第22話 可能性と弱さ

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「……で、先に集まって三人で話す予定だったのに、間違えてちゃんとした集合時間を伝えてしまったと。しかも私たちがこの喫茶店で集まるって話だったのに、学校で集合して行くって、万が一真心が間に合った時待ちぼうけになるところだったでしょ」


「本当にごめん。なんだかよくわからないけど、俺がこっち側になることはないと思ってた」


「本当によくわからない」


 ぷんすかしているみっちゃんに平謝りをする泰河くん、という光景は、塾に二人とも通っていた時期に結構頻繁に見ていたものだった。二人が塾をやめてから少し寂しかったけど、中学校に上がってからはそのやりとりがまた見られるんだって楽しみにしてた。でも、学校では二人ともそれぞれの顔があるのかそんな夫婦漫才は頻繁には見られなくなった。ましてや、ここまで一方的なものは久しぶりだった。


「まあまあ、いいじゃん。偶然先生がまこちゃんを足止めしてくれることになったんだし、今からでも遅くないでしょー?」


「それはそうだけど。それより、私たちがここに来るのは大丈夫なの?」


「大丈夫。そういえばお前は来たこと無かったんだっけ」


「うん。この前大学生みたいな人に島野を預けて、その時にもらったカードに店のことは書いてあったけど、もらってからまだ一週間も経ってないし。少し前に、父親が喫茶店のオーナー、いや、店長だったっけ。そういうのやってるって話は聞いたことあったけど、場所まではその時聞いてなかったから」


「ここはいい雰囲気の喫茶店なだけで、別にこーたの家じゃないから。多分、ここに来ることはないと思う」


「そもそも他のお客さんもいるんだから、別に私たちが来てもいいでしょ」


「……いや、それは違うんじゃない?」


「え?」


 みっちゃんは顎をさすりながら、出してもらったお冷を一口飲んでから、不意を突くような言葉の続きを話す。


「私たちは確かに、島野のことを良い奴だと思っている。でも、島野の目線では私たちはそう映ってないかもしれない。特に私は、そう思ってる」


「思ってるって、まさか光里は自分がその一因だって言いたいのか?」


「その可能性があるってだけ。ほら、そもそも私は結構当たり強いし、知らないうちに傷つけてる可能性だってあるから」


「みっちゃんってあんまり自分の行動顧みないタイプだからねー」


「……向こう見ずとでも言いたいの?」


「さあ、どうかなー」


 私はお冷のお代わりを注ぎ、ついでに向かいの泰河くんのコップにも水を足す。


「ありがとう。でも、今の二人みたいなプロレスも、こーたは大体自分でリングの中にタオルを投げるタイプだからなぁ」


「……言い返せないのが悔しい。でも前に話した通り、本人の口からは私たちが原因ではないって聞いたよ」


「え、その話初耳なんだけど」


 初めて聞く情報に思わず、持ち上げたコップを落としてしまう。水が誰もいない通路の方にぽたぽたと流れていった。


「あ、ごめん」


「全く、何やってるんだか……」


 文句を言いながら、自分のおしぼりで机を拭いてくれるみっちゃんの優しさは、きっとこーた君にも伝わってると思う。


「まどかは確かその時いなかったはず。放送委員の昼の放送に行くって走ってったし」


「あ、あの時に話してたのー!?」


 月曜日に急に休んだ子の代打で昼の放送を担当することになって走った時に、廊下で三人が話しているのを見たのを思い出した。肝心な時に休むんだから、あの子は……。


「そ。じゃあ改めて話すから」


 みっちゃんは先週の金曜日のことを話し始めた。



**********



「全く、なんでじゃんけんで勝ったのに買いに来ないといけなくなんだよ……」


 夏休みも終わったけど、基本的に私は部活と大会と部活と自主練と宿題と…………。


「ああ、なんか泣けてきた」


 でも、今年は海に行ったからかなり充実したように感じる。あんな風に遊べるなんて思ったことなかったし、まさか日焼けがこんなにひりひりするものだったなんて思いもしなかった。日焼け止めを念入りに塗っていた二人が正解だった。でもこの日焼けも思い出みたいに思えて、肌が強すぎる人じゃなくて良かったと思えた。


「あいつら海誘った時は来なかったくせに夏らしいことしたいって手持ち花火って。再来週の週末に花火大会あるんだからそっちに行けばいいのに」


 周りに人もそんなにいない中、ぶつぶつ呟きながら半額で売られていた手持ち花火とろうそくの入ったエコバッグを見る。


「あいつら、花火大会誘ったら来んのかな……」


 泰河は来るだろうけど、他はどうだろうな。島野は読めないし真心は嫌いって言ってたっけ。まどかは……定期演奏会か。っていうかそれと被ってるならだれも来ないじゃん。


「……ん?」


 そんなことを考えていると、タイムリーな人影が駅ビルに駆け込んでくるのが目に入った。


「……あれ、島野?」



**********



「―――で、それから真っ青な顔した島野にコーヒーを渡して、私たち一人一人の名前を出して聞いて、それからイケメンが来て連れて帰って、私はしばらくボーっとして、帰った。そんな感じ」


