三、『錬金術師』・1

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 発令所からは演習場の広大な森が一望できた。

 演習場の一画、高台にある石造りの建物。窓際には通信・観測用ネイオスが並び、準召喚士アソシエイト・クラスたちが演習場に散らばった召喚機コンキスタドールを追跡している。

 エルナン・パディントン整備主任は彼らの邪魔にならないよう、屋上に出て作業をしていた。

 師団合同演習まで、あと三日。

 森では十数機の召喚機が訓練を行っていた。

 現在、展開しているのは第三師団、第四師団、第五師団、そして第十三師団。そのどれもが演習に参加する予定になっている。

 他師団は演習に参加する三機以外にも敵役の召喚機まで用意し、模擬戦闘を行っていた。木々に見え隠れしながら、どの召喚機も迫る本番に向け、実戦さながらの機動を見せている。

 演習は、執行部の視察も入る公式な能力評価の場だ。正召喚士サマナー・クラスにとっては己の評価のために、佰候召喚師ロード・クラスにとっては率いる師団の評価のために。己が召喚院にとってどれだけ重要な存在なのかを見せつけるための格好の機会なのだ。

「うちの調子はどうかね?」

「あ、リードマン教授」

 振り返ると、屋上の風に枝のような長身をあおられながらリードマンがこちらを見下ろしていた。

「もう、心配させないでくださいよ。演習のこと忘れてお戻りにならないかと」

「私がいなくたって演習は出来るだろ」

「出来ませんよ。必要な書類がまだなんですから」

 パディントンはクリップボードから書類一式を引き抜いた。

「ウィルくんの正召喚士登録、ウィルくんの召喚機使用申請、ウィルくんの構成の識別表登録、オクタ・ドールの資産管理番号の変更、それからそれから……」

「ああ……それやっといてくれない?」

「駄目です。こちらにいらっしゃるなら、今、書いてください」

 パディントンは識別表登録申請書を差し出した。

「特に識別表への登録はもうとっくにしていないといけないんですよ。出さないと演習に参加させないって執行部のカントナさんに怒られたんですから。私が」

「なんだ、大体出来てるじゃないの」

「スケッチとかは進めておきましたけど、構成名だけはリードマン先生に決めてもらわないと」

 識別表には召喚院に所属している全ての召喚機の構成コンポジションが登録されている。外観と運用タイプ、能力の簡単な総評が記され、召喚院全体で共有される。同士討ちを避けるためだ。

 ウィルの召喚機登録はまだ訓練途中ということで伸び伸びになっていた。万一、味方機に誤射されたとしても文句は言えない状態なのだ。

 演習場を眺めていたリードマンは、ぼそりつぶやいた。

「《妖精の王オーベロン》」

「オーベロン?」

「ちょうどいい名前があったじゃないか。妖精たちのマスターなんだからぴったりだろう?」

「……ちょっと大仰すぎる気もしますけど」

〈オーベロン〉。ある地方の神話の中に存在した、妖精たちの王の名前。その姿は子供のようと伝えられており、その点ではウィルに合っているのかもしれない。

「それにしてもリーズリースはああ見えて面倒見がいいんだね。訓練を任せて良かったよ」

「またまた。あの二人が幼なじみだって知ってたんでしょう?」

「へえ? 不思議な縁もあるもんだ」

「そうやって私相手にとぼけるのはいいですけどね。リーズリースには気をつけてくださいよ。まだ全然、怒ってますからね」

「忠告に感謝して、しばらく私室に閉じこもってることにしよう」

 どこまで冗談なのか、どこから本心なのか。表情からは全くわからない。

 ややためらってから、パディントンは気になっていたことをたずねた。

「あの、ウィルくんのことなんですが、バロークに来るまで召喚機に乗ったことがないというのは本当なんですか?」

「そんなわけないだろう? 今だって純化召喚も出来てるし、ああやって機体を動かせてるじゃないか」

「動かせるって言っても……本当に動くだけですよ?」

 パディントンは眉根を寄せ、続けた。

「……この演習が終わったら、あの子もレコンキスタに参加することになるんですよね?」

「…………」

 リードマンの静かな視線に捉えられ、パディントンは慌てて付け加えた。

「ほ、ほら、実のところ、召喚士部隊に埋もれさせておくにはもったいないと思っているんです。あれだけの家事手伝い能力、整備班に来てくれたらすぐにでもエース級ですよ……!」

