第二話、どうやら幼少期から現在進行形で九尾の狐から執着という名のストーカーをされていたようです。



『朝陽、お前来週の数日間だけでもうちに来れんか?』

 博嗣からそう電話があったのは、一週間前の晩飯時だった。

 仕事から帰ってきたばかりで着替えもしないまま通話に応じたので、朝陽は通話をハンズフリーにして、会話と着替えを同時進行させていた。

 初めの頃はスマホを物珍しがって朝陽が電話をする度に周りを彷徨いていた将門も、今ではのんびりとベッドの上に転がったままだ。

 飽きたらしい。

 そんな様子が有り有りと伝わってくる。ちょっと可愛かったのに残念だ、と嘆息した。

 朝陽は「休みが取れるか明日にでも聞いてみるよ」と言い、通話を終了させる。

 厄介ごとの匂いがするが、断ると言う発想に至らないのは、両親を幼い頃に事故で亡くした朝陽の唯一の家族が博嗣だけだからだ。

 年齢の近い子どもは少なく、園児から中学生まで三十人もいないくらいの田舎だった。

 それでも特異体質の朝陽と遊びたがる子どもは一人もおらず、朝陽はいつも博嗣が神主をしている神社か家の近くにある裏山へ行って一人で遊んでいた。

『ねえ、私も一緒に遊んでいい?』

 そう言って、朝陽を気味悪がらずに遊んでくれた同じ年頃の少年を思い出す。彼は朝陽に初めて出来た友人だった。

 あんなに遊んでいたのに、もう顔も名前も思い出せない。記憶に靄がかかっている。

「ジジイからの呼び出しか?」

「そうだ。実家に来て欲しいんだってさ」

 将門はベッドから降りるなり、背後から朝陽を抱き込んだ。

「休みが取れたら数日間この家を空ける」

「俺も行く」

「行く場所は県外だし、家と神社には俺が三種類重ねた結界を張っているから、将門でも入れないと思うぞ」

「破る」

「俺の努力の結晶を無駄にしないでくれ」

「もう一度張れば良いだろ」

「簡単に言うな。大変だったんだぞアレは」

 とは言え今の朝陽ならもっと精度の高い結界が張れる。実家に帰ったら強度を上げておこうと、朝陽は思考を巡らせた。

「じいさんの事だから、またどっかの結界を直せとかそう言うのだと思う。二〜三日で戻れると思うから悪いけど待っててくれ」

「そう言って現地妻ならぬ現地夫でも作るつもりだな?」

「お前俺が居ない時どんな番組見てんだよ!」

 朝陽が言うと将門が喉を鳴らして笑った。

「二日で戻らんかったら、腹いせにこのアパート全棟を事故物件に変えてやる」

「どんな脅しだっ!」

 本当にやりかね無いのが怖い。

 体を反転させられて口付けられ、すぐに舌が潜り込んできた。

「ふ、あ……っ、あ」

 将門との生活にもだいぶ慣れてきていて、体に触れられるのもキスされるのも抱かれるのも、スキンシップの一つになっていた。

 もう抵抗すらしなくなっている。

 溜まるもんは溜まるし、だからと言って、将門がいる前で自慰行為に耽ることは憚られる。

 ズボンからシャツを引き出されて、横腹を撫でられた。このままだとセックスコース真っしぐらだ。

「んぅ、っ、あ、待て……、風呂が先だ」

「どうせ今から精液まみれになるだろう。気にならん」

「俺が気になるんだよ!」

 不服そうにしながらも、将門は渋々体を離す。

 朝陽が仕事に行っている間、将門は一人だ。意外と寂しがりやなのだろうか、と朝陽が検討外れの物思いに耽っている間に、将門はまたベッドに転がりはじめる。

 朝陽は、手早くシャワーを済ませるなり、冷蔵庫に入っている有り合わせで晩御飯を作ると食についた。





 某県内の小さな村にある実家に到着したのは、昼手前くらいの時間帯だった。

 L字型になった昔ながらの日本家屋は平屋作りになっている。

 柵の代わりに家と庭を囲う様に植えられた木と、縁側から見える桜の木が好きで、朝陽は学生時代には縁側に座ってよく本を読んでいた。

 離れてまだ三年しか経っていないが懐かしい気持ちでいっぱいになる。

「態々来て貰って悪かったな」

