第15話 ごめん
―――ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン……。
レールによって一定の周期に区切られた音は、波打ち際のように早くなったり遅くなったりしながら、僕たちを目的地に連れて行く。その音は、時には僕たちをわくわくさせ、時には焦らせる。レールの音は、感情を増幅させる効果でもあるのだろうか。そんなことを考えるのは、僕だけかもしれない。
でも、不意に訪れた静寂と、それを塗りつぶすような人々のざわめきが苦手なのは、きっと僕だけじゃない。
―――現在、前を走る電車がお客様と接触した影響により、この電車は当駅止まりとなります。お忙しいところ大変申し訳ございません……。
「まじかよ……」
「中途半端なところじゃねーか」
「まずは一旦降りなきゃ、で、それからどうしよう」
人々の集合体によって熱気に包まれた車内から吐き出される。怪物のよだれみたいに、熱気が体にまとわりつかせたまま、僕は何とか人混みから抜け出した。夏も終わりに近づき、海へ向かう電車は乗車した時から混雑していたから仕方ない。
長い時間乗っている必要がなくなった安堵感と、約束に間に合わない焦りが入り混じり、汗が噴き出る。駅の外に流れる人の川がこちらを気にしているような気がして、さらにその勢いは増した。
(とりあえず、皆に連絡しないと)
僕は預けられる壁をやっとの思いで見つけ、もたれながらスマホを操作する。
―――――――――
『電車が遅れて間に合わなさそう』
『先に行っててほしい』
―――――――――
僕はグループにそう投げる。少しだけ画面を付けたまま待ってみたけど、もちろん既読はそんなに早くつくはずもなく、すぐに僕はスマホの画面を消してポケットに入れる。
(……ん?)
突っ込んだばかりのスマホが震える。
―――――――――
『私も』
『他の皆は着いてる?』
―――――――――
吉村さんから、グループチャットにそのようなメッセージが投げられていた。そして、僕が見ている間に、自分のメッセージに全員分の既読がつく。
(少し複雑だな……ん?)
続けて、左上に通知が来たことを知らせるバナーが出てきた。それをタップすると、吉村さんとの個人チャットに画面が変わった。上の方には、今日の持ち物についての相談が履歴として残っている。その下に連なった新規メッセージを読む。
―――――――――
『私だけ遅刻じゃなくてよかった!』
『島野くんどこにいる?』
『私は
―――――――――
(あ、一緒だ)
僕は周りを改めて見渡し、『白兎二丁目』の看板を見つける。
―――――――――
『僕も同じ駅にいる』
『本当に?』
(『やったー』と白い生物が飛び跳ねるスタンプ)
『私改札まで出てきてるから』
『コンビニの前で合流しよう!』
(『了解』と黒猫がウインクするスタンプ)
―――――――――
今度はスマホを握ったまま、ようやく混雑が解消されたエスカレーターに乗る。向かいの駅のホームを見ると、スーツ姿の人がこちらをチラ見してはスマホに目を落とす、という動作を繰り返していた。出勤ラッシュより少し遅い時間帯のはずだが、通勤途中の社会人はそれなりに残っていた。
「あ、島野くん!」
駅チカのコンビニの前で待っているはずの吉村さんが、改札のすぐ向こうからこちらに手を振っているのが見えた。紺に小さな白い水玉模様がプリントされたワンピースに、茶色のサンダルを履いた吉村さんは、まさに夏の少女だった。僕も自然と笑みがこぼれ、改札を通って駆け寄る。
「よかったー! 一人だったらどうしようってずっと思ってたんだ」
「僕も吉村さんがいてくれて嬉しいよ。これからどうしようか」
「さっきネットで調べたんだけど、結構大変っぽい」
吉村さんはスマホの画面をこちらに見せてきた。そこには僕たちの目的地『白兎海岸』の二つ手前の駅、『市野』で人身事故があったというニュース記事が映っていた。
「『運転再開見込みは午後三時以降』って、そんなの、着くころには日が暮れるじゃん」
