霊力チートのΩには5人の神格αがいる

yuuhi_narushima

第一話、俺様三大怨霊に憑かれて溺愛されるようになりまして……。



「う、ん……。ん」

 まるで腹の上に重りでも乗せられているようだった。

 まだ寒さの残るこの季節で寝苦しいのはおかしいと、桜木朝陽さくらぎあさひは無理やり瞼を押し上げた。

 やはり腹の上にナニカが乗っている。しかも指先一つ動かせない。いわゆる金縛りだというのが分かりため息をついた。

 幼き頃からこうした心霊現象を体験している朝陽からすれば日常茶飯事のことで、また、自身で祓える力も防御する力もある。

 今日も寝る前にきちんと結界を張って寝ていた。しかしこうして金縛りに遭っている事を考えれば、朝陽の結界を破れるそれ相応の霊力を持つナニカだという事だ。

 祓うのも面倒で、このまま寝てしまおうかと思いながら、眠気に負けそうになっていた時だった。

 腰に乗っているナニカが蠢いて、朝陽の体を弄り出したのだ。

 主に下半身だが、上半身にも擽ったいような妙な感覚があり、朝陽の眠気は漸く覚めてきた。

 ——は? もしかしなくても、今、犯されかけているのか?

 一気に目が覚めた。

 まさか男好きの色情狂がいるとは思いもしていなかった。

「良い度胸してんじゃねえか」

 即座に金縛りを解き、腰の上に乗っているナニカを霊力で弾き飛ばす。

 強制的に浄霊したと思ったのに、ナニカはベッドの下に飛ばされただけで、大したダメージを受けていなかった。

 蠢く影が段々鮮明になっていき、一人の武者が顔を上げる。

 ボサボサの長い黒髪の左側だけが短くなっているのを見ると、霊力の放出で無くなったのは髪の毛だけだったのだと知って朝陽は驚いた。

 短くなった髪の隙間から、切れ長の目を持つ端正な顔立ちがあらわになる。

 宝石のように輝く本紫色の瞳が、驚きに見開かれていた。

 唖然とする。

 夜這い相手を間違えたのかと考えてしまったくらいだ。女に困っていそうな顔ではない。

「お前、何故動ける?」

 低音の声音が朝陽の聴覚を揺るがした。朝陽はつられて口を開く。

「へ? あー、特異体質だから?」

 遠く離れた実家で神社の神主をしている祖父も太鼓判を押す程に、朝陽の霊力はチートだった。

 その上、厄介な体質でもある。

「お前の様な者は初めて会ったわ。ほう、これは中々面白い」

 男は興味津々といった様子で顎に手をやり、朝陽を見つめていた。

 朝陽はもう一度浄霊してやろうかと思考を巡らせたが、ふと思い当たる事があり、直接男に聞いてみる事にした。

 どうも嫌な予感がする。

 そんな予感は外れて欲しいとは思いつつも、朝陽は確信めいた物を感じていた。

 朝陽の働いている会社の近くには、とある武者の首塚があるからだ。

 関わりたくなかったし、気付かれたくもなかったので、極力気配を消していたつもりだった。

 ゴクリと生唾を飲み込んだ。

「あの……お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」

 つい下手に言葉を紡いだ。

「平ノ将門だ」

 ——やっぱりかー‼︎

 頭を抱える。嫌な予感的中だ。

 日本三大怨霊の一人と出会う予定等なかったというのに。それに、平ノ将門がイケメンだなんて聞いていない。学生時代に習った歴史や書籍で見た限りでは普通の顔だったと記憶している。

「マジか……」

 知らなかったとはいえ、神格化しているあの有名な大怨霊の髪の毛を吹き飛ばしてしまったのは大失態だ。

 きちんと確認してから攻撃すれば良かった。

 どうしようか悩んだ末に「お詫びに髪の毛を整えさせてください」と朝陽は頭を下げた。




「ほう、お前俺に触れるのか。けったいな奴だな」

「はい。特異体質なので……」

 意気消沈しつつも、大切な事なのでもう一度言った。

 実際、自他ともに認める程には朝陽は特異体質なのだ。

 視えるし、聞こえるし、意思疎通も可能の上、除霊も出来れば、浄霊も出来るし、何なら結界も張れる。

 それプラス、霊からも触れられるし、朝陽からも霊に触れる事が出来た。

 将門を風呂場に招き、朝陽は鋏に霊力を込めてから刃を入れてみる。すると、男の髪の毛が切れた。

 男らしく凛々しい顔立ちが隠れるのは勿体ないと感じて、片側だけ長めのショートにしたツーブロックにすると、将門が感心した様に朝陽を見ている。

 昔から他人と関わり合うのが苦手で美容室へ行くのに抵抗があり、自分で髪を切っていたのがこんな所で役に立った。

「中々良いではないか。器用だなお前」

「ありがとうございます」

「先程のように話せ。後、将門でいい」

 邪魔な虫でも払う様に片手を振られてしまい、朝陽は安堵の吐息をつく。

 どうやら機嫌は悪くないらしい。

 祟られずに済みそうだ。

「これでどうだ? 将門は顔立ちがいいからこの方が似合うと思うぞ。今風になっちまったけどな。それにその綺麗な目を隠すのは勿体ない」

 切り落とした髪の毛を片づけようとすると、不思議な事にタイルの上から消えていた。

 まあいいか、と頭を切り替える。

 将門は気に入った様子で鏡を見ていた。

「おい、鎧もどうにかしろ」

「俺の部屋着で良ければ……」

 朝陽が大きめサイズの服をクローゼットから取り出してきて手渡すと、将門は徐に鎧を外し始めた。

 脱いだ側から床に吸い込まれるように消えていく。片付けが必要ないのはとても便利だ。

「もっと苦しくない物はないのか。軽くて肌触りはいいが息苦しい」

 朝陽には大きめの服でも、体躯の良い将門が着れば服が小さく見える。

 推定重量四十キロはある鎧よりかは良いと思う、とは言葉にしなかった。

 それにもっと大きいのを寄越せと言われても残念ながら朝陽は一人暮らしの身だ。朝陽の服以外はある筈もない。

「俺の服で一番大きいのがその服なんだよ。将門の体躯が良過ぎるのが悪い。明日会社帰りに買ってくるからそれまで我慢してくれないか」

 朝陽は尻目に将門を見た。

「会社とは何だ?」

 平安時代から時代が変わり過ぎている。耳に入る言語や、目に映る物全てが珍しいのだろう。

 何から何まで説明しないといけないのは煩わしいが、簡単に告げた。

「あー。仕事って言えば分かるか? 労働だ。将門の居た塚の近くに大きな建物があっただろう? 俺はそこで働いてる」

 またしても興味津々と言った様子で将門が朝陽を見ている。

「成る程な。ところでお前、名は何と言う?」

「桜木朝陽だ。塚から憑いてきたんじゃないのか?」

 首を傾げた朝陽に、将門が口を開く。

「さてな。気が付いたら此処に居た」

 沈黙が流れた。

 段々考えるのも面倒になってきて「寝るから静かにしていてくれるとありがたい」とだけ伝えると朝陽は目を閉じる。将門はいつの間にか部屋から居なくなっていた。



***



「おい、朝陽。あれは何だ?」

「……」

「何だこの四角いものは。面妖めんような」

 ——アンタが一番面妖だ!

 次の日、朝陽が出社すると将門は急に現れたかと思いきや、矢継ぎ早に朝陽に質問しては纏わり付いた。いや、纏わりつくを通り越して朝陽は将門に背後から、ガッシリと抱きしめられている。

 ——顔、めっちゃ近いんだけど……。

 それに肩が重くて仕方ない。答えようにも、ここで口を開いては、朝陽の独り言になってしまう。それは避けたかった。

 トイレの個室に駆け込み、誰も居ないのを確認してから将門に視線を合わせる。

「あのな。将門の姿は他の人間には視えないんだよ。俺が質問に答えると、独り言を喋ってるみたいで周りには変に思われる。家でなら質問に全部答えるから、部屋以外では大人しくしてくれると助かる」

 下手すりゃ精神科を勧められそうだ。

「何だそんな事か。有象無象など気にしなければ良いだろう? 朝陽、お前には俺が視える。それが真実だ」

 そう割りきれればどんなにいいか。

 過去が断片的にフラッシュバックした。

 これまでに霊が視えて良い思いをした事は無ければ、周りから良い扱いをされた覚えもない。朝陽はいつも嘘つき呼ばわりされ、爪弾きにされてきた。

 人間は異端者には恐ろしく残酷になる。

「そういう訳にはいかないんだよ。頼むから下にある塚の中にでも居てくれないか? 仕事が終わったら迎えに行くから」

「嫌だ。あそこは退屈だ。断る」

 交渉は、秒で決裂した。

「でも俺は外では喋らないからな?」

 念だけ押して、朝陽はトイレから出る。

 ——あれ? ここに居た地縛霊が居なくなってる?

 朝陽が配属されている部署からトイレに行くまでの通路途中には、朝陽が入社してきてからずっと女の地縛霊が立っていた。

 地縛霊はその場を動けない筈だ。居なくなっているのはおかしい。

 朝陽が足を止めて見つめているのに気が付いたのか将門が言った。

「そこにおった女なら邪魔だったから喰ったぞ」

「喰った〜⁉︎」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまい、朝陽は咄嗟に己の口を手で押さえる。

「美味くはなかったが、霊力の向上には打ってつけだったな」

「桜木、急にどうした?」

「いえ、何でもありません」

 案の定怪訝な表情を向けられ、朝陽は将門から逃げる様にその場を後にした。




 珍しく定時に上がれた朝陽は、早速服の量販店に向かっていた。

 細身の朝陽はMサイズで間に合う。百七十センチと身長はそこそこあるので、腕の長さに合わせてたまにLを買うくらいだが、将門にはそれでも狭そうだったのを思い出す。

 3Lくらいでいいのかもしれないと思案し、上下セットで尚且つ着回しがききそうな服を何着か買って帰路に着く。予定外の出費に胃が痛んだ。

 その間も将門は朝陽の隣を歩いている。朝陽が頼んだ通りに黙ったままでいてくれるのは有り難かった。

 チラリ、と視線を上げた。

 朝陽の頭一つ分くらいは身長が高く、また、眉間に皺を寄せているからか妙に威圧感がある。パッと見は裏社会の人物に見えなくもない。年齢的には二十代半ばに見えた。

 改めて見てもルックスとスタイルが抜群に良い。芸能人だと言われても納得出来るくらいの独特な雰囲気とこの容姿では、他者を魅了して止まないだろう。

 朝陽だけにしか見えないのは、残念に思えるくらいだった。

 それとは別に常に圧を放っている将門がいるお陰で、今まで無駄に寄ってきていた浮遊霊が一切寄って来なくなった。寧ろ悲鳴さえ上げて逃げていくから朝陽としては普段の生活よりも楽だった。

 ワンルームの部屋に着き、スーツジャケットを脱いでネクタイを緩める。それから買ってきた荷物を漁った。

「これ着てみてくれ」

「うむ」

 将門が部屋着を脱いで、新しい服に袖を通す。

「ああ。3Lでちょうど良かったな。将門は筋肉の厚みがあるから、これでも小さかったらどうしようかと思ったけど」

 もう一度袋を漁って今度はズボンと下着に手をかける。

 そしてハタと気がついた。

 何で霊に服なんて買ってるんだろう。朝陽は軽く凹んだ。

「お前の服が小さ過ぎるのだ。後、細い。ちゃんと食っているのか?」

「ひっ」

 背後から急に腹回りをがっしりと掴まれて悲鳴を上げる。

「まるで女子おなごだな」

「うるせーよ。体質だ。うちの家系はみんな細いんだよ」

「それにしても朝陽。昨夜から思っていたが、お前、何でそんなに美味そうな匂いがする? 腹が減る」

「え? 美味そう……?」

 冷や汗が出た。

 昼間霊を喰ったとか聞かされた後に美味そうとか言われると、グロい想像しかできない。

「おい、まさかとは思うけど俺が喰いたいとか言い出すんじゃないだろうな……?」

 恐る恐る振り返ると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべられる。

「いやいやいや、無理。俺は美味くないぞ。それに痛いのもスプラッタも嫌だ。断る! 絶対不味いからやめておけ!」

「そんなの喰ってみんと分からんだろう?」

 ペロリと背後から首筋を舐められる。そのまま甘噛みされてしまえば体が恐怖で大きく震えた。

 その直後だった。

 心臓が忙しく動き出し、急に体が熱を発した気がして朝陽は目を瞠った。初めて知る感覚に戸惑いを隠せない。

「あ? え……、何だこれ?」

 甘い疼きが腰から上を駆け上り、上擦った声が出そうになる。

 呼吸さえ苦しくなってきて、朝陽は漏れそうになる吐息を押し殺すように左手で口元を覆った。

「成る程。この桜の紋様といい、もしかしてお前〝華守人 《はなもりびと》〟か」

 ビクリと肩を揺らす。

「何で……、その呼び名を知っている?」

 将門が知っているとなれば、平安時代から既に華守人の存在が確認されている事になる。

 朝陽は内心動揺していた。

「まだ生きていた時代に、噂で耳にした事がある」

 華守人とは数百年前に滅びた第二の性別の一種で、その性別であるΩ《オメガ》の陰に隠された存在を示す言葉だった。

 かつて、この世には男女を分ける性別の他に、もう一つの性別があった。

 カリスマ性を持ち絶対的な権力を誇る α《アルファ》と、最下位に位置する Ω《オメガ》。そしてどちらにも俗さない β《ベータ》と呼ばれる三種類の性別だ。βに比べ、αもΩも圧倒的に数が少なく、いつの間にか第二の性別は無くなっていった。

 しかし、先祖に神を持つ桜木家には稀に覚醒遺伝した華守人と呼ばれるΩが生まれる。百年に一人生まれるか生まれないかと言われている華守人は、最も重要な存在であると共に、特殊な使命を持ち合わせていた。

 華守人は通常のΩとは違い、生者とは番う事が叶わないのだ。

 底のない己の霊力を糧にする事で人外の神格クラスのαと番い、その霊力を持ってして霊力の高い子孫……次の華守人候補を生み出す事が使命に当たる。そう言ってしまえば聞こえは良い。有り体に言えば、神格クラスの人外へ差し出される嫁と称した生け贄なのだ。

 鎮魂と互いの霊力維持、そして祟り神として堕ちないように結界を張るのが目的であり、同時に役目ともされていた。

 故に華守人は、神格化クラスの結界が不安定な時に合わせるように産まれてくる。

 幼い頃、朝陽の頸に桜の花びら形の一つである陰山桜かげやまざくらの紋様が現れた時、祖父の博嗣から話しを聞かされた。紋様は〝視える側の人〟にしか見えない。

 朝陽は二十歳になった今でさえヒートが来た事もなければ、番候補者とも出会っていない。単なる迷信だとばかり思っていたのはとんだ誤算だった。

「将門って……αなのか?」

 早鐘を打つ心臓が痛い。

「逆に問おう。俺がα以外に見えるのか?」

 質問を質問で返され、項垂れる。日本を代表する三大怨霊だ。βやΩである筈がない。どこからどう見ても圧倒的で絶対的な王者である。

「見えねえな……」

 初めっからもっと警戒しておくべきだったと今になって思ってみても、後の祭りだ。

 呑気に買い物をしている場合ではなかった。

「これは良い拾い物をした。まさかあの華守人と会えるとはな」

 将門に首筋を何度も甘噛みされ、眩暈がしてきた。

 朝陽はどんどん力が抜けていく体に鞭を打ち、将門を押し返そうと振り返って腕に力を込める。

「そこに、触るなっ」

「発情期に入って尚抵抗するか。本当に面白い男だ。ますます気に入ったぞ」

 敷いていたラグの上に押し倒され、マウントポジションを取られた。いよいよヤバい。朝陽は今込められるだけの力を振り絞って、将門の体との間に結界を張る。だが、いとも簡単に破られてしまった。

「まさ、かど。マジでやめろ……」

「どうしてだ? 本当はお前も触れられたくて堪らんだろう? そんなに蕩けた顔で言われても説得力がないぞ」

 喉を嚥下させる。本紫色の双眸に見つめられると、全身に鳥肌がたった。体が痺れて動かなくなり、体の熱と疼きが一気に増して行く。恐らくは強制発情させられている。

 頭までボンヤリしてきて、朝陽は思考が働かなくなってきていた。

 目の前の雄が欲しくて堪らないと本能が訴えている。Ωのヒートが、ここまで理性を揺さぶる物だとは思ってもみなかった。

「お前の事は気に入っている。大人しくしとれば酷くせん。せっかくの機会だ。お前も楽しめ、朝陽」

 言いながらシャツのボタンを引きちぎられ素肌を撫でられた。ネクタイも引き抜かれる。

「ひ、ぁ!」

 本当に己の声なのか疑わしい程に高い音が出た。皮膚全てが敏感になっていて、神経がむき出しになっているようだった。

「ん、うっ」

 尻からトロリとした液体が溢れてくるのが分かって、朝陽が身を捩る。下着が水分を受け止めきれずに広がっていく感触が気持ち悪い。朝陽の心とは裏腹に、体は将門を受け入れる準備を整え始めている。

「また香りが強くなったな」

 ——香り……?

 己ではよく分からなかった。将門の瞳の奥に好奇心とは違った欲が孕んでいて、朝陽は咄嗟に視線を逸らした。

「将門っ、ふ、あっ……ぁ」

 喋っている途中で口を塞がれ、朝陽の言葉は将門の咥内に消える。

 捻りこまれた舌に舌を取られて、絡ませられると下肢の疼きがもっと酷くなった。

 本格的に頭が回らなくなり、本能の赴くままに将門と肌を重ねる。何度も何度も泣かされて鳴された。

 



