第23話 約束と思い出
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「あれ、『CLOSE』?」
思ったより先生との話が長引いたものの、泰河くんとの約束通り喫茶店に来たけど、定休日なんてことがあるのか。それとも、やっぱり五時四十五分は遅すぎたのかな。
「こたろー……」
私だって、彼に言いたいことは山ほどある。
でも、もし彼が私に言いたいことがあるんだったら、嫌になるほど聞いてやる。
先生に普段何を話してるのか聞かれたさっきも、くろころの話題を除いてもたくさん思い出が矢継ぎ早に出てきた。思い出の数だけ、あるいはそれ以上に彼は私に対して思うことがあるはずだ。
「あ、大間さん。待ってたよ」
「わっ」
音を立てずに目の前のドアが開いたことに驚くあまり、危うく尻もちをついてしまうところだった。上を見ると、ドアについていたはずの鈴はなくなっていた。
「たっ、泰河くん?」
「うん。ごめんね。ちょっと今日は貸し切り」
かかとでなんとか踏みとどまった私は、こっちこっち、と手招きする泰河くんに案内されて店内に入った。その言葉通り店内はがらんとしている。こんなメランコリーな気分に、黄昏時の紺色に包まれた店内は堪える。
以前とは違うテーブル席に案内され、向かいに座った泰河くんが机の上のお冷を差し出してくれた。グラスの外側の湿り気が、いかに待たせてしまったしまったかを感覚的に自覚させる。
「まあ、まずはお水でも飲んでよ。多分走ってきたでしょ?」
「うん。もう二人は帰っちゃったんだよね」
「ああ、ちょっとまどかが体調悪くて。それにもう遅い時間だし。大間さんの方こそ大丈夫?」
「うん。親から電話かかってくるまでは」
「それ大丈夫って言っていいの……?」
大丈夫だ。きっと彼の苦難に比べたらこんなもの蟻程度だ。
「庵治さん、大間さん来たよ」
「はーい」
厨房の方から返事が来てから間もなく、カウンターの所から庵治さんがこちらにやってきた。以前に見たエプロン姿ではなく、プリントTシャツの下にジーパンを合わせた、いかにも私服といった姿だった。それでも雰囲気はかっこよく目に映った。
「先生から聞いたよね」
「うん」
「どこまで聞いた?」
こたろーの小学校の頃の話を聞いたけど、泰河くんはそれが、おそらく何重にも重なったフィルターを通したものであることをわかりきっているようだった。
「昔は底なしに明るい子で、よく公園で友達と遊んでいた。教室でも普通に過ごしていた。でも五年生のある時、急に学校に来れなくなった。いじめがあったとは断定できない状況だったけど、彼にとって小学校の思い出はトラウマのようなもので、思い出すこと自体ストレス。それから徐々に通うようになってきたけど、登校しては休んでの繰り返し。中学校から心機一転して、毎日通うようになった」
「……ありがとう」
私が聞いたことの概要を伝え、泰河くんは一言感謝を述べた。
「まあ、先生は悪くないと思うけど、結構ざっくり聞いた感じだよね」
「うん、先生も軽くしか聞いてないって言ってた」
「それを聞いて、大間さんはどう思った?」
泰河くんの隣に座った庵治さんは、優しい声で私に尋ねる。
「許せないと思った。でも、誰に怒ったらいいのか分かんなくて、どうしようもなかった。とりあえず、いい気分はしなかった」
「……そっか」
「そのストレートな物言い、大間さんらしい、んだろうね」
何を考えているのかわからない顔で頷く庵治さんの隣で、泰河くんは他人事のように私の感想に講評を付ける。
「そうなの?」
「まあ、多分そんな大間さんのことを一番知ってるのは、他でもないこーただったろうし。それに、大間さんはすごく芯が強いんだろうなっていうのはわかったよ。だってこの話、聞く前にすらメンタルやられちゃった人もいるぐらいだし」
「……そうなの?」
よっぽど感情移入してしまったのかな。その人とは手を組んでこの問題を乗り越えられるだろう。