「全然いいよ。これからはちょくちょく帰るようにする。んで、今回は何があったんだ?」

「これから説明しながら様子を見に行く筈だったんじゃが、急に法事の経読みが入ってな……。今からすぐ行かねばならん。二時間程で戻るから少し待っていてくれんか?」

「分かった。飯も適当に作って食べとくからじいさんはもう行っても大丈夫だぞ。気をつけてな」

 朝陽と入れ違いに車で出かけていく博嗣を見送って、久しぶりに訪れた実家を堪能する事にした。

 昼食を終わらせて暇つぶしに散歩に出かける事にした朝陽は、幼かった頃に少年とよく遊んでいた裏山へと足を運ぶ。

 中でも一番幹が太くて大きな木。

 いつも待ち合わせにしていた場所だった。

 ——ここも懐かしい。

 当時の事を思い出して、同じ様に木を背にして座り込むと朝陽は目を閉じる。

 昔その少年と何か約束をした気がしたのだが、どうしても思い出す事が出来無い。

 全身を撫でる風は冷たいくらいだったが、歩いてきて代謝が上がっているからか気持ちが良かった。

 そのまま目を閉じて思い出に耽っていた。

「ねえ、こんなとこで寝てると風邪ひくよ、朝陽?」

「え?」

 この村には博嗣以外に朝陽を下の名前で呼び捨てにする人物はいない。と言う事は村の人間じゃない。

 弾かれたように目を開けると、かなりの近距離に誰かの顔があった。

「近い!」

 両手で相手の顔を押し返す。

「もう少しでキス出来たのに。ざーんねん」

 ちっ、と舌打ちされる。

 そこには上半身部分が白の長着と、朱色の長襦袢と袴を身に纏った青年がいた。腕の部位にも朱い繋ぎがあるので、一見巫女衣装にも見える。

 染めているのか地毛なのか分からないが、柔らかい毛質の金色に近い明るい髪の毛が風でゆらゆらと揺れていた。

 頭の中程で分けられた前髪は耳下まであるくらいには長く、そして毛先だけが後ろ向きに緩くカーブしている。

 ハッキリとした二重瞼から覗く瞳も眉毛も同じ色をしていて、男によく似合う。

 瞬きをする度に同色の長いまつ毛が上下していた。

 醸し出す雰囲気がやたら艶めかしい。仕草や視線のやり方、小首の傾げ方や微笑み方が特に。しかし、ハッキリと下の名前で呼ばれたというのに、こんな人物に心当たりがない。

「どうして俺の名前を知っている?」

「私は朝陽の事は良く知ってるよ」

 あまりにも妖艶に笑うものだから、朝陽の心臓が一際大きく音を鳴らす。しかし、男から微かに妖気が放たれているのが分かって朝陽は身構えた。

 ——コイツ、人間じゃない。

 少なくともこちらの情報は知られている。

 朝陽が立ち上がると、男も同じように立ち上がった。随分と背が高い。将門よりも高いから、百九十センチ以上はありそうだった。

「朝陽の気配がしたから出て来ちゃった。んー、その顔はもしかして私の事覚えてない?」

 人当たり良さそうに笑っているが、目が笑っていない。無言の圧力がのしかかる。

「え、と。あ……俺もう帰らなきゃ」

 不穏な空気が流れている気がして、朝陽が歩き出すと男もついて来た。

 分岐点に来ても朝陽の隣をぴったりとくっついて歩いてくる。

「何で付いてくるんだ?」

「朝陽の側に居たいから。だって昔約束したでしょ?」

「いや、してない。人違いだと思うぞ。その前に、人外はもうお腹いっぱいだから付いて来るな」

 朝陽のセリフに、男はきょとんとした表情をした後で叫ぶように言葉を連ねた。

「朝陽の浮気者‼︎ そんなに人外ばかり食べてるなんて把握してなかったよ、私! 朝陽の処女奪うのは私だと決めてたのに、いつの間にか男も作ってるしさ!」

「そういう意味じゃねえよ! てか、処女とか言うな! 帰れ!」

 言葉の持つ意味は、精神衛生上無視する事にした。

「朝陽がここに居るのに帰らない!」

 頭が痛い。将門とはまた違った意味での横暴さだ。

 見事に振り回されている気がする。

 疲れがドッと押し寄せてきて、朝陽は肩を落として歩いた。

「何処かで会った事あったか?」

「まあまあ。そこら辺の話は着いたらね? 朝陽んとこのじいさんにも話があるから一緒に行こうよ」

