一、『黒騎士』・3
3
「で、また君はやらかしたわけか」
バローク召喚院本部棟の一室。
両脇のファイル棚の間にファイルの山に埋もれた机があり、その向こうで『諸悪の根源』がファイルに目を通していた。
第十三師団長アレフロート・リードマン。
試験機部隊の元締め。自らは安全な旧領圏にいながら、配下の召喚士を傭兵のように各地の戦場に送り出している男。
薄い髪、鷲鼻、枯れ枝のような中年の男。まどろんでいるような瞳は手の中のファイルに据え付けられたように動かず、こちらを見ようともしなかった。
「よその領地で無許可で
「正しい判断でした」
リーズリースは軍隊風の休めの姿勢で机の前に立ち、つとめて冷静に答えた。そうでもしなければ〈デュラハン〉が勝手に顕在化して攻撃してしまうかもしれない。……それができたらどれほど心が晴れるだろうか。
「目撃者からは君が『異海』方面にちょっかいを出しにいったと証言があるけど。ああ、情報源は匿名を希望しているから詮索しないように」
「あの双子だって顕在化した特異体は見ていたはずです。『異海』の侵蝕は見た目よりもずっと進行していました。それを放置しておけと?」
「だとしても規則は規則だし、責任者の許可は取らないと。同行していた第十師団からは死ぬほど抗議が来たんだ。それはもうひどい言われようで。面倒ばかり起こすようだったら、次のレコンキスタには試験機部隊の召喚士は使わないと。たまには他師団のクレームが来ない形で戦ってもらっても私は一向に構わないんだけど」
「指揮官が現場にいないのですから、自分で判断するしかありません。リードマン教授が臨場してくだされば間違いもなくなると思いますが?」
「こう見えても忙しいんだ。いろんな機体のいろんな作業、それから他師団の召喚機の制作だって手伝ってるんだし。……そうだ、緊急戦闘とあるけど、構成開始から第一撃までに掛かった秒数はどれくらいだった? 十秒? 二十秒?」
「…………」
「そう憶えてないか。今度から、そういう点も気をつけて報告書に書いておいてくれ。召喚機の開発には重要な情報だから」
リーズリースの皮肉も、リードマンには全く効果がないようだ。強大な権力を背景にした不遜さは相変わらずだった。
レコンキスタを指揮し、征圧した地を己のものにすることを認められた存在。全世界にわずか百名。王侯と同等の権限を有する、召喚士たちの王。リードマンもその一人だった。
しかし、彼には他の佰候召喚師とは大きく異なる点があった。
リードマンが召喚機に乗ることはない。異影と戦うこともない。レコンキスタを指揮することさえない。それどころか、彼がどんな眷属と契約しているのかも知らない。他の佰候召喚師のようにレコンキスタで領地を獲得し、召喚院に貢献することもない。
それでいて絶大な権力を有していた。召喚院から課せられるほとんどの義務から逃れ、召喚院の機材を好き勝手に使用し、必要ならば他師団の召喚士さえ無理矢理に引き抜いていく。ささいな規律違反は無数にあり、しかし、執行部でさえ余程のことがなければ彼の行動を黙認している。
その権力の根源こそが、彼の召喚機開発能力だった。
西大陸で並ぶ者のない天才。最新鋭対異影兵器という召喚院の機密に関わり、多くの成果を上げていた。フレームの設計から制作、ネイオスの精製・調節、導霊系に用いられる素材開発まで、召喚機のあらゆる要素に彼が携わっていた。彼がいなければ現行標準型ドールが生まれるのにあと十年はかかっただろう、そう噂されていた。
彼は開発した試験機に手勢の召喚士を乗り込ませ、戦場があればそこに送り込む。そうやって得たデータを元に、あらたなる召喚機を作り出す。
彼にとって召喚士は消耗品であり、求めるものは戦闘能力だけだった。だからこそ、使役力が未熟なリーズリースも召喚院に潜り込むことが出来たのだが……。
一方で、その代償は高くついた。