(というか、市野ってこの次の駅だったはず……)
「もう最悪……って、島野くん?」
(みんなは無事? まさかその電車に乗ってるんじゃ。いやでもこの電車結構ギリギリだし、きっと先に着いてるよね。いやでも、この時間って電車同士の間隔、そんなに空いてなかったはず……)
「島野くん、大丈夫?」
「えっ?」
我に返って顔を上げると、吉村さんが真正面に立って、心配そうにこちらを見ていた。
「……電車、人多かったもんね。疲れちゃった?」
「い、いや、皆が心配で」
「あー、きっと大丈夫だよ。ほら」
吉村さんはまた、スマホの画面をこちらに向けた。
―――――――――
『俺はもう海岸にいるぞ』
『@まどか ごめん、私が一緒の電車に誘っておけば』
『ううん』
『私がのんびりしてただけだから』
『私も二人と合流してるよ』
『@島野洸太郎 無事?』
―――――――――
そこでグループチャットは途切れていた。
「お、送らなきゃ」
僕は慌ててスマホを取り出す。
―――――――――
(『OK』と黒猫が尻尾で丸を作るスタンプ)
『泰河たちもまとまってるんだったら安心だね』
『みんなも無事そうでよかった』
『電車が動くまで待機だな』
『俺たちも近くで時間潰しておく』
『合流してから海行こう』
―――――――――
(それしか方法ないよなぁ……)
「島野くん、ちょっとこのボストン見てて」
吉村さんは水色のボストンバッグを足元に置き、スマホを耳に当てて向こうに走っていった。
(こういう状況でも、冷静に色々考えてくれるのはすごいな。でも本当は、僕がしっかりしないといけないはず。最初から僕がちゃんとスマホを見ていれば、グループチャットに気づいて焦ることはなかったはずだし。というか、そもそも既読全部ついてたから、皆あの時点で無事なのわかりきってたはずだし……)
「島野くん。とりあえず今みっちゃんのスマホを通じて向こうと相談して、それぞれ別行動ってことになった」
戻ってきた吉村さんは、ハンカチで額をポンポンと拭きながら会話の内容を教えてくれた。普段の穏やかな声が、目を見開いた表情も相まって少しシャープになっている気がした。
「別行動?」
「うん。三人には予定通り海で遊んでてもらって、私たちはこの辺りをうろつきながら、海に行く方法を探す。バスとか自転車とか、別の交通手段があるかもしれないし」
「自転車?」
「レンタサイクル。高いかもしれないけど、もしかしたら私のアプリで何とかなるかも。でも調べる時間が必要だし、もしかしたら電車が早く動くかもしれないから、それまで時間潰そう。今はもう少し冷静になって、情報を整理する時間がいる」
吉村さんは早口で状況をまとめ、解決策をいくつか提示しながらもまた新しい情報をスマホで探しつつ、周りの様子を伺いながら外に歩き出した。首筋に流れる汗が、緩い襟元の中に流れていくのが見える。
(この短時間でそんなに決められるなんて、バイタリティすごい……)
吉村さんについて行く形で、僕は駅を出る。
「……ごめん」
「え、なんで謝るの?」
手で顔を扇ぐ吉村さんの目はいつもより大きく見え、顔はより大人びて見えた。
「僕は何もできてないから」
「……島野くん」
吉村さんは立ち止まり、いつになく真剣な表情でこちらを見つめる。
「私は、島野くんがいてくれて、それだけで結構安心してるんだよ。だからそんなこと言わないで」
吉村さんの表情は変わっていないものの、怒っている様子だった。
「……本当に?」
「うん。電車の中、背の高い大人が多かったし、不安だったんだ。君からのメッセージが来た時、どんなに嬉しかったか、今でも思い出せる。君は私のヒーローなんだから。胸張っていいんだよ」
「ごめ……ありがとう。でもこれからは僕も頑張っていく方法探すから、少しでもいいから頼ってほしい」
「……私こそ、色々先に決めちゃおうとしてたし。それは謝る」
「違っ、」悪いのは僕の方で
「はい。この話はこれっきり。とりあえずそこの喫茶店入ろっか」
