第18話 海と青春
「よし、海入るぞー!」
「おおー!」
皆でレジャーシートを広げて区画を確保して間もなく、泰河と藍野さんが海に向かって走り出した。
「うわっ」
波に足がとられたのか、泰河が海にこけながらダイブする。
「何やってんのー!」
藍野さんはニコニコしながら泰河の腕を持ち上げる。
「楽しそうだね」
「そうだね。じゃあ私もー!」
吉村さんはパーカーをレジャーシートの上に脱ぎ捨てて、二人の元に駆け寄って行った。僕も準備ができたものの、大間さんはレジャーシートにちょこんと座って日焼け止めを塗っていたため、乱雑に放られたパーカーを代わりに畳みながら、隣で座って待つことにした。
「島野くん」
「ん、どうしたの?」
「私は、なんて呼んだらいいかな」
大間さんは腕に日焼け止めを塗り終え、今度は足に塗り始めた。体育座りしていることもあり、目のやり場に困る。
「……ああ、名前のくだりか」
「私も、今日のメンバーの中で島野くんだけ名字呼びだったなって」
「そうなの?」
「うん。まどかちゃんに、みっちゃんに、た、泰河くん……あ」
大間さんが一人一人指をさしながら名前を呼んでいると、その指の先で泰河が水鉄砲の攻撃を顔面に受けていた。
「ふふっ、泰河は本当に盛り上げ上手だな」
(そういえば、泰河は泰河呼びなんだな。なんか先を越された気分がする。別に呼び名なんて気にしたことなかったのに)
「なんて呼ばれることが多い?」
「うーん……泰河はこーたで、他も何人かこーた呼びかな。後は洸太郎とか島野とかかな」
「あだ名は無いの?」
「あだ名? あ、そういえば、こたろーって呼ばれたこともあったかも。でも誰からだっけ」
「こたろー……いい」
「いい?」
「うん、いい。こたろー、って呼んでいい?」
「いいけど、なんか恥ずかしい」
「ふふ、顔真っ赤」
そういう大間さんも顔を赤らめているような気がするけど、それは暑さのせいかもしれない。どちらにせよ、それを上書きするように顔に日焼け止めを塗り始めたのを見る限り、気にしているのだろう。
(でも、さっきから大間さんがこっちを見てたのは、多分それが気になってたからなのかな。考えすぎな気もしないこともないけど……)
「あ、そうだ。島……こたろー」
「な、何?」
(まだむず痒いな……)
ぎこちないやり取りに笑いそうになってしまう。
「た、泰河くんの名字って、何?」
「え?」
「そういえば、ずっと知らなかったなって思って」
「そうだったんだ。手塚、だよ」
「へー、治虫?」
「まあその字だけど。そういえば、それがあだ名だった時期もあったかも」
「そうなんだ」
「……あれ、もしかして大間さんが泰河を下の名前で呼んでたのって」
「うん、知らなかったから、こたろーの言い方を真似して読んでみたんだけど、もう馴染んじゃった」
「そっか。まあ泰河は下の名前呼びが定着してるし、いいと思うよ」
心のどこかで胸をなでおろす自分がいた気がした。
「それより…………」
何かを話しかけたものの、大間さんはそれっきりで黙りこくってしまった。
「何か聞きたいことがあるんじゃない?」
じっくり待とうと思ったものの、また話す気を手放しかけているように見えたため、こちらから聞いてみることにした。
「ううん、やっぱり大丈夫。まどかちゃん呼んできてくれない?」
「わかった」
僕は立ち上がり、海辺で遊ぶ三人の所に向かった。
「あ、やっと来たー!」
「吉村さん、大間さんが呼んでる」
「あ、日焼け止めね。じゃあバトンタッチ!」
「わわっ」
吉村さんは僕に水鉄砲を渡し、砂浜を駆けていった。砂に足を取られながらも走っていく姿を見ると、元気そうだと安心する一方で心配な気持ちになる。この水鉄砲は泰河が持ってきた物のはずだけど、すぐに強奪されてしまったようだ。
「よし、来い!」
海の方に目を向けると、泰河がこちらに手を振っている。その隣では浮き輪を持った藍野さんがニコニコしてこちらを見ていた。
「容赦は、しない!」
「うわっ」
僕は日々のゲームで鍛えたエイムで、泰河にヘッドショットを決めた。意味はあるかどうかは別だけど。
「こっちこっち!」
藍野さんも水をかけてほしそうにこっちを見ている。
「よーし!」
同じように狙い撃ちを試みたけど、上手くかわされてしまった。
(体幹強すぎない……?)
「うわっ、やったなー!」
「え、ちょっと、うわー!」
藍野さんは浮き輪を泰河に投げて追い打ちをかけた後、足元に水があるとは思えないほどの速度でこちらに近づき、大飛沫を手で僕にかけてきた。
「やばい、ちょっと、待って」
「ほら、ほらー!」
逃げつつも、少し藍野さんの動きに隙が見えた。
「仕返し!」
「きゃっ、どこ撃ってんのー!」
藍野さんはしゃがんで、防御態勢を取った。しかし、その後ろから忍び寄った泰河の手によって、浮き輪をかぶせられてしまった。
「うわっ、卑怯でしょ!」
「ふふん、チームプレイってや、うわっ」
泰河はどこかから飛んできたビーチボールを頭に受け、またこけてしまった。
「こーた君! それ取ってー! 流されちゃうー!」
砂浜に目を向けると、僕の背中の方に指をさして吉村さんが懸命に叫んでいた。僕は慌ててボールに近寄り、手に取る。そしてそれを支えに岸辺に戻って、その隣の大間さんにボールを渡した。
「ありがとう、こたろー」
笑顔で受け取る大間さんも、パーカーを脱いで臨戦態勢が整ったようだ。
「ビーチバレー対決、ルールは適当」
「適当?」
「線引いたりネット立てたりできないからねー。男子対女子。勝敗はその場のノリ!」
「よし、こーた、行くぞ」
「数の暴力で勝つ!」
相手チームから聞こえた物騒な言葉は、聞かなかったことにしておこう。
*****
「ってことで、かんぱーい!」
藍野さんの音頭に合わせて、僕たちはグラス―――ただのコップをカチンと合わせる。海は海でよかったけど、ここもやっぱり安心する。その中にも特別感を含ませる空間が、この駅前のファミレスだ。
「晩御飯はやっぱりここが落ち着くよな」
「まあ安いし、結局ここになるよねー」
「にしても、まどかたちが自転車だったら、そもそもみんなで晩御飯食べようってなってなかったし、ほんと、運に恵まれた海水浴だったなぁ」
「こたろー、はい」
「ありがとう」
会話の中で黙々とサラダを取り分けている大間さんからお皿を受けとる。あの海岸でのやり取りから、大間さんは僕のことをあだ名で呼び続けている。初めは気になっていたけど、あまりにも大間さんが自然に呼ぶものだから、こちらも気にしなくなった。
「よし、写真撮ろう」
「唐突だな」
「いいだろ?」
「まあ、いいけど」
「私が持つよ」
通路側に座る藍野さんが、自分のスマホを掲げて少し腰を浮かせる。
「私入らないかも。そっち行っていいー?」
「わかった。こーた、もうちょっと詰めて」
「おっけー」
男子勢が奥に詰め、空いたスペースに吉村さんが座る。
「はい、チーズ」
「どれどれ……って、まこちゃん何してるの?」
「え? ハッシュタグ」
写真を全員で覗き込むと、僕が右手で作ったピースの後ろで、大間さんが左手を横にしてピースをしていた。それが遠近で重なって、#に見えたのだけど、わざとらしい。
「まあいいけど。さて、じゃあサラダ食べよっか」
吉村さんが元の位置に戻り、ようやく食事が始まった。
僕たちは一度サラダを口に運ぶと、それからは黙ってパクパク食べ進めた。あまりにも食べることに集中していたためか、お店の人がピザを持ってきたときに少し体をびくっとさせてしまった。
疲れていたからなのか、それともお腹が空いていたからなのか、はたまた両方か。少なくとも、皆帰りの電車ではうつらうつらしていたし、大間さんを電車から降ろすのに四苦八苦した。僕は変に目が冴えてしまってみんなの寝顔を見てはスマホを触っていた。写真を見て、今日は楽しかったなって、これが青春だって思って、少し寂しくなってしまった。
「……誰か、何か、話題」
泰河が暗号を伝えるかのようにボソッとつぶやく。
「あ、じゃあ今日撮った写真、見せ合おうよー」
「お、いいじゃーん」
吉村さんが出した蜘蛛の糸にすがりつくように、僕たちは各々スマホの写真フォルダを漁る。僕のフォルダの中は、ほとんどが食べ物や風景の写真だ。『いつしかの故郷』のコーヒー、車窓に移るたくさんの人、大盛の焼きそば、水平線に雲が浮いているような写真……。
(……あ、これだ)
「俺はやっぱりこれだな」
「……これ撮ってたの?」
泰河のスマホの画面には、僕と大間さんがレジャーシートの上で体育座りで喋っているところが写っていた。二人とも自然な笑顔だと、未来の僕も思う。
「まあな。ほら、このミニカメラを水着のポケットに忍ばせてたんだ」
「それ、盗撮じゃない?」
「盗撮って、別に知り合いだからいいだろ? 知らない人にはやる勇気ないし。ほら、肖像権とかあるだろ?」
藍野さんの追及もすぐに終わってしまった。多分その度胸がないことをすぐに察したのだろう。そんな顔をしていた。
「まあ、どうでもいいや。私はこれかな」
藍野さんのスマホには、焼きそばを囲む僕たちが写っている。
「やっぱりこれが一番写真写りが良かったし」
「いいよねー。この後むせるなんて、当時の私は考えてなかっただろうねー」
「そんなことあったな」
「だね」
「次、こーた」
「ああ、僕ね」
(こういうのは最後になることが多かったけど、一番プレッシャーが小さいところで安心した)
「僕のは、これ」
「これは……?」
僕が見せた写真。それは四人が帰り道、海風に吹かれながら笑い合っている所だった。ビーチバレーに負けてしょんぼりする泰河に藍野さんが追い打ちをかけているところを、大間さんと吉村さんが笑って見ている。
「すごい、映画のポスターみたい。『海と青春』ってタイトル?」
「おお、まこちゃんエモいねー」
大間さんが目を輝かせて僕のスマホの画面を見ている。指紋を拭き取っておいてよかった。
「あとでアルバムに入れて欲しい」
「島野、写真のセンス高くない?」
「そうかな、そうかも」
「昔から上手いんだよな。だって小学校の運動会、うちの親カメラ下手過ぎて、こーたにデジカメ渡してたから」
「さて、次は真心」
「私はこれ」
大間さんが出したのは、白兎海岸駅の入り口にある柱にたたずむ、白猫だった。
「本当に猫好きだよねー」
「うん、好き」
「でも、これはこれで結構味あるよな」
「私、これしか撮ってないから……」
「思う存分遊べた証拠だね」
「……うん、そうだね」
どこか落ち込んだ様子の大間さんに偶然出てきた言葉をかけると、大間さんは納得した様子で、大切な思い出を胸にしまうようにスマホを抱えた。
「最後は私だね。私のは、これ」
吉村さんが出した写真は、白兎海岸に来る道中の車内で撮った、僕とのツーショットだった。
「うわ、本当に車で来てる」
藍野さんはこの瞬間にようやく僕たちの話を信じたようだ。
「そうそう。流石に面白すぎて撮ったんだー」
「なんかこーたさ、顔緊張してない?」
「だって知らない人の運転で知らないところに行くんだよ?」
(それに、道中シートベルトはしながらも徐々に吉村さんが距離を詰めて来たし)
「……それはそうか」
真っ当な理由で泰河は納得してくれたようだ。
「あ、あのさ、私達、今度は食事が進んでなくない?」
藍野さんが手を挙げ、机の上の皿に目を向ける。
「……もうピザ冷めてる」
一口ピザを食べる泰河は、それでもおいしいとパクパク食べ始めた。僕もそれに倣ってピザを一切れ取り、口に運ぼうとする。その時、対面に座る大間さんが下を向いているのに気づいた。
「大間さん?」
「……」
「お、大間さん?」
「えっ、な、何?」
「どうしたの?」
「……ううん、何でもない。ちょっと疲れただけ」
「大丈夫? もしあれだったら」
「本当に大丈夫」
大間さんがピザに手を伸ばしたのを見て、僕は手に持ったピザを口に運んだ。
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