第16話 『一生友達宣言』

「……なるほど。自転車は借りてもいいけど、帰りは借りたところに返さないといけないって感じか。距離はまあまああるけど……これほんとにこの時間で行けるのかな」


「うーん、海で遊んだ後に返すのってしんどくない?」


「確かに。はぁ……こんな時に庵治さんに何か頼めたらよかったんだけどなぁ」


 僕は頭の上で、あのイケメンが眼鏡をかけて運転をするところを想像する。イマジナリー庵治さんが勝手にこちらにウインクしてきたけど、見なかったことにする。


「庵治さん運転できるの?」


「免許は前の仕事の関係で取らされたんだって。無事故無違反の安全運転って本人は言ってたけど」


「すごいなー。庵治さん完璧人間じゃん」


「……そうだよね」


 目をキラキラさせてカフェオレを飲み干す吉村さんを見て、僕はなぜか心の中がもやもやした。


(吉村さんもデキる人だし、きっとそういう人に惹かれるんだろうなぁ。多分、皆も)


「ん? もしかして君たち、庵治くんの友達?」


 吉村さんの飲み干したグラスを下げに来た男性の店員がこちらの会話に反応する。


「庵治、って、庵を治すって書く庵治でしょ? ほら、イケメンの」


 そう自分の顔を指す店員も、かなり整った顔立ちをしている。右耳には海に映えそうな雫のピアスがついている。日に焼けた肌は海沿いに住んでいるからなのだろう。


「多分、その庵治さんだと思います。多分」


「滅多にいない名字だし、間違いないよ。僕、庵治の大学の同期なんだよね。あいつ今元気?」


「は、はい。元気にしてます……」


 いい声でグイッと距離を縮められ、思わず目を逸らしてしまう。

 心臓の音が気になるけど、決してときめいているわけではない。庵治さんの甘い声とはまた違った、圧迫感がある声だなと思ってしまう。


(どこまで話していいんだろう。でも、本当に知り合いなんだとしたら……)


 目線を戻すと、店員はどこかから取り出したスマホを触って、一つの写真をこちらに見せた。


「ほら、こっちの金髪が僕で、こっちが庵治。今の庵治を知らないけど、面影あるんじゃないかな」


 写真の中では、どこかの高原で五、六人が肩を組んで笑っていた。その真ん中に店員っぽい金髪の男性と、まさに今の姿と瓜二つ―――どっちかというと今より肉付きがいい―――庵治さんらしき男性がいた。二人とも満面の笑みで笑っているけど、庵治さんの方はどこか疲れたように笑う今の笑顔に重なって見えてしまう。


「面影どころか、全く同じ……」


 吉村さんは感想を口からこぼす。


「全く同じ? そっか。あいつ、さらに昔の写真も同じ感じだったし、そうかもなって思ったよ。二人はデート中?」


「デ、デート!?」


「はい、そうなんです。海デートのつもりだったんですけど、電車が止まってしまってー」


 僕は大声で反応するのをよそに、吉村さんは平然とした顔で本題に持っていこうとする。


「そっか。で、庵治の車に頼りたくなったわけか。あいつ結構色んな所に連れてってくれたから、その気持ちはすごくわかるよ。どうだい? この後海の家のヘルプで店長が行くらしいんだけど、その車に乗せてもらうのは」


「え、本当ですか?」


(もしかして、このまま頼むんじゃ……)


「ああ、今が十一時で、あと三十分もすれば店長が出ると思うから」


(こんなに都合のいいことがあるのか……)


