二、『召喚機』・5

    5


 這うように後部座席に上がった途端、右側の隔壁に肩がぶつかった。

 狭い。

 オクタ・ドールの操縦席には二人分のスペースがあるはずなのに、重装試験ドールよりも狭く感じる。

 通常のドールならシートの周囲に両腕を動かせるくらいのスペースはあるが、オクタ・ドールのシートは右側パネルに密着するようにして設置されていた。八基のネイオスとそれを繋ぐ導霊系を詰め込んだ結果、空間に余裕がないのだろう。隔壁はありえないほど凹凸があり、あちこちに浮き出た血管のようにケーブルが這い、異様な圧迫感を与えてくる。内部骨格に一通り部品を配置したあと、最後に操縦席が必要だったのを思い出し、無理矢理、隙間にねじ込んだのではないかと思える設計だ。

 体を動かす度に操縦席の薄い隔壁がぎしぎしと軋む。剛性の低さが音で伝わってきてリーズリースの不安をさらにかき立てる。気密性もさほど高くないようで、あちこちから外の光が漏れていた。

 薄明かりの中、手探りでロッドを探す。通常、前部隔壁に収まっているはずのロッドが右壁に嵌め込まれており、斜めに引き出せるように設置されていた。

 とりあえず邪魔なファイルを後部座席へ放り出し、リーズリースはロッドを引き出した。

「構成開始」

 いつもの構成ルーティンを始める。ロッドの先端にある銀製グリップに手を添え、集中する。

「魔力場展開」

 魔力を注ぎ込むとグリップが反応し、淡い光を放った。魔力はロッドから、オクタ・ドールに張り巡らされた導霊系を通り、機体全体へと展開していく。

 いつもと違い、手応えが鈍い。

 なにしろ、導霊系は二機分、ネイオスは八基装備されている機体だ。いつも通りの感覚では魔力が足りず、魔力場が安定しないのだろう。

 リーズリースはさらに魔力を高めて導霊系に流し込んでいくと、やがて魔力場が機体全体を包み込んだ。周囲から低い唸りが聞こえる。機体に使用されている素材のうち、魔力への感受性が高いものが共鳴しているのだ。

 魔力場が出来上がると、今度は機体の構造をイメージしながら、ネイオスの位置を把握した。

 機体前面に縦に二基。背面にも同じように二基。肩口から四本の腕が伸び、その先端に武装用のネイオスが配置されている。計八基。魔力の感覚を頼りに、リーズリースは一つずつそれらを確認していく。

 いつもより念入りに準備を整え、いよいよ純化召喚を始める。

「〈大鴉〉召喚コール・ブラン

 前方上部ネイオスに〈大鴉ブラン〉の『門』を開く。同時に存在を書き換え、眼の機能に純化させる。優れた〈大鴉〉の視力がさらに強化され、鮮明な光景をリーズリースの意識に送り込んできた。

 バローク召喚院の風景。〈大鴉〉の広い視野が、大聖堂の双塔から演習場の発令所までを捉えていた。全景を把握しながら、別の焦点が動体を次々に捕捉していく。すでに訓練を開始している召喚機、格納庫区を歩く準召喚士、保全地域で巣を作っている野鳥たち。

 周囲に人影がないことを確認し、〈デュラハン〉を召喚する。

「〈デュラハン〉召喚コール・デュラハン

 前方下部ネイオスに『門』を生成、上半身の制御に純化させる。ドールの上部がリーズリースの黒い霧のような魔力に包まれ、鎧巨人の姿が浮かび上がる。霧は腕部へと広がり、可動部に力が宿り、二本の腕が持ち上がる。

「〈黒馬〉召喚コール・バワー

 最後に、後方下部ネイオスに〈黒馬バワー〉を呼び出す。魔力の霧がドールの下部を覆うと、そこから巨大な黒い四肢が突き出した。操縦席が船のように揺れる。純化された屈強な脚が地面に食い込み、オクタ・ドールを持ち上げた。

黒騎士ブラック・ナイト》、構成完了。

 鈍重な機体を土台として、半人半馬の鎧巨人が顕在化した。

 移動するだけなので〈光剣クラウソラス〉は必要なかった。 反応速度も装甲も、火力を支えるパワーも必要ないため、純化の精度も低い簡易構成だ。それは外観にも反映され、黒い鎧は焦点を失ったようにぼやけており、ところどころ機体が透けて見える。