「……格納庫はちゃんと君が整理整頓してくれないと困るよ?」

「あはは、そうですよね。……すみません」

 笑って見せてものの、自分の本心は見抜かれているような気がした。

 ウィルに召喚機の操縦は無理だ。もし、今の状況でレコンキスタへ出たら、間違いなく、異影に殺されるだろう。

 リードマンの傍にいると、彼の酷薄な執着に気付くことがある。一見、いい加減で物事にこだわらないが、目的に対しては決して妥協しない。それが仄見えるとき、パディントンは触れてはいけない領域に立ち入ってしまった恐怖を感じるのだ。

「まあ、君が心配する気持ちはわかるが彼なら大丈夫だよ。それだけの能力はある。演習も結構いいところまで行くんじゃないかな」

「ほう! それは大きく出たな!」

 前触れなく、舞台の台詞のような華やかな声が響いた。

「我が第三師団の精鋭を前にして大層な自信じゃないか!」

 その声の主もまた舞台に立っているようだった。

 燃えるような赤い髪。真っ白な長い布をしなやかな身体に巻き付け、右肩から肌を晒し、腕には様々な貴金属で飾っている。それにも増して眩いのは、彼女が纏う魔力の輝きだった。舞い散る花のような魔力が周囲にとめどなく溢れている。

