一、『黒騎士』・2
2
バローク召喚院の北側には広大な丘陵地帯がある。
そこは主に演習場として使われており、周囲には手つかずの保全地域があり、そこには人目に触れない無数の空間があった。『異海』の侵蝕に苦しむ人々から見れば、うらやむだけでは済まないほどの土地だ。
リーズリースは宿舎にも戻らず、真っ直ぐ保全地区へと向かっていた。
「
形骸化したフェンスを越える前、リーズリースは〈
やがて、いつもの場所にたどりついた。
木々の狭間のわずかなスペース。その中央にはテーブルのような岩があった。周囲は木々が生い茂り、召喚院の建物からも演習場からも視線は通らない。リーズリースの見つけた、秘密の訓練の場だった。
「召喚」
リーズリースの身体から黒い霧のような魔力が溢れ、〈デュラハン〉が顕在化した。首無しでも、リーズリースより頭二つは大きい。
「御苦労、オスカー」
眷属の個体名を呼びながら、リーズリースは黒い鎧に触れた。物言わぬ〈デュラハン〉は一礼するように体を傾けた。
訓練のための準備を整える。
手にしていた紙袋から、市場で買ってきた林檎を取り出す。それを岩の上に置くと〈デュラハン〉の元へ戻った。
リーズリースは祈るように手を組み合わせ、集中を開始した。使役術の基礎。己の魔力と眷属との波長を合わせ、命令を下す。
「行きなさい!」
微妙な間があって、〈デュラハン〉がゆっくりと動き出した。顕在化した鎧巨人の質量が地面を揺らす。数歩で〈デュラハン〉は岩の前に辿り着いた。そして、右手を振りおろし、ごちん、と岩の上の林檎を叩き潰すと、悠々とリーズリースの下へ戻ってきた。
「…………」
リーズリースは渋面を浮かべた。怒りを押し殺すように深呼吸する。
「……オスカー、いいですか? もう一度、確認しますよ?」
リーズリースは岩まで歩き、潰れた林檎を両手てすくい上げた。
「私が命じたのは、こうやって林檎を手に取って」
それから、〈デュラハン〉のところへ戻る。
「私のところへ持ってくることです。わかりましたか?」
物言わぬ〈デュラハン〉は返事の代わりに、少しだけ体を傾けた、ように見えた。
リーズリースは紙袋から新しい林檎を取りだし、岩の上にセッティングすると、再び定位置につき、林檎と〈デュラハン〉に集中を開始した。
「行きなさい!」
「…………」
再び〈デュラハン〉が動き出す。
ゆっくりと岩まで進むと、今度は林檎を前にしばらく佇む。さらに念を送るリーズリースの前で、〈デュラハン〉は林檎を取り上げた。
「そう! そう!」
リーズリースは思わず破顔した。それはいつもの鉄面皮ではなく、年相応の笑顔だった。
「それからどうするの!?」
目を輝かせるリーズリースの前で、〈デュラハン〉は林檎を掲げると、左手を高々と挙げ、ぐしゃっ、と手の上の林檎を叩き潰した。
リーズリースは唖然とし、それから叫んだ。
「違います!」
「…………」
「この前はちゃんと出来たじゃありませんか! グレンクラス最強の騎士霊たる貴方がどうしてこの程度のことを忘れてしまうのですか!」
「…………」
激昂するリーズリースの前で〈デュラハン〉は不思議そうに体を傾ける。
「もう一度やりますよ!」
同じように三個目の林檎をセットしたが、今度は〈デュラハン〉は動こうとしない。彼から不穏な空気を感じ取ったが、リーズリースは怒りにまかせ告げた。
「な、何です……? 訓練が嫌だというのですか!」
「…………」
何も答えない首なし騎士。
しばらくのにらみ合いの末、根負けしたリーズリースは剣を手に取った。
「それなら結構です! あなたがやらないと言うのなら別な訓練をするまでですから!」
リーズリースはそう言って、腰の剣を抜いた。
「〈
黒い魔力が刀身を包むと、剣は激しく輝き始める。
魔剣〈
「……っ!」
魔剣が手の中で荒ぶる。送還が頭を過ぎるが、リーズリースは必死に両手に力を込めた。
負けるものか! このまま終わるわけにはいかない! 佰候召喚師となって故郷を取り戻すまで、私は諦めるわけにはいかないんだ!