 博嗣にも用があるなら仕方ない。

 朝陽はそれ以上帰れとは言えなくなった。

 隣で嬉しそうに微笑みながら男は朝陽の顔ばかり見ていた。

 ——何かに蹴躓いて転べばいいのに。

 内心で毒付く。

 ここまであからさまに見つめられると居心地が悪い。それに何がそんなに嬉しいのかもサッパリ分からない。

 一切視線を合わせていないというのに、斜め上から刺さるような視線が煩わしくて堪らなかった。

 己が諦めた方が早そうだ。朝陽は男に一瞬視線をやってからまた前を向いて歩き出した。

「じいさん、ただいまー。散歩してたら遅くなった。ごめん」

 靴を脱いで家の中に入ると、博嗣が歩いて来て出迎える。

「久しぶりの実家だ。のんびりするといい……、え?」

 朝陽の横に立っている男を見るなり、博嗣は口をパクパクしながら、男を指差していた。

「じいさんに話があるらしいぞ。何か俺の事も知ってるみたいだし。帰ろうともしないから連れて来た」

 膝から崩れ落ちて博嗣が倒れた。




 目が覚めてからも茫然自失としていた博嗣だったが、今目が覚めたと言わんばかりに立ち上がった。

 かと思えば、畳の上に腰掛けている朝陽の両肩を鷲掴んでガクガクと揺さぶる。

「朝陽ーー! 何なんだお前は! また厄介なのに好かれおってからにっ! 何なんだお前は!」

 二回も言われた。

「は? はっあ? そんなの俺に聞かれてもっ、コイツに聞けよ。てか、じいさん落ち着けって。血圧上がるぞ。それに痛い、痛いっての!」

 隣で同じように腰掛けていた男は、目の前の光景等さして気にもしていない。それどころか、笑顔のまま手を伸ばして朝陽の頬をスリスリと撫で回している。

「可愛いね朝陽」

 ——空気読めよっ。そして眼科に行ってこい!

 成人済みの男に対して可愛いはないだろう。

「石の封印壊しちゃってごめんね。ああでもしないと朝陽帰って来なさそうだったんだもの。でもあの程度の結界じゃ駄目だよ。私よく抜け出してたからね。小さい頃さっきの裏山でよく一緒に遊んでたもんね? 朝陽」

「え、あれってお前だったのか」

「そうだよ」

 博嗣が固まっていた。

 朝陽は目を瞠っている。

 封印があって安心していたのが単なる気休めだった事を知り、博嗣は愕然とした。

 少なくとも十五年は経過しているのだ。あまりにも長過ぎる。朝陽が男に気に入られていたお陰でこの村が救われていたのだと思い知らされた瞬間でもあった。

「それにしても、お前デカくなりすぎじゃないか?」

 昔は身長差などなかったのに育ちすぎだろ、と朧げな記憶を頼りに朝陽がジト目を向けた。

 それを聞いた男は、かなり上機嫌になった。

「そうだよ。やっと思い出してくれたの? 嬉しい。約束通り迎えに来たんだよ朝陽。私の番」

「は? 番?」

「大きくなったら迎えに行くって言ったでしょ?」

 全くもって覚えていない。

 だけど、黄色いビー玉のようなモノを預かったのは思い出した。しかし、随分昔の事だ。

 何処にやったのか分からない。額から冷や汗が伝い落ちた。無くしたと知れば、流石に怒るだろうか。

「その約束なんだけど無かった事に……「無理」」

 言葉尻を奪われ即答で却下された。

「あー、朝陽よ。お前はこの男の正体を知っておるのか?」

 急に話を方向転換され、朝陽は博嗣に視線を向けた。

「正体も何もさっき会ったばかりなんだけど? ガキの頃の事なんて覚えてないに等しいし」

「ふーん、そう……覚えてないんだ」

 底冷えしそうなくらいの低音で発せられた言葉を聞いて、喉を嚥下させ立ち上がろうとする。

 逃がさないよ、と言わんばかりに男が朝陽の手を取った。指と指を絡ませてしっかりと握られている。

「此奴は九尾きゅうびの狐じゃ。少し前の災害で封印していた殺生石せっしょうせきが何かの拍子に壊れていたらしくてな。お前に今日ここに来て貰った理由がそれじゃった。封印するのを手伝わせようと思ってな。だが、こうしてもう出て来ておる」

