一、『黒騎士』・5

    ◆


 ウィルが帰ってくる。

 あのウィリアム・ファレルが。天才と呼ばれた召喚士が。グレンクラス王国、最後の騎士が。ずっと、ずっと、生きているのかさえわからなかった彼が。

 この七年間、一体、どこで何をしていたのだ!

 どこにいるのかわからなかった。まだ西大陸にいるのか、それとも東方王朝へ渡ったのか、あるいは南の帝国領なのか。生きているのか、死んでいるのか、それさえもわからなかった。

『世界一の召喚士になる』、そう言い残して居留地を出てから七年。当初、月に一度だった手紙は滞るようになり、やがて音信不通となった。

 それが聖都にいた!?

 どうして連絡をくれなかったんだ! 同じ西大陸にいたのなら、いくらでも手段はあったはずだ。鉄道で会いに行くことだってできたのに……。

 違う! そんなことより!

 どうして偽名を? ファレルの名前に不満があるとでもいうのか。

 いや、そんなことどうだっていい!

 リードマンは!?

 リードマンはどこまで知っている? どういうつもりでウィルを? 単に優秀な召喚士だということで招いたのか? それとも私と彼の関係を知っていて、それで呼び出したのか? 何のために? 何が目的で?

 いや、考えすぎるな。人間には興味のない、あの変人のことだ。ただの偶然だった可能性だって十分にある。

 違う!

 そうじゃなくて! そうじゃなくて! あいつが帰ってきたら私は……!

 考えがまとまらない。じっとしていられず、リーズリースは当てもなく歩き続けていた。今まで凍り付いていた感情が一気に噴き出してきた。血脈が鼓膜を打つ。手が震える。彼に対する感情が渦巻いて、そして……。

「リーズリース!」

「!」

 大声で呼びかけられ、リーズリースは肩を震わせた。

 我に返ると、リーズリースは格納庫区画にいた。無意識のうちに、いつもの道順を辿っていたのか。ここまでどうやって来たのか、まったく憶えていない。

 見ると第十三師団の格納庫の前で、興奮した様子のエルナン・パディントン整備主任が手を振っていた。

 リーズリースは動揺を押し殺し、ファイルを後ろ手に隠し、パディントンに歩み寄った。

「何か……!?」

「ねえ、もう聞いた? すごいのよ、聖都から来た新しい子!」

 心臓が跳ね上がった。

「到着は明日じゃなかったんですか……!?」

「その予定だったんだけど早めに着いちゃったんだって。それがもうすごいのなんのって! こんな子を聖都召喚院から引っ張ってこれるなんて、さすがリードマン教授だわ!」

 パディントンは輝く瞳を格納庫の中へと向けた。

 ウィル。本当に、本当にあいつがいるのか?