「オスカー、真っ直ぐに進んで」

 操縦席から告げる。〈デュラハン〉はリーズリースのお願いを受けつけたようだ。下半身を制御し、機体はゆっくりと動き出す。彼の制御外にある後方の腕がふらふらと揺れるのが視界の端に見える。出力を落としているせいで、いつもより穏やかな動きだった。

 リーズリースは呼吸をゆっくり保ちながら、周囲の安全を確認する。

 いつもながら、召喚院内での構成は緊張する。前線にいるときより、ずっとだ。

 万が一、オスカーが暴れ出したらただでは済まない。彼が臨戦態勢に入ってしまったときのことを考え、リーズリースはいつでも強制送還できる準備を整えていた。

 何事もなく、練兵場に辿り着いた。

 演習場と格納庫区画の中間地帯にある小さなスペース。よく新任の正召喚士や昇格前の準召喚士が召喚機の訓練を行っている場所だ。

 リーズリースは《黒騎士》を座らせる。ゆっくり、慎重に。それでもがくり、がくり揺れながら、機体は接地した。

 ネイオスから眷属を送還。魔力の放出を停止して、リーズリースはようやく緊張から解き放たれた。小さなシートに体を預け、大きく息をついた。

 操縦した第一感は、操縦前の予想と全く同じだった。

 とにかく重い。

 機体の挙動から、それが嫌でも伝わってくる。注ぎ込んでいる魔力、純化の精度に比べ、機体の反応は明らかに鈍い。いつも通りに動かしているのに、泥の中をもがきながら進んでいるみたいだ。

 複座式召喚機を一人で動かしているのだから当然のことだった。

 一般的に、召喚機の重量の半分がネイオスと導霊系で占められると言われている。

 晶石を素材とするネイオス、主に銀・銅などの貴金属を用いる導霊系、そのいずれも重く、軽量化の余地が少ない。

 単純にネイオスの数で比較すると、オクタ・ドールのネイオスは八基、標準的な機体は五基搭載だからそれだけで一六〇パーセントの重量となる。それなのにほとんどの正召喚士にとっては、四基のネイオスはデッドウェイトとして存在しているだけなのだ。

 おまけに重心のバランスも歪だった。

 各ネイオスが干渉しないようにした結果、胴部は前後にせり出し、四本の腕部は四方に飛び出している。シンメトリー構造で静止状態の安定性は確保してあるが、構成後の重心の変化は全く考慮されていない。実際、少しでも集中を切らすと途端にふらつく。

 二人同時に魔力場を展開させること、それ以外のことは全く考慮されていない機体なのだ。

 こんな失敗作のためにわざわざ召喚士を移籍させるなんて。あらためてリードマンの強引さ呆れると同時に、怒りが込み上げてくる。

「ウィル!」

「はい!」

 降機したリーズリースが呼びかけると、中間地帯で待機していたウィルが駆け寄ってきた。直立するウィルの前で、リーズリースは告げた。

「では、あなたは前部座席へ」

「はい!」

 潜り戸のようなハッチからウィルを座席へ押し込む。ベルトをウィルの体に巻き付けると、ハッチを閉じ、自らも後部座席に乗り込んだ。

 途端に息苦しさを感じた。実際に二人で乗ってみると、一層、窮屈に感じられる。目の前にウィルの頭があり、走ってきたばかりの彼の高い体温が伝わってくる。……同時にパンケーキのバターとシロップの甘ったるい香りも。

 ファイルを開くのも一苦労だった。体を捻り、座席の左脇にスペースを見つけると、ハッチの隙間から漏れてくる光を頼りに訓練予定表を探す。

「コール・〈スプライト〉!」

 突然、操縦席が、ぱっ、と明るくなる。頭上を見ると、ウィルの召喚した光の妖精〈スプライト〉がふよふよと浮いていた。

「……ありがとうございます」

「とんでもない! 姫さま……いえ、リーズリースのお役に立てて光栄です!」

「……いいから前を向いて」

 訓練予定表を確認する。リードマンの性格と同じくひねくれた文字で演習までの予定が書き込まれている。予定が繰り上がったので、明日の項目を参照。訓練初日はウィルの魔力特性と純化技術を確認するという名目で、初歩的な訓練に終始していた。……やはり、最初からウィルが召喚機に乗れないことを知っていたのではないか? そんな疑念が過ぎる。