だが、この世ならざる魔剣の力を生身の力で抑えられるわけもなく、〈光剣〉の光は暴発寸前の輝きを放ち始めた。
「…………」
暴走の直前、〈デュラハン〉が〈光剣〉の刀身を掴み、取り上げた。あれほど荒れ狂っていた〈光剣〉は〈デュラハン〉の手の中で凪のように大人しくなり、静かな輝きを湛えるだけとなった。
「オスカー……」
大丈夫か? そう尋ねるように〈デュラハン〉は体を傾けた。……ように見えたのはリーズリースの錯覚だった。
〈デュラハン〉はリーズリースの前を横切り〈光剣〉を岩の前まで持っていくと、今度は高火力の剣撃を林檎に叩き込んだ。
轟音。吹き荒れる熱風。爆散する林檎。
破壊に満足すると〈デュラハン〉はリーズリースの前に戻ってきて待機の姿勢を取った。
「違う!」
リーズリースは絶叫した。
『傭兵部隊の狂戦士』リーズリース・ディ・グレンクラスが孤立している理由、それははっきりしていた。
彼女は眷属を操ることが出来ないのだ。
◆
召喚士の魔力特性には四つの評価項目がある。
眷属の存在を支え、引き出す『
眷属を自在に操る『
顕在を維持するための『
複数の眷属と契約するための『
これらは召喚機を操るために必要な資質であり、正召喚士となるためにはこの全てでB評価を上回る必要がある。
顕在力B評価。眷属を顕在化し、異影を破壊可能な出力を有する。
使役力B評価。感覚共有など基礎召喚術を使いこなし、さらに純化召喚など応用召喚術を修めている。
持続力B評価。召喚機の戦闘構成を一時間以上の戦闘機動を行える。
契約力B評価。眷属四体と契約し、同時に門を構築できる。
召喚士たちはこれらの条件をクリアしてはじめて、貴重な召喚機に搭乗することを許される。それまでは戦場に立つ資格さえないのだ。
召喚院の規定に照らし合わせると、リーズリースの魔力特性は以下のようになる。
顕在力B。戦闘用眷属を十分に出力できる。
契約力B。召喚機の汎用性を支える四体分の門を構築できる。
持続力S。戦闘機動を三時間以上維持することができる。
使役力F。眷属がいうことを聞いてくれない。
◆
リーズリースは暗澹たる気分で遅い昼食、粉砕された林檎を囓っていた。
傍らには〈デュラハン〉が控え、岩のテーブルの上では〈
リーズリースは頭でイメージを作り上げ、〈大鴉〉に告げた。
「こっちへおいで」
〈大鴉〉は顔を上げると、馬鹿にしたように一鳴きしてから、器用に林檎をついばんで飲み込んだ。
リーズリースは渋面を浮かべ、今度は〈黒馬〉へ呼びかけた。
「〈黒馬〉、こちらへ来なさい」
普通の馬より二回りも大きな霊獣はこちらを見ることもなく、馬鹿にしたように尻尾を一振りするだけだった。
リーズリースはため息をついた。
魔力特性の一つ、使役力。リーズリースはこの力が極端に低い。
召喚院における使役とは、眷属を自在に操るだけではなく、眷属の存在を書き換える『純化召喚』を始め、『形状変化』、『同化召喚』、『化合召喚』、そういった応用召喚を使いこなしてようやく使役力B、正召喚士相当と認められる。
リーズリースはそれ以前の問題で、〈大鴉〉も〈黒馬〉も言うことを聞いてくれないし、〈光剣〉に至っては異影であろうが契約主であろうが焼き尽くそうとしてくる。
それに比べたら〈デュラハン〉はまだましなほうだ。
彼、オスカーはグレンクラスの一族と契約した騎士霊である。その契約に基づき、後継者であるリーズリースの守護者として、幼い頃から一緒に暮らしてきた。
その行動は二つのルールに則っている。
一つ、リーズリースを敵から守ること。
一つ、リーズリースの敵を滅ぼすこと。
それ以外のことは、基本的には聞いてくれない。意思疎通ができているのかいないのか、それさえもよくわからない。