「……なんか前話した時より結構端折ってない?」


 初めて聞く内容だけど、なんとなく後半が大幅にカットされた気がする。というか、花火のくだりはいらないよね。


「上手くまとめたって言ってくれない? で、ここからが本題なんだけど、確かに島野は私たちのことを大切に思ってくれている。でも、もしかしたら私達に見放されたとか、裏切られたとか、そう感じた経験が積み重なってしまって、っていう可能性があるかなって思って。あくまで可能性の話ね」


 みっちゃんはとにかく念押しで『可能性』という言葉を使っているけど、逆にゼロパーセントではないと強調しているように聞こえて仕方がなかった。


「それに、泰河の名前を出した時、ちょっと言い淀んでたし」


「え? それは俺が初耳なんだけど」


「みっちゃん、私達に話した二回で本当に全部話したの?」


「あの時は給食の配膳があったから、軽く話すしかなかったんだよ。それに悪いけど、私も四六時中、島野のことを考えていられるわけじゃないから」


「で、言い淀んでたって、こーたは何を言ってたんだ」


「たしか、『違う、きっと違う』とか言ってたっけな。ニュアンスはそんな感じ」


「……見られたか」


 泰河くんはため息をついて首を横に振る。


「見られたって? 泰河くん何してたの?」


「いや、まあ、これを話すと長くなるんだけど、でもこれはごめん。流石に大間さんにも伝えないといけないことだから、後回しにさせてくれない?」


「何それ、それが原因なら先に言うべきじゃない?」


「まあまあみっちゃん落ち着いて。多分そんなに大事なことなら、泰河くんも何回も言いたくないはずだから」


「大事なことだから何回も言わないといけないんじゃないの?」


「ちょっとみっちゃん」


 みっちゃんが席を立ちあがりかけたところを、周りを気にしながらなんとかなだめる。一応お客さんも前来た時より多いし、ここで事を荒立てるのはもっとよくない。


「……じゃあいいけど」


「君たちー、もう少し店内は静かにね」


 頃合いを見計らったかのように、若い女店員―――徳松さんがオレンジジュースを三杯机の上に置く。


「ごめん、徳松さん。光里がやかましくして」


「何を」


「こら、みっちゃん」


 みっちゃんはたまにこうやって叱らないと狂犬みたいに止まらなくなる。でも叱られてしおらしくなってるところが可愛いんだけど。


「泰河くん今日もありがとうね」


「いえいえ。親友のためなら何でもしますよ。やっぱり庵治さんは今日来ない感じですか?」


「うん。小学校の時より結構こたえてるって聞いてる。私も見たことなかったから、ちょっとね。」


 徳松さんも胸の中に重りを詰まらせたような顔をしている。


「でもね、なんか怖いの。本人は平然としてるから、何が問題なのかが分かんないんだよね。庵治くんも苦労してるみたい」


「そうですか。心配をかけてしまってごめんなさい」


「なんで君たちが謝るのさ。それに……」



 私は彼と向き合えるだろうか。

 私は彼のことを大切に思っている。

 でも信頼し合えると約束した私たちは、全然互いのことを知らない。


 知るのが、怖い。


 全部を泰河くんたちに任せてしまうのは簡単だ。

 でも、そうしたら彼にとっての私は?

 彼が乗り越えたとしても、私はそのハードルの横を通っていることになる。何も障害のない道に逃げた私は、困難に向き合った彼と顔を突き合わせる資格があるのだろうか。卑怯者だって嫌われるかもしれない。


―――吉村さんといると、すごく安心するんだ。

――――――でも、もっと僕も頼られる存在になりたいから、その……。


 まだ一か月も経ってないのに、遠い記憶の様に感じる彼の泣き顔が、過去から訴えかけてきているような気がした。



「……か! まどか、まどか!」


「……はっ、え?」


 我に返った私は、肩に手を置く目の前の親友の顔を見る。


「どうしたのまどか!」


「え、私は大丈夫だけ、ど……」


 頬に渇いた涙の跡と、それを上書きするように流れる涙に気づいたのは、光里ちゃんの親指が私の目尻をぬぐった五時二十五分だった。


「まどか、多分ゆっくり休んだ方がいい。多分俺たちの話を聞いてなかっただろ?」


「……話って?」


「……そういうことだ。また今度話すから、もう時間だし帰ろう」


「え、私はどのくらい話を聞いてなかったの?」


 まるで時間感覚がない。そんなに長い間考え込んでいたようには思えなかったし、そんな自分が信じられなかった。


「まどか!」


 席を立った光里ちゃんがこちらに抱き着いてきた。恥ずかしさを紛らすように周りを見ると、さっきまでいたお客さんが誰一人残っておらず、夕日が入り口のガラス扉を突っ切って差し込んでいた。


 そうか、私はあまりにも弱いんだ。

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