第三話、子どもを助けて連れ帰ったら八岐大蛇でした。



 約束の土曜になった。

 朝陽はいそいそと準備を初めて、ショルダーバッグの中にエコバッグと財布とスマホを放り込む。

「キュウ、将門。俺ちょっと買い物行ってくるわ」

「は〜い、いってらっしゃい朝陽」

 玄関先まで朝陽を見送りにきたキュウが、少し腰を屈めて触れるだけの口付けを落とす。

 だがその唇は将門によって無理やり引き剥がされた。

「ったく、油断も隙もねえな」

「いってらっしゃいのチューくらい良くない?」

「なら俺もする」

 キスというよりも、ガプリと将門に唇を食べられた。

 舌が入り込んできそうになった所で体を突き放す。

「お前らな……」

 まるで新婚生活でもしているような錯覚に陥り、朝陽は眩暈がした。

「今までずっと朝陽を独り占めしてたんだから遠慮したら?」

「何で俺が?」

 キュウが朝陽の家に来た初日よりも声量は落とされているし、五日も経てば軽い諍いくらいならもう気にもならなくなっている。

 朝陽は二人を無視して外に出た。

 言われた通りに東にあるスーパーへと行き、数日分の食料を買って店を出る。

 己の分だけなので、日用品も含めても中くらいの大きさのエコバッグ二つ程度で済んだ。

 ——あの二人ちゃんと大人しくしてるかな。

 昼夜問わずずっと家にいてテレビを見ている将門とは違って……否、将門はそれなりに出掛けてはいるが朝陽は知らないだけである。

 キュウは昼夜問わずフラリと何処かへ出かけては、何事も無かったかのように帰ってくる。

 制限なく出掛けられるようになって、外の世界が余程楽しいらしい。

 キュウは世間話が大好きだ。「今日は○○まで行ってきた」「××な会話を聞いていた」など、帰ってきては朝陽によく話して聞かせた。

 話し上手でもあるので、朝陽としても苦にならずに楽しめている。

 これまでずっと一人だったので、将門を始めキュウとの共同生活も中々良い物だった。

 お陰で気持ちが明るくなって、仕事へのモチベーションも上がる。

 ただ困った事もあった。

 現在将門は朝陽以外の事へは我関せずスタイルなので、そこまで好奇心旺盛というわけではないがキュウは違う。現代機器や性に関することが大好き過ぎる。

『ねえ朝陽。大人の玩具って何?』

 そう聞かれた時には、朝陽は飲んでいたコーヒーを吹き出して盛大に咽せた。

 知ってはいるものの実際使った試しもないし、勿論購入した事もない。

 将門につきつけて即行で燃やされた避妊具くらいだ。

 生きてきた年齢イコール彼女も居なかった朝陽にはハードルが高過ぎる。

 適当に聞き流して別の話題へとすり替えたが、キュウは納得したのかしていないのか良く分からない様子だった。

 朝陽が回想していたその時だった。

 通り道の脇にある空き地から、着流し姿の三歳くらいの男の子が飛び出してきたのだ。

「わ!」

「うわ、あぶなっ!」

 ぶつかった衝撃で、バッグを一つ落としてしまったものの、ぶつかった男の子を抱きかかえられたのでホッと胸を撫で下ろす。

 男の子が転ばなくて良かった。しかし全身黒尽くめの大人が三人も追ってきて男の子ごと朝陽も囲まれた。

 ——何だ、コイツら。

 雲行きが怪しい。

 誘拐の線も考えたが、子どもも合わせて全員人外である。

 思わず周りに視線を走らせて、誰も居ないのを確認してから朝陽は言った。

「いい年した大人が集まって、こんな小さな子を追いかけ回してんのかよ」

「え、ボクのこと視えるの?」

「視えてるよ。その話は後でな。俺の後ろに隠れててくれるか?」

「え、でも……」

「大丈夫だから」

「うん」

 男の子の頭にポンッと手を乗せる。

 朝陽のズボンを小さな手でギュッと掴み、不安気に瞳を揺らしていた。

「ソイツを渡せ」

 問答無用で男の子の腕を掴んで、物凄い力で引き摺ろうとした男の腹に、朝陽が容赦なく霊力の塊をぶつける。男の体が背後に飛び、やがて消滅した。

「触るな。連れて行かせないって言っただろ」

 全身に霊力を漲らせ、残りの二人に向けて掌を翳す。