「大間さんは、こーたのことどう思ってる?」
こたろーの顔を思い浮かべる。
「こたろーは、とても大切な友達。たくさん話したし、一緒に色んな所に行ったし、二人だけの秘密もある。それに、優しい。私が子ども過ぎるって悔しくなるぐらい、こたろーは大人。だから今回のことも、きっとこたろーが思いつめちゃったんだと思う。私が悪いのに」
彼は常に私の前で笑っていたわけじゃない。でも、私の脳裏に残っているのは、笑顔のこたろーばかりだ。だからこそ、私も反省しないといけない。
「最後のはさておいて、大間さんは多分、俺と同じくらいこーたのことをわかってる。同じくらい、だけど」
「そんな得意気に言われても」
「ふん」
泰河くんのこういうところが、こたろーがやかましいって言ってた要素の一つなんだろう。そもそもこんなに一対一で話したことがなかったから、よりその言葉に納得する。まあ、庵治さんもいるけど。
「もし大間さんが聞きたかったら、その小学校の時のこと、俺の視点で話すけど」
「教えて!」
「わっ」
身を乗り出して泰河くんを見下ろす形になる。私にはこのことを知る義務がある。そうとまで思ってしまう。きっとこれが子どもっぽさなんだろう。もしかしたらこの知りたがりが、好きな人の悩みを何でも知っておきたいって思う心が、こたろーのことを締め付けていたのかもしれない。
でも、私は子どもだから、そんなの気にしない。気にしなくていいって、一度言質を取ったんだから。他でもない、こたろーから。
「わかった……けど、そのスマホ大丈夫?」
「えっ?」
私は右後ろ―――テーブルの壁際で震えるスマホに気づく。画面には『お母さん』の文字があった。
一瞬迷ってから、通話拒否のボタンを押す。
「……大間さん?」
「……」
やっぱり話過ぎたんだ、先生と。
「大間さん。今晩空いてる?」
「今、多分帰って来いっていう連絡が来たんだけど」
「ここで話すんじゃなくて、メッセージのボイチャあるじゃん。それでよければ話すけど」
「じゃあ」
いや、待って。こんな大事なことを、面と向かってじゃなくてスマホ越しで?
それでいいなら、今すぐこたろーに連絡したい。未読のまま放置されるメッセージなんかじゃなくて、スマホに書き換えられたものでもいいから、こたろーの声が聞きたい。
「……ううん、大丈夫」
「そう? わかった」
「ううん、こっちこそ、来るのが遅くなってごめんね」
私はお冷をグイっと飲み干して、スマホを手に取る。
「じゃあ、また明日」
「……うん」
私は喫茶店を出て、帰路に就く。
学校でも喫茶店でも色んな話を聞いたけど、得られた情報はそんなに多くない。
やっぱり本人に聞かないことには何もわからない。
「……こたろー」
二人で商店街を巡ったことを思い出す。
進路について悩んでいた時に、まずはみっちゃんやまどかちゃんに相談した。でもクラスで友達作れって言われて、その時にちょうど話したばっかりのこたろーを誘った。行く先々で冷やかされたけど、二人きりだったから分かり合えたイベントだった気がする。
二人でショッピングモールで残ったことを思い出す。
私は彼にひどいことをした。忘れられてただけ。ただそれだけでカッとなって連れまわして。偶然出会ったおばあさんに言われた言葉を思い出す。
―――大切な友達なんだったら、素直にならないといけないよ。今の関係未満になりたくないのなら、ね。
二人で海で話したことを思い出す。
初めてあだ名で呼んだ私。私のこともあだ名で呼んで欲しいなって今でも思うけど。帰り道の電車、隣が君だったから肩に頭を預けたんだ。
でも結局一番色濃く思い浮かぶのは、二人でくろころを可愛がった、あの公園の風景だった。
いつも通り日記は書こう。今日のことを、後から彼と振り返ることができるように。
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