 第三師団長、《女帝の栄光ヘーラークレース》ディアドラ・アンティオペー。

 バローク召喚院に在籍する十三人の佰候召喚師。その一人だった。

「佰候召喚師の序列など全く興味のない素振りをしていたが、いよいよ隠してきた牙を剥き出しにしたというわけだ」

「これはお久しぶりですね。そういえばアーゲン・ドールの具合はどうです? 引き渡したきり、感想を聞いていなかったものですから」

「ん? ああ! あれは素晴らしい出来だ。さすがは現代の名工、アレフロート・リードマンだよ。動きは軽く、導霊系は力強く、何より美しい!」

 アンティオペーが身振り手振りで説明するたびに、まぶしいくらいの魔力が飛び散る。

「よければあと二機ほど譲ってもらいたいのだが。報酬は……そうだなアルベルスの城なんてどうだ? あそこは景色が素晴らしいし、なによりいい温泉が湧いているぞ」

「まあ、こちらは不動産よりも現金がありがたいんですが」

「ははは、何だ欲がないな!」

 アンティオペーが高笑いをしていると、さらに別の声が聞こえてきた。

「その魔力の残滓、やめて……。邪魔、鬱陶しい……」

 一つは眠たげな声。魔女のようなローブ姿。くすんだ灰色の髪の下から覗く目はやはり眠たげな目をしている。

 第四師団長、《暴食グラッドン》ヤナ・ヤクシュ。

「……相変わらず騒がしいな、お前は。はしゃぐ歳でもあるまい」

 一つは低く、よく通る声。東大陸の白と黒の僧服。呆れる嘆息さえも竜の唸り声のような禿頭の巨漢。

 第五師団長、《五百羅漢バレット・モンク》ワン・グゥオフ。

 パディントンは思わずリードマンの後ろに下がり、居住まいを正した。

 佰候召喚師ロード・クラス

 強大な眷属のロードであり、召喚士たちの将軍ロードであり、王侯と同等の権力を持つ領主ロード。世界最高峰の召喚士が四名、平和な陽気の下、何気なく存在していた。

 いつもの調子でリードマンが飄々とたずねた。

「これはめずらしい。師団長自ら演習の監督ですか?」

「執行部から演習に参加しろって……めんどくさいのに……」

「たまたま近くに寄ったのでな。ついでだ」

「おいおい、二人ともとぼけるんじゃないぞ」

 アンティオペーが鋭い目をリードマンに向けた。

「聞いたぞ、リードマン。聖都から招いた佰候召喚師候補に、専用の召喚機を用意したそうじゃないか。将来の我々のライバルを見に来ないわけにはいかないだろう?」

 アンティオペーは言い、手をかざして演習場を見やった。

「で、どれかね、君の秘密兵器とやらは?」

「その辺にいたと思ったんですがね。パディントン君?」

「えっと、さっき演習場に出て行ったのでそろそろ練兵場に戻ってくる頃だと思うんですが……」

 パディントンが練兵場を眺めていると、やがて、どこからかやまびこのような声が聞こえてきた。

『まっすぐ! まっすぐ進むんです!』

『はいっ! はいっ!』

『だから! どうしてぐるぐる回るんですか!』

『〈クー・シー〉と〈ケット・シー〉の行きたい場所が違うみたいなんです!』

『だったら制御したらいいでしょう!?』

『最近、散歩とかひなたぼっことかおろそかにしたせいで言うことを聞いてくれなくて!』

『ああもう!』

 演習場と練兵場の境界付近。そこに異形の機体があった。

 何というか……。

 脱皮したての蟹のようだった。

 白い透き通った二本の腕。同じく透き通った八本の脚。顕在力が弱いために、ドールの構造体が透けて見える。

 ここ数日、パディントンはウィルの機体のスケッチをしているのだが、構成案の模索が続く中、その姿は常に変化をしている。

 今回の構成は、〈クー・シー〉と〈ケット・シー〉の肢、さらには〈ブラウニー〉と〈レプラコーン〉の腕まで使って移動をしている。

 他の召喚機が演習場を飛び交っている中、《妖精の王》は全力でぺたぺたと地面を這いずっている。水泳教室の泳げない子供が水際に取り残されて、ぱしゃぱしゃ水遊びをしているようだ。もし〈オーベロン〉が実在していたら、同じ名前を付けたことに激怒するのではないだろうか。

『ここはどこなんです! 本当に搭乗区画に向かっているんですか!』

『確率的にその可能性は低いと思われます!』

『他人事みたいに言う前に[感覚共有]で位置を確認して!』

『[感覚共有]はしてるんですが、僕が道に迷いました!』

[やまびこ]が機内の混乱した様子を余すことなく伝えてきた。通信担当の〈エコー〉がウィルの制御を離れ、あらゆる音声を反響させてしまっているのだ。

『待ってください! 何か変な音が……?』

 少しの間。

『これ……私たちの声が外に反響してませんか!』

『どうやらそうみたいです!』

『ちょっ……! 〈エコー〉は集音だけさせてくださいと言ったでしょう!』

『どういうわけか〈エコー〉がネイオスの中が気に入ったみたいで勝手に[やまびこ]を……!』

『とにかく搭乗区画まで辿り着いて! 出力! 出力! もっと魔力を高めて!』

『すみません! 何かもう酔ってしまって集中力が……!』

『我慢しなさい! 私だって気持ち悪いんですから……!』

『姫様、気分が悪いときは親指の付け根辺りをぐりぐりと押しますと……』

『余計な知識を披露している暇があったら……ウィル! 前! 前! 前!』

『ふわっ!』

『ひゃあぅっ!』

 ごしゃーん。

 壮絶な悲鳴とともに、音を立てて機体が転倒する。構成を維持することができず、オクタ・ドールは元の機体を晒して地面に転がった。それ以降、おかしな形のドールが動くことはなかった。

「紹介します。あれが第十三師団の新戦力、《妖精の王》ウィル・O・レイリーです」

「「「…………」」」

 絶句する佰候召喚師たちの前で、リードマンは何事もなかったかのように言った。

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