 一箇所に集束していく霊力の質を感じて、男たちは敵わないと判断したのか小さく悲鳴を上げて逃げていった。

 周りの気配を探ってみるが、他に怪しい気配は感じない。安全を確保出来てから、朝陽は男の子に視線を合わせるように屈んだ。

「お待たせ。もう行っても大丈夫だぞ」

 小さな頭を撫でる。やたらキラキラした瞳で見られているのに気がついて、朝陽は首を傾げた。

「スサ!」

 思いっきり首に抱きつかれてしまい、朝陽は勢いよく地面に尻餅をつく。

「スサ、会いたかった。また会えて嬉しい!」

「えーと。俺はスサって奴じゃないぞ? 朝陽だ、桜木朝陽」

「ううん、スサだ。この気配はスサに間違いない」

 誰ソイツ、と思いはしたものの朝陽は話を進めることにした。

「君の名前は?」

 朝陽が聞くと、男の子は大きな二重瞼から覗く赤眼を瞬かせる。シルバーのショートカットの髪の毛がちょうど目にかかるくらいの長さだった。

「んーと、……オロ?」

 ——何で疑問系?

「スサには前みたいにオロって呼んで欲しい!」

 スサじゃないけどと思いつつ、懐いてくる子どもを見て悪い気はしない。

「んじゃ、オロ。でも俺は朝陽だ。スサじゃないからな?」

「分かった。朝陽」

 無邪気な笑みが心に沁みた。

 人外では交番に届けるわけにも行かず、朝陽は悩んだ末にアパートへと連れていく事に決めた。

「ん、しょっ!」

 掛け声と共に勝手に背中によじ登ってきたオロをそのままにして、朝陽は歩き出す。

「両手塞がってるから、落ちないようにしがみついてろよ?」

「はい!」

 元気の良い声が返ってきた。

 




「ただいまー」

 靴を脱いで部屋の中に入って行くと、キュウは居なくなっていて、将門一人だった。

「お前はまた厄介なモノを拾ってきたな。今度はトカゲか。ペットはウンザリだ。外に放り投げろ」

「トカゲ?」

「トカゲと一緒にするな!」

 げんなりした様子の将門に向かって、オロが喰ってかかる。朝陽の背中から飛び降りるなり、可愛らしい音を立てながら、将門に向かってオロが駆け寄った。

「そんなちんちくりんになりおってからに。トカゲだろうが」

「違うぞ! ボクは八岐大蛇ヤマタノオロチだ!」

「はいはい」

 そう言った将門が嫌そうな顔でヒラヒラと手を振って、オロをあしらう。

「八岐大蛇ぃい⁉︎」

 面食らったのは朝陽だった。

 もしかしてとんでもない拾い物をしたのでは無いのか? 将門が『厄介な拾い物』と言った意味が分かり息を呑む。オロが己の事を『スサ』と呼んだのは『スサノオ』を指していたのか? 逡巡する。

 未だに言い合いをしている二人を交互に見ては、朝陽は口を開くタイミングを見ていたが、諍いは一向に終わらない。

 十分は様子を見たものの、段々焦れてきてやがてそれは苛立ちに変わった。

「お前ら黙れ」

 双方に霊力をぶつけて問答無用で黙らせる。

「オロって本当に八岐大蛇?」

「そうだよ。スサがボクの霊力を十分の一になるまで削ってこの姿にしてくれたから、ボクは今までずっと封印からも逃げられていた」

「逃した? 退治じゃなくてか?」

 伝わっている文献では、スサノオノミコトは八岐大蛇を討伐して、生贄とされる筈だった娘と結婚したと書かれていた。

「うん、そう。ボクとスサは友達だ。だから周りの目を欺く為に退治したフリをしてスサが逃してくれたんだ。だけど、どんどん力が弱まってきてお腹が空いたから、ご飯探して旅をしていたらあの者たちにバレた。何かボクにやらせたい事があったみたいだけど、この通りボクにはもうそんな力なんてない」

 所々良く理解の出来ない箇所はあったが、スルーした。

 確かに三歳児にしか見えない見た目では悪さなど出来そうにない。何よりオロからは邪悪な気配が全くしなかった。

 潜在的な能力の高さは朝陽にも視えたが、今のオロでは『下の中』くらいだと思われる。そこら辺にいる浮遊霊と大差ない。さっきの男たちがオロに何をさせたかったのかは読めないものの、ふと疑問に感じた事もあった。

「成る程な。てか、何で俺がスサノオ?」

 ——うちの家系にスサノオと関係している人いたか? 

