11. 大事な約束
誰よりも辛いのは、病と闘っているニコライ様だ。己の死に向き合うのは、精神が疲弊することだろう。大声で泣きたいこともあるはずだ。
なのに、私の前ではいつも穏やかに微笑んでくれる。私にはニコライ様の苦しみを、微塵も感じさせないようにと。病人だからと我儘を言うこともない。
その気持ちに報いたいのに、私は弱くてこうして泣いてしまう。
「そんなこと言わないください。寂しくなってしまう」
まるで恨み言のようにつぶやくと、ニコライ様は私の頬に流れた涙を、そっと唇で吸い取ってくれた。
「泣かないで。君が悲しむと、私まで悲しくなってしまう」
「陛下のせいですわ。悲しいことばかり言うから」
こんなときでも、私はつい意地を張る。本当は逝かないでと叫びたい。愛していると。なんでもするから、置いていかないでと。その身に縋って頼みたい。
でも、そんなことをしたら、ニコライ様が苦しむ。そして、そんな彼の姿を見たら、私はきっと壊れてしまう。それが怖かった。
「そうだね、私は君を泣かせてばかりだったな」
「そうですよ。だから、一生をかけて償ってくださらないと」
まだまだ足りない。もっともっと一緒にいたい。だから、ニコライ様を簡単になんて許してあげない。
「難しいことを言うね。私にはもう、あまり時間がない」
ニコライ様は、困ったような顔をした。
時間はある。まだ、私たちには共に過ごせる時間がある。
私のこれまでの人生は、ニコライ様と共にあった。幼くして婚約したときから、私の心はずっと彼で占められていた。
だから、最期のそのときまで、私と一緒にいてほしい。
「難しくないですわ。ずっとお側に置いていただければ、私はそれで幸せです」
「私がいなくなったら、君には別の幸せを……」
ニコライ様が私の幸せ。だから、別の何かなんていらない。でも、そんなことは言わない。言ってあげない。
「私の幸せを願うなら、ずっと一緒にいようって言ってください。じゃないと、もっと泣きますよ!」
泣きじゃくる私の頭を撫でながら、ニコライ様は優しく小さく微笑んだ。
「困った人だな。でも、ありがとう。私も本当は、君とずっと一緒にいたいんだ。だから、ずっとそばにいて、君を見守るよ。約束する」
「ええ、約束ですよ」
いつの間にか、粉雪が降り出していた。足元の雪が固まりきらないうちに、また新しい雪がその上に降り積もっていく。
「いつか機会があったら、アリシアに伝えてくれないか。彼女のおかげで、私は家族を持てた。愛する息子と、共に人生を生きてくれた君。私の幸せはすべて彼女のおかげなんだ。どれだけ感謝しても足りないと」
「……はい。必ずお伝えいたします」
涙を拭いてから、私は笑顔でそう答えた。
ニコライ様はとても穏やかな笑顔のまま、空から舞い落ちる粉雪を見ていた。その姿は、まるで神様の加護が与えられているかのように、銀色の柔らかい光に包まれているように見えた。
冷えた体を暖めようと、私たちは屋台のグリューワインを飲んだ。甘いワインは体に染み入るように熱く、ブーツ型のコップを包んだ手の温もりが、心を柔らかくしていく。
ワインを飲み終えると、ニコライ様は微笑みながら、いつものようにそっと手を差し出してくれた。
「ゾフィー、こっちにおいで。さあ、一緒に行こう」
私はその手を取って歩き出した。冷たい雪の中でも、彼と手を繋いだだけで暖かく感じられる。
そうやって、私たちはずっと二人で、長く寒い冬を歩いてきたのだった。
そうして、それが私たちが一緒に過ごした、最後の冬になった。翌年の夏、ニコライ様は静かにこの世を去った。穏やかに優しく小さく微笑んで。まるで安らかに眠るように、その御身を神に召されたのだった。
その死を悲しんでいる間もなく、それからしばらくは新帝アレクセイ様を支えながら混乱した日々を過ごした。
正統な血筋の後継者とはいえ、アレクセイ様はまだ若く、即位して間もない。治世の基盤が整わないうちに先帝の庇護を失ったことで、皇位を襲われる危険もあった。
すぐに西の大国から、実父のカルロス国王が駆けつけ、大陸宗教の中心である公国からは、婚約者の公女ナタリア様が訪ねて来た。
表向きは弔問とされていたけれど、二人の目的でがアレクセイ様の後援であることは、誰の目にも明らかだった。
武力と宗教という盾を得て、アレクセイ様は無事にこの難局を乗り切った。ニコライ様から受け継いだ教えを守り、自身の皇帝としての才を発揮した。そして、その地位に相応しい者と誰からも認められたのだった。
ようやく国が落ち着いたとき、季節は既に冬になっていた。そして、私はついにアリシア様を訪ねることができた。ニコライ様との大事な約束を果たすために。
ニコライ様の従妹。アレクセイ様の母。美しい大国の王妃。
そして、ニコライ様が『真実の愛』を捧げた相手。彼の最愛の女性に会うために、私は西の大国を訪れたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます