一、『黒騎士』・1
かつて、海はどこまでも青かったという。空はどこまでも広がっていたという。
◆
まだ、地上に神がいたころ。人と神が限りなく近かったころ。
神は人に真理を与えた。異世界への門を開き、向こう側にある力を操る方法を。
人は門を通じ、あらゆる世界と繋がり、あらゆる力を引き出した。太陽を呼び出し、月を呼び出し、地上を照らした。海を呼び出し、風を呼び出し、地上を潤した。獣を呼び出しては野に放ち、魚を呼び出しては水に泳がせ、鳥を呼び出しては空に放った。人々はそうして世界を満たし、栄華を極めていった。
これが『召喚術』の始まりなのだという。
◆
やがて、人は傲慢になった。自在に召喚術を操るようになった人は、神への祈りも、感謝も忘れてしまった。あたかも自らが神になりかわったかのように。
そして、神の怒りに触れた。
神は世界を削り取り、人を狭い現世へと閉じ込めた。あらゆる門を閉ざし、人が二度と外に出られないように、世界を巨大な布で覆った。
これが『異海』なのだという。
◆
秩序は失われ、世界は混沌と化した。
人は慈悲を請うた。神は人を哀れみ、門を操る鍵を砕き、その破片をばらまいた。破片のあるものは地中深くにある石の中へと宿り『晶石』となり、またあるものは人の中へと宿り『魔力』となった。
神は人が生きるのに必要なものだけ世界へ残し、地上から去っていった。
◆
こうして世界は現在の姿となった、と神話の一つは伝えている。
召喚院が近代召喚術を完成させた今、この話を信じる者は少ない。
◆
召喚院。
今から百年前、『異海』の侵蝕に対抗するため人類が作り上げた組織。
大陸・国家の枠を越えて各勢力の才能を集結させ、近代召喚術を生み出した組織。
そして現在、多数の召喚士を擁し、
バローク召喚院はその拠点の一つである。
1
『異海』など、欠片も見えない快晴だった。
中央駅のホームからは、召喚院の象徴、大聖堂の二つの尖塔が見えていた。
バローク市。西大陸中西部を代表する百万都市。駅構内には旅客たちが行き交っている。
リーズリースは六番ホームに立ち、
「ああ……やっぱり右腕導霊系は断裂しかかってるわねえ。最悪、全身の導霊系ごと取り替えないと」
重装試験ドールのハッチから栗色の髪の整備士が顔を見せた。
エルナン・パディントン整備主任。第十三師団の召喚機整備班の責任者だ。
「戦闘は無理だけど自走するぶんには問題ないから、このまま積み替えちゃうわね」
「修理はいつ終わりますか? すぐにでも訓練を開始したいんですが」
「あのねえ……」
リーズリースが尋ねると、パディントンは呆れたように眉根を寄せた。
「見えるだけでもこれだけ損傷があるんだから、内部にどれだけダメージがあるかわからないのよ。骨格の歪み、可動部の損傷、導霊系の断裂、ネイオスの耐久限界。一度格納庫に持ち帰って精密検査しないと」
リーズリースは重装試験ドールを見上げた。
無数の傷が刻まれた、分厚く、鈍重な機体には、二週間にわたるレコンキスタ、そして中継駅の偶発的な戦闘よって真新しい損傷が加えられていた。
パディントンはリーズリースの隣に立つと、惚れ惚れと重装試験ドールを見上げた。
「それにしても流石リードマン教授だわ。これだけあちこちへこんでるのに操縦席へのダメージはほとんどないもの。あとでちゃんとお礼を言わないとね」
リードマンの名前を出され、リーズリースは表情を険しくした。
この重装試験ドールは「奇才」アレフロート・リードマンが設計した一点物の機体だ。その特徴は重厚な装甲だ。標準型には存在しない盾のような装甲が、機体正面・左右腕部に追加されている。
異影の攻撃に耐えられる重装甲。それを支えるために骨格を新たに設計。増加した重量を動かすために搭載するネイオスも見直し、出力と安定性を両立させたミドルレンジ・セッティングが為されている。
防御の負担が減れば、その分、他の機能に眷属の能力を集中させられる。それがこの機体のコンセプトだ。設計思想自体はリーズリースも納得いくものだ。
結果的に大失敗だっただけだ。
出来上がったのはあまりに重すぎて、並みの召喚士では動かすだけでも苦労する超鈍重ドール。リーズリースの膨大な持久力がなければ今でも倉庫で眠っていただろう。
君にぴったりの機体があるんだがね?