 朝陽には思い当たる人物がいなかった。後で博嗣にでも聞いてみようと考える。

「朝陽はスサと同じ気配がする。血が流れているのかもしれないね。それにしても……なんで? 朝陽からは美味そうな匂いがする。朝陽って食べていいの? 食用? ボクお腹空いた」

 見た目は純粋無垢にしか見えない笑顔が眩しい。言っている事は物騒だが。

「人間は食べちゃダメっ!」

「あ゛あ゛?」

 朝陽が聞き返すのと将門が不機嫌な声を出したのと同時だった。

 しかしよくよく考えてみると、朝陽の匂いは番候補者にしか感じ取れない筈だった。将門と視線を合わせる。

 ——もしかしてオロが三人目なのか?

 今のオロはどう贔屓目に見ても、人間でいう三歳児くらいの大きさだ。いくら何でもそんな事はないだろうと目配せした後でお互い首を振った。

 寧ろ外れていて欲しい。

「あ、惣菜の匂いとかだよな? 魚もあるし肉もあるしな」

 内心ドキドキしながらも買ってきた食材をオロの前に並べる。

「違う。朝陽の首筋から香ってくる。さっき背に乗ってる時も何度か匂いに負けそうになって食べかけた。勝手に食べるのはどうかと思って噛まなかったけど、食べとけば良かった。朝陽、美味しそう」

 ——ダメだ。好ましくない展開になってきたぞ。

 既視感のありまくる言葉のオンパレードに、どう返していいのか朝陽は本気で分からなくなった。

 オロのセリフはどう解釈しても、番候補者である者のセリフだ。まさかの展開にさすがの朝陽も困った。

「これは俺のだ。お前になぞやらん」

 将門は朝陽を抱き寄せて、オロから距離を取らす。帰ってくる時に路上で噛まれなくて良かったと、朝陽は心底思っていた。道端で強制発情なんてさせられてたら、それこそ目も当てられない。変質者として警察に引き渡されそうだ。

 ——というか三歳児が番候補ってどうなんだっ⁉︎

 将門は将門で、オロを警戒しまくって、何が何でも朝陽に近づけさせないようにしている。その姿は、牙を剥いた大型肉食獣のようだった。

「あれ? なんかピリピリしてない?」

「キュウ!」

 突如キュウが現れ、皆の意識はそっちに集中する。

「え、九尾の狐⁉︎」

 オロが目を瞠った。

「あは、ちゃんと八岐大蛇拾って来たんだね。ね? 面白いもの見れたでしょ? ……ちっ、せっかく思う存分朝陽犯せると思ったのに」

 喜んでいるのか悔しがっているのか良く分からないキュウの反応を見て、朝陽はスッと視線を横に流す。

「おい、狐。てめえのせいだぞ?」

 将門がうんざりした顔でキュウを見やる。

「八岐大蛇の事?」

「そうだ。要らんもん連れて来させやがって。コイツも番候補者だって知ってたか?」

 将門とキュウがやり取りをしているその隙をついて、オロが朝陽の首に両腕を回して引っ付いた。意外とちゃっかりしている。

 その横で瞬き一つせずにキュウが固まっていた。

「……」

 ——知らんかったんかよっ。

 沈黙の後で、キュウは自らの胸の前で両手を合わせた。

「あ、トカゲさん、お帰りはこちらですよー。はい、すぐ出てってくださいねー。ほら、シャキシャキ動く! お子様はお呼びじゃないんで……さっさと朝陽から手ぇ離して出てけ」