 二人の会話に置いてかれた僕は、ただ口を開けて状況が移り行くのを見守るしかできなかった。


「島野くん、どうする?」


「えっ?」


「今から送ってもらえるって。やったーじゃん!」


 吉村さんはとても嬉しそうにしている。


「……う、うん。そうさせてもらおう」


 僕はどこか引っかかる感じを覚えたものの、その案に乗ることにした。



*****



「島野くん、今日の私はどう?」


「え? ああ、服装のことね。とても似合ってるよ」


「そ、そう……?」


「うん、おしゃれだと思う」


「そうかな、えへへ……」


 柔らかな笑顔の中に、少し濁りが見えた気がした。


「……」


「島野くんは、どうしてその服装にしたの?」


「え、特に何もないけど……」


 自分の服を見る。ベージュのハーフパンツに水色のシャツを合わせた今日のファッションは、いつもあまり着ないものを着ようとして選んだものだった。


「もしかして、変?」


「ううん。でも、いつも以上にいいなって思っただけ」


「そっか」


「……」


「……」


「……島野くん、もしかして私、何かしちゃった?」


「え?」


 二人ともコーヒーを飲み終え、出してもらったお冷を片手に転がっていた話が止まった。


「今日の島野くん、楽しくなさそうに見えて。確かに海に行く予定が頓挫して、ここで足止めを食らっちゃったけど」


「ううん、楽しいよ。うん……」


 楽しい。確固として、吉村さんとの時間は楽しいと感じる。こんな僕に対しても優しく接してくれて、色々踏み込んでくれる。自分のことをオープンにしてもいいという雰囲気は、家でも感じたことのなかった感覚だった。

 今の感情に喜怒哀楽のどれを当てはめるかを考えても、『楽』しか出てこない。でも、どこか無理させてしまっているような気がしてならない。


「もしかして、私が突っ走っちゃったから?」


「え?」


「電車を降りてからの予定も、海に行く方法も。結局さっきの話だって私が一人で突っ走って決めちゃったし。きっと断り切れない状況を作ってしまったから。君一人置いてけぼりにして……」


 吉村さんの体がだんだん小さくなっていくように見えた。


「そんなことないよ! ただ、こういう時ぐらい、僕が頑張らないとって思って。でも、吉村さんはとてもすごくて、全部決めてくれるし、頼りになるなって思うし、その……」


 それ以降の言葉が思いつかなかった。どの言葉が針を隠しているのかわからない。選びながら話すのはどれほど難しいことかを改めて思い知り、下を向いて逃げてしまう。こんな時にどうしても正解を遠回りしてしまうのが僕の嫌いなところだ。


「頼れるの? 私が?」


 吉村さんは顔を上げる。僕も声に反応して顔を上げた。二人の目線が、かすかにずれて相手の下に届く。


「うん。普段の吉村さんは、なんというかふわってした感じだったけど、今日の吉村さんは、なんていうか先生みたいにしゃきっとしてて」


「……そっかぁ。うふふ」


 吉村さんは一世代跨いだような笑みを浮かべる。


(少なくとも、不正解の解答じゃなかったのかも)


「私ね、正直に言うと、君の前では猫被ってたの。よくマイペースだねって言われるし、確かにそうだと自分でもわかっているんだけど、それはきっと自分勝手なんだと思う。何かイレギュラーなことが起こると、自分で色々考え過ぎちゃうんだー」


 そこまで話を続けると、吉村さんはお冷を一口飲む。氷を一粒含んだのか、ほっぺたが少し膨らんでいる。


「猫被ってたんだ。でも、今もそんなに違和感ないよ」


 僕の言葉が止まっても、吉村さんは氷を口の中で溶かしているのか、顎を左右に細かく動かしている。


「……吉村さんといると、すごく安心するんだ。きっとそれはいつでもそうなんだと思う。何かに包まれているような温かさと、どこかに導いてくれる信頼を、どっちも感じる時だってある。こんな気持ちになったこと、久しぶり、いや、初めてかもしれない」


 一瞬ダブった何かしらを無視して、僕は言葉を続ける。


「でも、もっと僕も頼られる存在になりたいから、その……」


 続けようとした。でも、やっぱり出てこなかった。

 僕も結構、自分のことを伝えるの苦手なのかもしれない。


「……嬉しい」


 言葉に詰まっていると、ようやく氷を溶かした吉村さんがまた微笑んだ。


「でも、ちょっと照れるかもなー」


(うわ、また変なこと言ってたー……)


