9. 重要な使命


 くるみ割り人形を買って、王子様と木製細工の特設木造小屋を出る。ニコライ様がマーケットの外れで、一人待っているのが見えた。その向こうには大きな湖があって、厚い氷で覆われている。


「お義父上様! 見てくださいっ。これ、僕からの……」


「アレクセイ様、 走ったらダメっ! 危ないっ」


 ニコライ様を見つけたアレクセイ様は、満面の笑顔を浮かべながら、いきなり走り出した。


「アレクセイっ! 止まりなさいっ」


 私の声に振り向いたニコライ様も、すぐにそう叫んで駆け寄った。そして、次の瞬間には、滑ってつまづいた王子様を抱きとめたニコライ様ごと、二人は転んで雪まみれになっていた。


「お義父上様! 大丈夫ですか?」


「アレクセイ、無事か?」


 地面に転がって抱き合ったまま、二人は同時にそう言った。幸い二人に怪我はなかったが、頭を打ったら大変だった。


「アレクセイ様! 走ったらダメだと、お教えしたでしょうっ」


 私に叱られて、アレクセイ様はしおしおとなってしまった。雪や氷に慣れていないせいの不注意ではあるけれど、安全のためにもここは厳しく指導する必要があった。


「ごめんなさい、ゾフィー。ごめんなさい、お義父上ちちうえ様」


「とにかく、怪我がなくてよかった。雪は滑るから、むやみに走っちゃいけないよ」


 ニコライ様はアレクセイ様を抱き起こしながら、体についた雪を払ってあげていた。そのとき、アレクセイ様が悲痛な声で叫んだ。


「お人形がっ」


 二人の下敷きになって、くるみ割り人形は腕が取れてしまっていた。それを見て、アレクセイ様は泣き出した。


「泣かなくていい。人形なんかより、アレクセイの命の方がずっと大事だ」


 ニコライ様にそうたしなめられて、アレクセイ様は俯いてしまった。なんとか泣き止もうと、努力している様子がいじらしかった。


「ごめんなさい。でも、お義父上様に、素敵なプレゼントをあげかったんです。お母様のために。そう約束したから」


「約束……。お母様と何か約束をしたのか?」


「ううん。お父様と」


「カルロスと?」


 ニコライ様の問に、アレクセイ様はほっぺたを真っ赤にして、得意そうに答えた。


「はい。お義父上ちちうえ様はお母様のとても大事な人だから、子どもたちの中で一番お母様に似ている僕に、側にいてほしいんだって」


「そうか。お母様はアレクセイが大好きだから、離れたくなかったろうね」


「うん。でも、お母様はお義父上ちちうえ様のことも大好きなんだって。だから、本当はお母様がここに来たかったんだけど、それはできないから、僕が行くことにしたんだ。お母様の代わりに」


「そうだったのか。それは辛かったな」


「ううん。お義父上ちちうえ様が嬉しくて楽しくて幸せだったら、お母様も同じ気持ちになるんだって。だからね、僕には、お母様とお義父上様を幸せにするっていう、重要な使命があるんだ」


「それはすごいな。責任重大だ」


「そう。だから、お父様と約束したの。頑張るって。男と男の約束だよ」


 ニコライ様はアレクセイ様を抱き上げて、頭を撫でながら優しく言った。


「それじゃ、アレクセイも嬉しくて楽しくて幸せじゃないといけないね。お前のことが大好きなお母様もお父様も私もゾフィーも、みんなが同じ気持ちになるように」


 ニコライ様がそう言うと、アレクセイ様はにっこり笑って頷いた。


「はい。今日は、お義父上ちちうえ様と一緒に出かけられて楽しかった。これからもゾフィーが一緒にいてくれると分かって嬉しかった。僕はとっても幸せです。だから、きっとお母様もみんなも幸せだと思います」


 ニコライ様は王子様をしっかり抱きしめたまま、上を向いた。涙をこらえるようなその仕草に、私の方が泣いてしまいそうだった。


「三人でずっと仲良くしていこうな。一緒に嬉しいことや楽しいことをたくさんしよう。みんなが幸せになれるように。頼んだよ」


「はいっ」


 壊れてしまった人形は、修理に数日かかるということだった。明日はもう聖誕祭なので、職人が帰ってしまっていたせいだった。


「ごめんなさい。聖誕祭に間に合わない。お義父上様にプレゼントをあげたかったのに」


「プレゼントなら、もうもらったよ。二人がそばいてくれることが、私にとっては何より嬉しい贈り物だ」


 ニコライ様はそういうと、アレクセイ様と手を繋いだ。まるで本当の親子みたいに。


「湖の向こう側でスケートができるようだね。やったことある?」


 凍った湖を滑る子供たちを見て、アレクセイ様は目を輝かせた。


「ないです。湖が凍るなんて知らなかった。面白そうですね」


「そうか。じゃあ、一緒に練習しよう。私もあまり上手くないから、ゾフィーに教わることにしようか」


 ニコライ様は私の方を見て、昔と変わらない笑顔でこう言った。


「ゾフィー、こっちにおいで。さあ、一緒に行こう」


 アレクセイ様の空いている方の手を握ると、私たちは本当の親子になったみたいな気がした。小さな手から伝わる温かさが、私たちの心をゆっくりと溶かしていくようだった。

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