第26話 真実と現実2
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「それから二学期の終業式まで、こーたは学校に来なかった。当時は何も気にしていなかったけど、年が明けてからの三学期も、こーたは一度も学校に来なかった。そのことは学年全体で少し話題になったけど、人の噂も七十五日という言葉通りか、調子ノリの連中の言葉を周りが忌避したのか、二月には何の話題も上がらないようになってた。席替えでも左隅に机は固定だったし、時には掃除の後も机を下げたままで放置する時もあったよ」
口にするだけでいらいらする。自分の中までもが蝕まれているような気になる。話すことでこーたの気持ちを少しでも和らげることが出来たら、あるいは分け合うことが出来たら、どれだけよかったか。
憎しみは、平穏なゼロから不穏なイチを無限に作り出す毒だ。
こんな毒、俺だけが背負っておけばよかったのに。
「……前にも軽く聞いたけど、詳しく聞いたら生々しいな」
光里は冷房がついていない教室の中で腕をさする。
「結局、島野は小学校を卒業するまでに来なかったのかな」
「いや、洸太郎は六年生の地区児童会に二回とも参加した。六月と十月のやつ」
顎に手を当てる雪の独り言に亮が反応する。
「そう。こーたは六年生の、五月から学校に来るようになった。でもしばらくは保健室に通ってて、教室には来なかったらしい」
「らしいって、なんでそんな伝聞口調なの?」
疲れ切った様子のまどかが、隠しきれないイラつきを言葉に滲ませて俺につっかかってくる。顔色は俯いて影になっているからわからないけど、多分悪いだろう。
「俺がこーたと一緒だったのは五年生だけだったから、六年になってからはそもそも絡みがなくなったんだ。小学生の時に他のクラスに行くことなんか、あんまりなかっただろ?」
「それは、そうだけど。ごめん……八つ当たりなんて最低だね」
さらにまどかの首の角度が急になる。こちらからはまつげぐらいしか見えない。
「そんなことない。その時にまどかがいたら、こーたは救われてたと思うよ」
「……」
しばし言葉を待ったけど、まどかは黙ったまま俯いたままで、諦めて話を続けることにする。
「そこからは俺が聞いた話だけど、庵治さんが色々動いてくれたらしい。もちろん、学校でもそういう人を学校に連れ出そうとする動きはあったし、先生も黙って見ているわけがなかった。俺だって家に行ってインターフォン越しに話はしたし、手紙だって書いた。でも、結局庵治さんにしか心を開かなかったんだ。だから保護者としての庵治さんと学校でやり取りをして、何とか学校に来る習慣だけはつけられるようになった」
空き教室の外の廊下にチャイムが鳴る。先生たちには事情は伝えてくれているらしいし、多少伸びてもいいだろう。
「もちろん中学校でもそうなるかもしれなかったから、同じ中学に進む予定で、話したことがあった俺とか貞治、太一にバックアップをするよう話があった。正直、家でネット越しにつながっていたようなゲーム仲間が、外の学校でフォローをするなんて無理難題だった。でも去年、全員同じクラスになって、何とか学校で普通の生活を送れるように三人でサポートしたら、前まで見たいなところまで回復で来たんだ。最も、人間不信は治らなかったけど」
「……許せない」
大間さんがペンを置いて立ち上がる。
「あいつらだよね。変な髪型した三人衆」
半月前に会った、上辺だけのつながりの奴らの顔を思い出す。
「あ、ああ……多分そうだけど、はっきり言ってもっと数は多いと思う」
これまで聞いたことのないような剣幕で大間さんは言葉を続ける。
「あいつら、こーたの優しさを利用して、自分達のことだけじゃん。人を落とすことでしか自分を評価できないの? 私がいたらそんな思い、させなかったのに!」
「まこちゃん……」
「っていうか、そんなに話せる人がいたなら、何で皆見て見ぬふりをしたの? こたろーは一人ぼっちなのに。年明けるまで、っていうか、空けてからもずっと、こたろーは頑張って自分を守ってたんだよ。なのに、なんで」
大間さんの目には涙が浮かび、顔はかすかに紅潮しているように見えた。
「まあまあ、大間さん、とりあえず外に聞こえたらよくないからもう少しトーンダウンを」
「そんなの、泰河くんたちだって、もっと早く動くべきだったじゃん!」
甘んじて受け入れるしかない指摘を、まっすぐな目と共にぶつけられた俺は、なだめる手を引くしかなかった。当時の自分も、少し前の自分も、浅はかだった。それは俺が一番わかってるつもりだった。でもそれは違った。人に言われないと、人に自分の罪を知ってもらわないと、永遠に後ろ指を指してもらわないと自覚できない、罪の楔があった。
こんな時に安心してしまう自分が、苛立たしかった。
「ちょっと、真心」
光里の制止も叶わず、大間さんはさらに続ける。
「第一、なんで庵治さんだけなの? お母さんとかお父さんとか、もっと、こたろーを支えてあげる人がいたはずなんじゃないの?」
俺はその言葉に、思わず息を吞んだ。
瞳孔の奥に、その現実をまじまじと突き付けられたような感覚になる。
俺のことじゃないのに。
そうだ、皆は知らなかった。
どこかでしれっと聞いているものだと勘違いしてた。
「……え?」
俺の表情の変化は昔からわかりやすいと言われた。
冷静さを取り戻しつつある大間さんは、場の沈黙に耐え切れず声を漏らした。
「……」
俺が言っていいことなのか。
あえてこーたが伏せているなら、俺はとんでもないタブーを犯そうとしている。
でも、今言うべきだ。
「……あいつの親は、亡くなってるんだ。二人とも」
重い空気がさらに重く、ヒートアップした空間が嫌な寒気に包まれた。
正直、このことはいずれ話さないといけないことはわかってた。
俺がその責任から、プレッシャーから逃げるために、考えないようにしてた。
こーたの状況がどれほど難しいかを伝えるキーフレーズになるけど、今後立ち直った後のこーたに接する人にとってのキラーフレーズにもなるのだ。
ある意味、俺は大間さんに感謝しないといけない。最低だ。
「……え?」
「……!」
今度は光里とまどかが声を漏らす。
「おい泰河、言ってよかったのか?」
「まあ、遠くない未来に聞いてもおかしくないことだし、このことを知らないと、あいつの今を救うことはできない。亮はそれも知ってるから、ここに呼んだまであるよ」
「……そうか」
「厚村は知ってたの?」
「俺は、一回本人から聞いたことがあるんだ。地区児童会の集団下校で、最後に二人だけになった時にそんな会話が起こって」
「……そうなんだ」
雪は顎を触る手をぶらんと下に降ろし、何かに気づいたように顔を上げる。
「え、じゃああの喫茶店の店長は? 島野のお父さんがやってるんじゃないの?」
「……あれは叔父にあたる人だ。あまりに小さい頃に亡くなったから、引き取ったらしい。お父さんと呼んでいるのは小さい頃にそう呼ぶよう言われて、習慣がついたんだと。店長をやってるのは仕事の傍らで、普通に会社員をやってるらしい。」
「……前に島野とそんな話をした時に、確かに早く話を切り上げたがってた気がする。話すこと自体嫌だったんなら、私は悪いことをしたな」
「……そうか」
段々会話のテンポが落ちている。廊下の遠くで生徒の話し声が聞こえる。
そろそろ先生が帰るよう促してくる頃だろう。
「だから」
頼みを言いかけた時に、教室のドアがガラガラと開いた。全員の目線が集まった先には、予想外の来客が逆光の中で立っていた。
「庵治さん……」
まどかが泣きそうな声で、予想外の来客の名前をつぶやく。
「こんにちは。ここで話してるって先生に聞いたから、様子を見に来たんだけど……その雰囲気を見る限り、もう大方泰河くんから聞いたみたいだね」
「……庵治さん、すみません。ちょっと喋り過ぎました」
「ううん、いいんだよ」
庵治さんはゆっくり俺の元に歩み寄り、頭をポンポンして抱きしめてくれた。あの喫茶店の匂いと、今俺なんかに向けられるべきではないあたたかみを感じる。
堪えていた涙が、庵治さんの服に染みを作る。少し震えている、親の次に頼りがいのある大人の体が、よりそれを増幅させる。
「皆にお願いがあります」
しばらくしてから俺の後ろで組んだ手を離し、皆に向きなおった庵治さんは頭を下げた。
「どうか、洸太郎くんをよろしくお願いします。あと、何かできることがあったら、やってもらって大丈夫だから。話を聞いた皆なら、任せられる」
「俺からも、頼む」
俺はなるべく低く、頭を下げた。誠実さを伝える角度が九十度以上あればいいのにと強く思う。
「……俺ができることは少ないけど、物を運ぶくらいならやるよ。泰河も部活で磯井がしい時期もあるだろうし。家のポストに届けるなら、もはや俺がやった方がいいまである」
「私は、家とか遠いと思うしクラスも違うけど、できることを考えてみる。島野のことを何も知らないし、きつく当たってた気がするから、まずはそこから変えてみる」
「……前に友達とやった花火、まだ残ってるから、あいつ引っ張り出してみんなでやるか」
亮の言葉を皮切りに、雪と光里も続く。まるで順番に意思表明をさせているようで早く切り上げようと言葉を探していると、大間さんが椅子を後ろに倒しながら立ち上がった。そんなに時間は経っていないはずだけど、久しぶりに動いたような気がした。
「私は、嫌な奴を何とかする。皆の名前出して、復讐する」
「復讐って、何もそこまでしなくても」
「だったら何をするの。こたろーのことを蔑ろにして。泰河くんだって縁切ればいいじゃん。少なくとも、私は結ぶ前に燃やすけど」
大間さんの印象が、ここ数日間話すようになってからがらりと変わった。こーたもそういう大間さんを見ていたのかもしれない。結局、俺が見ている人とこーたが見ている人は違うどころか、全くの真逆なのかもしれない。
まだまだこーたのことを俺は知らない。何ができるか、自分でもわからない。
そんな考えを頭の中で回していると、最後の一人が下を向いたまま立ち上がった。
「私はこーた君に謝らないといけないことがたくさんある。謝ろうとしても、またこーた君に迷惑をかけてしまうのはわかってる。でも、もう逃げないって決めた。だって、感謝したいこともたくさんあるから。話したいこともたくさんある。行きたい場所だって、やってみたいことだってたくさんある。私の人生に、こーた君は必要なんだ。一生を何回かけても見つからないくらいの、かけがえのない、友達。だから……」
まどかが上げた顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
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