リードマンと初めて会ったときに告げられた言葉を思い出した。今思えば、器用ではないリーズリースへの皮肉だったのだろう。
「中身っていうのはあなたも含めてよ。いくら頑丈だからって内部への衝撃までは受けきれないんだから。目に見える怪我はなくてもゆっくり休まないと」
「私は平気です」
「整備士に嘘ついても駄目。機体の整備してればどんな操縦してるかわかるんだから。無茶ばかりしてると、いつか大怪我するわよ」
「…………」
聞きたくもない説教だったが、パディントンが相手だと何故か、逆らう気が起きない。
と、
「馬鹿は死んだって治らないわよ」
背後から別の声がした。
ベンチにもたれ、褐色の肌の女性がこちらを見ていた。気怠げな雰囲気に、不満を隠そうともしていない。中継駅以降、ずっとそんな態度だった。
アイシャ・アルハザード。リーズリースと同じ、第十三師団の
「いっつもいっつも独断専行。馬鹿みたいに異影に突っ込むわ、周りも見ないで魔剣ぶんまわすわ。あたし言ったよね? 構成に通信機能がないならないで召喚院のハンドサインなり使えって」
「必要ありません」
「はあ? この前だって結局、あたしらが掩護するハメになったんじゃないの」
「そんなもの必要ありませんでした」
「……ああ?」
アイシャが気色ばむ。そこに、
「おいおい、その辺にしておけよ」
また別の声。隣のベンチに寝そべっていたアデル・アルハザードが割って入った。アイシャと同じく褐色の肌。黒髪を短く刈り上げている。
二人はバローク召喚院で『双子』と呼ばれている、双子と呼ばれることを何よりも嫌う双子だった。
「こんな人混みの真ん中で喧嘩なんて、兄として恥ずかしいぞ」
「あんたは黙ってなさいよ、馬鹿血族」
「それからリーズリース、お前も反省しろ。手助けした俺たちに対して『ありがとう』でも『ごめんなさい』でもない。失礼だぞ」
「反省するようなこともしていません。必要な行為でした」
素っ気なくこたえたリーズリースにアイシャが言った。
「あんたが森にちょっかい出しに行くから、異影がこっちに来たんじゃないの。おまけに貨車までぶっ壊すもんだから帰るのがこんなに遅くなったんでしょうが」
「特異体の侵蝕は想定よりも進んでいました。あの状況で放っておけと言うんですか?」
「知らないわよそんなの。どうせ他人の領地なんだからあたしらには無関係でしょ」
リーズリースはアイシャに冷たい視線を向けた。
「……召喚士の役割を何だと思っているんです?」
「異影と適当に戦ってお金を稼ぐこと」
「人々を『異海』の脅威から守ること、それが召喚士の役目です。金銭の問題ではありません」
「まーた始まった。騎士様ごっこ」
アイシャが肩をすくめる。
「いつまでお姫様のつもりでいるわけ? あんたの何とかっていう領地はとっくに『異海』に沈んだんでしょ。あんたの一族が領地を守れなかったから、今、ここに、あんたがいるんじゃないの?」
リーズリースの表情に険が宿る。
同時に、リーズリースの身体から黒い霧のような魔力が立ち上る。それは形を為し、一瞬後には〈デュラハン〉が現れていた。
場の雰囲気が変わった。周囲で作業していた準召喚士たちが動きを止める。通常召喚とはいえ、一般の場で正召喚士が眷属を呼び出すのは異常事態だった。
アイシャの口の端が不敵に吊り上がる。
「何? やるの?」
空間が歪み、アイシャの周囲に四つの結晶体が現れた。
彼女の使う眷属、四大元素の具象体。〈
パディントンとアデルが慌てて制止に入った。
「ちょっとリーズリース……! 落ち着いて……!」
「おい、愚妹。営倉と病院、どっちにぶち込まれてもオレは面会には行かんぞ」
「正当防衛でしょ。痛い目に遭わないとわかんないなら、わからせてあげるわよ」
リーズリースとアイシャは睨み合ったまま、お互いに一歩も退かない。
緊張が限界にまで張り詰めたそのときだった。
がしゃん!