 博嗣が言うと、九尾の狐と呼ばれた男の雰囲気が一変した。

「封印……?」

 男の頭に柔らかそうなケモ耳と、フサリと九本の尻尾が現れて、禍々しい陰の空気が部屋中を支配していく。

「っ‼︎」

 老体にこの妖気の圧力は流石に宜しくない。

 朝陽は咄嗟に博嗣の周りに結界を張ると、博嗣が咳き込んで一生懸命空気を吸っていた。

 あまりにも間近で浴びた濃い妖力の圧で、息すら出来ていなかったみたいだ。

 結界を張って良かった。

「お前老人相手に何してんだよ。俺にはいいけど、他の人達を巻き込むのは止めろ」

「じゃあさ、朝陽。私と取引してよ」

「取引?」

 絡んでいる指も視線をそのままにして、朝陽は僅かに眉間に皺を寄せる。

 男は真剣な表情をしたまま、スッと目を細めた。

「朝陽が私のとこに嫁に来てくれるのなら、私からはもう悪さはしないし誰も害さない。望み通り、大人しくしててあげるってのはどう?」

 それなら呑んでもいいが問題があった。朝陽個人の意見で決められないからだ。

「俺は五人のαと番わなければならない。一人とは既に番契約してる。だから実質お前だけの嫁にはなれねーよ」

「あはは。華守人でしょ? そんなの昔っから知ってるよ。だって私があの日あの場所に行ったのは偶然なんかじゃない。朝陽が生まれた時から私はずっと見てた。実際会いに行って朝陽と遊んでみてやっぱり運命だと確信した。朝陽自身の事を好きになるのにも時間なんて必要なかったし、相手が朝陽で良かったと思ってる。私は楽しかった。朝陽と一緒に居れて嬉しかった。もう絶対逃がしたくない。ついでに言っちゃうと、落雷で石が壊れるように仕向けたのは私だよ。結界は抜けられても、アレがあると私は遠くまでは行けない。この地域を散歩するくらいしか出来ないからね。でも私は朝陽が居ない場所になんて居たくない。私は朝陽の側に居たい。封印しようとするなら今度は石じゃなくてこの地域全体に雷を落としてあげる」

 男の話を聞いて博嗣が青ざめていた。

「そんなの脅迫だろ」

 吐息混じりに言うなり、朝陽は己の髪の毛をかき混ぜた。

「朝陽が私のモノになるなら何だってするよ」

 答えは聞かずとも分かっているだろうに。朝陽は諦めの方が先に来た。

 何がここまでこの男を執着させてしまったのだろうか。いくら考えても朝陽には答えが出せなかった。

 ただ、一心に求められるのは悪い気はしない。

 男は楽しそうに朝陽を見つめている。

「分かった。お前のとこに嫁に行く。その代わり住むのは俺が今借りてる部屋だ。先に番契約したヤツもいるから仲良くしてくれ」

「それでいいよ」

「その前に伝えておく。俺たちが本当に番契約を結べるかどうかでも話は変わってくると思う。俺には周期的に回って来る筈のヒートは来ない。番候補者から強制発情させられてヒートが来る。もし番じゃないならヒートは来ない。その時は別案を提示してくれ。お前が今まで封じられてた石は、とりあえず仮初だけの結界を張る」

 朝陽の発する言葉を聞いて、男は不敵に笑んで見せた。

 



 次の日、朝陽と博嗣、そして男の三人は殺生石の元へと向かった。

 当然ながら石からは何の気配も感じない。封じられていた本人は既に出ていて、何食わぬ顔で朝陽の隣を陣取っているのだから至極当然の事だ。

「ほらほら、見てよ朝陽。私こんなちっぽけなとこに閉じ込められてたんだよ。酷いと思わない? あり得ないでしょ! もっとこうさ、敬って欲しいよね!」

 ——煩い。静かにしていて欲しい。その前に敬われる様な事したんかよ。

「あーね、もう始まるかなー。私早く朝陽の所に行きたい」

 本当に災害を齎していた存在とは思えない程に男は無邪気だった。

 博嗣と朝陽は無言で返し、心を無にするように努める。

 時間になり、博嗣の経読みの横で朝陽が結界を張り直していく。

 新しく用意された大きな石に、簡単に壊されないような強度を誇る結界を施した。

 村人たちは鎮魂を。

 博嗣は読経を。

 朝陽は結界を。

 心を一つにする。

「わー、思ってた以上に育ってるね朝陽。凄い! これじゃいくら私でももう抜け出せないかも。さすが私の嫁。霊力量も格段に上がってるし質も綺麗。見惚れるくらい綺麗だよ」

 ——お前は『俺肯定bot』か!

 気恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

 よく喋る男の頭を『黙っていろ』とはたきたいが、今は手が塞がっている。

 逸れそうになっている思考回路を元に戻すように、一度目を閉じてから朝陽は目先の事に集中した。

 やがて鎮魂祭は終わりを迎える。

 集まっていた村人達は、ホッとした表情で満面の笑みを浮かべていた。

 ——なんか……ごめんなさいっ‼︎

 博嗣と朝陽の心の声が重なった。

 



 家に戻って、三人分の茶を入れて座卓を囲む。疲れる事など何もしていないのに疲労感が凄い。朝陽の霊力は底なしだ。いくら使おうと枯渇することは無い。精神的な疲労感に苛まれていた。

「朝陽、お前本当に良かったのか?」

「あー。いいよもう。ガキの頃の約束なんて覚えてないけど、さっきちゃんと口約したし俺の所に連れていく。ここに置いとくと何するか分からないからな」

「楽しみ」

 男は朝陽の隣に腰掛けて本当に嬉しそうにしている。

 そんな様子を尻目に見ていたが朝陽は顔を上げた。

「そういえばさ、俺が結界を張っているのに何でこの家に入れるんだ?」

 男が顔を綻ばせる。

 何をしてても煌びやかに見えるので目が痛かった。

「昔朝陽に黄色の玉をあげたの覚えてる?」

「あ、ああ……」

 まさか行方知れずとは言えないが。

「その中に私の妖力を込めてたんだよね。あの玉は一定の時が経てば、朝陽の体内に吸収されて、朝陽の霊力と私の妖力が混ざるように細工してたんだ。だから私の妖力が溶け込んだ朝陽が張った結界は、朝陽と一緒だと私は入れるよ。誤認識されるからね。まあ、強度にもよるし、朝陽がいない時は無理だけど。後、あの玉を通して私には朝陽の居場所が手に取るように分かるし視える。今一緒に住んでいるあの怨霊……平ノ将門の事も勿論知ってるよ」

