序、『黒き森、黒き海』・後編
◆
麻布の下からリーズリースの
アレフロート・リードマン設計・制作、通称『重装試験ドール』。
全長五メートル。重量二・八トン。
標準ドールにはない追加装甲、それを支えるための強化された骨格。機体は重く、幅員は広い。その姿からは鈍重な印象を受ける。
リーズリースは背部ハッチを引き開け、技術部の準召喚士たちに叫んだ。
「構成を開始する! 召喚機から離れて!」
彼らが言い返してくるのを無視し、ドールに乗り込む。ハッチを閉めると、機内は薄闇に包まれた。視認用のスリットから差し込む外光が、埃を浮かび上がらせた。
人間一人がぎりぎり収まるスペース。告解室をさらに陰気に、窮屈にしたような空間。
リーズリースはシートに体を滑り込ませた。ベルトを身体に巻き付け、前部パネルに据え付けられたロッドを引き出す。一見、機械式レバーのようだが、これを操作したところで機体を動かすことはできない。ロッドは召喚士の意志と魔力をフレームの導霊系に伝えるための装置だ。
導霊系支配。魔力場形成。いつも通りの手順。
ドールに張り巡らされている銀オリハルコン合金の導線にリーズリースの魔力が流れ込む。召喚士の魔力は、血液のように導霊系を通い、機体を包む魔力場を生み出す。
ネイオス認識。魔力を介し、ドール各部に設置された憑霊器を把握する。
リーズリースは頭部ネイオスに意識を集中し、構成の最終段階、『純化召喚』を開始した。
◆
召喚機の中核となるネイオス。
その名は、かつて巫女が予言を行った神殿内の聖域に由来する。
古代、神殿の巫女たちはその膨大な魔力と引き換えに聖域に安置された神体に神を降臨させ託宣を得た。
近代召喚術の結晶である召喚機のシステムは、巫女の行っていた古代召喚術と何ら変わりない。神殿は機体、憑霊器は神体、召喚士は巫女。神殿の機能を小型化・移動可能にしたものが召喚機なのだ。
大きく違うのは、巫女が高位存在の一部を呼び出していたのに対し、召喚機は低位の眷属の存在を書き換え、より大きな力を引き出す点にある。
精製された晶石、ネイオスという仮初めの肉体の中で、眷属は元の存在から解放され、再定義され、より純粋な力へと変化する。
その書き換えを『純化』と呼び、この純化理論によって人類は異影に対抗しうる、新たな力を獲得したのだ。
◆
重装試験ドールに搭載された五基のネイオス。そのうちの一つ、頭部ネイオスに魔力を集中させた。導霊系を通じ、ネイオス内部に〈大鴉〉の召喚門が生成させる。
「〈
リーズリースはさらに強いイメージを送り込む。〈大鴉〉の存在を分解、その『眼』の存在をネイオス全体に拡大させ、力を引き出す。
意識に、外界の光景が映しだされた。
純化された〈大鴉〉との[感覚共有]は、リーズリースの神経に雷を流したような衝撃を与えた。眼、すなわち「視る」ことに純化した〈大鴉〉は人間を遙かに超える、いや、〈大鴉〉自身でさえ制御しかねるほどの視野・動体視力・遠視能力をリーズリースに与えた。
高感度、広視野ゆえに歪んだ視野が周囲の状況を捉える。駅、列車、精霊塔、逃げ惑う技師たち。
その中に敵の姿をはっきりと捉えた。
第一級異影、飛竜型。二十メートルほどもある巨体が森から抜け出し、こちらに迫る。
時間がない。
「〈
胴部ネイオスに門を構築、純化された〈デュラハン〉を宿らせる。ドールの胸部から黒い霧のような魔力が噴き上がり、一瞬後には黒い騎士鎧を形作っていた。
