第24話 静寂と勇気
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「すみません、遅刻しました」
「あ、大間さん!」
走って学校に着いたのはいいものの、裏門での手続きや生徒指導の先生に軽く叱られたこともあり、私が自分の教室のフロアに着いたのは、ちょうど一時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った時だった。そのため、別の教室で授業をしていた担任の先生が出てくるところと鉢合わせてしまい、私の名前が誰も出てきていない廊下に響いた。
「先生、声大きいです」
「それは、ごめん。でも心配したんだからね。怪我はない?」
「そんなに過保護にならなくても大丈夫ですよ」
焦る先生のことを、ちょっとかわいいって思ってしまう私は、不良適正あるかも。
「でも、ごめんなさい」
「……教室入れる?」
「じゃあ私はどこに入るんですか」
私は他の生徒が続々と廊下に出てきたのを見て、先生をよそに、その身軽な群衆にリュックを背負って突っ込む。何人か―――というか、ほとんどの人が私のことを見ているけど、そんな物珍しいものでもないでしょ。そんなにみんなは遅刻することをレアイベントとして見ているのか、それとも皆、皆勤賞を神聖視しているのか。
「あ、真心じゃん。今日も遅刻?」
雪ちゃんが奥の教室から出てきて、こちらに駆け寄ってきた。
「中学じゃそんなにしてないでしょ」
「そんなに、ね」
「全くもう。皆騒ぎ過ぎ」
「なんで遅刻したの?」
「公園にいた」
「……らしいと言えばらしいか」
「じゃ、また」
「うん。またね」
私が雪ちゃんとの会話を終えて、教室に入る頃には廊下の群衆はすでに散っていた。
「おはよう、大間さん」
「おはよう」
前の席に座る眼鏡の男子―――宮木も最近話しかけてくるようになった人の一人だ。とはいえ、宮木はこのクラスの室長で、広く色んな人に話しかけているのを見ていたから、その順番が来ただけだと思う。でも、多分話しかけてきた理由はそれだけじゃない。
「寝坊?」
「ううん。公園にいた」
「そ、そっか……」
あからさまに引いてる。いや、これが普通の反応か。
「今日は、その、いい天気だもんね」
「うん。でもちょっと暑い」
「もう九月なのにね」
「……」
「その、島野と仲良かったよね。最近休んでるの、何か知らないかなって」
「知らない」
「体調崩してるの?」
「……」
私たちが違和感に気づいてから間もなく、この男子は近づいてきた。結構正義感が強そうに見えるし、先生にも何か言われたのかもしれない。
いや、あの先生はそんなことしないと思う。多分勝手に聞き出して、勝手に動こうとしてるんだろう。もちろん、私は言いふらしたいなんて思わないし、泰河くんたちの反応を見ていてもそうするべきではないことはわかっていた。
「もし、何かあったら言って欲しい。僕も動けるし」
「いや、動かなくていい」
ああ、こんな返事じゃ肯定してるのと一緒だ。でも、この男子には勝手に動いていきそうな危うさを感じる。私達の関係で救えるかどうかわからないものが、勝手な正義感で救えるはずがない。
「……あ、そうだ。この際」
「おい宮木。やめとけって」
空いた席を挟んで奥にいる男子が助け舟を出してくれた。名前は覚えてないけど、こたろーに優しくしてたイメージがあるし、多分味方だ。でも、頼るかどうかはわからない。一応名前だけでも名簿見て覚えようかな。
「でも」
「授業始まるし、ほら、あっち」
宮木が見た方向で、壁掛け時計がカチッと二時間目開始の時間を差した。間もなくチャイムが鳴る。
「やべっ」
根は真面目なんだろう。融通は利かなさそうだけど。
安堵の息をついて目線を下げると、キリちゃんがとんでもない目でこっちを見ていた。私に目線がぶつかっていないことを考えると、そういうことなのだろう。
確かあの二人は同じ小学校から来たはずだけど、別段仲がいいわけではないみたい。
*****
「あいつ、本当にめんどいよねー」
昼休み、一歩間違えればいじめにつながりかねない言葉が、偶然居合わせた女子トイレの手洗い場でキリちゃんの口から出てくるとは思わなかった。
「真心ちゃんも嫌だったら言ってやってもいいのに」
「ううん。私、なんとなくわかるの。ああいうタイプの人と会話が噛み合うことはないって」
「結構痛烈だねー。もしかして、私は噛み合うタイプー?」
「……考えたことなかった。でも嫌じゃない」
「だったら嬉しいなー」
のほほんとした雰囲気のキリちゃんは、女子トイレを出た所の壁に背中を預ける。
「私もね、真心ちゃんかわいいって思ってるよー」
「別にかわいいとか言ってない。かわいいとはおもうけど」
「ありがとー。でも、多分最近は疲れてるだろうし調子も悪いと思う。もし何かあったら言ってねー。何かをやるってことはないと思うけど、癒しにはなるよー」
「……癒しって?」
「うーん。わかんない。癒し系って言われることが多いから、癒せるんじゃないかなーって」
知ってる。こういうの、天然っていうんだ。
「うん。わかった」
「キリちゃーん」
「はーい」
ちょうど話の腰が折れたところで、キリちゃんは廊下の奥の方で呼ぶ女子の方にふわふわ歩いていった。変なオノマトペだけど、これが一番合うと思ったんだ。
教室に戻っても、まばらなクラスメイトの視線がこちらに向くことはなかった。昼休みにもかかわらず、そこまで人が残っていないことには色んな理由があるんだろうけど、うちのクラスに多い野球部のミーティングの招集がかかっているのが一番の理由だろう。さっき教室に入る時に廊下でそんな声が聞こえたし、キリちゃんと話している間にぞろぞろと人が出て行くのが分かった。
「はぁ……」
教室の隅の席で、机に顔をうずめる。最近では珍しく、周りには誰もいない。一人で顔をうずめるのも、結構久しぶりかもしれない。
学校は結構忙しい。ただでさえ授業だけでも忙しいのに、来月には体育大会も来る。それに教室の中でも外でも、色んな人と話す。
学校に来たら何かできると思って来たけど、自分のことで精いっぱいだ。
そこにこたろーの顔を思い浮かべたけど、その隣に笑うもう一人の顔が私の意識を覚醒させた。
「……あ、そうだ、泰河くんの所に」
立ち上がった時、誰も予想していなかったタイミングで、スピーカーからあの音が流れた。
―――ピーンポーンパーンポーーン……。
『生徒の皆さんに、連絡します』
「え、真壁ちゃんじゃね」
「だよね。珍しい」
真壁ちゃん、とは私たちのクラスの担任の先生、今朝廊下で鉢合わせたあの人だ。大体校内放送を流す先生は固定化されており、スピーカー越しに声を聞くことがなかったため、少しざわついている。
『本日の午後、緊急で職員会議を行います。そのため、五時間目は自習とし、その後掃除をせずに、下校となります』
教室の中から何とも言えないざわつきが、そして廊下から喜びの声が起こった。
「……まさか」
こたろーのこと?
「まこちゃん!」
教室の後ろから、肩で息を切らすまどかちゃんが私の名前を呼んだ。
その雰囲気につられて、私は小走りで廊下に出る。
「まどかちゃん、どうしたの?」
「私達、この時間を使って話し合えるか、相談しようと思うんだけど、まこちゃんも来てくれる?」
「この時間って、自習時間のこと?」
「うん。先生も事情を知ってるんだろうし、たぶんいけるよ」
「え、でも」
「ちょっと待ってて、他の皆にも聞いてくる」
まどかちゃんは小走りで自分のクラスに帰っていった。小学校の時からまどかちゃんはそそっかしかった。中学に入ってからあんな姿を見せることは少なかったのに、最近はやたら多い気がする。何かきっかけになることでもあったのかな。
……いやいや、今はそれどころじゃない。
自習時間で話し合うのはいいと思う。でも、この職員会議ってこたろーのことを話すんじゃないのかな。いや、他の学年でも何か起こったのかもしれないし、そっちがメインの可能性だってある。でもこの機に何か対処法を勝手に決められる可能性だってある。無理やり引っ張り出すなんて、自分がされたらって考えると寒気がする。
―――洸太郎くんには、今自分と向き合う時間が必要なんだ。
必要な時間だって、多分私よりこたろーのことを知っている庵治さんが言ってたんだ。
―――そんな彼のために、大間さんは何がしたい?
他の人なんか関係ない。私達にも考える時間は必要だ。
「まこちゃん! 皆賛成だったから、今から言いに行こう!」
「うん!」
私達は勇気の駆け足で廊下を進んだ。
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