 朝陽の周りにだけ氷河期がきた。

 世間一般ではこういうのをストーカーと呼ぶ。しかもタチの悪い方のストーカーだ。

「ちょっと、イチャイチャし過ぎじゃない? これからは勿論私とも遊んでくれるよね?」

 追い討ちを掛ける様に氷点下で発せられた言葉に、ゾワリと鳥肌が立つ。男からヤンデレ属性が垣間見えて、言葉も出てこない。その前に朝陽のプライバシーも何もない。

 どこからどうツッコミを入れて良いのかさえも分からなかった。

 本当に全てがどうでも良くなってきて、座卓の上に頭を乗せたまま朝陽は瞑目する。

「さてと、ワシは今日神社にでも泊まろうかの。後は番契約の当事者同士で宜しくやっとくれ」

 腰を上げて出て行く博嗣に「ばいばーい」と男が手を振っている。

 もうどうにでもなれ。そんな気持ちでいっぱいだった。

「ねえ朝陽〝お前〟じゃなくて昔みたいにキュウって呼んでよ」

 同じように座卓に頭を乗せた男……キュウは、朝陽と視線をしっかり合わせる。

「あーさーひ。私を呼んで?」

 これでは逆に恥ずかしい。

 逆方向を向いて一呼吸入れた後、小さな声で「キュウ」と呼んだ。

 朝陽が照れて顔を赤くしているのは、隠しきれていない耳や頸の赤さから察することが出来た。

 何かしら揶揄われると思っていたのに、沈黙がやけに長い。

 朝陽が窺うようにキュウに視線を向ける。

「くっそカワっ!」

 キュウは両手で顔を押さえて天を仰いだ。

「どうでも良いけど、キュウは現代被れし過ぎじゃないか? コミュニケーション能力が俺より高いって何……」

 陽キャのイメージしかない。

 将門もテレビで現代語を覚えている、と言っていたのを思い出す。

 将門の使う単語は不穏めいているけれど、キュウも似たようなものなのかもしれない。

 子どもの頃から外を出歩いていたのなら、己らと同じ感覚になっていても何らおかしくない。

 思案していると、体を持ち上げられて膝の上に乗せられた。

「朝陽。会いたかったよ」

 ペロリと首筋を舐められた後で、幾度となく甘噛みされる。

 既視感のある甘い疼きが体を駆け巡った。

 ——これって……⁉︎

「ひっ……、待って……キュウ」

「ほら、ちゃんとヒート入れたでしょ? 私が本当に番だってこれで分かってくれた?」

 コクリと頷く。足に力が入らなくて、キュウにしがみつくと畳の上に転がされる。このタイミングで強制発情させられるとは思ってなかった。

「朝陽の匂いって本当に美味しそうだよね。お腹が空く。ずっと食べたかった。アイツに先を越されるなら、昔食べとけば良かった」

 当時五歳である。

 欲の籠った声音で恐ろしい事を言われ、朝陽は冷や汗が出た。

 それと〝お腹が空く〟という意味を今になって理解した。

 食事の在り方からして朝陽が思っていたモノとは異なっていたのだ。

「ぁ、や、ま……て」

 首筋をずっと甘噛みされていると、体が痺れて頭も回らなくなった。

 口からは意味を持たない言葉ばかりが出ていく。着ていた上着は早々に脱がされ畳の上に放り投げられる。

 キュウの舌先が鎖骨を伝って行き、胸の頂にある突起を舐められれば朝陽の腰が浮いた。

 腰と畳の隙間に腕を差し込まれ、固定される。ズボンを下着も一緒くたに下ろされると、朝陽の体は先の行為を期待して震えた。

「ねぇ、将門にはいつもどうやって抱かれてるの?」

 そんなこと言える訳がない。返事の代わりに首を振る。

「じゃあ答える気になるまで、寸止め耐久ゲームでもしようか?」

 キュウが意地悪く笑んだ。

「性格……っ、悪い」

「あは、性格が良いなんて私は一言も言ってないよ。寧ろ朝陽を虐めたくて虐めたくて仕方ないもの」

「こっの、ドS狐!」

 その後朝陽はキュウの思惑通りに虐め抜かれてただひたすら嬌声を上げさせられた。


 過ぎた快楽で意識を飛ばして動かなくなった朝陽の横に身を横たえると、キュウはその頭に手を伸ばす。

 キュウの脳裏には、幼き頃の朝陽の姿が映った。

『ねえ、私も一緒に遊んでいい?』

 幼少時代、キュウからの問いかけに朝陽はまろさのある頬を赤く染め、大きな黒い瞳を嬉しそうに輝かせて頷いた。

「朝陽。私ね、待ってたんだよ。ずっとずっと朝陽がまたあの場所に遊びに来てくれるのを待ってた。朝陽があれ以来、来なくなった理由も本当は知ってるけど、それでも来て欲しかったよ。ごめんね、朝陽が望む本物の人間じゃなくて。でも私は朝陽と番えるから人外で良かったと思ってる」

 上体を起こして、横向けになっている朝陽のこめかみに口付ける。

「ねえ、どうして忘れちゃったの……そんなに人間の友達の方が良かった?」

 子どもの頃『また遊ぼうな』と約束したまま別れて、朝陽は二度と裏山に来なかった。

 はみ出し者として、朝陽が人間から避けられていたのをキュウは知っていた。

 キュウは自分から話し掛けるまでの間も、朝陽が来なくなった後も、朝陽に上げた黄玉や、木の上などからずっと朝陽を見ていたからだ。

 本当は人間の友達と遊びたがっているのだろうというのも、たまに見せる朝陽の寂しそうな後ろ姿から察する事が出来た。

 朝陽の視線の先には、いつも人間がいた。

 幼い頃は、朝陽が友達を欲しがっているのならと、キュウは声を掛けたのだが本当は迷いもあった。

 キュウは人外であって、朝陽が求める人間ではない。朝陽にとって裏切りになるのでは無いかと考えたからだ。

 それに、キュウは友達ではなく、朝陽の特別な存在になりたかった。

 それでも朝陽と一緒に遊ぶのはキュウも楽しくて、時間さえも忘れるくらいだった。『またね』と言ってしまうと二度と会えない気がして、キュウはいつも何も言わずに姿を消した。

