第5話 ゴム紐1

「こーた、着替えようぜ」


「なんでうちのクラスに来るんだよ」


 大きめの巾着を肩にかけた泰河が、昼休憩でご飯を食べている僕の所にやってきた。


「着替えてから来たらいいだろ」


「着替えてから、ってお前、そんなつれないこと言う奴だったか?」


「お前の方こそ、そんなキザなことばっかり言う奴だったか?」


「だって今日、お前のクラスとの合体ごうたいだろ?」


「……そっか」


 毎週金曜日の四時間目は、泰河のクラスとの合同体育―――合体ごうたいだ。期末テスト明けに水泳が始まるため、一コマだけ二クラス合同の体育があるのだ。テストを二週間後に控える来週から、おそらく保健体育の枠にすり替わるため、今日はその前の息抜きでレクリエーションをするという話をされたことを思い出した。


「だから男子は全員追い出されてるんだ。お前曜日感覚無さ過ぎだろ」


「別に金曜日は忘れてない。他の教科書全部持ってきたし。なんなら大間さんに見せ……ようとしたし」


 急いで弁当をかきこみながら弁明をする。


「……見せてないんだ」


「だって寝てたから……って、大間さんまた寝てる。もうそろそろ着替え始まるのに」


「いや、それはここに来た時からずっと思ってたけど」


 ぞろぞろと男子が入ってくる教室の隅で、大間さんはまさに紅一点だった。早々と弁当を食べ終えていたが、目を離した隙に寝てしまっていた。


「お、大間さん、体育の着替えの時間だから、起きて」


「ん……」


 案外すっと起き上がった大間さんはこちらを見る。


「きょ、今日合体ごうたいだから、もう男子入ってきてるし」


 大間さんは状況を把握するためか、僕の顔を見つめたまま目をぱちくりさせる。目は寝起きのせいか潤んでおり、こちらの心の中にも潤いを与えてくれる。


「……ありがとう」


 大間さんはそれだけ言い残して、そそくさと教室を出て行ってしまった。何人かはお構いなしに着替えを始めていたが、近い席の男子はそれを見届けてからシャツのボタンを外し始めた。僕もそれに倣って首元に手をかける。


「……懐かれてるよな」


「そうかな?」


「いや、そうだろ」


 泰河は冷静な口調でツッコむ。


「前々から聞いてたけど、実際に見ると明らかに懐かれてる。これから夏休みまでこっちで着替えることになるし、毎週見ることになるんだろうな、この夫婦漫才」


「それはさすがに困るかも……って、最後なんて言った?」


「いやいや、何でも。それより、なんで困るんだ?」


「だって、着替える時間なくなるし」


「それはいつも食べるの遅いからだろ」


「そんなに遅くない。平均レベル」


 そうこう話しているうちに、僕たちは着替えを済ませた。周りはもう着替え終わった人もいれば、大間さんの様に机に突っ伏したままの人もいる。教室の前のドアに目をやると、ちょうどサッカー部が昼のミーティングから帰ってきたところだった。


「あれ、大間さんじゃない?」


 泰河が見ていたのは、サッカー部が入ってきた前のドアではなく、僕の席から直線状に見える後ろの扉だった。廊下にすでに着替えた大間さんの姿と、その後ろに見たことのない―――正確には全く話したことのない女子の姿があった。


「何か忘れ物でもしたんじゃね。待っとくから聞いてきたら?」


「え、でも」


「このクラスの男子、お前以外で大間さんと話せる人いるのか?」


「でも他のクラスの男子だって」


「ああもううるさい!」


 泰河は僕の体操服を掴み、背中を押す。


「力強すぎ……お、大間さん、どうしたの?」


「え、えっと……」


真心まここ、ゴム紐忘れちゃったんだって」


 どこか困った様子の大間さんに代わって、喜怒哀楽のどれとも取れない表情をする女子が後ろから代弁する。


(ゴム紐……髪留めるやつかな)


「そ、そうなんだ。大間さん、どこに入ってるの?」


「……リュックの外ポケット」


 大間さんは僕の後ろ側を指した。


「わかった。取ってくるね」


 僕は掌を向けた後、大間さんの席に向かおうと教室の方を向くと、泰河が運動靴を持ってこちらに来ていた。


「ごめん。体育委員で準備しないといけないから」


「OK。先行ってて」


 泰河とすれ違い、大間さんの席に着く。机の横に掛けられたリュックサックを見つけ、その外側に付いたファスナーを右に引っ張る。


(あれ、何も入ってない……)


 中を手で探ることは憚られたため目視での確認になったけど、中には何も入っていなさそうだった。

 廊下の外の大間さんを見ると、リュックサックを指しているようだった。

 僕は手でバツを作り、首を振る。


(入ってないよー!)


