二、『召喚機』・2

    2


 昨夜、目を通したウィルの資料。その内容は信じられないものだった。

 七年前、聖都召喚院に入って間もなく正召喚士サマナー・クラスに昇格。佰候召喚師の候補者になったのはそれからわずか一年後のことである。

 佰候召喚師ロード・クラス。世界にわずか百名。世界最高峰の力を持った召喚士たち。

 その権力は旧領の王侯たちと同等。最新鋭兵器・召喚機コンキスタドールを所有することを許され、それを運用する召喚師団を有することを許され、失地回復レコンキスタによって征圧した地を我が物とすることを許された存在。

 旧領の統治者にとってはあまりに危険な権力でありながら、この世界の維持のためには認めざるを得ない。佰候召喚師とはそれほどまでに重大な存在なのだ。

 それ故に、高い資質が求められる。

 強大な眷属と契約するための膨大な魔力、異影を打ち払う戦闘能力だけではない。師団の指揮能力、後進の指導能力。政治力や運も必要になる。候補者に選ばれることすら難しい。精鋭揃いの聖都召喚院であればなおさらだろう。

 格納庫区画を足早に進んでいたリーズリースは立ち止まり、振り返った。

 きっちり五歩後ろに、当の本人がいた。

 華奢な体躯、艶やかな髪。はじめての場所にきょろきょろと不安げに体を小さくしていたが、こちらと目が合うと、にっこり微笑みかけてきた。

 記憶の中のウィル、資料の中のウィル、ここにいるウィル。その姿が一つに重なっていかない。とても同一人物とは思えなかった。

 かつてのウィルは、あの神童は、こんな卑屈ではなかった。まるで狼のように、抑えきれないほどの才気を溢れさせ、大胆で、不遜で、天衣無縫だった。

 ……少なくとも、昨日のように女の子の格好をするようなことはしなかったはずだ。

 一体、聖都で何があったというのか。

 ファイルには略歴のみで、それ以上のことは知ることはできなかった。

 あれから七年。ウィルがリーズリースの元から去ってから七年。リーズリースが居留地で過ごし、召喚院へ入り、レコンキスタを戦い続けてきた七年間。その間、ウィルがどんな生き方をしてきたのか、どんな訓練を積んできたのか。

 それは、彼の召喚術を見ればわかるはずだ。


    ◆


 第十三師団の格納庫ではすでに大扉が開かれ整備士たちが作業を始めていた。

「それでは新型試験機を引き取りに行きます」

「はい!」

 リーズリースは格納庫の壁際に停めてあったキャリアへ歩み寄った。

 キャリアとは運搬用の簡易召喚機だ。はしけのような形で車輪はなく、底部と後方アーム部分に計二基の小型ネイオスが組み込まれており、召喚機と同じように眷属を純化召喚して動かすようになっている。魔力特性の低い準召喚士でも扱えるよう、ネイオスは低出力のものが使われているが、それでも召喚機程度の重量なら運ぶことができる。

「では、あなたがキャリアを操縦してください。行き先は私が指示しますから」

「…………え?」

 リーズリースはそう言って、先にキャリアの座席に乗り込んだ。

 これならウィルの召喚術を間近で知ることができる。

 低出力ネイオスを扱う上では使役の精度が問われる。低域での出力調整を為されているため、一定の純化深度と魔力量を供給し続けなければ安定した運用はできない。

 リーズリースにとっては非常に苦手な分野だった。戦闘用ネイオスのように力業で何とかしようとすれば、ネイオスは過負荷ですぐに壊れてしまう。リーズリースは過剰な魔力でキャリアを壊して以来、運転は準召喚士に任せることにしていた。

「僕が……ですか?」

 ウィルは戸惑った様子でたずねてくる。

「純化召喚は出来るんでしょう? 聖都の正召喚士なら」

「あの……その……一応、出来ないことはないのですが……それが……」

「新型機はあなたの使うものですから。それにリードマン教授も私よりあなたの方を信用しているようですし」

 リーズリースはそっけなく言い、ウィルを見やった。

「どうしました? 嫌なのですか?」

「いいえ! とんでもない!」

 ウィルは慌ててシートの隣に座った。おそるおそる運転席のロッドを手にしてなお、まだ躊躇っているのか、こちらの様子を窺ってくる。

「早く」

「はいっ!」

 少年はぎゅっと目を閉じて、操縦桿のグリップを握りしめた。

「召喚!」

 運転席に魔力の光が溢れた。

 懐かしい感触だった。光の粒子のようなウィルの魔力。それが宙に舞い、リーズリースの周囲に満ちる。一瞬、あの頃のグレンクラスの光景が蘇った。青い空、緑の平原、白い城壁……。

 茶色っぽいとんがり帽子。

 …………え?