第十三師団に属してからの二年間は、リーズリースにとって異影との戦いに明け暮れる日々だった。噂ではバローク召喚院で最も実戦経験を積んでいるのは第十三師団だという。年の半分以上を最前線で過ごし、『異海』の正面で生命を晒し、それでいて他師団への戦力提供であるためにリーズリースが得るものはほとんどない。
「用というのはそれだけですか?」
「もちろん、それだけじゃない。君に新しい任務だ」
そう言って、リードマンは読みかけのファイルを置き、机に手を伸ばした。
「今、新しい召喚機を手がけているところなんだ。性能限界調査試験機。つまりは佰候召喚師のような上級召喚士向けの高性能召喚機だ」
「それに乗れと?」
「ははは。君の冗談にしては面白い方だ。だが違う」
リーズリースの渋面にも気付かず、リードマンはファイルの山を漁り続ける。
「その機体のテストパイロットとして新しい召喚士をうちに招くことになった。こいつはすごいぞ。聖都召喚院で佰候召喚師の候補者になったそうだ。いやもう引き抜くのに苦労したよ」
聖都召喚院。全世界に十ある召喚院の一つ。本拠地は西大陸旧領・聖都。組織の最初期に設立され、歴史は中央召喚院についで古い。規模はバロークの方が大きいが、在籍する召喚士の質においては聖都の方が上だと噂されていた。
「それで彼の身の回りの世話を君にやってもらおうと思ってね」
「……は?」
「聖都とバロークでは習慣もやり方も違うだろうから、生活や訓練のサポートをしてあげてくれ。予定では明日、バローク駅に到着することになっている。君の最初の任務は駅で彼を出迎えることだ」
リーズリースの目が静かに吊り上がった。
「……どうして私がそんなことを?」
「仕方ないだろ。うちの召喚士も事務方も忙しくて手が空いてるのは君くらいだし」
「私はあなたの使用人ではありません!」
「それに彼には早速、来週行われる師団合同演習に新型機で参加してもらう予定でいる。時間があまりないから余計な雑事に関わらせず、訓練に専念させたい」
「演習? 新人なのにもう演習に参加するんですか?」
師団合同演習は年二回行われるバローク召喚院、最大規模の演習だ。召喚機を用いた実戦形式。そこには各師団長や執行部の視察があり、召喚士たちにとっては自らの力を示す場でもある。
「問題なのは実力だ。新人かどうか関係ない」
「私が一度も参加させてもらえないのは実力が足りないということですか?」
「へえ、君が演習に興味があったとは知らなかったな。……まあ、出たいというなら彼と一緒に出ても構わないけど」
「…………!」
いつもの手だ。目の前に餌をぶら下げ、意のままに操ろうとする。
リーズリースは踵を返した。
「雑用くらい本人にやらせればどうですか? 私はこれで失礼します」
「……ああ、やっと見つかった」
リードマンはようやく目当てのファイルを見つけ、山から引っ張り出した。
「ええと名前は……そう、ウィル・O・レイリー。聖都召喚院所属」
リーズリースの足が止まった。リードマンは机のこちら側にファイルを放って寄越した。
「あいにく写真はないが、まあ、ボードでも持ってれば向こうで見つけてくれるだろう」
「教授は……」
「?」
「……いえ、何でもありません」
「それで返事は? 一流の召喚士についていれば君も勉強になると思うんだがね」
「わかりました。他には何か?」
「演習までのスケジュールは作成しておいたから目を通しといてくれ。以上、退出してよろしい」
失礼します、と言い残し、リーズリースは部屋を辞した。
つとめて冷静に、しかし、その足取りは徐々に速くなっていく。階段を降り、途中、人気のない踊り場で立ち止まった。誰か来ないか耳をそばだてたが、血流が鼓膜を叩き続ける音以外何も聞こえない。
ファイルを開く。その手が震えていた。最初のページ、氏名の欄に何度も、何度も、目を通す。
ウィル・O・レイリー。
ウィリアム・ファレルの本当の名前。
祖国で天才と呼ばれた少年。
グレンクラス騎士団、最後の召喚士。
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