僕の弱気を断ち切るように言葉を遮ぎるように両手をパチンと合わせて、吉村さんはいつもの笑みを見せて、駅前の商店街の喫茶店に入っていった。
*****
「お待たせしました。アイスコーヒー二つです」
「ありがとうございます。はい、吉村さん」
「ありがとう」
僕たちはとりあえず、アイスコーヒーをストローで飲む。目の前の吉村さんが顔をしかめる。
「やっぱりブラック苦いなー。砂糖とミルク入れよう……」
スティックシュガー一本とコーヒーミルク一つを入れ、また一口飲んだ。そして、また顔をしかめた。
(コーヒー苦手なのかな。もしかして合わせてくれたのかな。だったら気を使わせてしまったな……)
「あ、今、子どもっぽいって思ってるでしょー」
吉村さんは曲がったストローの飲み口をくるくる回し、首を傾けて微笑んでいる。
「えっ? ううん、思ってないよ」
「顔に書いてあったよ」
「ほ、本当に思ってないって」
「苦手なのに何で飲んでるんだろう、って思ってたでしょ?」
「……それは、そうだけど。でもそれって子どもっぽいって思ってることになるの?」
「……それもそっか。私の勘違い」
「ごめ」
「待って」
僕の口から出かけた謝罪の言葉を、吉村さんが僕の喉に押し込むように手で制した。
「やっぱり謝ると思ったー。別に君に合わせたわけじゃないから。私も君みたいに、コーヒー飲めるようになりたいなって思っただけだから」
「(ごめ……)そうなんだ」
再び出かけた謝罪の言葉を何とか飲み込んで、僕は相槌を打つ。自分でもわかるくらいたどたどしい返事になったのが余程面白かったのか、吉村さんは笑みをこぼす。
「それに、私もまだまだ子どもだからねー」
(え?)
掌にドリルでもついているのだろうか。
「前に喫茶店で会った時あったでしょ? その時に島野くんがコーヒー飲んでたのを見て、かっこいいなって思ったんだよ」
「そうかな」
「うん。片肘をついて、カップの中に入ったホットコーヒーを飲んで、ふぅ、って」
吉村さんは自分で実演しながら、キメ顔をこちらに向けてウインクする。不覚にもかっこいいと思ってしまった。
「からかってるでしょ」
「そんなことないよ。あれ、ブラックだったよね」
吉村さんは透明なカップを揺らすような仕草をしている。
「そうだよ」
「砂糖も入れてないの?」
「入れたら甘くて飲めない」
「え、甘いもの嫌いなの?」
「ううん。むしろよく食べる。チョコとか好きでよく食べてるし。コーヒーは普通苦いものだから、苦いままじゃないと違和感あるなって」
「先入観っていうやつなのかもね。私は砂糖もミルクも欲しいなー。それでもちょっと苦いけど」
吉村さんはまたアイスコ―――アイスカフェオレを口に含み、口をきゅっと締める。僕もブラックコーヒーを一口飲む。ふと目線をグラスの向こう側に向けると、自分側に置かれたスティックシュガーとコーヒーミルクに気が付く。
「あ、これ使わないから、入れる?」
「うん。あ、でもミルクだけでいいかな」
本当に砂糖はいらないのか不安に思いつつも、ミルクの蓋を空けて渡す。
「ありがとう。それにしても、このカフェも結構雰囲気いいよねー」
「そうだね」
もちろん、この喫茶店に入ったのは初めてだけど、それでも『いつしかの故郷』という店名にぴったりな雰囲気で落ち着く。店内にまばらに人が座っているのも逆に雰囲気を感じるし、平日のあの店にも似た雰囲気を感じる。
「ふぅ……」
二人そろって、机の上に両肘を乗せてリラックスする。
(ああ、なんか穏やかだなぁ……)
「って、ちがーう!」
「わっ」
小声で叫んだ吉村さんよりも驚いた僕の声の方が、通りが良かったように感じた。
「私達、これからのことを調べないといけないんだった」
「そ、そっか」
僕たちがようやく本題の作戦会議に移るころには、もうコーヒーの残量は半分を切ってしまっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます