第14話 夜話✕2
夏の終わりにもなりつつあるけど、まだ今年の夏は暑い。夏の前でも暑かったのに、まだ熱気は地球を包み続けたいようだった。それでも日はだんだん短くなっていて、さっき通った時には馴染んでいた外灯の光が、今では暗闇に眩しく光る。
(そういえば、大間さんは夏休みの間はくろころの所に行っているのかな)
黒い空にその面影を想像することは難しいけど、あの黄色い目を星に重ねるのは容易い。僕は時折気にしつつも、結局思い出しては忘れての日々だ。でも大間さんはきっと気にかけているんだろう。なんせ、連絡先の写真が明らかに最近撮ったであろうくろころの写真に変わっていたし、きっとたまに会っているのだろう。大間さんは猫好きだし優しいし、くろころも会えて嬉しいはずだ。
「あれ、島野くんだ」
一人思いにふけていると、聞きなじみのある声が聞こえた。どうやらもう駅の近くまで来ていたみたいで、いつの間にか辺りには人がそれなりにいた。その中に、黒い半袖シャツに長い白と黒の水玉のプリーツスカートという出で立ちの友人が目に入る。
「あ、吉村さん、久しぶり」
僕が手を振ると、吉村さんはこちらにとことこ歩いてきた。外灯の光に照らされた吉村さんは、どこか疲れた様子で重そうなリュックを背負っていた。
「久しぶり。なんだかんだ喫茶店以来だもんねー」
「そうだね。塾帰り?」
「うん。今日は授業多かったぁ」
「何時間あったの?」
「えーと、十五時からだったけど、休憩もあったから……大体三時間。でも受験生はもっと長いし、自習時間も指定されるんだって」
「うわぁ……」
「なんだかんだ皆、別の塾に乗り換えちゃったし、孤独な戦いを強いられているんだよねー。ほら、君の親友とか」
「あー……」
吉村さんは拳を握り、思い浮かべているであろうあの人の顔に怒りの感情を向けているようだった。
「島野くんは、いつから塾に入るつもりにしてるの?」
「僕が? うーん……」
受験が近づくと塾に入るもの、そんな漠然とした認識があったものの、結局いつから通いだすのか、そもそも通うかどうかすら決めていない。僕の場合は、通えるかどうか、が一番の論点になりそうだ。でも、少なくとも今はその必要性は感じていない。
「三年生からは学校で希望制の補習があるらしいから、それで十分なら行かないかも」
「そうなの? すごいねー」
「そんなことないよ。でも、自分の状況を掴んでからじゃないと、考えるのも難しいかも。夏休み明けに先生に相談してみようかな」
「島野くん、頭いいもんね」
「吉村さんほどじゃないよ」
「嘘だぁ。毎回私と競り合ってるの、知ってるんだからねー」
「見てるんだ」
この前の期末が皆を意識して迎えた最初のテストだったけど、吉村さんの名前は載っていたものの本人が見ている所を見たことはなかった。
「見てるよー。結構気にしてる。君に負けないようにしようって、前の期末は頑張ったし。数学しか勝てなかったけどね」
吉村さんはリュックサックを降ろして、少し壁側に寄った。僕も斜め掛けカバンを足で挟み、同じように壁側に寄った。
少なくともうちの門限は無いようなものだし、吉村さんも色々話したそうだ。
*****
「そうだね。でもそれがいいと思うんだけど…………ふわぁ」
思わず出た欠伸を隠そうと手を持ってこようとしたけど、少し間に合わなかった。
「ふふっ、眠そうだねー」
「ごめん。話してるときに欠伸するなんて」
「いいの。それだけ気を許してくれてるってことだから」
吉村さんは後ろ手に組んだ手を顔の前に持ってくる。
(欠伸移ったのかな)
「……あ、あんまり見ないで欲しいんだけどー」
「眠そうだね」
「ふーん、言うじゃん。私は仕方ないの。ずっと眠いの我慢しながら授業受けてたんだから。島野くんの方こそ、ただゲームしてただけなのに眠たいのー?」
「だって疲れたし、それにご飯も食べたから眠くって。でも、帰ってからは夏休みの宿題やらないといけないなーって思ってるよ」
「それ、やらないやつでしょー」
「いや、ちゃんとやるよ」
「ふーん」
吉村さんはニコニコしながらこっちを見ている。いや、ニヤニヤの方が正しいのかも。
「じゃあ、そろそろ私行くねー」
吉村さんは顔の片側をくしゃっとゆがませて、足元に置いていたリュックを持ち上げた。
(重たそうだな……)
「あ、あの、えっと」
「ん、どうしたの?」
「その、もしよかったら、も、持とうか?」
「ん、これを? いいよ別に。背負い慣れてるから」
「あ、ごめん」
「ううん、ありがとう。じゃあまた……あ、海来るんだよねー」
「え、うん」
「楽しみだね。じゃあまた海で!」
吉村さんが曲がり角に消えるまで、僕は背中を見送った。
今度こそ帰り道だ。腕時計によると、時刻はもう八時を回っていたようだった。想像以上に吉村さんを引き留めてしまった。もし門限を破らせていたら謝らないといけないと思いつつも、ちょっと悪いことをする青春の楽しみをかみしめる自分が少し嫌だった。
僕はカバンを改めて肩に掛け直し、駅のより人の多いところに歩みを進める。世間的には明日からお盆休みということもあって、駅前はさっきよりずっと人が多くなっていた。人通りが多いとはいえ、駅まで来たタイミングで、二回ともで知り合いと会うなんて結構な確率だと思う。そういえば、貞治と吉村さんは同じ塾に通っているのだろうか。二人とも結構な荷物を持っていた気がしたけど、吉村さんの方が若干多かった気がする。
―――ブー…………ブー……。
スマホがまた震えた。実はさっき吉村さんと話していた時にも鳴っていたのだけれど、急ぎなら電話をかけてくるだろうとか、この時間に連絡する人なんてしれてるだろうとか考えて無視を続けていたのだ。
(どうせ、いつものだろう。帰ってからゆっくり返信し……)
「島野くん」
「わっ」
人混みの中から伸びてきた手に肩を叩かれたため、思ったより大声が出てしまった。慌てて口を両手で塞いで周りを見ると、少しこちらに気に掛ける人は多かったものの、その中で僕をまじまじと見つめる、三人目の知り合いがいた。
「大間さん! こんばんは」
「こんばんは……はぁ、はぁ」
大間さんは肩で息をしているようだった。
「大丈夫? まさか走ってきたの?」
「はぁ……だって、島野くん、連絡しても、気づいてなさそうだった、から、はぁ」
(まさか……)
僕はポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。そこには予想通りの通知と、予想外の通知があった。
―――――――――
『島野くん』
『今駅にいるよね』
(『おーい』とセイウチがあんぐり口を開けているスタンプ)
―――――――――
「ごめん、連絡来てたのはわかってたんだけど、他の人のだと思ってて」
「そっか。私、無視されてたわけじゃなかったんだ」
「するわけないよ。この時間に連絡してきがちな人がいるんだけど」
「それって、親?」
「まあ、とかね」
(庵治さんもよく連絡してくるんだけど、恥ずかしいから伏せておこう)
「ちょうどそこの駅ビルから出てきたら島野くんを見つけて、追っかけてきたんだ。島野くんスタスタ行っちゃうから走ってきた」
「ごめん。大間さんも塾? 行ってたっけ」
「ううん。家族でご飯食べに来てて、その帰り」
「そうなんだ。じゃあ僕はそろそろ行こうかな」
「なんで?」
「え、だって待たせてるんじゃ」
「ううん。別にいいよ。何かあったら、島野くんが何とかしてくれるでしょ?」
大間さんは僕の手を取る。不意な行動に肩からカバンがずり落ちそうになり、空いた方の手で改めて掛け直す。
「何とかって、まあ駅前だから交番もあるし、何とかなるっちゃ何とかなるとは思うけど」
(こんな人通りの多い所で何かをしでかす人がいればの話だけど……)
「島野くんは、私と話すの嫌?」
「そんなことないけど……わかった」
「やった!」
大間さんは少し頬を緩めて、僕を掴んでいた手で小さくガッツポーズを作る。久しぶりに話せてうれしいのが僕だけじゃなくてよかった。
「怒られても僕のせいにしないでよ?」
「もちろん。むしろ島野くんは大丈夫?」
「うん。うちは門限、あるようでないから」
「なにそれ」
「さっき何食べてきたの?」
「居酒屋で色々。ポテトとか、唐揚げとか」
「い、居酒屋?」
「もちろんお酒は飲んでないよ。二十歳まで我慢するし、そんなに飲みたくない」
「わかってるよ」
「島野くんはもう食べたの?」
「うん。カレー食べた」
「カレー、かぁ。確かに今日金曜日だし、そんな口になってきたかも」
「さっき食べたばかりだよね」
「違う。そんな食い意地張ってるみたいに言わないで」
大間さんは眉をひそめて一歩引く。
「ごめん。ちょっと失言だった」
「別に、そんなことない」
「……」
「……」
気まずい沈黙が周りの喧騒を思い出させる。人の話し声、電車が通過する音、踏切の音。さっきより人が少なくなってきたのは、皆夜の過ごし場所を決めたからだろうか。それでも周りに点在する人々の会話が、沈黙の隙間を縫い合わせる。
「海、全然行ってないよなー」
「まあ学生じゃないしな。正直今水着になるのもきついわ」
「でも海岸でバーベキューとかしたくね」
「それはそう」
僕の後ろを二人組のサラリーマンが通っていく。
「……海、楽しみだね」
呟きに反応して意識を目の前に戻すと、大間さんが微笑んでいた。
「そうだね。僕も行ったことはあるけど物心ついてないときだったから楽しみ」
「そうなんだ。私もそんなところ。水着も学校の以外は全然着てなかったから、新しくしたんだ」
「そ、そうなんだ」
「うん。じゃあ、また海で」
大間さんはスマホを持った片手をこちらに振り、駅ビルの方に戻っていった。
僕は手を振り、その姿が見えなくなるまで見送ろうとしたものの、すぐに人に紛れてしまったため、すぐに自分の帰路に戻った。
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