「でも、私も君といると、なんか楽しいんだ。だから、今みたいに本心を伝えてもらったら、私の気持ちも、きっと本物なんだって思える。きっと私達、ずっと友達でいられると思う」


「……」


「え、ちょっと、島野くん!?」


(あれ、なんで泣いているんだろう。安心感? 解放感? それとも、悲壮感? いや、悲しいわけがない。僕は相手のことはわからなくても、自分のことは嫌になるほどわかる)


「ご、ごめん……」


「……ありがとう。私、幸せだな」


 吉村さんの差し出すハンカチを手で制し、自分のハンカチで汗と涙をぬぐう。

 遠くで―――実際はそんなに遠い距離ではないはずだけど―――「そろそろ行くらしいよ」と店員の声が聞こえた。僕は慌てて涙を押し込み、立ち上がった。

 目の前には、『一生友達宣言』をした吉村さんが、荷物を整理するためか机の下に顔を潜らせていた。



*****



「皆、きっと驚いているだろうね」


「うん、スタンプでもわかったけど、実際に顔見てみたいもん」


 僕たちは喫茶店『いつしかの故郷』の無口な店長の運転で、白兎海岸に向かっていた。その車内で三人にこんなメッセージを送っていた。


―――――――――

『みんな!』

『私達今から白兎海岸に向かいまーす!』

『駅で合流しよー!』


『おお!』

『俺たちはもう海の近くで遊んでるけど』

『海の中は取っておいてるから』


『どれくらいで着きそう?』

『島野はわからないけど、まどかだったら自転車で三十分はかかるよね?』


『十分だよー』

『車で行きます(力こぶのスタンプ)』

―――――――――


 その後には、三者三様な驚きのスタンプが続いている。


「ね、写真撮っとこうよー!」


「証拠写真?」


「ううん、思い出!」


 吉村さんの向けたスマホの画面に僕たちが映る。あまり自分の顔が写真に残るのは好きじゃないけど、こういう状況を悪くないとさえ思ってしまうのは、きっと夏の魔法にかかったせいだ。


「はい、チーズ!」


 シャッター音が何度か聞こえた後に、車が信号で初めて止まった。


「二人、せっかくならうちの海の家来るか?」


 初老を通り越したような貫録をまとった店長がしゃがれた声で後部座席に話しかけてきた。


「え、いいんですかー?」


「ああ。今からだったら見つけるのも大変だろうから」


「でも、僕たち向こうであと三人と合流するんですけど」


「別に構わないよ。どうせ一テーブルはそれぐらい座れるから」


「本当にいいんですか?」


「いいって言ってるんだ。若者があまり遠慮なんかするんじゃない」


 僕らに遠慮するなと言うように目の前の信号が青になり、車が動き出す。


「す、すみません……」


「……ちょっとサービスしておくから、今後ともうちをひいきにしてくれ」


「ありがとうございます! やったね、皆にも教えてあげないと」


「う、うん」


 僕はスマホを開き、メッセージを打ち始めた。


―――――――――

『みんな』

『まだご飯食べてないよね』


『ジェラートは食べたけどまだだよ』

『まだ十二時にもなってないし』

『島野くんは食べたの?』


『ううん』

『でもよかった』

『今予約取れたから』

『とりあえず駅前で待ち合わせよう!』

―――――――――


「こんな感じかな」


「うん。いい感じ」


「うちの店、『いつしかの海の故郷』って名前だから。そこに来てくれたら案内するから」


「分かりました」


(結構名前決め適当だったりする……?)


 僕たちは少し駅から離れた駐車場で降ろしてもらい、車をお辞儀して見送った。


「よし、じゃあ駅に行こっか」


「うん。あ、待って」


 振り返ると、吉村さんはサンダルのかかとの所を指で触っていた。


(靴擦れしやすいのかもしれない。ゆっくり行こう)


 こちらに追いついた吉村さんの歩幅に合わせ、駅に向かった。

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