巨竜との距離、約百メートル。木々を掠めるような低空飛行で急速に接近してくる。
「オスカー!」
上半身の動力・機体制御・装甲を担った〈デュラハン〉がドールの右腕を持ち上げる。リーズリースは意識を巨竜に集中した。
「〈
右腕、その手の甲に嵌め込まれた晶石に純化された〈光剣〉の力が宿る。仮初めの体に乗り移った、荒れ狂う光。
異影の姿はすでに狙いをつける必要もないほどに接近していた。
「貫け!」
攻撃のイメージごと魔力をロッドに流し込む。右腕から伸びる、巨大な剣。〈デュラハン〉は右腕を突き出し、〈光剣〉の力を解放した。
白い熱閃が空を伸び、列車に襲いかかろうとした巨竜の胴体に突き刺さった。
爆発。
質量と熱量の衝突によって巨竜は慣性をねじ曲げられ、斜面へと墜落する。リーズリースは追撃のため、最後の構成を行う。
「〈
腰部ネイオスから強靱な四肢が発生し、貨車を踏み砕く。駆け、跳ね、踏みつけるための〈黒馬〉の肢が召喚機を持ち上げていく。
半人半馬、異形の戦士。
リーズリースが契約する四体の眷属を一機の兵器として構成した姿。
これがリーズリースの召喚機《
◆
〈光剣〉の一撃。
リーズリースの想定通りそれで終わりではなかった。
地面に転がった黒い巨体は片翼ごと半身が吹き飛んだように見えたが、すぐさま再生を開始していた。空間に黒が滲み、再び存在の顕在化を試みる。内部にある核に貯め込まれた膨大な顕在力を削ぎ落とさない限り、その存在が消失することはない。
「オスカー! 追い落とせ!」
リーズリースは操縦席で吠える。
それに反応し《黒騎士》は貨車の残骸を踏みしめた。《黒騎士》は一気に跳躍し、〈光剣〉の宿った右腕を突き出した。
轟音。
熱閃が異影の胴体を捉える。巨竜は白い光に押し流され、崖下へ吹き飛ばされた。
《黒騎士》は自らも崖へと躍り出た。
眼下に広がる一面の針葉樹林。〈大鴉〉の眼は、森へと滑落する巨竜を捉えていた。
《黒騎士》は森を揺るがしながら斜面に着地。そのまま駆け下りながら攻撃態勢を整える。
「とどめを!」
《黒騎士》は右腕を引き、巨竜の頭へ剣を撃ち込もうとした。
瞬間、異影の奇声が響き渡った。
巨竜が流体のように形を変えた。十数本の触手が背中から突き出る。それが新たな翼だとわかったときには、巨竜は異常な速度で上昇に転じ、こちらへ突っ込んでくるところだった。
「撃て!」
放たれた熱閃が地上を穿つ。その光を掻い潜り、巨竜は《黒騎士》の胴部に体躯をぶつけてきた。
「……っ!」
リーズリースは顔を歪めた。眷属が受けたダメージが、衝撃となってリーズリースの魂を襲う。もし意識を失っていたら、機体に供給される魔力が途切れ、召喚機は歪な棺桶と化していただろう。
だが、《黒騎士》の分厚い装甲は崩れなかった。衝突で崩れた態勢を無理矢理制御し、屈強な四肢をもって地上へと降り立った。
すぐに標的の行方を追う。直後、全身を蟲が這うような感触に襲われ、視界が黒く覆い尽くされた。
先ほどの第三級異影の群れが足元から湧き、機体に纏わり付いてくる。リーズリースは舌打ちし、苛立ちに任せ〈デュラハン〉に叫んだ。
「焼き払え!」
〈デュラハン〉が右腕を振り上げ、そのまま地面に叩きつけた。〈光剣〉の熱閃が足元に炸裂する。熱は小型の異影どもを焼き尽くし、上昇気流によって霧散させた。
どこだ!?