 目を覚ますと深夜の三時だった。

 視線だけを動かして部屋を見渡すと、ベッドを背もたれにして将門が座っていた。

「起きたのか」

「てっめ……好き勝手に……っ、散々中に出しやがって」

「お前も随分と良さそうにしていただろう?」

 頭の中でプチリと何かが切れる音がした。

 朝陽は上半身を起こすと肩を回して拳を握り込んだ。

 体はもう動くようになっていて、力も込められる。それだけ確認出来れば良かった。全霊力を右手に集中させる。

「俺は……確かに物理的な肉体も能力もΩだけどな、残念ながら、覚醒遺伝とやらで霊力だけはチートなんだよっ!」

 将門の両目が見開かれた。

「成仏しろ、この色狂いのクソ悪霊!」

 集束した光が朝陽の掌から弾け飛び、部屋中が昼間より明るくなった。

「ククク、最高だな朝陽。ハハハハ!」

 将門の笑い声と共に、目を覆いたくなる程の光が炸裂して全てを呑み込む。暗闇に戻る頃には、将門の姿は部屋の中から消えていた。

「はは、ざまー」

 よろけながらも立ち上がり、朝陽は風呂場へと向かう。

 腹の中に溜まりまくった霊の残滓を洗い流した所で、意味があるのかは分からないが、全身汗をかいていて気持ちが悪い。ザッとシャワーを浴びた。

 風呂から出るなりベッドに倒れ込む。酷使され続けた体は、すぐに睡魔に呑み込まれた。

 髪の毛の水分を吸い取って枕が湿っていく。それも気にならない程、朝陽は深い眠りについた。




 ——何で居るんだ、コイツ。

 朝起きると、何故か部屋の中に将門がいた。

 お互い無言のまま見つめ合い、これは夢かと思い直して、朝陽はまた目を閉じる。

 今日から週末なので、仕事がないのが幸いだ。

「お前会社とやらに行かなくていいのか?」

 ベッドの上に乗り上げてくる気配が、これは幻覚でも幻聴でも夢でもないと訴えていた。

 動きたくもない程に腰は鈍痛に見舞われているし、股関節も悲鳴を上げている。

「何で成仏していない……? 俺、手加減してねえぞ」

「流石の俺も今回は初めて終わりを感じたぞ? 気がついたらまた此処に戻っていただけだ」

「ちっ」

 またしくった。

 心の奥底から舌打ちが出る。

 幾年かぶりに本気で霊力を放った。それなのに、祓えなかった。

 ——番関係の何かか?

 何も考えたくはないが、起き上がるなりスマホで己の頸の写真を撮った。

 一ひらも色の着いていなかった陰山桜の紋様は、一ひらだけが黒く色付いている。

 何故一ひらだけなのかは分からない。

 将門と番契約がきちんと結ばれたのであれば、全ての花びらが染まってもおかしくなかったからだ。

「何なんだよ、クソが……」

 朝陽は、地の果てまで届きそうなくらいに大きなため息を吐き出す。

「それが素面か。俺はお前が心底気に入った。俺が召される時はお前も道連れにしてやる。覚悟しておけ朝陽」

「は? 迷惑だ。一人で逝けよ」

 喉を鳴らして愉快そうに笑われる。

 後ろから抱きすくめられたが、即行で体を突き放した。

「減るもんでもないし良いだろう?」

「嫌だ」

「なら、断るのを却下する」

 ——どこの王様だよ!

 その日から朝陽は将門に懐かれ、毎晩のように夜這いを掛けられるようになった。




「あー、もういい加減成仏しろよ!」

 寝ていたベッドから自力でずり落ち、朝陽は匍匐前進でラグの上を移動する。

 将門はベッドの上に腰掛けたまま、ユルリと両目を細めて見せた。

 こうしていると良い男が様になりすぎて憎い。

「朝陽、お前が共に来るなら喜んで永眠してやるぞ?」

「無理。俺まだ二十歳だしこれからやりたい事増えるかも知れないだろ!」

「そうは言うがお前は華守人、人外としか番えんだろうが」

 言い返せなかった。

 将門が朝陽の元に来てから毎日がこんな調子だ。

 朝陽は割と本気で抵抗しているのだが、将門は遊び半分……否、楽しんでいる印象を受ける。

 朝陽としてはそれも気に入らない要因の一つでもあった。

「どうせ今日も抱かれる羽目になるのだから大人しくしていろ。それにお前、言う程嫌がってはおらんだろう?」

「嫌がってない訳じゃなくて、体力なくて先にへばるだけだ!」

「なら今日もその体力とやらが尽きて、我が妻がへばるのを待とうか」

「誰が妻だっ!」

「番になったろう? お前は俺の物だ、朝陽」

「はあ……もういい。それについてはもういい。それはそうと、お前避妊具つけろよ。ちゃんと買ってきたから」

 抱かれる事には諦めがついたらしい。朝陽はため息混じりに将門に避妊具をつきつけた。

「何だこれは」

「妊娠しない為の物だ」

「それではいつまで経ってもお前は孕まんだろうが」

「だから孕むのが嫌だって言っている!」

 今更使った所で既にやる事はやっているのだから、孕んでいたら手遅れなのだが。幸いな事に妊娠初期兆候は今の所見受けられない。

「却下だ」

 紫の炎に包まれて、避妊具が箱ごと消滅する。

「あーー! 折角買ってきたのに! アレ買うのに俺がどれだけ勇気を振り絞ったか知らんだろ!」

「そんな時間があるなら俺に構え」

 近付いてきた将門に有無を言わさずベッドの上に放り投げられる。

 首筋を甘噛みされれば、もうなす術もなかった。




 それが一週間も続けば、朝陽は段々諦めの気持ちの方が優ってきていた。

 抵抗するのは、単に己が疲れるだけで無意味だと悟ったからだ。

 朝陽は将門に抱き寄せられるままに、背後からべったりとくっつかれている。それをいい事に、将門は思う存分朝陽を愛でていた。

「随分大人しくなったな。とうとう認める気になったか」

「認めてはないけど、俺は仕事で疲れてるんだよ。更に疲れるのが嫌になっただけだ」

 単に慣れただけなのだが、朝陽はそう言ってそっぽ向いた。

 ——慣れって怖い。

 将門と出会って何度目か分からないため息をつく。

「それでいい。お前は大人しく俺に愛でられていろ」

 無理やり後ろを向かされて口付けられた。

 後ろから抱きしめられたまま、二人でまたテレビを見始める。三十分も経てば、朝陽の体からは完全に力が抜けていた。

「俺に懐くなんて……、将門って変わってるよな」

 異端者として敵意を向けられても好意は寄せられた事がない。朝陽は何だか胸の奥がくすぐったかった。

 朝陽は将門にもたれたまま船を漕ぎだす。将門はそんな朝陽の頭を己の肩に固定させるように乗せ、白くて細い首筋に顔を埋めた。

 懐くと言うよりも将門に執着され、その上で溺愛されている等、朝陽には知る由もない。

「お前の周りにいる奴らは、見る目がないだけだ」

 朝陽が会社にいる間、将門は朝陽には気付かれないようによく会社に覗きに行っている。

 朝陽は〝部屋の外〟では、笑わなければ、誰とも必要以上に会話すらしない。

 家にいる時とは違って〝普通〟を張り付けたような表情をしている。

 初めはそれを不思議に感じていたが、朝陽の特異体質が関係しているのではと思うようになった。

 朝陽は己が他人には受け入れられない存在なのだと自覚している。だからこそ他者とは距離を置き、朝陽も自ら寄って行かない。良くも悪くも、朝陽が素面のまま関わるのは死者のみだ。

 それでも死者とも好んで関わらない。

 その点では己は死者で良かったと思えた。

 出会ったその日から、朝陽は将門には遠慮がないからだ。

 物怖じしない気の強いところも、手先は器用なくせに内面は不器用そうなところも、今では朝陽自身に将門は惹かれ始めている。それと、容姿を合わせ、朝陽は存在自体がとても綺麗で尊く思えた。

 部屋の中で一緒にいると特に感じる。朝陽の持つ独特な雰囲気は包み込むように暖かく、まるで朝の陽を浴びているように心地良い。腕の中に抱き込んで離したくなくなるくらいには、朝陽の隣は居心地良い。

 名は体を表す。

 常々痛感させられる。

 本人に告げた事はないが。知らぬは当人ばかり……。

 将門は本格的に寝に入ってしまった朝陽を横抱きにすると、ベッドの上に下ろして毛布をかけた。

「ん、まさ……かど」

「不用意に俺の名を呼ぶな。犯すぞ」

 朝陽の唇に指を滑らせ、将門は呟いた。




 それからまた月日が経ち、週末を迎えて二連休になった時だった。

 滅多にならないインターフォンが鳴り響き、朝陽は顔を上げた。

 モニターで確認するとそこには祖父である博嗣が立っていて、朝陽は迎入れようと玄関まで歩く。朝陽の纏う雰囲気がいつも以上に砕けて柔らかくなる。

「誰だ、この間男は?」

 将門の眉間が不機嫌そうに寄せられた。

「間男言うな。俺のじいさんだよ」

 言わずもがな将門もついてきて、さも当たり前のように背後から抱き込まれる。振り払うのも面倒で、朝陽はそのまま扉を開いた。

「久しぶりだな、朝陽。元気そうだな」

「じいさんこそ元気そうだな」

 博嗣の視線が朝陽の背後に向けられる。将門がべったり張り付いているのだから当たり前だ。

「お前はまた変なモノに憑かれとるな。祓えばいいものを」

「祓っても戻ってくるから意味ないんだよ。気にしなくていい。俺はもう慣れたから」

「お前のその諦めの早さは心配になるくらいじゃな」

 会話しながら部屋の中を歩いて、小さなテーブルへ案内する。

 博嗣は霊の視える朝陽の唯一の理解者でもあり、血の繋がったたった一人の家族だ。そして博嗣が朝陽の元へやってくる時は大抵が何かしらの厄介ごとを抱えている時である。それが分かっているので、朝陽は自分から話を切り出した。

「で、今回は何があったんだ?」

 朝陽は三人分のお茶を入れて、テーブルの上に乗せる。

 息を吹きかけながら、朝陽は淹れたばかりのお茶を口に含んだ。

 話が早いと言わんばかりに博嗣が口を開く。

「最近、平ノ将門公の首塚から気配が消えたとワシの所へ連絡があってな。お前の会社の近くだから、塚を見るついでに何か知らんか聞きに来たんじゃ。何か視なかったか?」

 ブフッ、と朝陽がお茶を噴いた。

 背後では将門がひっくり返ってゲラゲラ笑っている。朝陽は将門を一瞥した後で博嗣へと視線を戻した。

「何だこの霊は。えらく変わった霊じゃな」

 変わってるどころか特級中の特級と言ってもいい程の変わり種だ。

「あーー。その平ノ将門公なんだけど……いるぞ?」

 何だか全てがどうでも良くなってきて、朝陽は視線をソッと横に流して言った。

「やっぱり知っておったのか! して、今何処におる?」

 興奮ぎみの博嗣が勢いよく立ち上がる。血圧が上がらなければいいが、と朝陽は他人事のように思った。

「俺が平ノ将門だ」

 背後からまた朝陽を抱き寄せて、将門がサラリと口にした。

「は?」

「コイツも言っている通り、本物の平ノ将門だ」

 博嗣は言葉も発せない程に固まっている。

「あーー。ちょっと色々あってな。勝手に将門の髪切ったり、服変えさせてイメチェンさせたけどこの通り、将門は元気だから心配しなくて大丈夫だ」

 博嗣の体が横向きに倒れた。

 


「ううう、ん」

 博嗣の呻き声がベッドからあがる。朝陽が覗き込むと博嗣の目が開いてきた。

「じいさん、目ぇ覚めたか?」

「ああ。酷い夢を見た……」

「それは大変だったな。起き上がれるか?」

 手を取ってベッドに腰掛けさせる。

 博嗣の視線が朝陽を捉え、ついでに視界に飛び込んできた将門を映した。

 ビクリと肩を震わせてまた倒れそうになった所を朝陽が支え「おーい、じいさんしっかりしろ!」と声を掛け続ける。

「た、平ノ将門公‼︎」

「おう。何だ?」

 壁に寄りかかり、片膝を立てて座っていた将門が博嗣を見た。場所を移動して朝陽の背後に張り付く。

 ——あー、どうするかな……。

 この状況下で言っていいものかどうか朝陽は悩みはしたが、どうせ倒れるなら先に言っておいた方が倒れるのも一度でいいかもしれないと思い直し、朝陽は先に最大級の爆弾を投下した。

「そうそう。将門は俺の番だった。少し前に番契約も結んだんだ。だから塚にいないのは当然なんだよ。コイツずっと俺ん家にいるし」

 この通り背後霊になっている、と親指で将門を指し示して見せる。

 博嗣はまた倒れそうになっていたが、左手を顔に当てて天を仰いでいた。

「お前は何をやっとんじゃ! 朝陽ぃい‼︎」

 怒号が飛んだ。

「平ノ将門公の髪を勝手に切ったばかりか、こんなチャラチャラした格好をさせおってからに!」

「仕方ねぇだろ、浮遊霊と思って浄霊しようとしたら将門だったんだから。その時コイツの髪焦がしちゃって切るしかなかったんだよ。俺も驚いたっての」

 嵐のような説教をくらい、朝陽も言い返しながらテーブルに移動して床に座り直す。

「おい、喧しいぞ。少し黙れ」

「申し訳ございませんでした!」

 ゼロコンマで展開された博嗣の土下座に気を良くし、将門は朝陽の腹に手を回して抱きしめ直した。頸に口付け、舐め上げる。

「将門、お前ちょっと大人しくしてろ」

 朝陽は後ろに手を回して将門の頭を撫でた。

 飼い主に喉を鳴らしている猫状態だ。目の前で広げられるイチャつきように、博嗣は言葉を失った。

 随分と長い沈黙が落ちる。

 意を決したのか、博嗣が頭を下げながら言った。

「あの……不躾で大変申し訳ございませんが、将門公、塚の方へは……」

「あ゛あ゛? 俺は朝陽のところ以外へは行かん。塚には戻らんぞ」

 不機嫌そうに目を細めた将門の言葉を聞いて、博嗣が小さく悲鳴を上げた。

「俺が責任持って将門を浄化しておくから放っておいてやってくれ」

「そういう訳にもいかんのだ。あの場所は結界の役目もあってだな……戻って貰わん事にはここら辺全ての結界の均衡が崩れるのじゃ」

「じゃあ、俺がその結界の強度を上げて張り直す。それでいいだろ? ていうか初めっからそれが目的で来たんじゃねーのか?」

 朝陽はじっとりとした非難めいた視線を博嗣に向ける。

「う……」

 図星だった。




 早速塚に行く事になり、三人で塚の前に立った。朝陽が手を翳して結界を張り直していると、将門が同じように手を翳した。

「おい、ジジイ」

「はい!」

「ここの結界の強度を底上げ出来れば俺は好きにしていいんだろ?」

「まあ、恐らくは。朝陽と番契約を結ばれてますので大丈夫かと……」

「なら、手伝ってやる。朝陽、全力で俺の力に合わせろ。お前ならやれる」

「分かった」

 倍増していく将門の霊力に合わせて、朝陽も調整を加える。

 塚を中心にして、周り一体が清浄化され、神社にいるような澄んだ空気に入れ替わった。

 結界どころか、陰の部分全てが正常化している。滅多に目に掛かれないくらいの強力な結界が完成していた。

「これでいいだろ? 帰るぞ朝陽」

 歩き出した二人に向けて、博嗣が声を上げる。

「朝陽、華守人の番契約の件で確認したい事がある。もう少し付き合え」

 そう言われれば断る理由もない。三人はまた朝陽が借りている部屋に戻り、同じくテーブルを囲んでいた。

「頸の桜の紋様を見せてくれんか?」

「別に良いけど」

 朝陽は言う通りに後ろを向いて、博嗣に頸を見せた。

「ああ、やはりな」

「何が?」

「元々は、うちの家系はコノハナノサクヤヒメという女神がいた血筋で、朝陽、お前は百年に一度生まれるか生まれんかぐらいに稀なΩ、華守人だと話したな?」

 コクリと頷く。それはもう耳にタコが出来るくらいには聞かされていた。番の話も含めて朝陽は把握済みだ。

「本来なら、αとΩの間に成立するのは一対一での契約だ。だが、お前の紋様は将門公と番っても一枚しか契約が埋まっとらん」

「それは俺も同じ事を考えていたよ。やっぱり意味があるのか?」

 また嫌な予感がしてきて、朝陽は視線を横に流す。

 聞きたいが、聞きたくない。

 脳が拒絶してきているのが分かった。

「お前の様な例はワシも今までかつて一度も聞いた事がない故 、憶測でしか言えんが、お前には後四人の番がいるやも知れん。一人につき一枚の花びらが契約で埋まるという理屈なら納得出来るじゃろう?」

「イマ ナンテ?」

 耳を疑った。

「ほう。この俺を差し置いて、お前は後四人と交わると?」

 将門の纏うオーラが不機嫌に蠢き、増えて行く。冷や汗が半端なかった。

 将門が怖くて後ろを振り向けない。

 二人から発せられる不穏な言葉の羅列など、理解したくもなかった。

 鼓膜から鼓膜を通り抜けて、そのままなかった事になってしまえばいいと切実に願う。

 朝陽は遠い目をして現実逃避を始めた。

「だから、お前には五人のαがいると言うておるのじゃ!」

「そんなにいたら俺の体持たないんだけど? 体力ないんだよ、俺は」

「成る程なぁ、この俺を股にかけるか」

 腹に回されている将門の腕に力が込められていくのが分かった。

 そのまま上半身と下半身を引き剥がされるくらいの力で固定され、息苦しい。というより、痛い。

「将門、痛い! 力を緩めてくれ。マジで痛いっての! 俺の体が千切れる」

「それも良いな。千切れたら一緒に塚で暮らすか? それなら戻ってやってもいいぞ」

 ギリギリと腹を締め上げられて、呻き声が漏れた。

「怖い事言うな! ていうか、将門お前最近言葉使いがおかしくないか?」

「お前が会社に行っている間、テレビとやらで現代語の勉強をしているからな。色々な情報も知れるしアレは暇つぶしに丁度いい」

 己が居ない間は一体何を見ているのだろう。朝陽はそっちの方が気になった。

「まー、それはアレだ。朝陽……頑張るのじゃ」

「もっと親身になってくれよっ⁉︎」

 博嗣に物凄く良い顔で言われた。

 完全に他人事の物言いだ。

「お前が次の番と絡む前に孕ませるか」

「いえ、結構です」

 これが夢であればいいと思えば思うほど、真実味を帯びた言葉が朝陽にのし掛かった。

 己の不憫な未来を思って、朝陽は心の中でソッと涙した。


→第二話へ続く

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