リーズリースの『お願い』を聞いてくれることもある。例えば「あそこに行きたい」とお願いすれば、〈黒馬〉にリーズリースを乗せ、連れて行ってくれることもある。
そういったこと以外になるともう駄目である。
使役術を学ぶための初歩的な訓練(林檎を持ってこさせる例の訓練)は何度も何度も繰り返し言い聞かせてようやくやってくれる程度だ。……子供の遊びに嫌々付き合っている大人のように。それも次の機会にはすっかり忘れてしまっている。
リーズリースができることは、彼らを呼び出し好き勝手に暴れさせるだけ。連携しないのではなく、連携できない。通信したくとも、そんな器用さは持ち合わせていない。
そんなリーズリースでも召喚院に潜り込めたのは第十三師団の存在があったからだ。
通称『試験機部隊』、あるいは『傭兵部隊』。試験機のテストのため、常に戦場に送り込まれる傭兵たち。
そこならば《
〈デュラハン〉の装甲と機体制御。彼は〈光剣〉と〈黒馬〉を強引に制御し、火力と機動力を確保してくれる。動体への鋭敏さを持つ〈大鴉〉の視覚は異影を確実に捉え、リーズリースに敵を教えてくれる。
一人で戦う限り、誰かを傷つけることもない。通信機能、識別機能も必要ない。
試験機部隊で求められているのもそれだけだった。
第十三師団長、アレフロート・リードマンの興味は試験機の開発だけ。必要としているのは試験機に適合する召喚士だけ。その他のことなど、例え召喚院内の評価であっても、全く意に介さない。
彼のような変人がいなければ、リーズリースが正規の試験もなしに正召喚士になることはなかっただろう。
だが、それにも限界がある。
この二年間、危うい場面は何度もあった。
先日、異影との戦闘でアイシャの魔術を打ち落としたのもその一つだ。
〈デュラハン〉の敵味方の認識はリーズリースのものとは大きく異なる。たとえ、召喚院の人間であったとしても脅威を感じれば敵だと見なす。
落ち着いている状態ならまだしも、乱戦ともなれば《黒騎士》はどう反応するかわからない。あのとき異影よりもアイシャが脅威だと感じれば、容赦なく彼女の方を攻撃していただろう。
もしリーズリースが眷属を制御できないことを召喚院が知れば、彼らは第十三師団にいることさえ許しはしないはずだ。そうなれば佰候召喚師となり、グレンクラスの地を取り戻す道は絶たれることになる。
「…………」
気がつくと、リーズリースはぼんやり、岩に立てかけた〈光剣〉を眺めていた。
この魔剣を変幻自在に操っていた少年、その姿が脳裏に浮かんだ。
あいつは、今、どこで、何をしているのだろうか? 私と同じように、どこかで異影との戦いを続けているのか、あるいは……。
リーズリースは雑念を振り払った。
……ここにいない人間のことを考えてどうなる。
まだ終わったわけじゃない。私はまだ負けてない。下手ならば上手くなればいい。ちょっとずつだが自分は進歩している。この前だって、(一回だけだが)〈デュラハン〉に林檎を持ってこさせることに成功した。後退はしているが前進もしている。あとは練習量でカバーだ。
訓練を再開しようと立ち上がったときだった。
『あー、発令所からリーズリース・ディ・グレンクラスへ。繰り返す、発令所からリーズリース・ディ・グレンクラスへ』
演習場から[拡声]放送が流れてきた。発令所の准召喚士が通信用ネイオスでこちらに呼びかけている。
『リーズリース正召喚士、聞こえてたら本部棟のリードマン教授のオフィスへ出頭するように。ただちにです。以上、交信終わり』
リードマンからの呼び出し。リーズリースは嫌な予感を覚えながら、訓練の後片付けを始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます