第2章

第11話 友達の輪

「―――これで連絡事項は以上かな。てことで、明日から夏休みだけど、補習とか部活とかある人もいると思うけど、熱中症には気を付けて。あと三者面談も控えてるし、あまり羽目を外しすぎないように。規則正しい生活を送るようにしましょう」


 教壇に立つ担任の先生は、羨まし気な目線を僕たちの方に向けている。先生たちは長い夏休みはないらしいから、多分それが理由だろう。

 阿鼻叫喚の期末テストが終わった後も変わらず、くろころのところへ行ったりゲームをしたりと、忙しない日々を過ごしているうちに一学期の終業式の日を迎えた。


「ということで、最後に通知表を渡します」


 聞きたくない単語をかき消すかのように、教室がざわつき始めた。そんな喧騒をよそに、先生はトントンと冊子の束の角をそろえて、出席番号順に名前を呼び始めた。


「五番、大間さん」


 大間さんは立ち上がり、教卓の方へ向かった。テストの点数はあの時のメンバーと、それからいつものゲーム仲間と共有し合ったけど、大間さんは確かいい方だったはず。でも本人としてはあまり納得いっていないようで、点数は全体的に伸びたものの、社会はだだ下がりでかなり落ち込んでいた。


「……島野くん、社会教えて」


 大間さんは通知表に目を留めたままつぶやいた。


「え、えーと……」


(励ましの言葉を言ったらいいの? それとも普通に教えて欲しいところを聞いたらいいのかな。いや、こういう時はただ頷くのが正解か。でもそれだったら塩対応って思われないかな)


「十番、島野くん」


「は、はい。大間さんごめん」


「……」


 担任の先生に呼ばれたことを名目に、その場から逃げるように教卓へ向かい、受け取った後は来た時と別の列から席に戻った。


(どうかな…………)


 僕は周りに見られないように中身を見る。全体的には結構いい方だし、おおむね予想していた通りだったけど、全員軒並点数を落とし、もれなく僕も八十点を下回った社会の成績は、なぜか五になっていた。


「ほら、やっぱり島野くん、社会得意じゃん」


「うわっ」


 いつの間にか僕の背後に立っていた大間さんに驚いた僕は、思わず椅子に座ったまま後ろに倒れてしまった。幸い頭を打っていなかったけど、背もたれの上の辺が背中に当たり、結構痛い。


「痛たた……」


「大丈夫?」


「おい洸太郎、大丈夫か?」


 左から顔色一つ変えていない大間さん、右から、ちょうど通知表を受け取って戻ってきたばかりの別のクラスメイトに心配され、僕は顔に熱を感じながら立ち上がる。周りを見ると、皆通知表よりこちらが気になっているようだった。


「……」


「……」


(うわっ、こんなに集中して見られるの、免疫あんまりないんだけど……)


「だ、大丈夫です……」


 僕は俯きながら教室の目線に答えた。それから少しの間を置いて先生が名前呼びを再開したのを皮切りに、教室の中のざわつきが戻ってきた。


「ごめん。私が驚かせちゃったから」


「本当に大丈夫、大丈夫だから」


(こういう時は、大丈夫大丈夫って念じれば勝手にそうなるはず)


 と、意識はしてみたものの、逆に痛めた箇所が分かりやすくアピールしてきたため、僕は家の中にあるはずのシップの在り処を、頭の中で探った。


「洸太郎、本当に大丈夫か? 保健室行く?」


「うん、ありがとう」


 右隣りのクラスメイト―――厚村亮が心配してくる。彼は僕と同じ小学校かつ同じ中学校という共通点を持つ、同学年では結構少ない存在だ。実はこの中学にいる人の大半は大間さんと同じ学校から上がってきた人ばかりで、同じ小学校出身の人は学年に十数人しかいない。その中でも亮は同じクラスになったことがないため、あまり話したことがない。でも家は割と近く、地区児童会で半年に一回話す程度の間柄だ。


「だったらいいけど。同じ小学校のよしみだし、何かあったら言ってくれよ」


「わ、わかった」


 亮は通知表に目を戻し、一瞬中身を見てからすぐに閉じて、机に伏した。実のところ、亮も大間さんに負けず劣らず眠り王子(?)だ。でもうまくごまかしながら寝ているのと、もっと極端な眠り姫がいることもあって、指摘されることは少ない。


(その様子だったら何かあっても言えないんだけどな……)


「島野くん、この後いい?」


「いいよ。でも今日半日だし、一回家に帰っていい? シップ貼りたくて」


 僕は届かない背中をさする意思表示をした。


「……やっぱりいいよ。私、すごく無神経だった」


 大間さんはこちらを一瞥だけして、机の上を片づけ始めた。


「そ、そんなことないって。家に一回帰ったら、すぐくろころの所に行くから」


「……え?」


「え、くろころの所に行くんじゃないの?」


「ううん、今日は違うところ」


「商店街?」


「ううん」


「駅?」


「ううん」


(じゃあどこだ……?)


「でも、島野くんは別に来なくていいよ。もしよかったらってくらいだから」


「でも」


「……本当にいいから。ごめん」


 無表情の中にかすかな感情を感じる横顔をあちらに向けて、大間さんはリュックを背負って教室をそそくさと出て行ってしまった。

 いつの間にか、今日の終礼は終わってしまっていたようだった。



*****



「ん、こーた! 何か用?」


 隣の教室に行くと、何人かの男子と話しながらご飯を食べていた泰河が僕を手招きしてくれた。


「泰河、今日も部活?」


「ああ。でも晩はできるから」


「わかった。それじゃ」


 僕は気まずさに耐え切れずに、そそくさとその場を後にした。

 泰河は大丈夫でも、その周りの、同じ部活っぽい人達は全く話したことがなかったからだ。中学校に上がってから泰河が広げた新しい友達の輪は、僕にとっては土星の環ぐらい果てしないものだ。僕が真似をしようとしても輪ゴムで自分を締め付けるような結果になることは見えている。

 最近、そのゴムを無理やり伸ばそうと、僕に係わってくれる人は増えたけど、それでもやっぱり僕の頑固な部分が邪魔をしてくる。


 そんなことを考えながら歩いていると、自然といつもの公園に足を運んでいた。


 くろころはいなかった。やっぱり大間さんに懐いているのだろう。

 背中の痛みは少し引いてきたけど、その分自分の嫌悪感が増してきた。

 こういう時に行く所は決まっていた。



*****



 鳴らさないようにしても勝手に鳴る鈴の音に気づき、ドアを開けた僕の所に若い男性店員がやってくる。


「いらっしゃいませ……って、洸太郎くんじゃん」


「こんにちは。庵治あじさん」


「……まあ、カウンターに座りなよ」


 優しい声色でカウンターに誘い込む庵治さんは、いつも通り、僕の全てをくみ取っているようだった。

 ここは、僕のお父さんが店長をしている喫茶店だ。古民家をリフォームしたお父さんの友人のオーナーがカフェを開き、知り合いのお父さんに店長を任せている、という体だ。今は店の中にお客さんは一人、おじいさんが新聞を読みながらゆったりとした時間を過ごしているようだった。普段来る時はもう少し人がいるけど、平日の昼はあまりいないみたいだ。……それもそうか。


「いつものでいい?」


「はい。お願いします」


 僕はカウンター席に腰掛ける。足が浮くからなのか、背もたれが低いからなのか、自然と背筋が伸びる。


「何、そんなにかしこまっちゃって。ほらクッキーあげるから」


 茶色のシャツの上から黒のエプロンをかけた庵治さんは、こちらにクッキーの乗った皿を渡す。庵治さんは、お父さんのつながりで数年前からここで働き始めた元会社員で、今は代わりに店長代行もするような人だ。お父さんは平日の間は庵治さんに仕事を任せ、休日はたまにカウンターに立つ、といった、結構アバウトな働き方をしているものの、庵治さんは文句ひとつ言わずに楽しそうに仕事をしている。


「……ありがとうございます」


「お菓子につられるところは変わらないんだよねー」


「もらい物を拒否したら失礼ですよね」


「あはは、そういうことにしておこう。ほら、コーヒー。ブラックで」


「ありがとうございます」


「あれ、こうくん来てたんだねー。学校終わり?」


 厨房兼控室の奥から、茶髪を後ろにくくった若い女性がこちらに気づいてやってきた。


「そうです。今日終業式だったので」


「いいなー夏休み。私はまだ試験もレポートもあるし」


「徳松さんの方が夏休み長いですよね。九月まででしたっけ」


「そ、十月の頭から後期。でも試験が終わるまでが長いのよー」


 徳松さんは何も乗っていないカウンターの上に寝そべるように手を伸ばす。


「徳松さん。一応お客さんいるんですから」


「はーい」


 拗ねたように元の体勢に戻った徳松さんは、デニム生地のエプロンについているしわを伸ばすように、裾をパタパタさせる。徳松さんは去年入ってきた大学生のアルバイトで、庵治さんから色々聞かされたのか、初対面からフランクに絡んできた。でも、なぜかその勢いに自然と巻き込まれてしまうため、苦手意識を覚えることは今に至るまで全くなかった。あまりそういう人と会ったことがないため、庵治さん同様全幅の信頼を置いている。


「で、洸太郎くん。今日はどうしたの」


「え?」


「何かあったから来たんだよね。今日はお父さんいないけど、僕でよかったら何か聞くよ」


「わ、私も!」


 徳松さんも慌ててカウンター越しに身を乗り出してきた。


「……」


 でも、今日は本当に何を相談したらいいのかわからなかった。

 本当にただの気分で来ただけ。ただ、気持ちが晴れていないことはいつも通り。この気持ちを晴らすために、なんとなく頼ろうとしたくろころはいなかった。そしてここも、なんとなく頼るために来たようなものだ。


「……わかった」


 何かを感じ取った庵治さんはカップを拭く手を止めて、徳松さんに目配せをした。徳松さんは初めからわかっていたかのように頷き、カウンターを回って僕の右隣に座った。


「こうくん。こうくんは、ちょっと、他の人と比べて大人だから、きっと身の丈に合わない悩みもあると思う。でも、きっと大丈夫、大丈夫だから」


 徳松さんは僕の手元にあるクッキーに手を伸ばし、自分の口に運んだ。


「ん、おいしい」


「こらっ」


「痛っ」


 庵治さんは伝票を挟む細長いバインダーで軽く徳松さんの頭を叩いた。


「励ませとは言ったけど、クッキーを食べていいとは言ってないよ」


「もー、わかりましたよー」


 徳松さんはまた、僕に出されたおしぼりを手に取ってクッキーのかすをふき取り、その手を頭に乗せてきた。


「よしよーし、こうくんはえらいえらーい」


「……やめてください」


 口ではそう言うものの、こうされるのは案外嫌いじゃない自分がいた。やっぱり自分はまだまだ子どもなのだ。


「クッキー、後で渡そうと思ってたけど一枚減らしておくから」


「そんなぁ。でも、おいしかったですよ。ナッツ入ってます?」


「そ、取引先から『ついでに』って二キロもらったらしいから、期間限定メニューで作ったんだ。ほら、島野くん。あーん」


 庵治さんは盗られたクッキーと同じものをこちらに差し出す。


「小学生じゃないんですから。ありがとうございます」


 僕は手で受け取ろうとすると、庵治さんはひょいっとクッキーを持つ手を上に上げた。


「小学生も中学生も変わらないでしょ。ほら、あーん」


 庵治さんは人差し指をこちらに向けて、口を大きく開けてみせた。僕は諦めて口を開け、餌を待つ池の鯉のように頭上のクッキーに首を伸ばした。


「よくできました」


 僕がクッキーを口で受け取ったのとほぼ同時に、左の方から鈴の音が聞こえた。


(うわっ、誰かに見られた! 恥ずかしい……)


 僕は慌てて目をドアから逸らす。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


「三名で……す」


(あれ、この声どこかで聞いた気が……)


 僕はドアの方にゆっくり視線を動かすと、そこには見慣れた人たちがいた。


「あれ、島野くんだよね。学校ぶり!」


 吉村さんはこちらに手を振る。その後ろには前に大間さんの通訳をしてくれた他クラスの女子、そして。


「……」


 形容しがたい表情の、その大間さんがいた。


 

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