 ふらふらと格納庫へ入ると、事務室の辺りに整備士たちの人垣が出来ていた。

 必死に呼吸を整える。続けてパディントンが何かを言っていたが、言葉が全く入ってこない。

 リーズリースは准召喚士アソシエイト・クラスたちを押しのけ、整備班の事務室に入った。

 部屋の景色は一変していた。

 ぴかぴかに輝いた室内。いつも雑然と積み上げられていた何に使うのかわからない書類はきれいに整理され、機械油で汚れていた壁・床は新築のように光っている。

 そこに見知らぬ『少女』がいた。

 絹糸のような黒のショートヘア。手にはモップ、腰にはハタキを差し、キルトスカートをひらひらさせ、ワルツを踊るように床を磨いている。

「…………え?」

 リーズリースは立ちすくんだ。室内には他に誰もいない。『少女』が掃除しているだけだ。背後から整備士たちの囁き声が聞こえてくる。

「まさか、これほどの腕前とは……」

「見なさい、あのファイルキャビネットを。知らないうちにアルファベット順に並べ替えてある……!」

「あのスペースは……まさか給湯室か? 本当に実在してたなんて……」

「ふふ、面白い奴が出てきたものだな……」

 普段、散らかし放題にしている連中が口々に適当なことを言っていると、追いついてきたパディントンがうっとりと手を組み合わせた。

「ね、すごいでしょ? あの密林のようだった事務室がまるで神殿だわ!」

「あ、パディントン主任!」

 少女が顔を上げ、ぱっと微笑んだ。

「事務室の清掃作業、一通り終了いたしました!」

「ありがとう! 私の想像以上の成果よ!」

「お褒めにあずかり光栄です!」

 はにかむ少女の肩に手を置いて、パディントンはこちらに向きなおった。

「紹介するわね。こちら、新しく試験機部隊に配属されたお手伝いさん、ウィル・O・レイリーさんよ!」

「はじめまして! ウィルと申します!」

 少女が声変わりを経ていないような軽やかなアルトで自己紹介する。

 リーズリースは放心状態のまま少女の前に立った。

「あなたがウィルなの……?」

「はい! あ、でも呼びづらいようでしたら、『おい!』でも『お前!』でも好きにお呼びくださ……むぐっ」

 ぐいっ、と両手で少女の頭を挟み込み、顔を覗き込んだ。

 色白の肌。柔らかな髪。記憶の中のウィルとは全く違う。それに、思っていたよりもずっと小さかった。それは自分の背が伸びたからなのか。彼は昔と変わらないどころか縮んでしまったとさえ思える。

 だが、どこか面影がある。

 その原因が瞳にあると気付くのに時間がかかった。あの頃と同じ、不思議な薄緑の瞳が、戸惑ったようにこちらに向けられている。

 本当に? この子が?

 あのウィリアム・ファレルなのか?

「うわー、すごい綺麗になってるじゃん」

 リーズリースが呆然としていると、人垣から洗濯かごを抱えたアイシャが現れた。

「ほんと、こんな凄腕のお手伝いさんが来てくれて助かっちゃった。じゃ、これよろしくね。遠征続きで洗濯物たまっちゃってさ」

「かしこまりました!」

「何をしてるんですか!」

 アイシャがいっぱいの洗濯かごをウィルに押しつけるのを見て、ようやくリーズリースは我に返った。洗濯かごを奪われたアイシャは眉根を寄せた。

「何? 何? またケンカ売る気?」

「ウィルはあなたの使用人ではありません!」

「あのさ、言ったよね? いつまでもお姫様気分でいるんじゃないって。ウィルは試験機部隊に配属されてきたんだよ? つまりみんなのお手伝いさんであってあんた専用のお手伝いさんじゃないんだから」

「私のお手伝いさんでもない!」

 リーズリースはウィルを指した。

「ウィルは新型機のテストのために聖都から招かれた正召喚士サマナー・クラスなんです! こんな雑用なんかさせないでください!」

「え? 正召喚士なの? だって、主任が……」

 アイシャがパディントンに視線をやると、パディントンはぽかんとこたえた。

「え? リードマン教授が日頃頑張ってる整備班のごほうびに聖都から凄腕お手伝いさんを雇ってくれたんじゃないの……?」

「どうしたらそんな考えになるんです! 教授から聞いてないんですか!?」

 リーズリースはパディントンにファイルを押しつけると、少女に向き直った。

「あなたも! どうしてはっきり『違う』と言わないんですか!」

「……お手伝いではないのですか?」

「違うでしょう!?」

「で、でも、聖都召喚院からはこちらの仕事のお手伝いをするようにと命じられてきたのですが……」

「その仕事が新型召喚機コンキスタドールのテストなんです!」

 隣でやりとりを聞いていたアイシャとパディントンは口々に言った。

「ほら、本人がこう言ってんだからやっぱりお手伝いさんなんじゃん?」

「まあまあ、私もちょっと変かな? とは思ってたんだけど、とりあえず今のところはお手伝いさんってことにしときましょう? ……せめてウィルさんが洗濯終わらせて夜食を作ってくれるまでは」