 本当はもっとずっと一緒にいたかった。

 己との番契約が埋まった朝陽の頸を覗き込んでソッと撫でる。

 朝陽の頸にある陰山桜の紋様は二枚目が黒く色付いている。

 知れず笑みが溢れた。

「これでずっと一緒だね」

 昔のように己が人外だからと、朝陽に逃げられることもない。

 キュウが迎えに行ける範囲内に朝陽が居ないということもなくなる。

 朝陽が来るのをひたすら待つしかなかった日々をやっと終わらせる事が出来た。

 番として朝陽の特別な存在になる事が出来たのだ。

 キュウは今この上ない程に幸せを感じている。

「大好きだよ朝陽」

 その体は眠ることを必要としないが、キュウも朝陽と同じように目を閉じた。




「もうキュウとはセックスしたくない」

 目が覚めた時、朝陽は開口一番に告げた。朝陽の頭を撫でていたキュウの手が止まり、条件反射の如く座り直す。

「え、それは無理! 絶対に嫌だ。私は朝陽抱きたい。ごめんね朝陽。お願い、怒らないで」

「煩い。しないったらしないんだよ! このバカ狐!」

 本気で叱られ、キュウの頭にケモ耳が生え、フサリと九本の尾が出てくる。

 捨てられている子犬のように、しょんぼりと肩を落としている姿に朝陽の心臓は鷲掴みにされた。

 ——か、可愛い……。触りたい。

 視界の萌え暴力だ。

 手がウズウズした。

 怒りなんて何処かへ飛んで行ったように、朝陽が食い入るようにキュウを見つめている。

 正しくはキュウに生えている耳と尻尾だが。

 そんな朝陽に気がついたのか、キュウは膝立ちになっていた身を屈めて、朝陽の手を掴むと己の耳に持っていった。

 先に餌を与えろ作戦である。

「ぐっ……」

 思っていたよりずっともふもふだった。

 癖になりそうなくらいには、もふもふだった。

 抱きしめたい……否、朝陽は丁寧に座り直して尻尾を抱きしめて、ついでにキュウの耳も触っていた。

「朝陽が望むならこの通り耳も尻尾も触り放題だよ?」

 唸り声を漏らしながら朝陽は己の中で葛藤していた。

 このまま触っていたい。

 でもあんな訳が分からなくなるセックスをするのは嫌だった。でも触っていたい。

「私の耳と尻尾、気持ちいいでしょ? ねえ、朝陽?」

「うぐ……」

 朝陽は陥落した。

 キュウを思う存分もふる。

「たまになら、いい」

「嬉しい! ありがとう朝陽!」

 軽々と持ち上げ、朝陽を正面から抱きしめると、見えないようにキュウがほくそ笑んだ。

 だが直後、キュウの頭上に朝陽の拳が飛んでくる。

「朝陽、痛い……」

「何だか今とてつもなくイラッとした」

 キュウからは音声なんて出ていなかったのに、朝陽の勘は動物よりも冴えていた。




「ただいまー」

 鍵を開けて部屋に入ると、将門が玄関先の壁に寄りかかって立っていた。

 不機嫌全開で、いつも以上に眉間に皺を刻んでいる。

「何でそんなに機嫌が悪いんだ、将門?」

 キョトンとした表情で朝陽が問うと、ため息の後で将門に舌打ちされた。

 キュウもキュウで、瞬き一つせずに口角だけを持ち上げて笑んでいる。

 いや、笑んだフリをしていた。

 瞳孔まで開いているから怖い。両者の間に火花が散り、不穏な空気が流れていた。

「おい、朝陽……」

「はい」

 朝陽は思わず畏まってしまう。キュウを一瞥し、将門が口を開いた。

「捨ててあった場所に今すぐ返してこい。ペットは禁止だ」

 ——いや、ここ俺ん家なんだけど……。

 朝陽は内心ボヤく。

「仕方ないだろ。キュウが俺の二人目の番だったんだから。仲良くしてくれ」

「無理」

「断る」

 即答で同時に断られ、腹が立った。

 二人に向けて霊力の塊をぶつけて強制的に外に追いやると、朝陽は今までかつてない程に強力な結界を二重にして部屋中に張り巡らせる。

 ついでにしっかりと玄関の鍵もかけた。

「朝陽、入れてよ」

「おい朝陽、結界を解け」

 玄関の扉をドンドンと叩かれる。

 近所迷惑レベルだ。

「仲良く出来ないなら実家に帰れ!」

「そこは実家に帰らせていただきます、じゃないのか?」

「将門お前本当に何の番組見てんだよ! ドロドロ系やめろ!」

 思わずツッコんでしまった。

「朝陽が帰るなら私も帰る!」

「俺も行く」

「家出の意味なくなんだろ‼︎」

 ——駄目だ。あいつらのペースに呑み込まれるな。

 深呼吸して頭を冷やす事に専念する。

『何故狐がここにいる。石の中でじっとしとれば良かったものの』

『そっちこそ塚に戻んなよ。怨霊の出る幕ないでしょ』

 ——うるっさい。近所迷惑!

 テーブルの前に腰掛ける。

 外ではまだ醜い言い争いが聞こえていた。

 三十分後。

 外の騒がしさが無くなったのが分かって、朝陽は玄関の扉を開けてみた。

 キュウと将門はお互い背中を向けてはいるが、もう喧嘩はしていないようだ。

「入るか?」

 二人が同時に朝陽を見て頷く。

 強力な結界の方だけを解いて、朝陽は二人を招き入れた。

 三人並んでラグの上に腰掛ける。朝陽は当然のように真ん中に座らされた。

「なあ、何か息苦しくないか? ……俺のとこだけ狭いっていうか」

 左右から体を寄り添って座られると、朝陽は微動だに出来ない。

「そう? 小屋の割には広い方だと思うけどな私は。で、何処で寝るの? ここじゃ狭いよね。あの扉の向こう側?」

 トイレを指差しキュウが尋ねる。

「小屋じゃねえよ、ここが唯一の部屋だ! 悪かったな、狭くて!」

 全くフォローになっていない。先ず前提からして間違えている。でも引越したいとは考えてしまった。

「俺は普段のように引っ付きたい」

 将門は朝陽を軽々と持ち上げて、股の間に座らす。

「あー! ズルくない、それ⁉︎ 私もやりたい」

「新参者は黙っていろ」

「ちっ、クソ怨霊が偉そうに」

「あ゛あ゛?」

「お前らもう一度外に出るか?」

 シン、とした空気が流れた。

 ——まぁ、確かにワンルームだと狭いな。

 二人の姿は誰にも見えないが、ワンルームに体躯の良い二人が一緒だと圧が半端ない。

 しかもこの仲の悪さでは先が思いやられる。

 己が会社に行っている間どうやって過ごすつもりなのか。そう考えると朝陽は胃が痛くなってきた。

 帰宅したら更地になっていたとか……あり得そうで怖い。

 朝陽の額に脂汗が滲んだ。

「そうそう、朝陽。今度の土曜日買い物に行く時、ここから東の方角にあるスーパーへ行くといいよ」

 キュウが意味深な笑みを浮かべて朝陽を見る。

「何で東?」

「面白いモノが見れるから行っておいで?」

「面白いもの……」

 意味不明だった。

 それに話が変わり過ぎだ。

 見事に宇宙猫のようになった朝陽の髪をすきながら、キュウが目を細める。

「絶対だよ。もし忘れちゃったりしたら……この部屋の外で死ぬ程犯してあげるから」

 掠れ声で不穏な言葉を呟かれた。

「もう覚えた。絶っ対行ってくる!」

「ちっ」

 ——舌打ちするなっ! 行かせたいのか行かせたくないのかどっちだよ⁉︎

 このドSストーカー男なら本当にやりそうだ。朝陽はかつて無いほどに真剣な表情で頷いてみせた。

 それでも〝面白いもの〟というものが何なのかという期待感が胸の内で膨れる。次の土曜日が少しだけ楽しみになった。


→第三話へ続く



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る