2. 皇太子アレクセイ


「やあ、ゾフィー。久しぶりだね。元気そうで何よりだ」


 日に透けるような金髪と、新緑に光を当てたような緑の瞳。黄金率で計ったように整った目鼻立ち。その壮絶な美貌は、むしろ人間ではなく神様と言われたほうが納得がいくだろう。


「ご無沙汰をしております。陛下にはご機嫌うるわしく」


 昔と変わらない笑顔を向けられて、私は顔を隠すように下を向いて、膝を深く折ってお辞儀をした。三十を迎えた自分の容姿の衰えを、できるなら彼には見せたくない。


「他人行儀だね。私たちは特別に親しい関係だろう。顔を上げて」


「お許しください。見苦しいなりをしておりますので」


 私がそう言うと、ニコライ様は黙って近づいてきて私の右手を取った。最後に彼に手を握られたのは、もうずっと前のこと。なのに、伝わる体温や肌の感触はあの頃と寸分も違わなかった。


 私をゆっくりと立たせた後、ニコライ様は私の顎に指を添えて、顔を上に向かせた。こんな風にして、彼の顔を間近で見たのも遠い昔のこと。なのに、あの頃と変わらない甘いときめきが蘇った。


「ゾフィーは変わらないね。こんなに美しいのに、とても慎ましい姿をして。贈り物は気に入らなかった?」


「いいえ。美しい品々でしたわ。ドレスも宝石も」


「それなら、どうして身につけてくれないのかな」


「いただく理由がありませんもの」


「君は私の後宮に入るんだ。不自由なく暮らしてほしい」


 瞳の色よりもずっと濃いグリーンの軍服。金の刺繍が鮮やかに詰め襟を飾り、そのまま肩章へと流れるようなデザインになっている。肩からたすき掛けにされたリボン状のサッシュは赤で、胸に輝く勲章や星章の意匠がキラキラと輝いている。皇帝の正装。


 そんなニコライ様の前で、私は飾りのない地味な紺色の服を来て、茶色の髪はおとなしい形に結い上げている。まるで貴族屋敷に勤める女家庭教師のような格好だった。


「ご恩に報いるように、心を込めてお世話をさせていただきます」


 私はニコライ様から身を引くように後ろに下がって、スカートの端をつまんでもう一度お辞儀をした。彼がどんな顔をしているのか、確かめるのが怖かった。


「そうか。よろしく頼むよ」


「はい。アレクセイ様、こちらに。お義父上ちちうえ様のお越しですよ」


 少し離れたところに控えていた男の子が、静かに私の隣に進み出た。


 紹介されなくても、彼が皇太子となる王子だと分かったと思う。母のアリシア様とそっくり同じ髪の色、同じ瞳の色。そして、その面差しや笑顔までも、彼女の面影をそのまま写し取ったような美貌の王子。それがアレクセイ様だった。


「はじめまして。私がニコライだよ。今日から君は、私の息子になるんだ」


「お義父上ちちうえ様。お会いできるのを楽しみにしていました。よろしくお願いします」


「うん。仲良くしよう。お前は何も心配しなくていいんだよ。帝国にはゾフィーも来るし、しばらくはジルべルトもいるんだ」


 ニコライ様の後ろで、ジルベルトと呼ばれた背の高い男性が頭を下げた。黒髪に小麦色の肌の美丈夫。年齢は私やニコライ様とそう変わらない。


「先生! 来てくれたんですか?」


「はい。王子様が北の気候に慣れるまで、しばらくは一緒に帝国に滞在する予定です」


「わあ! 嬉しいっ。ゾフィー、僕のお医者様だよ! お父様とお母様の友達なんだ」


 アレクセイ様は体質が暑い国に合わないらしく、病弱だと言われていた。北の帝国に養子に出されたのは、環境を変えれば健康になるという医師の助言があったからだという。


「ジルベルトは、国からたくさんお土産を持ってきてくれたそうだよ。彼の部屋に置いてあるから見ておいで」


「お母上様からのお手紙もありますよ。今夜は私のところで、お国のことを話しましょう」


「はいっ! ゾフィーも来て。僕の国のこと、話してあげるよ!」


 この一ヶ月で、アレクセイ様は私にすっかり懐いてくれていた。彼はいつでもどこでも、私と一緒にいたがる。たくさんの兄弟姉妹に囲まれたアレクセイ様にとって、自分だけに愛情を注いでくれる存在がとても嬉しかったようだ。

 私が実の母親に年齢が近いせいもあったと思う。お母様が恋しいのだろう。まだ八歳の男の子。それは当然のことだった。

 

「王子様、ゾフィー様は皇帝陛下に譲ってあげましょうか。お二人は仲のいいお友達なんですが、もうずいぶん会ってなかったんですよ。久しぶりだから、色々とお話することもあるでしょう」


 アレクセイ様は神妙な顔をして頷いた。


「分かりました。お義父上様、ゾフィーはね、一人だと眠れないんです。だから、ちゃんと一緒にいてあげてくださいね! ゾフィーを泣かせないで」


「ああ、任せなさい。泣かせないように……か。努力するよ」


 ジルベルト先生がアレクセイ様を連れて出ると同時に、他のお付きの者たちも下がっていった。


 二人だけで取り残されてしまった私たちには、気まずい空気が流れていた。

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