「召喚機の構成手順は知っていますか?」

「講義で習ったのですが……だいぶ前のことなので……」

 ウィルは不安げに答えた。

「……ちなみに最後に召喚機の訓練を行ったのはいつなんです?」

「たぶん、六年くらい前に……それなのであまり自信が……」

「…………」

 リーズリースは嘆息をこらえて、続けた。

「では、〈スプライト〉を送還してください。私が指示を出しますから、それに従って構成手順を進めてください。出来るところまでで構わないので」

「あの」

 明かりの消えた操縦席、ウィルはしばらく躊躇ったあと、こちらを振り返った。

「考えたのですが、新型機の試験、辞退するわけにはいかないでしょうか?」

「…………辞退?」

「やはり、僕なんかが新型召喚機に乗せてもらえるなんておかしいと思うんです。きっと何か行き違いがあってリードマン教授は誤解なさってるのだと。教授がお帰りになったら事情をお話しして、演習の件から外していただけるようお願いしてみます。ですので、リーズリースは僕には構わず、ご自分のことをなさっていただければと……」

 おどおどと言うウィルに、リーズリースは冷たい視線を向けた。

「ここには演習までの正式な指示書があります。あなたは新型機の搭乗者を、私は訓練責任者を命じられました。事情はどうあれ、演習まではこれに従うべきです。それとも……」

 リーズリースの双眸が、さらに険しくなる。

「……私と訓練するのがそんなに嫌なのですか?」

「い、いえ! そんなことはけっして! 姫様御自らご指導くださるなんて臣民にとっては僥倖の極みでありまして……!」

「……余計なことを言ってないでロッドを握りなさい」

 ウィルはおそるおそる、操縦桿を引き出し、グリップを握りしめた。

「導霊系に魔力場を展開」

「はい!」

 操縦席に現れる光の粒子のような魔力。ロッドが反応し、淡く輝き始める。やがて、操縦席の周囲からかすかな振動が伝わってきた。どこかか細いような気もするが、魔力場は展開したようだった。

 キャリアの操縦席でもここまでは出来ていたはず。問題は次だ。

「ネイオスは八基とも確認できましたか?」

「はい!」

「それではどのネイオスでもいいので眷属を純化召喚。外界の状況を把握してください」

 これは初歩的な技術だ。憑霊器ネイオスに眷属を純化召喚さえすれば、眷属の感覚を通じて周囲の状況を知ることが出来る。

 そして、初級者の壁となるのもここだ。先ほどのウィルは、ネイオス内に『門』を開くことが出来ず、通常召喚になってしまったため、操縦席に妖精が溢れてしまったのだ。失敗の原因はおそらく、ネイオスの認識が不十分で召喚機が体の一部になっていなかったからだろう。

「構成開始」

 召喚に備えウィルが魔力を高める。魔力の粒子に包まれ、ウィルは一層集中し詠唱を開始した。

「コール・〈スプライト〉!」

 失敗に備え、リーズリースは身構える。

 次の瞬間、操縦席が消えた。

 そんな風に見えた。

 外の景色が広がっていた。青い空、茶色い練兵場の土、緑の芝生に覆われた斜面、発令所の白い石積み。

 自分の体が宙に放り出される。

 反射的に体が動き、操縦席のパネルにぶつかった。

 内部壁は確かにそこにあった。そっと触れると、景色に手の影が映り込んだ。

 幻灯機のようだった。

 内部壁をスクリーンにして、外の光景が映し出されているのだ。

 すごい……!

