聖誕祭の贈り物 ~ 天国から降る粉雪が届けた奇跡 ~

日置 槐

1. 王妃アリシア

 レンガ造りの暖炉に掛けられた鍋からは、温められた赤ワインの甘酸っぱい香りが漂う。それはシナモン、ナツメグ、そしてたっぷりのお砂糖が入った、聖誕祭のこの時期にだけ飲まれるもの。グリューワインと呼ばれている。


 私の祖国では、どの街にも十二月になると聖誕祭用の飾りやプレゼント用のおもちゃを売る特別なマーケットが立つ。屋台からはチョコレートやお菓子の美味しそうな匂いがして、大人も子供も心を踊らせるのだ。


 グリューワインは、その街でその年に特別に作られたマグカップごとに売られることになっている。街の名が刻まれたカラフルなカップは、赤い長靴型だったり、もみの木の形だったり。カップを返却すればコイン一枚が戻ってくる仕組みだ。


 この熱くて甘いグリューワインは、寒い冬の空気で冷えた体を優しく暖めてくれる。まるで優しいあの人の温かい手のように。


「ニコライ様と再会したのも、この時期でした」

 

 懐かしさに思わずそう口にすると、月の光を紡いだような銀髪の美しい女性が、優しく小さく微笑んだ。その瞳は吸い込まれそうな深い海の青。


「そうだったわね。なんだかすごく昔のことみたいだわ」


 応接室のソファーに向かい合って座るのは、太陽が沈まない国と呼ばれる西の大国の王妃アリシア様。彼女には北の大帝国に従兄がいた。先帝ニコライ一世がその人。


「あのとき、息子をあなたに託して正解だったわ。立派に育ててくれた」


 後継者のない先帝はアリシア様の息子を養子に迎えた。帝国の皇太子となったのは、この国の第二王子アレクセイ様。当時まだ八歳の皇太子の世話係として、私は先帝の後宮に入ったのだった。


「恐れ入ります。でも、アレクセイ様は元から優秀でした。私の手柄ではありません」


「まあ。でも、あの子は寂しがり屋だから。夜は母を恋しがって泣いたでしょう?」


「あの年頃なら当然ですわ。だから、ずっと一緒に寝ていましたの。ニコライ様が来るまでは……」


「聞いているわ。息子のお気に入りの女性を取り上げるなんて、お兄様も堪え性がないわね」


 王妃様のからかうような声に、私は少し恥ずかしくなった。この国にも私の噂は届いているらしい。


 あの日、ニコライ様と再会して以来、私が幼い皇太子に添い寝することはなくなった。それでも、私が一人で眠った夜はない。どんなときでも、側にはニコライ様がいた。一晩たりとも、彼は私を離さなかった。


 そして、私は帝国の人々にこう呼ばれたのだ。他国から来た皇帝の寵妾と。


「ゾフィー様。今日はお兄様のことを聞かせてくれるんでしょう?」


「はい。王妃様にお伝えしたいことがあって……」


 ニコライ様との約束。私を信じて託してくれた彼の大切な気持ちを、ようやくにアリシア様に渡すことができる。彼がただ一人、真に愛した女性に。


「よければ、たくさん話して。そうね、婚約破棄をしたのに、お兄様と無事に復縁した経緯を聞きたいわ」


「復縁だなんて。元々が不釣り合いな婚約でしたし、破棄というよりは解消でした」


 私が慌ててそう言うと、アリシア様はなぜか嬉しそうに笑った。


「円満に解消しようとしたら、お兄様がゴネたんでしょう。だから、一方的に破棄することになった」


「王妃様、それは……」


 確かに円満な解消ができず、無理やり婚約破棄をしたのは私だった。『あなたとの婚約を破棄します』だなんて、そんな偉そうなことを言える立場じゃなかったのに。

 当時は貴族にそういう現象が流行していて、それに便乗した感は否めない。若気の至りとはいえ恥ずかしい。


「振られた女性を後宮に囲うなんて、お兄様もヤンデレね」


「は? ヤンデレ……?」


「ああ、いいのよ。気にしないで。でも、よかったわ。二人にはそうなってほしかったの。息子はいい仕事をしてくれたわ」


 無邪気に笑う王妃様の目には、うっすらと涙が浮かんている。きっとニコライ様を思い出しているんだろう。

 もらい泣きしそうになって、私はぐっと涙をこらえた。泣いていいのは、ニコライ様が『真実の愛』を捧げたアリシア様だけ。私には彼を思って泣く資格はない。


「あれはアレクセイ様が私の領地に来てから、ちょうど一ヶ月くらいでした」


 この国と北の帝国の中間に位置する私の祖国。その田舎の別宅で暮らしていた私は、すでに遠戚に渡った元領地に呼び出された。現当主の命令であれば、そのお荷物となっていた老嬢の私に拒否権はない。


 私は暖炉の火を見つめながら、あの日のことを思い出していた。もうずっと前の出来事なのに、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。そして、記憶の中のニコライ様は私にとっては過去ではなく、今も心の大事な場所を占めている。


 先帝ニコライ様と養子のアレクセイ様。それから私。血のつながらない三人は、時間をかけて情愛の絆を深めていった。大切な家族となってお互いに支え合えるようになるまで。


 そう、あれは今から十年前。私が彼との婚約を破棄してから、ちょうど十年後のことだった。

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