食らいつく白い虎だった。

「未熟な奴が召喚機になど乗るからだ」

 絶句するリーズリースの前で、メイヤンは白い虎を下がらせ、足元に従えた。

「術が下手な奴はどうせすぐに死ぬ。戦場で足手纏いになるくらいならここで死んだ方がいい」

 リーズリースの中で、衝撃が怒りへと変わった。

「こんなことになったのはあなたが指示を無視したからでしょう!」

「そいつがおかしな動きをしなければそのまま着地できた。自業自得だ」

「あなたは!」

 リーズリースの身体から黒い霧のような魔力が立ち上る。

 メイヤンが左側を引き、袖に覆われた右手を掲げる。

 その瞬間だった。

「コール・〈スプリガン〉!」

 オクタ・ドールのハッチが跳ね上がり何かが飛び出してきた。二人の間に突風が吹き砂煙が舞い上がる。

「えほっ! けほっ!」

 視界が戻ると、ウィルが地面に転がっていた。その頭上には彼の妖精の一つ、〈スプリガン〉が浮かんでいた。いつもの姿ではなく、体は風船のようにぱんぱんに膨らんでいたが、やがて空気の抜けるような音とともに、光の粒子となって消えていく。

「すみません……! ハッチが開かなくてやむなく〈スプリガン〉に一緒に押してもらったんですが加減が難しくて……!」

 体を起こそうとし、ウィルはようやく自分が押し倒している白装束の誰かに気付いた。

「し、失礼しました、お怪我は……!」

「私に触れるな!」

 ばんっ!

 とても平手打ちとは思えない重い音がし、ウィルの体が再び、地面に転がった。

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