 おそらく、〈スプライト〉で光を操っているだろう。だが、一体どんな使役術を使っているのか、リーズリースには全くわからなかった。

「出来るじゃないですか!」

 リーズリースは興奮の色を隠せず、思わず声を上げていた。

「どうして自信がないなんて言うんです! ちゃんと純化召喚まで使役出来てるじゃないですか!」

「ええと……!」

 ウィルがロッドを掴んだまま、こちらを振り返った。

「妖精たちは器用なのでこういう出力のいらないことなら得意なんです……! 得意なんですが……!」

「?」

 ウィルの様子が何かおかしい。必死になって何かに耐えているようだ。

「先ほど言いそびれてしまったのですが、聖都で召喚機に乗せてもらえなかったのにはもう一つ理由がありまして……! 僕、妖精たちの『門』のコントロールができないんです……!」

「……え?」

「『門』がたくさんあるせいか完全に閉じることができなくて、妖精たちは普段から自由に出入りしているんです! 普段通りでしたら悪戯にも限度があるんですが、こうやって魔力を高めるともう歯止めが利かなくなって……」

 ウィルが言葉の意味を理解する前に、すでに異変が起きていた。

 ウィルの髪の中から、茶色い小人〈ブラウニー〉が顔を見せ、にっ、と笑う。耳元で〈エコー〉のやまびこが鳴り始める。そして、どさり、何かが膝の上に落ちてきた。

 目に映ったのは、はっ、はっ、と息を切らせている緑色の毛玉と、その口からだらりと垂れる大きな舌だった。

 次に何が起こるのかを悟り、リーズリースは青ざめた。


    ◆


 第十三召喚師団格納庫。

「おー、やってるやってる」

 飛行試験ドールの操縦席でアデルがのんきに言った。手の上には眷属である〈水〉の立方体が浮かび上がっている。そこには練兵場に佇むオクタ・ドールが映し出されていた。

 魔術[水鏡ミラー・イメージ]。大気中に存在する水の元素を操り、光を屈折させ、遠方の光景を映し出す術だ。

「やってるって言ったって、さっきから微動だにしないんだけど?」

 後方支援試験ドールの操縦席から足を投げ出した格好でアイシャが言った。アデルと同様に[水鏡]を展開している。

「ウィルのやつ、本当に演習に参加するのか? 召喚機乗ったことないんだろ?」

「教授がさせるっていうんだからするんじゃないの?」

「つったって本番、来週だぞ? 今からやって間に合うわけないだろ」

「ウィル君もかわいそうに。わざわざ演習の的になるために聖都から呼びつけられるなんてねえ」

「ったくあの変人にも困ったもんだ。今からでも演習止めてくれないかな」

「それで自分はサボりなんだから。たまったもんじゃないわよ」

「ほらほら。覗き見と教授の悪口はその辺にして、作業に集中しなさい」

 作業の指揮を執っていたパディントン整備主任が声を掛けた。

 演習の準備の最中だった。実戦用ネイオスから、出力を抑えた演習用規格の物への付け替え。準召喚士の操るクレーンの補助を受けながら、装甲を外し、導霊系を露出させる。

「それにしたってひどいじゃないですか。ウィルが召喚機に乗れないこと、あの教授が知らないはずないでしょ」

「リードマン教授のことだから、きっと隠された大きな目的があるのよ」

「「その目的っていうのは?」」

「まあ、具体的にはわからないけど」

「「わからないんですね?」」

「でも心配することはないわ」

 パディントンは遠くを見た。

「召喚機に乗れなかったとしても、あれほどの家事をこなせる人材は貴重。演習がダメだったとしても整備班でちゃんと引き取ってあげるから」

「「…………」」

 双子が半眼になる。と、

『ああああああぅっ!』

 どこからかリーズリースの悲鳴が聞こえてきた。

「「…………」」

 ぼうっと、双子は練兵場の方を見やった。何かやまびこのような感じで、リーズリースの変な悲鳴が格納庫区に反響していた。

『何をしてるんです! 早く眷属を送還してください!』

『お待ちください! あと、あまり大きなリアクションはしないようにお願いします! 妖精たちがかえって喜ぶので!』

『そんなこと……ひゃあぅっ! だから、くすぐったいって言ってるでしょう!』

『クスグッタイ! クスグッタイ!』

『この音どうにかならないんですか!』

『あの! 〈エコー〉は男性が嫌いでして今日はちょっと機嫌は悪いみたいです! いつもはスカートなどを穿いて誤魔化してるんですが!』

『そんな理由で!?』

『〈エコー〉、ダンセーキライ!』

 格納庫区画全体に響き渡るような二人の声。

「「…………」」

「……まったくもう。やらしいことしたら駄目って言ったのに」

 呆れる双子たちの後ろで、パディントンが嘆息した。

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