 ——人変わってんぞ、おい。

 最後ら辺は氷点下で言葉を発し、全く笑んでいない笑顔で、キュウがオロの頭を鷲掴みにしている。

「痛い痛い痛い! トカゲじゃないっ! 嫌だっ、ボク朝陽といるもん! 朝陽美味そうだから食べるー! 朝陽ー!」

「だから、お子様の出番はないって言ってるのが分からないかなー?」

 ギリギリと音が聞こえて来るけど大丈夫なのかなこれ、と朝陽はオロの頭が握り潰されないか少し心配になった。

「えー、と」

 どっちに味方していいのか真剣に悩む。

 人外とは言え、さすがに見た目三歳児とは番えない。

 朝陽の首にしがみついたまま離れようとしないオロを、キュウは無理矢理引き剥がそうとしている。

 その朝陽を後ろから抱きしめて、将門もオロを引き離そうとしていた。

「嫌だー‼︎」

 離されるものかと朝陽にしがみつく腕に再度力を込めたオロだったが、香ってきた美味しそうな匂いに釣られて、思わず朝陽の首筋に噛みつく。

「ひっ⁉︎」

 途端に朝陽の体が硬直して体が震え出した。オロが番候補者として確定した瞬間でもあった。

 ——マジかよ……。

 朝陽の体は準備を始めるように火照り出す。一気に血の巡りが良くなって全身に甘い痺れをもたらした。

「やめ、オロ……、ちょっと、離れろっ」

 朝陽は焦っていた。この上ない程焦っていた。

「朝陽、やっぱり美味しい。もっとちょうだい」

「マジ……っ、待て……って、ッあ」

「こらぁあ、トカゲーー‼︎」

 キュウと将門のセリフが重なった。カプカプと朝陽の首元に吸い付いていたオロの目が蕩けていく。

 強制発情させられた朝陽は浅い呼吸を繰り返し、力が入らないながらもオロを己の身から離そうと腕を突っ張っていた。

「や、ぅ、あっ、あ……、待って……くれ」

 どんどん体が弛緩し熟れた表情になって行く朝陽を視界に入れ、キュウと将門の動きがピタリと止まった。

「ふ、……っ、あ、ん……ぅ、ッ」

 オロは今だと言わんばかりに朝陽の首元を噛み続ける。

 部屋の中に花のような香りが満ち溢れて充満して行く。その香りに充てられたのはオロだけではなかった。

 キュウと将門も体の奥底からくる甘い疼きと、気の昂りに呑み込まれそうになっている。

「おい、狐。今日だけ休戦だ」

「奇遇だね。私もそう思ってた所だよ」

 朝陽にオロをまとわり付かせたまま、二人は阿吽の呼吸で朝陽の体をベッドに運ぶ。

 鼻歌でも歌い出しそうな勢いで、生き生きした表情をしている死霊と人外が初めて心を一つにした。

 そして朝陽の胸に殺意が芽生えた瞬間でもあった。

「お前ら、んな時だけ、っ仲良くしやがって!」

 元の状態に戻ったらまた結界の外に弾き出して三日くらいは放置してやる、と朝陽は心に誓う。

「据え膳食わぬは男の恥」

「決め台詞みたいに言うな! それじゃ俺が誘ったみたいになるだろっ」

 将門に言い返している間も、何度も首筋に口付けられ、甘噛みされる。

「んあ、あっ……もう、オロ……ッ噛むな。待てってぇ……、あ、ん」

 思考回路も回らない程に頭がボンヤリとしてきた。

「そんな声出しちゃって、誘ってないなんて言わせない〜」

「こ、んなの……生理現象、みたいなもん……、ひ……ぅ、だろ」

 二人に服を剥ぎ取られる。

 その間にオロの体には異変が現れ始めていた。

 光に包まれたと思った時には、その体が大きくなり始めて、髪の毛も耳下あたりまで伸びたのだ。

 しかもデカい。

 二メートルを超えた巨体だ。

 髪の毛の根元が深い緑色になっていて、その他の部分はシルバーに輝いている。可愛らしい顔立ちは凛々しくなっていた。

 キュウと将門も驚いた表情でその変化を見つめている。

「わ! 久しぶりに本来の姿に戻れた! 朝陽から霊力貰ったからかも。朝陽ってすっごく美味しい。もっとちょうだい」

 大きくなっても無邪気なオロに、初めて唇に口付けられた。歯列を割って入って来た舌に舌を絡み取られる。

 暫くの間、咥内を貪られていたが、徐に将門が口を開いた。

「おいトカゲ。お前最後までやり方分かってんのか?」

「やり方って何の事?」

 将門からの問いにオロが首を傾げる。

「交尾、同衾どうきんねや 、夜戦と言えば分かるか?」

「それなら知ってる。でも実際やった事ない」

「おい将門。変な事おしえ……「はい、朝陽は黙っていようねー!」……むぐ……っ⁉︎」」

 キュウは朝陽の口を手で塞ぐと、楽しそうに笑んでいた。

 ——覚えておけよ、このくそ狐!