リーズリースとアイシャの間で何かが盛大にぶちまけられた。ポット、フライパン、コンロ、洗濯板、様々な雑貨がホームに転がっている。そして少し離れた場所で、チェック柄のスカートを穿いた少女が盛大に倒れ込んでいた。
「す、すみません!」
少女は慌てて、品物を集め出す。一見して行商人のようだった。『異海』に故郷を奪われ、居場所を失い、土地を転々としながら生計を立てる者は多い。
睨み合うリーズリースとアイシャの足元で、少女が這いつくばって荷物を掻き集める。しかし、慌てているのか、物が手につかない。
リーズリースの傍らから〈デュラハン〉が消えた。リーズリースは嘆息し、かがみ込むと、一緒になって荷物を拾い集めた。
「……大丈夫ですか?」
「あ、あの! 平気です! お手を煩わせることはありませんから!」
「…………」
少女の言葉を無視し、リーズリースは雑貨を背嚢に押し込んでいく。品物を集め終わると、少女を立たせスカートの埃を払った。
「あ、ありがとうございます!」
「一般のホームは向こうです。ここから出るのは召喚院へ向かう列車だけですから」
「はいっ、ご迷惑お掛けしました」
少女は深々と頷き、そのまま駆けていく。
アイシャが気が抜けたようにため息をついた。眷属を持て余したように回転させると、手を一振りして送還した。
「とにかく、これ以上勝手ばかりするんなら、もう助けてあげないからね」
「それで結構です」
リーズリースはこたえ、踵を返した。
「では、ドールのことはお願いします」
「どこ行くの? もうすぐ召喚院への列車、出ちゃうわよ」
「訓練です」
言い残し、リーズリースは駅舎へと去っていった。
◆
「困ったものねえ……」
リーズリースの後ろ姿をパディントンはため息で見送った。
バローク召喚院所属、第十三召喚師団。
通称『試験機部隊』。あるいは『傭兵部隊』。
バローク召喚院において、この師団は特異な存在だった。
奇才、アレフロート・リードマンが主宰するこの師団の主目的は試験機の開発と実地試験。他の師団のように領地獲得などには目もくれず、他師団へ戦力を提供し、異影との戦闘へ送り込む。
全ては戦闘データを収集し、新たな召喚機を生み出すため。
所属する召喚士たちも問題児ばかりだ。特異な試験機に適合するように集められた特異な召喚士。求められるものは試験機を操るための眷属と魔力適性だけ。そのためならば出身・家柄はもちろん、性格・社会性も問わない。
リーズリース・ディ・グレンクラスもその一人だ。
類い希な戦闘力を持ちながら、他人と関わろうとせず、試験機部隊に流れ着いた孤高の存在。チームワークなどという言葉は知らず、頼みとするものは己の力のみ。『傭兵部隊の狂戦士』とは、彼女の機体《黒騎士》の戦いぶりから付けられた異名だった。
彼女の境遇を考えれば、そうなってしまった訳も理解できるのだが……。
「あの……」
「ん?」
先ほどのチェックスカートの少女が傍らにいた。
「あら、どうしたの? 道に迷っちゃった?」
「いえ! ですがお心遣いありがとうございます!」
それから少女はパディントンにたずねてきた。
「もしかしてバローク召喚院の方でしょうか?」
「そうだけど……」
パディントンが答えると、少女はにっこり微笑みかけてきた。
「僕はウィル・O・レイリーと申します。バローク召喚院第十三師団のお手伝いとしてやってまいりました!」
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