 口をパクパクして発した言葉はちゃんと伝わったみたいで、大間さんはチャックを開ける動作をする。しかし、その動きが僕のものとは異なって山なりになっている。

 僕は改めてリュックを見ると、メインのチャックの右側に同じような山なりのチャックを発見した。


(わかった、もうちょっと待っててねー!)


 僕は大間さんにグッドサインを送り、そのチャックを開ける。中には目薬やカギ、ポケットティッシュや何かが入ったポーチなどが入っていた。でも、その中にゴムひもはない。


(やっぱりないよー!)


 また目視で確認しただけの僕は大間さんの方を見て首を振る。


(……ん?)


 大間さんは、今度は何かを持ち上げる動作をする。


(もしかして下に落ちてるとか?)


 僕は机の下を探すも、落ちているのは消しカスと埃と砂と……アイマスクぐらいだった。


(……アイマスク? まさかこれ?)


 僕は違うと思いながらそれを手に取り、軽く汚れを払ってから大間さんに向かって掲げる。


(やっぱり役に立てなかったな……)


 すると大間さんは、何度も首を大きく縦に振った。


(え、これなの?)


 僕はそれを持って立ち上がると、手元から何かが床に落ちた。下を向くと、黒い輪っかがあった。

 改めてそれも拾い直して、大間さんの所に行く。知らぬ間に後ろにいた女子はいなくなっており、大間さん一人廊下で待っていた。


「ごめん、全然見つけられなくて」


「ううん、ありがとう」


 大間さんはゴム紐とアイマスクを受け取り、階段の方に歩き出した。


(さて……あ、泰河もう行ったんだった。)


 僕はその背中を一瞥し、教室に戻ろうとしたが、すぐに足を止めた。


(あ、でも運動靴持っていかなきゃ)


「島野くん」


「えっ、な、何?」


 廊下の少し奥から名前を呼ばれ、その方向を向くと、大間さんが首だけこちらに向けていた。


「行かないの? 運動場」


「え、行くよ? 行くけど、どうしたの?」


 返答がしどろもどろになる。


「……?」


 大間さんはこちらの様子をうかがっている様子だった。僕の方はというと、こっちも様子をうかがうというか、大間さんの言いたいことをくみ取ろうとしている訳で……。


(……)


 僕は結局、意図をくみ取れず、教室の中に戻る。そして机の横にひっかけた、運動靴の入った巾着を手に取り、足早に廊下に出た。


「……」


 大間さんは僕が教室に戻る前と同じようにこちらを見ていた。


「あ、あの……大間さん?」


「……」


 ここまで大間さんが喋らなくなったのは初めてかもしれない。いや、別にそんなにおしゃべりしていたわけではないけれど。


(でも、考えてもわからなかったし、やっぱり大間さんのこともまだまだ……)


 キーンコーン……カーンコーン……。


 僕は予鈴のチャイムに押されるように、歩き始めた。


(変に話しても、嫌われるかもしれないし。前にあんなこと言ったけど、別に無理に話すことを強要するのは違うし……)


 僕は大間さんの横を通り過ぎようとする。でも僕の本能が足を止めた。


「……」


 大間さんはこちらを見つめている。


「大間さん?」


「うん」


「えっと……何か話したいことあるの?」


「ううん」


「え」


 じゃあなんで用事もないのに立ち止まっていたのだろう。


「運動場、行かないの?」


「え、行くよ」


「ふふっ、さっきもこの話したね」


 不意に見せる柔らかな笑顔に、思わず頬が紅潮する。そんな僕をよそに、大間さんは歩き出した。


(まさか、からかうため……?)


「島野くん」


「は、はい!」


 僕は思わず大間さんに追いつこうと小走りで隣に並び、共に歩く。


「いい返事だね。くろころみたい」


「くろころは返事しないでしょ」


「鳴き声で反応してくれてるよ?」


「そうなの?」


「そうなの」


(ああ、ありがとうくろころさま。また餌持っていかせていただきます)


 大間さんと話しながら、心の中でくろころに感謝を伝えながら歩いていると、あっという間に昇降口に着いていた。


「あ、もう着いた」


 思わずそんな言葉が口を出る。


「だね」


「あ、こーた! 遅いぞー?」


 昇降口の奥の、白く地に反射した空間から泰河が現れた。


「ごめんごめん、何か忘れ物?」


「いや、そこの浄水器で水分補給しようかなと」


「わかった……って、大間さん」


 僕の通り過ぎる泰河を横目に、外に出ようとする大間さんに声をかける。


「何?」


「え、いや、別に……」


(呼んだはいいものの、結局話すこともなかった)


「ご、ごめん、呼んだだけ」


「……」


 逆光の大間さんの表情は見えなかったけど、慌てて出て行った様子からまずいことをしてしまったのかと不安になった。


「おい、行くぞ」


 背中をポンと叩き、後ろから泰河が通り過ぎていく。


(僕は熱中症にでもなってるのだろうか……)


 上の空の中、何とか靴を履いて外に出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る