 リーズリースは目を凝らした。前部パネルの上に「何か」がいた。魔力の粒子に紛れてよく見えないが、確かに小さな「何か」が動いている。

 これは……小さな子供……?

 さらに顔を寄せたその瞬間だった。

 ばあん!

 背後で破裂音が鳴り響いた。

「!」

 無意識に体が反応し、リーズリースは振り返ろうとした。が、

「なっ……!」

 何故か足がもつれ、そのままキャリアから転がり落ちた。足元に違和感。見ると、いつの間にか左右の革靴の紐がごちゃごちゃに絡まっていた。

「何これ……!」

『コレコレコレコレコレコレコレコレコレコレコレコレコレ!』

「!」

 大きな反響音が鳴り続ける。異変はそれだけではなかった。頭上では何か光が瞬きながら、くるくると回っている。

「何! 何なんですか!?」

『デスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデスデス!』

「ウィル! これは一体……!」

 耳を押さえ、振り返ったリーズリースの目の前に緑色の固まりがあった。

 犬。

 もさもさの、苔のような緑色の毛並みの犬が、はっはっと舌を出していた。

 べろん。

「ひゃあぅっ!」

 顔を這う生暖かい感触にリーズリースは悲鳴を上げていた。

「ウィル! ウィル!」

「みんな! 駄目! 駄目! その人に悪戯しないで! ほらこっち来て! 集合しないとお菓子と牛乳は抜きだから!」

 ウィルが「何か」をたしなめる声。やがて騒がしさの混沌はぴたりと治まった。荒く呼吸をしながら床に倒れ込んだままのリーズリースに、ウィルが心配そうにたずねてきた。

「も、申し訳ありません、大丈夫ですか……!」

「今のは一体……!?」

「申し上げるのが遅くなりました! 僕、召喚機とかキャリアとかあんまり……というかほとんど乗ったことがなくて!」

「乗ったことがない!?」

 そのとき、ウィルが抱え込んでいる「何か」が見えた。

 あのとんがり帽子。

 小妖精〈ブラウニー〉。

 小さい頃、まれに見かけたことがある。家に棲みつくという小人の妖精だ。家事の手伝いをするとされる一方、歌好きで踊り好きで悪戯好きでも知られる存在だ。

「ほら、みんな姫様に謝って」

 よく見ると、ウィルが抱えているのは〈ブラウニー〉だけではなかった。ウィルの周りにはさまざまな妖精たちが跳んだり跳ねたり光ったりうるさかったり、思い思いに謝罪以外のことをしていた。

 何で妖精が? これがウィルの眷属だというのか?

 正召喚士が〈ブラウニー〉のような小妖精と契約しているなんて聞いたことがない。存在自体が弱く、純化をしたところで引き出せる力はたかがしれている。貴重な契約の枠を、こんなものに費やすなんて正気じゃない。

 そこで、はっとなった。

 もう一度、妖精たちの数を数えてみた。

 全部で一、二、三、四……五、六、七、八……?

 何度も数え直しても八体の眷属がいる。

 それが真に意味するものが、リーズリースから言葉を奪った。


    ◆


 異影との戦闘において召喚機に求められる機能は多岐に渡る。

 機体を動かすための動力、戦場を把握するための感覚器官、異影の攻撃に耐えうる防御能力、異影の核を破壊するための火力、僚機との連携のための通信機能、それらを操るための制御システム……。

 しかし、それは召喚機の根幹を為す純化召喚理論とは矛盾するものだ。眷属の存在目的を集中させることにより、より大きな力を引き出すという純化召喚の特性上、高出力と汎用性を両立させることは難しい。

 それならばより多くの眷属を持てばいいのだが、そこには『門』の反発という問題が立ちはだかる。

 召喚とは、召喚士の肉体と魔力を媒介とし、現世と異世界とを繋げる行為だ。門を宿す召喚士の肉体と魂には、それだけで大きな負荷が掛かる。本来交わることのない複数の門を宿せばその負担は加速度的に増えていく。

 召喚士がどれだけ多くの眷属と契約できるか。『契約力』が重要視されるのはこういった理由からだ。

 リーズリースを含め、ほとんどの正召喚士の契約力は評価B、四体の眷属と契約するのが限界だ。そして、その四体というのが召喚機を駆るための最低ラインとされている。

 評価A、五体ともなれば佰候召喚師レベル。評価S、六体契約の召喚士は歴史上、数えるほどしかない。その誰もが伝説的な存在だった。

 その延長で考えればウィルの八体同時契約は次のようになる。

 契約力SSS。

 そんなふざけた評価、聞いたことがない。

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