操縦席にまで届く放射熱にも構わず、リーズリースは〈大鴉〉の視界の中、巨竜を追う。
巨竜はすでに上空にあった。再生した十数の翼を叩き、そのまま高度を上げようとする。
《黒騎士》は重装甲・近接戦重視の構成だ。機動戦や対空攻撃は得意ではない。構成を変更すれば、〈光剣〉の射程・追尾性能を伸ばすことは出来るが、その分、火力が大幅に落ちる。
森に道はない。わずかな空隙を、障害競技のように跳躍しながら追跡する。しかし、異影との距離は徐々に広がっていく。
そのときだった。
『おせーぞ! 下がってろ!』
[風声]。魔術による通信が《黒騎士》の操縦席に大音量で響いた。
『喰らいな!』
森にあちこちに火柱が立ち上った。
異影の頭を押さえ込むように、[
〈大鴉〉の眼は魔術の主を捉えていた。上空で雲を引きながら、飛行型の召喚機が飛び抜けていく。
アデル・アルハザードの召喚機、《
『イヤッハアアアアア! 全弾命中!』
『……どこが全弾なのよ、この馬鹿』
さらに別の、気怠げな[風声]。
『全弾命中ってのはこういうことを言うのよ!』
ふらつく異影に、飛来した[
『リーズリース! 巻きこまれないよう下がってな。こいつはあたしの獲物だ!』
今度は背後の高台に現れた支援召喚機が魔術砲撃を行っていた。
アイシャ・アルハザードの召喚機、《
試験機部隊の僚機たちの魔術が巨竜に襲いかかる。
二人の攻撃によって上を押さえられた異影はさらに姿を変えた。翼を地面に突き刺すと、昆虫の脚のように『異海』へ向け這い始める。
逃げる?
後退する異影の姿が彼方の『異海』と重なった。顕在化した特異体を放っておけば、どれほどの災厄を振りまくかわからない。
リーズリースの意識が弾けた。
機体が自然と前進する。〈黒馬〉の四肢が地面を蹴る。
『ちょっ……!』
アイシャが絶句する。[石撃]の一つがリーズリースの進行方向と重なる。
それを《黒騎士》は左腕の一振りで叩き落とした。
『ちょっと! 何やってんのよ!』
非難の声を無視し、《黒騎士》は刺突の体勢に入る。
さらなる純化。
〈光剣〉再構成。右腕がさらに白く輝き、馬上槍のように変化した。その輻射熱が装甲を通じて操縦席にまで届いた。〈デュラハン〉の装甲がなければ機体が自壊しかねない熱量。
『聞こえてんでしょ! 下がれって……! ああ! もう! これだから通信機能もない召喚機と一緒になるのは嫌だっていうのよ!』
関係ない。
私の使命は異影は打ち倒すことのみ。
白く、白く。
威力を最大限にまで高められ荒れ狂う魔剣を、《黒騎士》が強引に押さえ込む。右腕を引き絞り、あえぐように這う巨竜に狙いを定める。
「貫け!」
一閃が、巨竜を貫いた。
手応えがあった。〈光剣〉は表皮を突き破り、肉へと侵襲していく。貫通した〈光剣〉から、リーズリースの魔力が生み出した膨大な熱量が噴き出す。怪物のあちこちから白い炎が噴き出し、その風穴は黒い領域を削り取っていく。
光の中、影は蒸気のように揺らぎ、消えていく。異影の核を《黒騎士》が打ち砕いたのだ。
竜が消失し、森に変化が現れた。
黒い灰のようなものが、森から立ち上っていた。特異体が消失したことで、その影響下にあった小型異影たちは顕在化が維持できなくなったのだ。陽光の下、異影たちは埃のように舞い上がり、そして消えていった。
再び、静けさが訪れた。
残されたのは破壊された森と、その向こうに変わらず存在し続ける『異海』。
棺桶のような操縦席で、リーズリースは大きく息を吐いた。
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