「何をふざけてるんですか……!」

 激昂するリーズリースに、少女は再び微笑みかけてきた。

「あの、あの、召喚士さまも御用がありましたら何でもお申し付けください。……そうでした、まだお名前をうかがってませんでしたね」

 その一言が、リーズリースの最後の一線を、ぷつり、と断ち切った。

「……………………私が誰だかわからないのですか?」

 リーズリースの肩から、黒い霧のような魔力が立ち上った。魔力の霧の中から〈デュラハン〉の姿がうっすら浮かび上がるのを見て、少女の表情が強ばった。

「…………え?」

「リーズリースです! グレンクラス王国守護騎士団リーズリース・ディ・グレンクラスです!」

「リ!?」

 かたん。少女の手から離れたモップが床に転がる。リーズリースの怒りに潤んだ瞳に捉えられ、少女は驚愕に固まった。

「ど、どうしてこんなところに……! 居留地におられるはずでは……?」

「そんなことはどうでもいいのです!」

 リーズリースは吊り上げた目に涙を浮かべて、ウィルを睨んだ。

「今まで……! 今まで何をしていたんですか!」

 感情が、言葉が溢れ出す。周囲の目もあるのに、もう抑えがきかなかった。

「この七年間、手紙も寄越さずに! どれだけ心配したと思っているんですか! 聖都にいたのならどうして居留地に知らせないんです! 叔母上に言付けてくれれば会いにいくことだってできたのに! それにその名前は! ファレルを名乗っていないのはどういうつもりなんです! それから……! それから……!」

 リーズリースはウィルのスカートを指さした。

「それから! その格好は何なんですか……!?」

「! あの……その……これには事情がありまして……!」

 ウィルはスカートを押さえ、頬を赤らめた。その仕草も微妙になまめかしい。それがリーズリースの怒りにさらに火を着けた。

「あなたは昔からそうやっていつもいつもふざけてばかりで……! 少しくらい召喚術が上手いからっていつもいつも余裕ぶって私を馬鹿にして……! 周りがどれだけ心配しているのかわかっているんですか!」

「あの、あの、皆様もいらっしゃいますし、そんな昔のことをそんな大声でおっしゃらなくても……」

「みんながいるから何だって言うんです!」

 感情に言葉が追いつかない。もっと言いたかったことがあったはずなのに、その言葉が胸につかえて出てこない。

 そこへ、

「おーい、新入り」

 人垣から今度は双子の片割れ、アデルが気怠げに姿を見せた。

「宿舎の手配、話つけといたぞ。管理人がいるうちに手続き済ませろってさ」

「はい! ただいまうかがいますので! あの、そういったわけですのでお叱りはまた後日ということに……」

「何言ってるんです! 話はまだ終わってません!」

 事務室でひとり激怒するリーズリースを見て、アデルは怪訝そうにアイシャに尋ねた。

「……あいつ、何をあんなに怒ってんだ?」

「それがね。リーズリースがお手伝いさん独り占めしようとするのよ。洗濯なんかさせちゃ駄目って」

「マジかよ。あのな、リーズリース。ウィルは試験機部隊配属のお手伝いなんだからな。お前専用のお手伝いじゃないんだから」

「双子揃って同じようなこと言ってるんじゃありません!」

「「……双子って言うな」」

 綺麗なシンメトリーで眉根を寄せる双子。

「とにかく! 生きているとわかった以上、今まで何をしていたのか……!」

 振り返ったときすでにウィルの姿は消えていた。辺りを見回していると、人垣の向こうから慌てた声が聞こえてきた。

「あ、あの! 今日のところはこれで失礼します! また改めてご挨拶に参りますので!」

「待ちなさい……!」

 リーズリースは人垣を掻き分けて格納庫の外に出る。だが、ウィルの姿は夕暮れの格納庫区画のどこにもなかった。

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