 心の中で悪態をつく。

 事態は妙な方向へと流れ始めている。発情させられると、体の筋力どころか霊力も上手く使えない。今更止めようも無いのが難点だった。

「教えてやるから見てろ」

「うん、分かった」

 素直にオロが頷いたのを確認するなり、将門とキュウが目配せする。

 お互い無言で頷き、キュウが朝陽の上半身を固定していた腕に力を込めた。今まで仲が悪かったのが嘘のようだ。

「やめ、キュウ……っ、はな、せ」

「オロだけ仲間外れにしちゃ可哀想でしょ?」

 キュウの言葉に食ってかかった。

「お前らが、単にやりたいだけ……っだろうが!」

「そうだが?」

 キリッとした表情で将門が即答した。

「良い顔して言うなっ!」

「ほら、朝陽。将門にちゃんと解して貰おうね」

 キュウの言葉に合わせるかのように、内部に潜り込んできた指の感触に息を呑む。それを興味津々にオロが見つめてくるから恥ずかしくて堪らなかった。自分を題材にした保健体育の授業ほど嫌なものはない。

「あ、そだ。質問に答えくれたら私の分は一回減らしてもいいよ。どうする、朝陽?」

 キュウからの提案にコクコクと頷く。

「大人の玩具ってなーに?」

 話を数日前に戻される。言わざるを得ない状況下に、朝陽は言葉につっかえながらも知っている情報だけを述べる。

「へえ、朝陽は使った事ないの?」

「あるわけ……っ、ない」

 将門から始まりキュウに引き継ぎ、オロの順番が回ってくる。約束通り、キュウの参加は二回戦が始まってからになった。この一連の流れが三周するまで朝陽は離して貰えなかった。




 己の体の周辺がやたら騒がしい気がして、朝陽は重たい瞼を押し開いた。

 音源の正体が分かるなり、朝陽はまた目を閉じる。

 いくら無視しようが耳に入ってくるものは入ってきて、今度耳栓でも買ってこようと心に決めた。

「ボクが朝陽の隣で寝るから将門こそあっちに行けよ!」

「トカゲにベッドは贅沢だろ。下で充分だ」

「うるっさい‼︎ そもそもお前らには睡眠自体が必要ねえだろうが!」

 朝陽は起き上がるなり、問答無用で二人に霊力の塊をぶつけて強制的に黙らせる。

 ベッドから降りようとすると、上手く立てずに朝陽は掛け布団ごと床に落下した。

 体は綺麗にされているし服も着せられているが、腰から下にうまく力が入らない。

「朝陽おはよう。コーヒー入れてあげる。体大丈夫?」

 キュウに横抱きにされてテーブルの前まで運ばれる。

 問われた言葉の意味を理解した途端、朝陽はテーブルの上に突っ伏した。

 恥ずかし過ぎて顔を上げられない。これからもこういう機会が増えるのかと思うと背筋がゾッとした。

 ただでさえ体力がない上に、負担がハンパない。

 後二人も番候補者が残っているのに今からこうでは先が思いやられる。

「俺どれくらいの間寝てた?」

「二時間くらいだよ」

「……なんか、ごめん」

 朝陽がそう言うとキュウが驚いた顔をして見せた。

「どうして謝るの? 朝陽は巻き込まれただけでしょ。謝らなきゃいけないのは私たちの方だから。ごめんね、無理させちゃった」

 表情を崩してキュウがはにかむ。

「後、朝陽のカードちょっと借りちゃった」

「カード?」

「朝陽のタブレット端末使って大人の玩具選んでたら面白そうなの沢山あったから」

 朗らかに言ってのけたキュウに殺意が芽生えた。

 さっきの謝罪の言葉を撤回したい。

「媚薬入りローションとか、ローターとか、アナルパールとか、尿道プラグとか」

 ——おいコラこの馬鹿狐。人のクレジットカードで何買ってくれてんだ。

「もう知らん! こんなとこ出てってやる‼︎」

 ジャケットを掴み、袖を通す。朝陽はスマホと財布と鍵をポケットにしまうと、震える足を無理やり立たせて部屋を飛び出した。

「おい、待て朝陽!」

「朝陽!」

 追ってこようとしているのをアパートごと結界で包んで、番たちが追ってこれないようにする。

 このまま奴らと一緒にいたら体の隅々まで二度と戻れない領域に至るまで開発されてしまいそうだ。

 そんなのはごめんだ。

 朝陽は逃げた。今己に出来る範囲内で全力疾走した。

 向かった所は、言わずもがな博嗣の元である。

 高校生らしき少年が朝陽を見て、振り返る。

 キュウとのやり取りで心底頭に来ていた朝陽は気が付いてもいない。

 その少年が食い入るように、朝陽とそのアパートを交互に見比べていた事に。

「見ーつけた」

 少年の口角は、禍々しいまでに弧を描いて歪められていた。




 家出した朝陽が自分の部屋に戻ったのは、もうすぐ月曜日へと日付けが変わる時間帯だった。

「朝陽、帰ってきた。良かった」

 さすがにバツが悪そうにしている三人がいたが、朝陽は無視するなりベッドに潜り込んでそのまま出勤する起床時間まで寝入った。

 自分の事だけで頭がいっぱいで、朝陽はずっとオロが黙っているのに気が付いてもいない。オロはフラリと外に出て行ってしまった。




 その日朝陽が会社から帰宅しようとすると、会社の前に小さな姿に戻ったオロが立っていた。

 対面したまま、何かを言いたげにして困った表情をしているオロに朝陽が手を差し伸べる。

「帰るぞ、オロ」

 人目につかないようにオロを抱き上げて背に乗せた。

「朝陽、怒ってる?」

 恐る恐る聞いてきたオロの頭に手を回して、短くなってしまったその頭髪に指を絡める。

「怒ってないよ」

 ホッとしたようなオロの様子が背後から伝わってきた。

 朝陽からの反応が怖かったのだというのが分かり、罪悪感が心に芽生えた。

 誤魔化すように、朝陽は別の話題を振る。

「オロは何でここに居るんだ? お前が元々居た場所は、ここからじゃ遠いだろ?」

 手が空いた時間を使って、朝陽は八岐大蛇のことをちゃんと調べていた。

 オロと出会う前までは気にかけてもいなかったので、良い調べ物にもなり、朝陽としても興味深かった。

 オロは静かに朝陽の肩に両手を乗せて視線を落とす。

「何度か時代は変わったけれど、いつからなのかは分からない。ずっと呼ばれているような気がしていて、気がつけば剣のある場所にいた。でも、中身は空っぽでボクの求めてたモノじゃなくなってた。その後くらいかな。奴らに追われるようになって、今度はここに来てた。朝陽は……ボクのこと嫌い? 一緒にいるの迷惑?」

 出会った初日に比べてオロの声音が淡々としているのが分かり、朝陽はオロの心が沈み込んでいる事に漸く気が付いた。

 一体自分は何をしているのだろう、と己を叱咤する。

「そんな事ない。俺が大人気なかっただけなんだ。ごめんなオロ。お前も俺の番なんだし遠慮せずに堂々と部屋に居ていいんだよ。オロの事、邪魔だなんて本気で思ってない。悪かった」

 肩口に濡れた感触があったが、朝陽は気が付かないフリをした。

 知らない内に傷つけてしまっていたらしい。

「今度さ、纏った休みが取れたら、昔お前が住んでいたところにでも行ってみるか? 今こうしてここに居るって事は、ずっと帰ってないんだろ?」

「え、いいの?」

 八岐大蛇が住んでいたとされるあまふちのある県は、ここからはだいぶ離れた場所にある。

 それなのに何て事ないように言った朝陽の言葉が、オロはとても嬉しかった。

「旅行ついでだ。どうせ宿代と移動代も俺の分しかかからないから問題ない。気にするな」

「うん。ありがとう朝陽」

「まだ先の話になるから申し訳ないけど……。あ、帰ったらアイツらにも声をかけてみるか。置いてったらアパート周辺更地にしそうだし」

 都市ごと事故物件とかシャレにならない。

「朝陽はやっぱりスサに似ている。ボクにこうして優しくしてくれるのはスサと朝陽だけだ」

 眉根を寄せて、また泣きそうなくらいに顔を顰めているオロには気が付かずに、朝陽は「んじゃ、約束な」と言った。

「朝陽の背中、温かい」

「おい、食べるなよ? あれは家の中限定だからな⁉︎」

 慌てて釘を刺した朝陽に、オロがふんわりと笑う。

 前方にいる朝陽からは見えなかったが、オロの気配が柔らかくなったのは感じていた。

「確かに朝陽は美味しいけど、ボクは朝陽の匂いも体温も好きだよ。喋るのも好き。一緒にいると胸のとこが温かくなる。スサと居た昔に戻ったみたいで楽しい」

「そか」

 褒められ慣れていないのもあって、妙に照れくさくなり、朝陽はそれ以上何も言えなくなった。

 この小さな温もりが好ましいなんて朝陽には言葉にする勇気がない。朝陽は表情を崩すと、オロに気が付かれないように笑った。



→第四話に続く


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